第三十六話 四人目、そして……
□■国境地帯・議場
今は【ガルドランダ】が装備している【瘴焔手甲】から瘴気が溢れ、議場に満ちていく。
壁や天井付近に空いた穴から漏れはするが、それでも床を隠す程度には瘴気が立ち込める。
無論、噴霧の目的はベヘモットを状態異常にかけることではない。【四苦護輪】は継続装備中であり、噴霧するような薄く広い病毒系状態異常はベヘモットには効かない。
狙いは、床の影を隠して月影の奇襲をサポートすることだ。
言ってしまえば、影という地雷を瘴気で隠している。
『…………』
ベヘモットにしてみれば、この環境形成は些かまずい。
致死に至る《相死相殺》を持つ月影からの奇襲、それを確実に回避するためには影の視認は必要不可欠だ。瘴気の発生源である【ガルドランダ】は倒さねばならない。
《無重翼》による上方への退避という選択肢は……ない。飛行は走行よりも遥かに鈍足化するため、今度は月夜の圧縮デバフの的になるだろう。
最悪、耐性やENDまでも含めて六分の一にされ、状態異常にも罹りかねない。
(……対処するのにそれほど問題のある相手じゃない)
速度に関しては、【ガルドランダ】は然程のものではない。
超音速機動ではあるがベヘモットよりも、同期しているレイよりも、月影よりも遅いだろう。
(でも、近づけばあやうい)
【ガルドランダ】も構えをとり、右手に瘴気を、左手に火炎を集中させている。
彼女を撃破せんと近寄れば、カウンターで両手に集中させた瘴気と火炎を叩き込んでくるだろう。
ベヘモットの推測は正しく、レイの両手として常にあった【ガルドランダ】はカウンターのタイミングなど百も承知である。
(そして、カウンターに気を取られすぎれば……月影が最終奥義で殺しに来るんだね)
ここでのもう一つの問題は、【グレイテスト・トップ】の残り時間も迫っていることだ。
【ガルドランダ】の召喚にもタイムリミットはあるが、レイは召喚に際して【紫怨走甲】に溜め込み続けたMPを全て使用している。
カルチェラタンの事件から蓄積したMPにより、召喚時間は六〇〇秒。
制限時間が半分を切った【グレイテスト・トップ】よりは確実に長く、手をこまねいていれば先に【グレイテスト・トップ】のタイムリミットが訪れる。
そして【グレイテスト・トップ】が装備解除されれば、月影の最終奥義の致命箇所がマリーに砕かれた右首筋を中心とした一点だけでなく、全身になってしまう。
つまり逃げる選択肢も待つ選択肢もなく、どう足掻いても【ガルドランダ】との戦いは避けられない。
攻勢に出て、攻防を制するより他にベヘモットに勝機はない。
ゆえに覚悟を決めて、ベヘモットは【ガルドランダ】と……周囲を視る。
(扶桑に動きなし……レイがいない。……アドラーみたいに潜ってるのかな)
月夜はこれまでと変わった動きは見せないが、レイは姿そのものが見えない。
マリーの前例から、月影の手でいずこかの影に姿を隠しているとわかる。
影に潜った瞬間や召喚の瞬間は見えなかったが、恐らくは《虹幻銃》の炸裂にタイミングを合わせたのだろうと察した。
レイも影にいるのなら、影からの奇襲も二回あるということ。
(どっち道、選択の余地なし。なら、踏み込もう!)
ベヘモットは決心して、【ガルドランダ】へと突撃する。
分子振動熱線砲は使わない。既にレイとマリーの攻撃で【グレイテスト・トップ】の全身防御が欠けている現状、反動で多少なりとも動きに制限がつくそれを使えば隙になる。
『ッ!!』
三倍はある速度差で【ガルドランダ】へと肉薄し、左の【クレッセント・グリッサンド】による《タイガー・スクラッチ》を放つ。
横薙ぎに放たれる致死の連撃。
【ガルドランダ】に回避できるものではないその攻撃。
だが、違う。
【ガルドランダ】は――回避しない。
相手の攻撃が迫る中、あえて一歩を踏み込んだ。
自らの防御よりも、相手を攻撃の間合いに捉えることを優先した。
そして、彼女の左手が閃く。
「――《零式・煉獄火炎》」
左手に蓄えられたのは、圧縮した超高熱火炎。
かつて伝説級の悪魔を一撃で爆散させた【ガルドランダ】の切り札の一つ。
生身の肉体に命中すれば接触部位を炭化させる一撃を、露出したベヘモットの右頸部へと叩き込まんとする。
それはカウンターであり、彼女の召喚者であるレイがしたことと同じくベヘモットの攻撃に合わせた回避不能の一撃。
だが、先の攻防と今回では大きな違いがある。
(――そうすると思った)
カウンターされることを、ベヘモットが完全に読んでいたことだ。
相手の攻撃が届くに先んじて、速度の優位を持ってベヘモットが右前足を掲げている。
【ガルドランダ】の左手は――ベヘモットの右前足によって阻まれた。
「!」
右頸部を中心にいくらか砕かれた【グレイテスト・トップ】であるが、そこには未だ装甲が残っている。
熱量変化への完全耐性を有するその守りは《零式・煉獄火炎》を受け止め、無効化した。
直後に《タイガー・スクラッチ》が【ガルドランダ】に命中し、――その胴体を上下に分断した。
下半身は続く連撃によって粉砕され、上半身は壁際へと吹き飛ぶ。
僅差の攻防によってカウンターを制し、ベヘモットは【ガルドランダ】を打倒した。
だが、彼女は既に知っている。
本当の問題はこれからだ、と。
(――来た)
【ガルドランダ】に攻撃を当てた直後、彼女の周囲で動きがあった。
彼女の周囲、二方向から同時に何者かが動く気配が生じる。
【ガルドランダ】のカウンターがある種の囮であり、奇襲の契機となることは分かっていた。
【ガルドランダ】を倒せば、瘴気が消えて影が丸見えになり、奇襲の成功率は著しく落ちる。
ゆえに奇襲を仕掛けるならば、【ガルドランダ】との攻防でベヘモットの対応力が落ちる今このときしかない、と。
だが、
(その手は、見飽きた!)
