第二十七話 クラウディア・L・ドライフ
追記:
(=ↀωↀ=)<鍛錬場に足を運んだくだりにちょっと追記
■???
クラウディア・L・ドライフが槍を扱い始めたのは、母方の実家であるバルバロス辺境伯家が【衝神】を輩出した家系であったからだ。
また、機械国家のドライフとしては珍しいことに、元々槍術を修める者の多い家柄である。(【衝神】であったロナウドが、槍ではなくパイルバンカーを武器としていたのは皮肉であったが)
ゆえに六年前、母の実家の鍛錬場に足を運んだクラウディアが幾つも並んでいた槍の一つを手にしたことも、ある意味では当然の話だったのかもしれない。
鍛錬場に足を運んだのは、当時から三年前……家族が死んだ爆弾テロで負った後遺症のリハビリのためだった。
日常生活を送るのに支障はなかったものの、クラウディアの手足には僅かに痺れが残っていた。鍛錬場でのリハビリはそれを治すためのことである。
当時のクラウディアは最も立場の弱い皇族であったため、人目を気にせず運動できる場所も母の実家の鍛錬場くらいしかなかったのである。
しかし、単に運動するよりも今後の自衛のために武術の一つでも身につけた方がいいだろうと考えて、クラウディアは槍を手に取った。
家中の者達も少しでもクラウディアの気が晴れればと賛成し、辺境伯軍の中から槍に秀でた者達を呼び、翌日から指導を始めた。
そして――その日の内に彼女以上に槍に秀でた人間はいなくなった。
彼女は基本の指導を受けた後は、あっさりと彼らを超えてしまった。
彼女にとって、槍は自分の意思と同じである。
これは概念的な話ではない。
槍を意思のとおりに振るうなど、彼女には何の労苦も努力も存在しなかった。
意思のまま、思ったままに槍を振るう。
イメージと動作には一切の乖離がない。
地球で高名な武術家の逸話の一つ、『壁を傷つけずに壁に止まった虫だけを突き殺す』といった離れ業も、槍を握り始めて間もない頃に出来ていた。
残っていたはずの手足の微かな痺れも、彼女が槍を繰るようになると嘘のように消えていた。
そうして『もう自分に教えられる者がいない』と悟り、独力での修練にシフトした。
それからの彼女は槍という長い得物をどう効率的に動かせばいいかを考え、その思考に寸分違わぬ動作で槍を動かし、少しずつ効率を高めていく作業に没頭した。
それは本来、長い年月を経て辿りつくはずの境地であり、一日での到達が許されるものではない。
しかし、それは彼女の才能という一事によって、世界に許されていた。
その証左とも言うべき事柄は、彼女が槍を握って二週経った頃に訪れた。
「……【衝神】?」
聞こえてきた天の声の言葉を繰り返した彼女は、ロナウドが死してから辿りつくもののいなかった境地に……至極あっさりと辿りついたのである。
そうして彼女は『就けるのならば就いた方がいいですね』と【衝神】に就き、その後も修練を繰り返し、技術だけでなくスキルという形でも会得を重ねていった。
彼女には、天賦の才があった。家中の誰もが彼女の槍の才能を認め、畏れていた。
それでも先代の【衝神】ロナウド・バルバロスが生きていれば、彼女の槍捌きについてこう言ったことだろう。
『クラウディア。お前の才能はそういうモノじゃないぞ』、と。
しかしそれを指摘する者は誰もおらず、彼女は幼くして空席だった【衝神】の座を継いだ。
もっとも、彼女自身は言われるまでもなく、自分の才能の正体を誰よりも早く把握していたのだが。
◇◆◇
□■国境地帯・上空
銀色の閃光と翡翠色の疾風が、空中に輪を二つ描きながら、接触と乖離を繰り返す。
銀色は【白銀之風】、名工フラグマンの作りし煌玉馬の番外機体。
駆るはアルター王国第一王女にして、【聖剣姫】アルティミア・A・アルター。
翡翠色は【翡翠之大嵐】、名工フラグマンの作りし煌玉馬の二号機。
駆るはドライフ皇国皇妹にして、【衝神】クラウディア・L・ドライフ。
【白銀之風】は空中に圧縮空気の足場を作りながらの疾走であるのに対し、【翡翠之大嵐】は風を噴射しての飛翔である。
しかし飛行方法の違いはあったが、両者の速度に大差はない。
あるいは打ち合うためにどちらかが速度を調整しているのか。
煌玉馬に騎乗した両者が空中で仕合始めてから既に七合の激突。
その間、お互いに傷は一つも受けていない。
しかしそれは、決して優勢と劣勢に分かれていない訳ではない。
「……ッ!」
七度目の交錯の後、銀色――アルティミアは冷や汗を流した。
(また、凌がれた……!)
