番外話 彼女の嘘と彼の宣言
(=ↀωↀ=)<月末までの仕事終わらせた後に書いた模様
(=ↀωↀ=)<エイプリルフールネタ兼現在の本編とも大きく絡みがある話
(=ↀωↀ=)<人によっては気になってた時期のエピソードかもしれない
□■彼女について
彼女は、生まれてからずっと嘘をついてきた。
◇◆
テレジア・C・アルターは王国の第三王女である。
生まれて間もなく母を亡くし、自身も病弱な身で生まれてきた。
そのためか父と二人の姉は彼女を殊更に溺愛していた。
あるいは、医者の『恐らくは成人前に……』という診断があったためかもしれない。
そんな愛情と悲しみのないまぜになった人々の揺り籠の中でテレジアは思った。
(今回はそういう生まれなのね)
脳が未成熟で物心などついているはずもない赤子の時分に、彼女は既に確立した自我を持っていた。
まるで脳という生体器官以外に、思考と記憶のための器官を持っているかのように。
実際に、彼女はそのための器を持っている。
ジョブ――特殊超級職【邪神】という器を。
【邪神】とは<終焉>の呼び水。
半身にして半神。
この世界に試練を課すためにかつての管理者が遺した<システム>の一部。
それゆえに、特例中の特例と言える仕組みを持たされている。
特殊超級職を含めた他のジョブとの違いは、五つの機能。
第一に、歴代の【邪神】の記憶の保持及びジョブ自体を代替脳とした思考。
第二に、世界からのリソース吸収による自動レベルアップ。
第三に、一定レベルに至るまでの【邪神】に関連した情報の完全隠蔽。
第四に、<システム>の範疇に存在しなかった異物への無敵化。
第五に、代を経るごとの基礎ステータスとスキル強化。
(生まれたばかりなのに、既に生きるのに疲れた気分)
テレジアにとって最大の問題は記憶の保持。
あくまでも記憶のみで人格は含まれず、彼女の人格は彼女だけのものだが……記憶と人格は完全に無関係ではない。
歴代の【邪神】の記憶を持つがゆえに、彼女は既に多くのことを知ってしまい……その精神年齢を強制的に引き上げられてしまっている。
記憶と思考の機能がある程度の精神保護を有していなければ、生まれて早々に心が壊れていただろう。
それでも例外なく殺されてきた記憶ゆえに、彼女は既に疲弊していた。
同時に理解もしている。
【邪神】とは最終的には死ななければならない存在だと。
【邪神】が死ななければ<終焉>が降臨し、世界は滅ぶかもしれないのだから。
しかし【邪神】は自殺も自傷もできず、危険が迫れば自動的にジョブスキルが反応する。
成長後は存在するだけで世界に害をなすために、いつも誰かに殺される。
歴代の【邪神】の中では静かに終わりを待つ者もいれば、世界に牙を剥く者もいる。
テレジアの先祖が倒した【邪神】は後者だったし、生まれたばかりのテレジアは前者だ。
記憶は似通っているはずなのに行動が違うのは、きっと魂が違うためだろう。
いずれは自分の正体がバレて殺されるのだろうと悟っていた。
テレジアはいつか終わるときを静かに待とうと……生まれてすぐに考えた。
だからバレるまでは……嘘をつこうと思った。
◆
生まれてから一年ほど経ち、テレジアは自身の周囲の環境を理解していた。
(アルティミア姉さまは【聖剣姫】。あの剣なら、レベルが未達な私の首を斬るのは簡単)
先代の【邪神】や他にも幾人かの【邪神】の死因を思い、テレジアはそう結論づけた。
【元始聖剣】は今や<UBM>……異物の混ざったものであるが、あらゆるものを斬るその力は【邪神】の無敵化さえも切り裂いて見せる。
そもそも、あの剣は【邪神】同様に世界を創った者達が特別に用意したもの。その上で『あらゆるものを斬る』とされているならば、変性しようと【邪神】を斬れる。
揺り籠のテレジアに読み聞かせられる絵本……アルター王国で最も有名な物語の内容からもそうなることを察していた。
(保有者は地に眠る神骸より離れるべからず。この地に次の【邪神】が生まれることを察して、すぐに【元始聖剣】で斬り殺せるように伝えているのね。御先祖様も、子孫が【邪神】になるとは思わなかったのでしょうけど)
神骸……<終焉>の本体は王都の地下に眠っている。