影からの二点同時奇襲は既に月影とマリーが何度も繰り返し、不発し続けた手の内だ。
影から人の出てきた位置は正面と右後方。
そして真っ先に視界に入った正面の相手は、もはや見慣れた黒の装いと金髪をしている。
(レイは、後回し! 先に月影を倒さないと……!)
《復讐するは我にあり》で多少の手傷を受けたところで、致命部位に命中しなければまだ耐えられる。
だが、月影の攻撃は接触=即死。優先順位は明らかだった。
それゆえに、ベヘモットは即座に自らの体の向きを切り返し、右後方に向けて《ウィングド・リッパー》による衝撃波を両手で連続して撃ち放つ。
《タイガー・スクラッチ》でないのは、攻撃時に接触する可能性をなくすため。
遠距離攻撃スキルである《ウィングド・リッパー》ならば、触れずに倒せる。
そう考えての行動であり、それは正しい選択だった。
だが、二発の衝撃波を受けて吹き飛んだのは、
「こ、ふ……」
金色の髪と黒の装いの――――レイだった。
『――――』
その瞬間のベヘモットの思考は、言葉にするには圧縮されすぎていた。
だが、彼女は真っ先にこう理解した。
――嵌められた、と。
ベヘモットが視線を正面の敵へと戻したとき。
自らへと向かってきていたのは、
――レイ・スターリングへの変装を解いた月影だった。
ベヘモットは知らなかった。
かつて、<月世の会>が独自に狩った<ノズ森林>の<UBM>のことを。
<月世の会>のメンバーであるとある<マスター>が、義息にも語って聞かせた<UBM>のことを。
狼や蝙蝠に次々と姿を変える奇妙なゴブリンのことを。
その特典武具を……月影が所有しているということを。
自らの外見を変化させる変装の特典武具。
《看破》には通じないが、模る姿は自由自在。
ゆえに、レイと共に影に潜った後、レイへと姿を変え、自分はあえてベヘモットの正面に飛び出した。
ベヘモットが咄嗟の判断で、正面のレイよりも右後方の見えぬ相手――月影と誤認したレイを優先すると予想して。
その策は、これ以上なく嵌った。
『――――』
ベヘモットには、自らに迫った月影を迎撃する時間がない。
ベヘモットが月影を倒すよりも、月影がベヘモットに触れる方がほんの僅かに速い。
熟練であるがゆえに、ベヘモットは一瞬で、その絶望的な時間の差を把握してしまった。
そして、
「――《相死相殺》」
月影の左手が、【グレイテスト・トップ】を砕かれて露わになったベヘモットの体に触れる――
――寸前で空を掻いた。
それは、ほんの数センチの違い。
指先の第二関節から先程度の長さで、届かない。
月影が目測を誤った訳でも、遅かったわけでもない。
その僅かな差を生み出したのは、ベヘモットだ。
ベヘモットは――タイムリミットよりも前に自ら装備を解除していた。
【グレイテスト・トップ】は装着が一瞬であったように、解除も一瞬。
そして全身を覆う装備を解除したことで、自然と体高は僅かに下がる。
その僅かな違いが、明暗を分ける。
《相死相殺》の手は届かず――直後に月影の肘から先と首が宙に舞った。
僅かに遅れるとされた、ベヘモットによる迎撃である。
その結果は、見間違いようもなく即死。
月影の体は瞬時に光の塵へと変わる。
マリーの必殺弾。
レイの捨て身と【ガルドランダ】。
そして月影の最終奥義を用いたアタックは……失敗に終わった。
『……勝った』
肉声で、人の言葉で、ベヘモットはそう呟いた。
その声からは、心臓が口から飛び出すのではないかというほどの、彼女の内なる焦りが漏れ出ている。
彼女にとって、<超級>となってからこれほどに追い詰められたのは初めてだった。
かつて皇国の特務兵と戦った際にクラウディアを殺されかけたときも強い焦燥を覚えたが、自分の身では初めてだ。
装備解除の判断がコンマ一秒でも遅ければ、デスペナルティとなっていただろう。
それほどの死線に立たされたことに、ベヘモットの心臓は強く脈打っていた。
「あかんかったかー」
ベヘモットの耳に、そんな声が届く。
