第十六話 主なき者達の戦場
( ̄(エ) ̄)<チェシャがしばらく前書き後書きに出れそうにないので俺だけで告知クマ
( ̄(エ) ̄)<加筆修正本編と新規書き下ろし中編を収録した第五巻が九月三〇日発売クマ
( ̄(エ) ̄)<俺とレイのツーショットが目印なので是非ゲットして欲しいクマ
□■XXXX years ago
豊かな自然に溢れた風景が広がっていた。
風に揺れた葉の擦れる音、小川のせせらぎ、小鳥の歌。
木々は緑に、大地は落ち葉と豊かな土の色で染まり、空は果てしなく、そして蒼い。
人の手が入らないありのままの自然としか思えない風景。
その中に、一人の若い……少年にも見える男性が立っていた。
彼は不可解なことに、両手に一つずつ懐中時計を握り締めている。
「この風景に、本物は一つもない」
懐中時計の男性は、不意にそう呟いた。
少年のような見た目の彼は、その身に老いて疲れたような雰囲気を纏っている。
実際に彼の心が経た年月は、肉体の経た年月を大きく上回っている。
肉体自体はとある<エンブリオ>……<無限エンブリオ>の能力でレストアしているために、老いて見えないだけだった。
「空気と樹木は【無限流転】が再現したもの。空は【無限幻想】が見せているだけのもの。それらを五感で受ける私の肉体ですら、【無限生誕】が作った体の一つに過ぎない」
彼は肉体ではなく精神の老いを滲ませながら、独り言を続ける。
しかしそれは……彼が握った懐中時計に話しかけているようでもあった。
「しかし、本物が存在しないわけではない。肉体は作り物でも、私の命は本物だ。それに、お前が司る力もまた……本物ではあるだろう」
ジッと、懐中時計を見ながら老いた少年は話しかける。
「アレを除けば、十二番目の<無限エンブリオ>……【無限時間】。如何なるものにも必ず在る時の流れこそは、偽物ではありえない本物だ」
そう言ってから、彼はフッと息を吐き……苦笑した。
「そうであるがゆえに……私は寿命を迎える。本物であるからこそ、私の命も限界らしい」
『…………』
「私が死んでもお前は残る。<無限>に到達するとはそういうことだ。第七以下は<マスター>の完全死とリンクしてリソースが結晶化し、次代の糧となる。だが……<無限>はその名の通り、核が砕かれない限りは無限に稼動できる。……もっとも<マスター>の存命時と違い、核が砕かれた後の再構成はできなくなるが、な」
彼は「しかし……」と言葉を繋げる。
「それでも、お前の無限にも終わりは来るだろう。いずれ、我々のプロジェクトが完了を迎える時には……な」
『…………』
「……最後に、少し私の話をしよう」
彼はそう言って……少年の見た目でありながらひどく辛そうに、木に背を預けながら座り込んだ。
「……私はここしか知らない。ここで生まれ、ここでお前と共に育ち、ここで……死ぬ」
『…………』
「そのことに不満はない。我々は……皆そうだ。終着を求め、<無限エンブリオ>を増やしながら、果て無き道を往く。それが我々の在り方だ。むしろ<無限>に至れた私は、限りなく幸運な一人であるだろう。生の意味があり、こうして限界まで生きられたのだから」
座り込んだ彼は、懐中時計に向かってそう話していたが……不意にその両腕が力をなくして落ちる。
まるで、もう支えられないとでも言うかのように。
「だがそんな私にも……一つだけ、心残りもある」
彼は空を見上げて……彼が言う偽物の空を見上げて、ポツリと呟いた。
「……一度くらいは、本物の世界を生きてみたかった。ここではない空を……見たかった」
まるで一度もその機会に恵まれなかったかのように、どこか悲しげな……そして諦めたような目で蒼い空を見つめた。
「だが、無限に稼動できるお前なら……、本物の世界で生きる機会もあるかもしれないな」
『…………』
「……フフ、私も……臨終は少し心細いのかもな。これまで一度だってお前と話したことなどなかったのに……」
彼の<エンブリオ>は完全な非生物型であり、自我も宿さない種類の<エンブリオ>だ。
ゆえに、話しかけても応えることなどあるはずはない。