【邪神】は<終焉>からそう遠くない場所で生まれるというルールを当時の【聖剣王】が知っていたかは不明だが、対処法としては正しい。
初期段階の【邪神】相手なら、【元始聖剣】で首を刎ねるのが最も効率的だ。
成長するとスキルによる防衛能力が上がり、それこそかつての【聖剣王】のように死力を尽くさなければ刃が届かない。
(レベルの上昇は……少しずつね)
生まれた時よりも、今の方がレベルは上がりづらい。
なぜかと言えば、病弱なテレジアのために城に防疫の結界が張り巡らされたからだ。
【テレジア】が世界から吸収する死者のリソースは本来の対象ではなかったが、呪怨系状態異常も警戒した結界であったためか、吸われるはずの死者リソースの殆どがシャットアウトされていた。
(吸われなかったリソースは自然に還るでしょうから、問題もないのでしょうけど。……いえ、そもそも結界が張られる前から歴代の【邪神】よりもペースが遅かったわ。……まぁ、今は戦乱の世でもないから、当然なのかしら)
テレジアの考えたことも理由の一つだが、真の理由は別にある。
テレジアは知る由もないが、王都のセーブポイントには浮遊リソースを吸収する仕組みが設けられている。管理AI達が【邪神】を警戒して行った仕組みが、彼女のレベルアップを遅らせていた。
(……別にいいのだけれど。どうせレベルが上がりきってしまえばおしまいなのだから、遅いに越したことはないわ。大した違いはないでしょうけど)
これまでの【邪神】ならば五歳になる前には危険に遭い、セーフティが外れ、最初の覚醒が起きた。
そうなればたとえ《看破》などのスキルから秘匿されていても、テレジアが【邪神】であることは明白になる。
そうなれば後は殺されておしまいだ。
(それなら、今の恵まれた暮らしを味わいましょう。)
テレジアは本心からそう思った。
いずれ自分を殺す相手と分かっていてもテレジアはアルティミアが好きだったし、父や年の近い姉のエリザベートも好きだった。
ここまで愛にも物にも恵まれた環境は、歴代の【邪神】にはなかった。
(そういえば……先代は貧しい家の子供だったわね)
先代は荒廃した業都の貧民街の生まれで、子供を売って冬を越すような家だった。
兄弟もいたが、どこかに売られてそれっきり会えなかったと記憶して……。
(…………いえ、どうだったかしら)
何かを思い出しかけて、けれど思い出せなかった。
全員ではないが、歴代の【邪神】の記憶は年齢を経るほどにおぼろげになる。
抱え込んだ狂気が基本の精神保護の限度を超え、正気ではなくなった【邪神】の記憶とはそういうものなのかもしれない。
いずれにしろ、【邪神】として生まれて幸せに生きられた者は少ない。
良くて……納得して殺された者くらいだ。
だから、テレジアもまた【邪神】として死ぬ前に第三王女としての時間を過ごすのも悪くないと……どこか枯れた思考で方針を決めた。
自分は病弱なだけの第三王女であるという嘘を、今しばらくつき続けようと。
(どうせ、ほんの数年でバレてしまうでしょうけれど)
◇◆
それから四年近くが経って、今年で五歳になろうかというテレジアはガラス窓の向こうの景色を眺めながら呟いた。
「……めぐまれすぎたわ」
王女で、しかも病弱に生まれた。
そのために、考えうる限りこの世界で最も手厚く育てられた。
それこそ、あらゆる危険から遠ざけるように……。
「よそうがいだわ……」
まさかこの年になるまで、【邪神】だとバレないとは思わなかった。
普通ならばモンスターや戦火といった外敵によってセーフティが外れ、【邪神】の力の一部が解放される。
今までの多くの【邪神】は幼少期にセーフティが外れ、その後に殺されてきた。
だが、テレジアは王女である。
ずっと危険のない屋内にいたためにセーフティが外れず、気づかれてもいなかった。
彼女以外はこの世の誰も……【邪神】を捜す者達も含めて誰も彼女が【邪神】だとは知らない。
(自傷や自殺はできないし、私から【邪神】と言っても信じてもらえない。言っても聞こえないでしょうけど)
テレジアが【邪神】であるということは《看破》で見破れないだけでなく、彼女の言葉からも隠される。
話そうとしても違う言葉や意味のない言葉に聞こえるし、年齢もあって不自然にさえ思われないだろう。