声の主は、王国側で唯一五体満足に生き残っている扶桑月夜だ。
ベヘモットの残る標的は、月夜のみ。
保険として残していたが、それももはや不要だった。
<超級>であっても支援系。切り札の最終奥義を使わせる暇は与えない。
この場で月夜を倒して議場での勝利を達成し、レヴィアタンと合流してシュウを倒し、クラウディアを迎えに行く。
仮にクラウディアが負けていれば、そのときは自分が相対するか、クラウディアを連れて逃げればいい。
ベヘモットがそう考えた時。
「……『勝った』、は、まだ早い……ぞ」
壁際から瓦礫の崩れる音と共に……そんな声が聞こえた。
『――――』
本日、幾度目かの驚きがベヘモットの心中を占める。
だが、それは知っていたことだ。
最大の窮地をかいくぐったことで、一時的に失念していたこと。
ベヘモットの視線の先では……。
右胸に大穴を空けた……もはや死体としか思えない姿のレイが、それでもなお立ち上がっていた。
《ラスト・コマンド》。
HPが尽きた後、死んだ体を動かす【死兵】のスキル。
そのスキルを使う相手と相対するのはベヘモットにとって二度目だが、それでもやはり驚きはある。
動けるはずがないのだから。
右胸に空いた大穴は、《ウィングド・リッパー》によるもの。
それは確実に右の肺を完全に潰し消している。
言うまでもなく……致命傷。
(……どうして?)
ベヘモットは疑問を覚える。
痛覚はなくとも、肺の一方をなくしたことによる呼吸の……窒息の苦しみはあるはずなのだ。
ティアンの歴史を紐解いても、実際に運用された【死兵】の奴隷は、HPが尽きるほどの傷の痛みや体の損壊でまともに動けなかった。
《ラスト・コマンド》は死を先延ばしにするだけだった。
精々で、動けない状態で自爆スキルを使うのが限度。
だからこそ、《ラスト・コマンド》は使えないスキルとされていたのだから。
しかしそれでも――レイは立っている。
数十秒は続く苦しみにも耐えながら、まだ戦いは終わっていないとベヘモットの前に立つ。
その両目に、諦観は微塵もなかった。
『…………』
ベヘモットは、レイを無視することができる。
時間切れまで距離を取るなりすれば、何もせずともレイは死ぬ。
もしも月夜が蘇生しようとすれば、その隙に月夜を倒すこともできる。
致死に至ったダメージで、《復讐するは我にあり》のダメージ量も跳ね上がっている。
当たり所が悪ければ、ベヘモットもデスペナルティになるだろう。
ベヘモットにとって今のレイは戦うリスクのみがあり、メリットはない。
戦うだけバカらしい。
しかしそれでも――ベヘモットはレイと戦うことを選ぶ。
瀕死……否、既死にして決死のルーキーに背を向ければ、もはや“物理最強”の二つ名は名乗れない。
だから、ベヘモットはレイから逃げない。
メリットはなくても、意味はある。
彼女が、“物理最強”の【獣王】であるために。
彼女が、この<Infinite Dendrogram>で彼女らしく生き続けるために。
これは……避けては通れない戦い。
『ドライフ皇国、討伐一位。【獣王】ベヘモット』
ベヘモットは、人の言葉でそう口にした。
今改めて名乗るその意味を……相対するレイは知っている。
「……コフッ。アルター王国、クラン二位……」
血を吐き出しながら、レイはベヘモットの名乗りに応える。
「<デス・ピリオド>、オーナー……【聖騎士】、レイ・スターリング……!」
互いの……決闘の名乗りとして。
そして、二人は改めて、一人の<マスター>として、真っ直ぐに向かい合って……。
「『――――勝負』」
相手に向かって、駆け出した。
◇◆
《ラスト・コマンド》の残時間、四五秒。
“不屈”のレイ・スターリングと“物理最強”のベヘモット。
二人の、最後の攻防が始まる。
To be continued
(=`ω´=)<ちなみに影やんの特典武具は四章三十一話で話が出た奴やね
( ꒪|勅|꒪)<……覚えてる人いるのカ?