それはこれまでに仕掛けた七度の攻撃、その全てが受け流されたからである。
あるいは通常の武技の競い合いであれば、それは驚くには値しないことかもしれない。
相手が防戦一方ということであり、見ようによってはアルティミアの優勢と言えるだろう。
だが、違う。明確に違う。
なぜなら、アルティミアは【元始聖剣 アルター】を使っている。
あらゆるものを断ち切る【アルター】の斬撃を――全て防がれている。
万物、そしてエネルギーに至るまで、【アルター】の刃に切れぬものはない。
ゆえにその攻撃を防ぐなどありえないはずで……そのありえないことが七度起きている。
(側面で、受け流されている……!)
アルターの刃は如何なる防御も切り裂く。
しかし刃である以上、側面で切り裂くことはない。
ゆえに、クラウディアは【アルター】の側面に力を加えることで……斬撃の軌道全てを逸らしているのだ。
たしかに切れる刃を側面で流すことは道理であり、基礎とする流派もある。
だが、音速に近い交差の中で、エネルギーすらも断ち切る【アルター】の動作を完全に見切り、僅かも槍に刃を食い込ませずに逸らしきるなど、人間業ではない。
(……相変わらず、ね)
アルティミアは知っている。
クラウディアの才能が、およそ人界のそれではないと。
なぜなら学生時代に幾度も試合をした相手であり、恐ろしい事実も聞いている。
それは、二人の初めての仕合の時期について。
アルティミアが完膚なきまでに敗北した、あの日の時点で……。
――クラウディアは、槍を使い始めてまだ一ヶ月しか経っていなかったのである。
武術を学び始めて僅か一ヶ月で、【聖剣姫】として修練を積んできたアルティミアを汗一つ零さず圧倒したのだ。
(腕は落ちてないし、上がってもいない。けれど、それも当然と言えば、当然ね。……既に到達しているのだから)
彼女の技量を、彼女以外の世界の誰よりも知っているからこそ、アルティミアは納得する。
クラウディアの技巧こそが完璧であり、それ以外はきっと歪みと評されるものである、と。
(得物を巨大な馬上槍に変えても、僅かな劣化もない……か)
<マスター>の言葉に、『弘法は筆を選ばず』という言葉がある。
クラウディアとは、正にそう言った存在だ。
槍であろうが、馬上槍であろうが無関係。
恐らくは槍を選ばずとも……選んだ武器で【神】に至る。
この世で五指に入るほどに、彼女は技術の扱いに秀でていた。
アルティミアの才能が【聖剣王】の……人の血に由来するものであるとすれば、クラウディアは天の才。
否、それでは足りない。
天才という言葉では足りない。
異常という言葉すらも生ぬるい。
あるべきではない、という言葉でようやく届く。
それがクラウディア・L・ドライフという少女の才である。
(本当に、相対する私自身の正気を疑う腕前ね)
かつてのアルティミアはクラウディアの槍を機械仕掛けと評したが、言いえて妙である。
なぜなら、クラウディアという少女は、それこそコンピュータにソフトをインストールする程度の気楽さで槍を極めてしまったのだから。
この世界で概念的な神は信奉されていないが、もしもいるとすれば彼女こそが神の作った機械のようなものであるだろう。
(けれどね、クラウディア)
しかし、それほどの相手であっても……。
(ここでアナタに怯えるような私なら、アナタの親友を続けていないわ)
――それほどの相手であっても、アルティミアに臆する気持ちは微塵もない。
必殺の剣を七度凌がれようと、それはアルティミアの敗北ではない。
剣も、振るう両手も、奮える魂も、未だ健在。
ならば、勝負の決着には程遠い。
「良い顔ですわね、アルティミア」
八度目の交錯の最中に、風に乗せてクラウディアの声が聞こえた。
「昔から、剣を執った貴女は本当に素敵ですわ」
それは交錯の後に距離を離しても耳に届く。
あるいは、クラウディアの騎乗した【翡翠之大嵐】が、何らかの機能で風から声を伝えているのかもしれない。
「貴女が私と向き合い続けてくれたから、私は自分がたった一人だと思わずに済んだ」
「…………」
「だって、誰も私についてこれない。『才能が違うのだから敵わない』とさっさと諦めてしまう」