それにどうしてか【邪神】についての伝承もかなり簡略化と欠落が起きているため、そもそも分かってもらえない可能性が高い。
(このままだと【邪神】が完成してしまうのではないかしら……。けれど、このレベルアップのペースだと……もう何十年か先になりそう)
彼女は自分のレベルアップを肌で感じることが出来る。
数代前の【邪神】から、世界はステータスを表示するようになった。それまでは特定のスキルの使用や感覚的にしか判断できなかったが、今は誰でも客観視できる。
しかし【邪神】のステータスはその目に見える形においてはなぜか彼女自身にもカモフラージュされており、彼女は自分の真のレベルを感覚的にしか把握できない。
そして感覚で言えば……恐らくはまだ三〇レベルにも達していないだろうと思われた。
それは歴代と比較しても明確にレベルアップが遅い。
ひょっとすると天寿を全うするか病死するのが先かもしれないとも考えた。
「…………」
その未来予想図にどうしてか少しだけ……テレジアは胸が暖かくなった。
それは、最も希望に満ちた終わり方であるような気がしたからだ。
「テレジア殿下、どうなさいました?」
少しだけ頬が赤くなったテレジアに、御付きの侍女が声をかける。
「だいじょうぶよ。ちょっとあったかいだけ」
「最近は陽気も強くなってきましたからね」
侍女に彼女は適当な嘘の言葉を返した。
けれど侍女は……王女の護衛役として《真偽判定》も持ち合わせた侍女は、その嘘に気づかない。
それもまた【邪神】としてのテレジアの特性だった。
《看破》を偽るように、《真偽判定》でも彼女の嘘を見破れない。
スキルによって嘘が制限されるこの世界で、テレジアは自由に嘘がつける人間だった。
彼女が今もバレずにいるあまりにも大きな嘘に比べれば、些細な話だったが。
「おへやにもどって、おねんねするわ」
「はい。分かりました」
テレジアがそう言うと、侍女は彼女を大きめの乳母車に入れて運び始めた。
「…………」
病弱な――実際には【邪神】のステータスで余裕がある――身であるために、部屋から部屋の長い移動は自分の足ではなく乳母車を使われる。
それが少しだけテレジアには不満だった。
せめてもう少し見栄えのいい移動手段はないものかと……膨大な記憶と五年足らずの実年齢を持つ少女は強く思った。
◆
「それではテレジア殿下、私は隣室で待機しております」
「ありがとう」
テレジアを部屋まで運んだ侍女とそんな言葉を交わして、テレジアは自室に一人となる。
彼女の部屋は王女らしく豪奢で、同時に清潔さが保たれた部屋だった。
天蓋付きのベッドには、二人の姉から贈られた可愛らしいぬいぐるみが寝かされている。
ベッドの傍には何かあった時のために隣室の侍女を呼ぶためのベルが置かれている。
けれど、彼女の視線は……ベッドと自分の中間点に固定されていた。
そして彼女は口を開き……。
「あなたはだれ?」
誰もいない空間に向けて……そう言った。
空気だけが聞くテレジアの声に、
「――先に声を掛けられてしまいましたね」
聞き覚えのない男の声が、応えた。
直後、何もなかったはずの空間に、緑色の外套が浮かび上がる。
外套を着こんだ人物は、音もなくそれを脱ぎ去って……テレジアに礼をする。
「この私の名前はゼクス・ヴュルフェル」
黒髪のどこか冴えない容姿の男は自分の名を名乗ってから、
「――貴女を攫いに来ました、テレジア王女」
まるで歌劇のようなセリフを口にした。
「すてきなことばね。じゅうねんごにききたかったわ」
自分を攫いに来たという男――ゼクスに、テレジアは冷静にそう返した。
「…………」
そんなテレジアをゼクスは――後の彼を知る者なら驚くだろうが――目を見開いてジッと見ていた。
そして、こう尋ねた。
「すみません。本当に貴女が王国の第三王女ですか?」
「そうよ。どうしてたずねるのかしら?」
「今、バケモノにしか見えませんでしたから」
「…………。そんなことをレディにいうものではないわ」
「そうですね。すみません」
穏やかに言葉を返しながら、テレジアは自身の人生で最も心臓の鼓動を強めていた。
(【邪神】だとバレている? どうして? そもそも、この男は何者……?)
