第十七話 【無限変換】――《感染城塞》
■“黒渦”について
二〇〇〇年前に襲来した“化身”は、当時の<終焉>を討伐した先々期文明にとっても規格外の怪物達だった。
死した英雄達と同じ性能の人形を量産する“冒涜の化身”。
生物を塵に、塵を生物に交換する“天秤の化身”。
疫病、灼熱、飢饉、極寒、数多の地獄を作り出す“自然の化身”。
決して届かず、決して逃げ切れぬ“鳥籠の化身”。
あらゆる生物から現実を奪い去る“夢遊の化身”。
伝説の武器を使い捨てるように幾万と放つ“武装の化身”。
未来を予知するかのようにあらゆる戦術を無為とする“左右の化身”。
強度も速度も関係なく一瞬で万物を斬断する“秒針の化身”。
山野を埋め尽くし、尽きることのない増殖を繰り返す“獣の化身”。
更には“化身”の中でも特に恐れられた三体。
山脈すらも容易く轢き潰す“石臼の化身”。
戦えば戦うほどに際限なく成長する“進化の化身”。
規格外の能力を数え切れぬほどに行使する“万死の化身”。
“異大陸船”を除く一三体の“化身”の内、一二体はそのようなものだった。
そして残る一体が“黒渦の化身”……【無限変換 シュヴァルツァー・トート】である。
“黒渦の化身”は、“化身”の中で最も強かった訳ではない。
最も強固だった訳ではないし、最も破壊力があった訳でもない。
最も殲滅力があった訳ではないし、最も戦力を揃えられた訳でもない。
恐らく、純粋に戦闘に要する能力を比べたとき、“化身”の中で最高と言えるものは一つもなかった。
しかし、同時に先々期文明から……そして同じ“化身”からもこう思われていた。
――最も強くはないが……最も性質が悪い、と。
◇◆◇
□■王城四階
その時、【盗賊王】ゼタは想定を遥かに上回る難敵を前に困惑していた。
(……私の手の内が何も通じない)
ウラノスの必殺スキルによって熔解したその部屋に、“黒渦”は在り続ける。
外部からゼタが放った空気の砲弾も、武器も、全ては“黒渦”に触れた瞬間に無為と化す。
触れれば運動エネルギーは消失し、持っていた熱量さえも奪われて、凍結し、エネルギーを失った空っぽの物体として床に転がる。
ゼタが“黒渦”の内部を真空や有毒気体に変じさせようとしても、ウラノスの空気制御そのものが“黒渦”を境にして機能しなくなる。
(……相性差、とも言えません)
あらゆるエネルギーを吸収し、無力化する相手に相性も何もあったものではない。
(例外があるとすれば、あの“黒渦”に触れずに内部にいるであろう何者かを攻撃できるスキルを有する者、くらいですか)
奇しくもゼタがここに来る前に倒した迅羽がその類だ。
しかしその彼女にしても、僅かにでも着弾点をしくじれば義手義足が“黒渦”に触れ、手足を失うことになるだろう。
(あの“黒渦”は内外を完全に隔てる壁。光も音も内部には届いていない。……であれば、相手もこちらは見えていないはず)
“黒渦”が廃墟と化した部屋の中央に陣取って不動のままであるのは、外部の様子が探れないからではないかとゼタは推測した。
(あの“黒渦”は防御結界の類とは思いますが、異常に強力。海属性魔法のエネルギー減衰……それを突き詰めたものに似ていますが、それでもあそこまで何もかもエネルギーを奪うような手合いは見たことがない)
かつてグランバロアにいた時に見知った【海神】も、あそこまでの防御結界は張っていなかった。
ウラノスの必殺スキルを……核爆発に匹敵する熱量を無力化したことを考えても、確実に<超級エンブリオ>相当の力は有している。
(それに、これが減衰ではなく吸収ならば……何らかの攻撃に転用する恐れもある)
自分が指導した【魔将軍】ローガン・ゴッドハルトを倒したレイ・スターリングのように、ダメージ・エネルギー吸収型の相手はカウンターを警戒すべきとゼタは考えた。
何より、【ウェスペルティリオー・イデア】は間違いなくこれに倒されているのだから、初撃が通じなかったことも含めて注意をし過ぎるということはない。
ゆえに一時攻撃の手を止め、対象の出方を窺うことにした。
実際にゼタの推測の多くは正しかった。
この“黒渦”こそが【無限変換】のエネルギー吸収能力、《感染城塞》である。
この“黒渦”に接触したものは何であれ、エネルギーの全てを吸収される。
炎であれば熱も音も光も飲まれ、生物であれば体温、運動エネルギー、神経を走る電気信号すらも食われる。