それはクラウディアが幾度も見た光景だ。
槍を始めたその日にも、あるいは学園の中でも、……皇位継承戦の最中ですら。
だが……。
「でもアルティミアは違う。仕合に負けても、心が負けたことは一度もありませんでしたわ。私の才能を上に置いて屈することは一度もなく、『今は負けていても次は勝つ』と心に強く抱いていた。そうして……本当に負けたこともありましたわね」
「……そうね」
クラウディアの言葉に、アルティミアも応じる。
疾走する馬上で放たれたその声は、やはり何らかの力でクラウディアに届いた。
「私、アルティミアが好きですわ」
「私もよ。アナタは、私の親友だもの」
二人は言葉を交わしながら、九度目の交錯をした。
「……ねぇ、アルティミア。気づいていましたかしら? 私、あなたにはいつも三つの想いを抱いていましたの」
「…………」
二騎はこれまでよりも小さく円を描き、十度目の交錯。
「友情。私の初めての友達で、生涯の親友」
十一度目の交錯。
「熱情。皇国の槍として、誰よりも刃を交えたい相手」
十二度目の交錯。
「そして――愛情」
十三度目の交錯は……剣を合わせずにすれ違った。
言葉だけが、風に乗せて届く。
「この世の誰よりも愛しくて、手に入れたい相手。私の告白……この気持ちはご存知でして?」
「知っていたわ。学園の頃からね」
即答したアルティミアに、クラウディアはわずかに目を瞠った。
「……うふふ。知っていても、私を拒絶はしなかったんですのね」
「ええ。それはアナタの友情までも否定する理由にはならないもの」
親友が同性である自分に道ならぬ想いを抱いていることは、友となって一年経った頃には気づいていた。
しかし、愛情を理由に友情を否定する気は、アルティミアにはなかったのである。
また、今このときまで秘めた想いを告白されることもなかったため、アルティミアからは言及しなかった。
けれどそれは、先延ばしにしていたわけではない。
彼女がその想いを打ち明けたときに、返す言葉は既に定めていた。
「……アナタがいつかその思いを口にしたときには、私も答えようと思っていた言葉があるの」
そうして、アルティミアはシルバーの足を止めた。
クラウディアもまた、空中に静止して彼女の言葉を待つ。
「私はアルター王国の剣にして、王族の代表。アナタとは最期まで親友だけれど、愛は決して受け入れない」
「……私も、知ってましたわ」
告白に対し、そのような言葉を返されることは……クラウディアも予感していた。
しかし……続く言葉に、クラウディアは再度目を瞠った。
「当時から持っていたこの答えは今も変わらない。だから、私がアナタと夫婦になって、両国を統治することもないわ」
それはただ告白を断っただけではない。
ひどく重要な意味合いを含んでいたために……クラウディアも僅かに驚愕を抱いた。
「アルティミア……もしかして知っていましたの?」
「そのとおりよ。クラウディア……いいえ」
アルティミアはそこで言葉を切って、
「ドライフ皇国皇王――クラウディア・ラインハルト・ドライフ」
クラウディアに向けて、断言するように言い放った。
「…………」
アルティミアが放ったその言葉に、クラウディアは言葉を返さなかった。
否、返せなかった。
それが、正解であったからだ。
「否定しないのね。否定すれば《真偽判定》にかかるから、意味はないでしょうけれど」
ゆえに、沈黙は肯定である。
「……何時、知りましたの?」
「実は半分鎌掛けよ。もう半分は、講和会議ね」
「……あのレイ・スターリングに看破されたときですの?」
「いいえ、その少し前よ」
それは皇国の仕掛けた悪辣な落とし穴を、レイが看破する直前。
円満な締結のために、少しずつ条件をつめていたときのこと。
「あのとき、私達は条約の内容を詰めて、調整して、最終案に持っていった。けれど……アナタはその後で皇都に連絡を取らなかった」
「…………」
「最初からこちらを読み切ったような条約だったとはいえ、国家間の取り決め。変更が加わったのなら、現場だけで済ませず、最上位である王に伺いを立てるのが普通よ。私は国王代理で、父がいない今は王国のトップだけれど……アナタはあくまで代理人として来ていて、本来は上に皇王であるアナタの兄がいるはず」