相手の正体を探ろうと視線を巡らせて、テレジアはゼクスの左手の甲に紋章を見つけた。
ただ丸だけの……一粒の水玉だけのシンプルな紋章。
けれど、だからこそ何にでも形を変えそうな、水の象徴。
「あなたは、<マスター>?」
「はい。先月から始めました」
一ヶ月ほど前から<マスター>が増え始めたという話は、テレジアも聞いていた。
そして<マスター>というのは、彼女の中で別の意味を持つ。
(【猫神】の同類……ね)
かつての【邪神】が戦った<マスター>、【猫神】。
分身する<エンブリオ>を使うという彼との戦いで、しかし【邪神】は僅かな傷も受けなかった。
それが【邪神】の特性の一つ、異物への無敵化であるとテレジアは知っている。
(<マスター>は、<システム>外の異物。絶対に私を傷つけられない。そんな<マスター>が、今の【邪神】である私に接触する理由は……何?)
あまりにも不透明な状況に、テレジアは情報を得るために会話を続ける。
「さっききていたのは、あなたの<エンブリオ>?」
「いいえ。特典武具です。元は逸話級のカメレオンで名前は……【擬音色獣 サウンドカラレス】だったかと。遭遇した時は気づかないうちに丸呑みにされてしまいました」
「…………」
目の前で「死んだ」と同義の言葉を笑いながら話す男に、少しの感性のズレを覚えた
「だからこそ、今はこの私の特典武具なのですが」
「……?」
「むしろこの私の方から聞きたいのですが……どうやって気づいたのですか?」
「…………」
テレジアが特典武具で姿を隠したゼクスに気づいたのは、必然だ。
ゼクスの特典武具の効果は、身に着けた者の音と色を偽り空間に紛れるというもの。テレジアの部屋にまで入り込めたのはその力が大きい。
しかし特典武具……異物の力が混ざった<UBM>に由来するアイテムであるゆえに、【邪神】であるテレジアにはその効果も発揮できない。
テレジアには、見えないはずのゼクスが見えていた。
「……それはね」
テレジアは少しだけ考えて……。
「わたしが【■■】だから」
「?」
自分の正体を明かしたが――しかしそれはゼクスの耳には届かなかった。
(やっぱり<マスター>相手でもカモフラージュは効いている。だったらどうして、さっきバケモノなんて言ったのかしら。いえ、私が【邪神】だと分かっていないなら、どうしてここに……?)