エネルギーに依存するあらゆる攻撃は無為となり、生物であれば接触は死に直結する。
そして吸収したエネルギーによってこのスキルを維持、拡大し続けるのである。
抵抗が無意味どころか力を与える。迫る“黒渦”を前に打つ手なし。
“黒渦”とは正に黒き死であると、数多の存在から恐れられた力である。
しかし、それは全てではない。
本来ならば度重なったエネルギーの吸収は《感染城塞》の感染たる由縁、【シュヴァルツァー・トート】の名の由縁たる必殺スキル……最も恐ろしい能力に繋がる。
だが、今のドーマウスにはそちらの力を行使する気はなかった。
そもそもこれは防御に限定した戦闘。
<マスター>を攻撃する権限はドーマウスにはない。
『エネルギーの吸収が緩やかになったのである。攻撃の手を休め、こちらの動きを見ているのであるな』
《感染城塞》の全方位展開中のドーマウスは、周囲の様子を確認することが出来ない。
しかし、攻撃を受けているかどうかはエネルギー残量の上下で察することが出来る。
加えて、
『ダッチェス。動きは……?』
【……【獣王】が戦闘停止。【女教皇】と、交渉中……。あなたを攻撃している【盗賊王】は……動きを止めている……わ】
そんなメッセージと共に、ウィンドウには『“黒渦”を見ているゼタの視界』がそのまま映し出された。
自身が見えなくとも、ダッチェスによって外部の動きを伝えられている。
そしてダッチェスの能力は通常の物理法則とは異なる力ゆえに、“黒渦”によって阻害されることもない。
単体であれば欠点もあるが、連携すればそうした弱点の多くは潰せることをドーマウス達は経験で知っていた。
そもそも本来であればこの《感染城塞》の展開にはエネルギーを消耗する。
エネルギーを吸収し続ければ拡大してなおもお釣りがくるが、吸収するエネルギーがなければドーマウス自身のエネルギーを切り崩すしかない。
<無限エンブリオ>としての本体ならばともかく、第七形態の出力では外部からの補給なしに長時間維持することはできない。
しかし、今は違う。城の結界の機能もほとんどが停止した現状、【邪神】であるテレジア目掛けて集まるリソースをドーマウスが吸収することでエネルギーを補い続けている。
“黒渦”を張り続ける限り、ドーマウスはテレジアにとって難攻不落の城塞と言えた。
【ただ……王国の……何といったかしら……近衛騎士団の女騎士が……そちらに近づいている……わ。王城に入った<K&R>の<マスター>とも一緒……ね】
『リリアーナであるか……』
それは少しマズい、とドーマウスは思った。
この状況を目撃した時、リリアーナ達の反応が読めない。
悪い方向に転がってテレジアの【邪神】を促進させる可能性がある以上、彼女がここに辿り着く前に事態を収束させておきたかった。
(今も観察を続けているのは情報収集が目的であるから、悪ければこちらの正体を掴むまで帰らない可能性もありうる……)
そこまで長丁場になることは、ドーマウスとしてもリスクが大きい。
ゆえに、彼は特例として……もう一人の管理AIの手を借りることにした。
『ダッチェス。《第二世界への招待》の限定使用は可能であるか?』
【ええ。いつでも――誰にでも】
◇◆
ゼタには眼前の“黒渦”の城塞を突破する手立てがなかった。
(……理不尽な相手は、苦手です)
ウラノスのコントロールは“黒渦”の内側に届かず、外部で発生させたあらゆる事象も届かない。
“黒渦”の外部を真空化して息切れを待つことも考えたが、“黒渦”の内側に干渉できない以上、空気をアイテムボックスに充填していれば問題なく対応されてしまう。
空気用のアイテムボックスを持つことはグランバロアでも半ば常識的な備えであったし、このような全周長時間防御能力持ちがその程度の対策を施していない訳がない。
<エンブリオ>の能力ではなく【盗賊王】のジョブスキルならば通じるかもしれなかったが、そもそもジョブスキル自体が接近しなければ使えない。心臓を抜くべく手を伸ばしても、“黒渦”に触れてそこでお陀仏だろう。
それにゼタの第三の切り札……超級武具【モビーディック・レフト】もこの状況では使い道がない。
万能型のゼタであるのに、その万能の全てが通じない相手というのはどうしようもない。
(しかしこのまま撤退するにも、依頼を達成するには不足が……。せめて相手の顔だけでも確認しなければ……ッ!)