この講和会議におけるクラウディアは全権代理人ではあるが、それでも皇国のトップではないはずだった。
しかしそうであるならば、行動に疑問が残る。
「通信魔法は使っていなかったし、【テレパシーカフス】では距離が遠い。そもそも、私ですら連れて来ていた通信魔法用の人員を皇国は連れて来ていなかった」
皇国側は、明らかに皇王に連絡する気がなかったのだ。
「その理由は一つ。伺いを立てる必要がなかったから」
「……」
「アナタ自身が皇王だったからよ。そうよね。クラウディア・ラインハルト・ドライフ」
再度、アルティミアは親友をフルネームで呼んだ。
「皇国の慣わし。双子はお互いの名前をミドルネームにする。……昔、ラインハルトの名前を聞いてからアナタに教わったことよ」
「……そんなことも、ありましたわね」
かつて、アルティミアは学園で一度だけラインハルトと会っていた。
その後にクラウディアから彼の名前を聞き、同時にこの慣わしについても聞いていたのだ。
そして、アルティミアはある結論に至る。
「本物のラインハルトは、皇位継承の内戦で死んでいたのね」
親友が皇王の座についているのならば、かつて一度だけ会ったあのラインハルトはもうこの世にはいないのだろう、と。
「皇国も王国と同様に男子継承が主流。旗頭であるラインハルトの死を隠しながら、アナタが実質の皇王として就いた。軍のトップであるバルバロス元帥はアナタの叔父、政治のトップであるヴィゴマ宰相はアナタの家庭教師だったと以前アナタの口から聞かされていたもの。側近を信頼できる人々で固めたなら、死を隠しとおすこともできたでしょうね」
《看破》で名前がバレる危険は……実は少ない。
なぜなら、高レベルの《看破》すらも誤魔化せる装備を、王族は有しているものだからだ。
黄河において【龍帝】の名を隠すために使われた【字伏龍面】が有名だが、アルティミア自身もそういった装備を身につけてお忍びで動くことは多々ある。
そうした装備をクラウディアも持っていたのならば、亡くなった兄に代わって皇王を演じることは出来る。
「学園で会った頃から瓜二つの双子。【化粧師】などのスキルで多少の修正を入れれば、気づかれないでしょうね」
それがアルティミアの推測だった。
「…………」
その推測を聞き終えたクラウディアは少し沈黙してから、
「七割正解ですわ」
なぜか少し困ったような顔でそう言った。
「……七割?」
「途中まで正解でしたけれど、最後のあたりで大幅に逸れましたわ」
それは彼女が皇王であることは正しく、しかしその後の何かが間違っていたということ。
その何かとは……。
「私の兄のラインハルト・クラウディア・ドライフは皇位継承戦では死んでいませんわ」
ならば深手を負い、クラウディアに後を託して隠棲でもしているのだろうかというアルティミアの予想は……。
「だって――九年前の爆弾テロでとっくに死んでいますもの」
あまりにも想定外の言葉で、覆された。
「え……?」
九年前には死んでいる。
それでは理屈に合わない。
アルティミアが留学した六年前の時点では、生きて療養中だったはずだ。
何より、アルティミアも五年前に学園で出会っている。
そんな疑問が次々と沸き起こるアルティミアに対し、
「少しお待ちになってくださいね。こういう話はお兄様から」
クラウディアはそう言って――槍に額を押し付けた。
それは初めて会ったあの日のようであったが、あの時とは違って静かに押し当てただけだった。
瞑目して、静かに佇むクラウディア。
しかし、それから一〇秒も経たぬ間に再び瞼を開けて……。
「――お久しぶりです」
そう言った彼女の顔は……ほんの数秒前と全く異なっていた。
感情というものが一切見えない、まるで人形のような表情。
そうでありながら、ひどく滑らかに言葉を話すそれは、あたかも機械仕掛けのようで……。
――最初に会ったときの、クラウディアのようで。
「私が皇王担当……『兄』の『ラインハルト』です」
別人のような表情と気配で、クラウディアだった者はそう名乗った。
To be continued