一つが明らかになっても、謎はさらに連なる。
ゆえに、テレジアは尋ねる。
「あなたは、どうしてわたしをさらうの?」
直接的に、動機を尋ねたテレジアに対し、
「――それがこの国でも指折りの重罪だからです」
ゼクスは至極あっさりと……動機とは思えない言葉を口にした。
「…………え?」
「この私は悪人になるために王国で重罪を犯します。そのための重罪とは何かを考えたら貴女を誘拐することでした。だからこの私はここにいます」
罪を犯すために重罪である王女誘拐を行う。
ゼクスの言葉通りならば、彼は目的と手段が一体化して得るものなどない犯罪こそを目的としていた。
そんな奇怪な相手をテレジアは……これまでの【邪神】達は見たことがなかった。
(<マスター>ってそういうものなのかしら……)
しかし奇怪な思考回路を有しているとしても、城の中でも厳重に警戒されているテレジアの私室に忍び込むほどの手合い。
どう対処したものかと、テレジアは考えを巡らせる。
(<マスター>では私を害することはできない。殺されることも傷つけられることもない。けれど、だからと言って……)
放置することもできないが、ここでテレジアが声を上げれば隣室にいる侍女が異変に気付いて入ってきて……ゼクスに殺されかねないと考えた。
しかしそうしてテレジアが考えを巡らせている内に、
「気になることはありますが、ひとまず攫わせていただきます」
ゼクスの声が真後ろから聞こえると共に、口元に濡れた布を押し当てられた。
「え……」
一呼吸の内にテレジアの意識は急速に失われる。
意識の途切れる直前にテレジアが見たのは寸前まで自分と話していたゼクスと……自分に布を押し当てるゼクス。
二人のゼクスが同時に存在する光景だった。
◇◆
「…………っ」
テレジアの意識が途切れてから、二時間ほどが経って……テレジアは目を覚ました。
意識を取り戻してすぐに、テレジアは自分が薬で寝かされていたことに気づいた。
今いる場所は……テレジアが一度も見た覚えのない空間だ。
木でできた小さな小屋と、窓の外に見える森。
城で暮らしてきたテレジアが実際に見たことはないが、歴代の【邪神】の記憶からそれが木こり小屋か何かではないかと推測した。
寝かされている内に城から連れ出され……恐らくは王都に近い<ノズ森林>にある小屋にでも寝かされていたのだろうと、理解する。
そもそも【邪神】であるテレジアが、異物である<マスター>によって眠らされたこと自体が異常ではあったが……その答えをテレジアはすぐに思い出した。
(……ああ。そういえば、そんな例外もあったわね)
異物は【邪神】に対して害を及ぼせない。
ただし、三点の例外がある。
まず、【元始聖剣】のような【邪神】の法則を歪めるほどの力を使うこと。
次に、【邪神】の土台である<システム>ごと……要は世界全体を影響下に置くこと。
そして、最も簡単かつありえるのは……ティアンの作った消費アイテムを使うこと。
テレジアが嗅がされた薬品や、あるいは攻撃魔法の【ジェム】など、ティアンが手掛けた消費アイテムは異物である<マスター>が使っても【邪神】に効果を及ぼす。
モンスターから変換システムによって直接ドロップしたアイテムや素材が混ざっていれば無効であるため、異物が関与しないティアンの手製アイテムだけの現象だ。
偶然にも、ゼクスの使用した薬はその類のものだった。
(【邪神】としてのレベルがもっと高ければ効かなかったのでしょうけど、レベルは低いし、セーフティも外れていない今はダメだったみたいね……)
そのセーフティは今も外れていない。
体には傷の一つもなく、少なくとも危害を加えられたわけではないと悟る。
ゼクスの姿はないが、もしかするとテレジアを誘拐したことを城に伝え、犯罪者らしく何らかの要求をしているのかもしれない。
「…………」
そのゼクスに対して、テレジアは一つの疑問を抱いている。
それは気を失う直前に……ゼクスが二人いたことだ。
(一人の人間が複数人……。顔を整形した別人物や双子でないのなら、彼自身のスキルによるものね。私に見えたと言う事は幻覚ではなく実体。ゼクスの<エンブリオ>か、《影分身の術》かしら。まさか人間がスライムのように分裂したわけでもないでしょうし……)
その「まさか」が正解であるなどとはテレジアもこの段階では気づかなかった。
気づかぬまま、あれは何だったのだろうと思考を巡らせていたが……不意に気づく。
「……あがってる」
彼女自身が感じ取った自身の感覚……自身の真のレベル。