ゼタがそう考えた正にその時だった。
“黒渦”の一部が……消えた。
“黒渦”を張り続けるエネルギーの不足か、それとも別の理由か。
“黒渦”は解けて……その中心にいた人物の姿を晒した。
「……!」
ゼタはそこに立っていた一人の人物の姿をしっかりと脳裏に焼き付けた。
同時に攻撃態勢に入り、カメラも取り出そうともしたが、それらを実行するよりも早く“黒渦”の綻びは直り、再び完全に覆い隠されてしまった。
(……今の綻びは手落ちなのか、それとも罠なのか。どちらかは定かではありませんが、どちらであっても報告する内容はできた……)
少なくとも、依頼である『奇妙な人物』の発見と確認はできた。
『これならここで退いて、自分の目的である珠の窃盗に専念しても問題ないかもしれない』、ゼタがそう考えたとき……。
『ゼタ。私ですわ』
ゼタが包帯の内側で身に着けていた通信機から、依頼主であるクラウディアの声が流れた。
「…………」
この状況にあることを予感しながら、無視する訳にもいかずにゼタは応答する。
「確認。この通信機が使われたなら、そちらは失敗ですか?」
『ええ。負けましたわ。そちらは?』
「……未遂。貴女に依頼された仕事の内、ターゲットの発見及び確認は達成しましたが、排除は難航しています。仕留めたと思ったのですが、私の<エンブリオ>の攻撃が届いている気がしません」
『ああ、やはりそうなりますわね。それも含めて、確認がしたかったのですわ』
依頼主のその言葉に、やはり攻撃が通じず倒せない前提で依頼していたのだなとゼタは確認する。
『ところで私の依頼ではなくあなたの……【盗賊王】の私的な目的はどうなりました? 盗めましたの?』
内心で「あなたからの通信がなければこれから盗みに行くところでした」と言いたくなりながらも、ゼタは努めて冷静な口調で応える。
『拒否。回答を拒否します』
「そう」
聞いてはみたが特に興味のなさそうな回答であった。
クラウディアにしてみれば、眼前の“黒渦”の情報が最優先なのだろうとゼタは察した。
実際には、“黒渦”の情報はクラウディアの求める情報とはズレていたのだが。
「指示。排除が不可能であり、そちらの状況が思わしくないのならば次の指示を乞います」
『プランCに移行。あなたは例の準備を済ませて王都から撤退してもらいますわ』
プランCという言葉に、『そういえばそんなプランもあった』と思い出した。
皇国側が交渉と戦闘の両面で負けた場合にしか発生しないプランであったため、記憶の隅に追いやられていたのである。
しかし内容自体は覚えていたので、ゼタはそれを了承する。
「移行。報酬は指定の方法で。私が確認した対象の情報もその際に渡します」
そこで通信を切って、ゼタは再び“黒渦”に向き直る。
(ともあれ、これでもうこの“黒渦”の相手は終了。プランCに移行しつつ、地下へと移動しましょう。もしかすると珠も地下に避難した者が持っているのかもしれません)
次の仕事と自分の目的。その両方をこなせる可能性がまだあると考えて、ゼタは“黒渦”から距離を取って離れる。
そして一気に速度を増して城の外壁を駆け下りながら、一路地下への道を進んでいく。
(地下といえば、【イグニス】が向かったはず。一階から隔壁を熔かして向かったはずなので私もそこを通れば……?)
そうして下へと向かう最中、ゼタは不意に悪寒のようなものを感じた。
次いで奇妙な胸騒ぎと共に、ラ・クリマから預かっていた四体の改人の状態を表示する機器を取り出す。
その内の三体は機能を停止していたが、残る一体……【イグニス・イデア】は違う。
今も倒されないままに活動を続けている。
否、活動が活発すぎる。
特に体温を示すデータが――炎使いであることを差し引いても異常値を指し示していた。
「疑問。何が、起きているの?」
どうやらまた想定にない事態が起きているようだと、ゼタは包帯の内側で少しだけ冷や汗をかいた。
◇◆
『……撤退したようであるな』
【ええ。彼女は去って……、地下に……向かった……わ。戻る気配もない……わ】
ダッチェスからの言葉を聞いて、ドーマウスは“黒渦”を解除した。
『久しぶりに《感染城塞》をフルに使って、少し疲れたのである』
【…………疲れた?】
『すまぬ。多分ダッチェスよりはずっと疲れてないのである』
全ての<マスター>の視覚を制御しているブラック労働の同僚に、ドーマウスは心から詫びた。
二四時間連続での能力発動を四年以上続けている彼女と比べれば、一戦闘くらい比較にならなかった。
「ドー」
『分かっているのである。流石にこんな戦場跡みたいな部屋にいると、リリアーナに見つかったときの言い訳が難しいのである。もっと壊れてない部屋に移動するのである。ダッチェスも移動中に見つからないようにナビゲートお願いするのである』
【…………】
しかし、ドーマウスの言葉にダッチェスは答えない。
『ダッチェス。さっきの不用意な発言は本当に悪かったから、機嫌を直して……』
ドーマウスは改めて彼女に謝るが、
【ドーマウス。……すぐに【邪神】を連れて……王都から退避】
それに対する彼女の言葉は……極めて切迫した忠告だった。
『……何があったのである?』
【……分からない? ああ、制御室にいないもの……ね。……じゃあ、言う……わ】
そしてダッチェスは、
【あと数分で……その城が消し飛ぶ……わ】
――大惨事をアナウンスした。
To be continued
(=ↀωↀ=)<そろそろ王都襲撃編も決着かな