ここ暫くは停滞していたレベルアップが、眠っていた間に上昇したのを悟る。
しかしそれも当然ではあった。
ここは結界に保護された城内でも、リソースを収集する仕組みのセーブポイントが置かれた王都でもない。
自然のマップの只中であり、死した者のリソースが【邪神】に集まっているのだ。
ここにいるだけで、彼女のタイムリミットは少しずつ縮まるのである。
それでも今はステータスが上がるだけで、スキル自体は持っていないが……。
「…………」
この事件で危険に晒されれば、セーフティが外れ、【邪神】としての力が解放される。
第一に開放されるのは周辺物質を変性させる《眷属変性》。
彼女の危険に応じ、自動的に周辺の石くれや樹木をモンスター……眷属へと変性させ、彼女の身を守るようになるだろう。
そうなればテレジアの正体も露見し、彼女は死することになるだろう。
テレジアにとってそれ自体は構わない。世界が滅ぶよりは余程に良いと冷静に考える。
本当は天寿を全うすることに淡い期待を抱いてもいたが、不可能であれば仕方がない。
(問題は、アルティミア姉さまが今は留学中ということね。【元始聖剣】なしで……私の自動防衛を突破して殺してもらえるのかしら)
自分を殺す者の心配をしながら、諦観と共にテレジアは溜息を吐いた。
十中八九、多大な犠牲者が出るだろう。
現状、それを避けようとすればこの小屋から動けない。
小屋程度は今のテレジアのステータスでも容易に破壊できる。
しかしテレジア一人では危険を避けずに城へ戻ることができないのだ。
ゼクスのことを抜きにしても、モンスターの蔓延るマップを歩けば襲われる。
そうなれば――テレジアのステータスや異物への無敵ゆえに実際は害がないとしても――危険に反応してセーフティは外れる。
ゼクスはテレジアの事情などまるで知らなかったのだろうが、森の中の粗末な小屋は【邪神】であるテレジアにとって檻として機能していた。
(……せめて私を守りながら、城まで連れて行ってくれる人でもいればいいのだけど)
しかしそんな都合のいい相手が現れる訳がないと、彼女はすぐに自嘲するように溜息を吐いた。
そんな折、彼女は小さな音に気がついた。
「……あまおと?」
ポツリポツリと、木造の小屋の屋根を雨粒が叩く音がする。
それは少しずつ強まって、しかし強くなりすぎることもない勢いで安定した。
木造の小屋の壁越しに、彼女はその音を聞く。
「……てんきなんて、きにしたこともなかったわ」
病弱な彼女はずっと城の中にいた。城の中に彼女の全てがあったし、外の世界も歴代の【邪神】の記憶で知っているから過度な憧れを抱くこともなかった。
だから、彼女が雨をこんなにも身近に感じたのは初めてだった。
(五月蠅い気もするのに、少しだけ安らぐのはどうしてかしら)
そうして暫し、彼女は目を閉じて耳を澄ました。
そうしていた時間は一分足らずか、数分か、あるいはもっと長かったのか、彼女の主観では曖昧な時間が経過して。
「……きたわね」
耳に届く音に、雨音以外が混ざった。
雨でぬかるんだ地面を駆ける足音が、この小屋に向かっている。
(ゼクスが戻ってきた。……これからどういうことになるのかしら)
身代金との交換か、どこかへと身柄を引き渡されるのか、あるいは重罪目当てだというのならば殺害しようとするかもしれない。
まずは誘拐だけだったのは誘拐と殺人で罪を二重にせしめるためではないかと、テレジアはあの狂人の思考を想像した。
それが正解かは別として、「そういうことをしてもおかしくない」という印象をテレジアはゼクスに抱いていた。
(ゼクスでは【邪神】を殺せないけれど、セーフティは働いてしまうわね。私が王女でいられるのはあと数分かしら)
彼女が生まれてからついてきた嘘も、それでおしまい。
その後は、世界を脅かす【邪神】だ。
テレジアを討伐できるかは別として、彼女がこれまでの生活を送れる可能性はない。
(……それでも、これまでの【邪神】と比べれば恵まれていたわね)
テレジアは、自分を慰めるようにそんなことを考える。
だが、彼女が諦観と覚悟と共にゼクスが小屋に入ってくるのを待っていたというのに……一向に小屋の中に入ってこない。
それどころか、小屋のドアの前で何やら苦戦苦闘している様子だ。
ガチャガチャと金属をいじる音は、この小屋に掛かった錠前でも開けようとしているのだろうか。
(……? 私を閉じ込めたのがゼクスなら、鍵くらい持っているはずだけれど。まさか鍵を落とした……?)
ガチャガチャという音が暫し続く。
それを聞くにつれて、テレジアは気づいた。
(……もしかして)
彼女がその答えを思考しようとしたとき、
『ふんがー! もう我慢ならんクマ!』
どこかコミカルな怒声と共に、金属製の錠前が壊れるような音がした。
その直後、ギギギという立て付けの悪い音と共に扉は開き……一つの大きな影が小屋に入ってきた。
『雨が降ってきたから雨宿りしたかっただけなのに、何で小屋に鍵がかかってるクマ。木こりのおっちゃんは盗られるものもないし鍵もかかってないって…………うん?』
「…………」
それはなぜか「クマ」と語尾をつける黒い犬……あるいは狼の着ぐるみだった。
真っ黒でふさふさとした毛並みは、なぜか背中だけ赤かった。
もちろん、ゼクスではない。
『ちっちゃい子が何でこんなところに一人でいるクマ?』
「…………あなたはだあれ?」
人語を介すそれの頭上にはネームの表示がなく、モンスターでないことは分かった。
しかし何者であるかはまるで分からない。
ゆえに尋ねたテレジアに対し、
『俺はシュウ。<マスター>だクマ……じゃないワン』
シュウと名乗った<マスター>は、ようやく自分の語尾を訂正してそう言った。
「いぬ? くま?」
『人間。……ま、今は狼の着ぐるみだワン。ちょっと前までクマの着ぐるみだったからまだ癖が抜けんクワン』
「……くす」
そう言いながらまだ混ざる語尾の可笑しさに、テレジアは少しだけ笑った。
同時に思う。この<マスター>はあのゼクスとは無関係な、ただの通りすがりなのだろうと。
『ま、お子様に受けたなら言い間違いも無駄じゃなかったワン。それでお嬢ちゃんの名前は?』
「わたしは……」
名を問われてテレジアは少しだけ悩み、
「わたしはティー。きづいたらここにいたの」
その場で考えた偽名で返答した。
テレジアという名前を出せば、王女であると気づかれるかもしれない。
ゼクスと無関係のシュウでも、テレジアが王女と知れば行動が変わるかもしれない。
だからこそ、テレジアは偽名を名乗った。
(どうせ、【邪神】の嘘は誰も気づけな)
『ふーん。で、本当の名前は何クマ? 教えてもらわないと親御さんを捜しづらいワン』
「――え?」
そのときの衝撃は、きっとテレジアが生まれてから最大のものだった。
あのゼクスと相対した時よりも、遥かに衝撃の度合いは強い。
「どうし、どうして……うそだと、おもうの? 《しんぎはんてい》は……?」
『そんなの持ってねーワン』
「じゃあ、どうして……!?」
最高レベルの《真偽判定》でさえも【邪神】の嘘は見破れない。
なのにどうしてシュウはそれを見破れたのかと、テレジアは本気の困惑と共に尋ね……。
『嬢ちゃんがその名前に愛着持ってないのなんて一発で分かるワン。あと目も揺れてたし、名乗るときもちょっと考えてから喋ってたワン』
「…………!?」
スキルではない。
しかしそれはセンススキルと類されるもの……本人自身の経験と直感により、時にスキル以上の精度を叩き出すシュウ自身の力だった。
あらゆるスキルを欺瞞し、世界の全てから覆い隠されたテレジアの嘘は……シュウ個人の力によって暴かれた。
『ま、急に出てきた着ぐるみのニーチャンが信用できないのも仕方ないワン。でも俺は「気づいたらここにいた」っていうお嬢ちゃんを、ちゃんとお家に帰してあげたいワン』
「…………」
シュウのその言葉を、テレジアはどう受け止めていいものか悩んだ。
テレジア自身も、《真偽判定》は持っていない。
だからシュウの言葉が善意か、それとも嘘かも分からない。
けれど、テレジアは……。
「わたしの、ほんとうのなまえは……テレジア」
テレジアは、真実を口にすることを選んだ。
自分の嘘を見破ったシュウに、今度は嘘ではなく真実で言葉を告げようと思った。
「テレジア・セレスタイト・アルター」
『その名前……』
テレジアが自身のフルネームを名乗ったことで、シュウも彼女が何者であるかを理解する。
「ねえ、きぐるみさん。……おねがいがあるの」
そんな彼に、テレジアは言葉を続ける。
それは彼女自身が先ほど諦めたことに繋がる願い。
これまで通りに、第三王女テレジアとして家族と共に生き続けるための道。
希望のある終わり方を迎える可能性。
『何だ?』
「わたしは、おうじょで……とてもあぶないみのうえだけれど……」
『…………』
「おうちに……おしろにまでおくりとどけてくれるかしら?」
『二言はない。俺はお嬢ちゃん……テレジアちゃんをお家に帰す。任せろクマ』
テレジアの頼みを聞いて、シュウはそう答えた。
そこには一切の躊躇はない。
テレジアが王女であることも、テレジアが何か大きな事情を抱えていることもシュウは察していた。
それでもなお、シュウは彼女を送り届けると宣言したのだ。
【クエスト――【護衛――テレジア・C・アルター 難易度:七】が発生しました】
【クエスト詳細はクエスト画面をご確認ください】
そして、クエストの始まりを告げるアナウンスが流れた。
◇◆◇
□■???
『……奇妙である』
「どうした、ドーマウス」
『<ノズ森林>周辺でのリソースの動きがおかしいのである』
「<ノズ森林>か。そういえば先ほど<ノズ森林>で妙なクエストの難易度を算定したぞ」
『妙なクエスト?』
「誘拐された第三王女を城にまで送り届けるクエストだ。マップ内に王女を誘拐した犯人がいることと、獰猛な<UBM>の徘徊情報もあるので七を割り振ったが」
『…………』
「気になるのか?」
『うむ。少し、様子を見てくるのである。もしかすると……捜していた相手が見つかるかもしれないのである』
◇◆
ここから始まる。
後に第三王女誘拐事件と呼ばれる事件。
その渦中でテレジアは、彼女の秘密を知ることになる者達との出会いを得る。
彼女を誘拐した後の【犯罪王】、ゼクス・ヴュルフェル。
彼女を助けた後の【破壊王】、シュウ・スターリング。
そしてこの事件の後に彼女の傍で守り役を務める管理AI、ドーマウス。
【邪神】以外の因縁さえも始まった大事件の、幕開けであった。
To be Next Scene
( ̄(エ) ̄)<という訳で俺達のファーストコンタクトクマ
(=ↀωↀ=)<……続きは?
( ̄(エ) ̄)<今回はエイプリルフールに絡めて「嘘」メインだったので
( ̄(エ) ̄)<事件の中身とか俺とゼクスの初顔合わせはいつかの機会にクマ
(=ↀωↀ=)<クマニーサンとゼクスライム関連はそういうの結構あるね
( ̄(エ) ̄)<あと今回のエピソードを書くのに時間使いすぎたので
( ̄(エ) ̄)<煽り食って次回更新が一日二日遅れたらごめんクマ
 