「なぁ、もしも……お前が、本物の世界を生きることが……出来たなら……、プロジェクトの後……私に教えてくれ。本物の世界が……どんなものだったの……かを……。私の……代わりに……」
『…………』
「ふふふ……まぁ、死後の世界など、あるかも……わからな――――」
彼は言葉を途中で止めて……そのまま口を閉じなかった。
『…………m,a』
懐中時計は、微かにその身を軋らせながら何かの音を発しようとした。
けれど、彼の<マスター>であった男性は、既にそれを聞いていない。
聞こえない。
『……ma……,s……,ter……』
言葉など話せないはずの<エンブリオ>が、体を軋らせながら彼を呼んでも……答える声はない。
やがて、小鳥の歌が止み……空の色が変わる。
蒼く澄み渡るような空は消えて、金属で覆われた天井が晒される。
唯一の利用者がいなくなったために、蒼い偽物の空は消えて……無機質な本物に戻っていた。
冷たくなっていく彼の両手には、まだ懐中時計が握られている。
『…………』
『十二号の<マスター>、クロノ・クラウン氏の死亡を確認。遺体は安置室に移動。十二号は回収し、独立稼動の訓練へと移行』
無機質な声が聞こえ、誰かが彼の遺体を丁重に抱え上げた。
その拍子に彼の胸ポケットから、もう一つ……懐中時計が零れ落ちる。
両手と胸ポケットで、合わせて三つの懐中時計。
それぞれにギリシャ語で『χρόνος』、『καιρός』、『αἰών』と銘が刻まれた懐中時計は、いずれもチクタクと音を鳴らしている。
その針の音は……どこか悲しげだった。
◇◆◇
□■国境地帯・森林部
講和会議の議場でクラウディアが戦いの始まりを告げ、王都で【盗賊王】ゼタと数多の改人が動き出し、王国と皇国の両陣営が対峙していた頃。
議場に程近い場所で、もう一つの対峙が起きていた。
「やれやれ。まさか護衛中に秘匿通信で呼び出されるとは思わなかったよ」
「……心当たりはないのかなー?」
国境地帯で議場から少し離れた緑深き森の中で、二人の男が相対している。
一人は丸々としたネコを頭に乗せ、前髪で両目を隠した青年……【猫神】トム・キャット。
一人は金属ブーツを履き、兎の耳をした少年……【兎神】クロノ・クラウン。
共に管理AIの一角が人のアバターを得た存在である。
「ないよ。それにしてもトム・キャット。雑用も闘技場の蓋もせず、何をノコノコとこんなところまで来ているんだい? 職務怠慢というものだよね?」
人里離れていても、どこに人の目があるか分からない。そのため、クロノはアバターとしての名でトムを呼ぶ。そしてそれはトムも同様だった。
「……クロノこそ、随分と恣意的に事を起こしたものだねー」
今も本体で王国内の情報を受け取りながら、トムはそう言った。
クロノの襲撃で戦力が減じた分、王都も講和会議も王国が不利な状態だ。
「恣意的? 僕をわざわざ呼び出したのはそのため?」
「ああ。……それにしても分からないねー。結果として君の活動が皇国を利することになっているけれど、……こうなっていなければ無意味だ。むしろ、国家間の感情を悪化させるだけに終わっていたはずだよ」
「?」
トムの言葉にクロノは首を傾げた。
その様子に、トムは「やはり」と納得してこう言った。
「君もバンダースナッチも……人間の心理というものを理解していない」
それはトム……チェシャのような生物型との差異、非生物型管理AIの宿業と言うべきものだ。
トゥイードルの二人も彼らと同じく非生物型だったが、あちらは管理AI最大の演算能力である程度は心理の読みができている。
だが、クロノは……時間担当管理AIラビットは違う。
非生物型であり、同時に本体の演算能力の大半を今も<Infinite Dendrogram>の基本法則である三倍時間の維持に費やしている。
人間的思考に回せる演算能力は多くはなく、ゆえにその思考も人間と大差ない。
だからこそ、そのアバターであるクロノ・クラウンの行動は短絡的だ。
彼が普段はPKしかアバターとしての仕事を任されていないのも、短絡的な行動で問題がない仕事がそれだからだ。
そもそも他の管理AIからすれば、ラビットには時間管理のみを担って欲しいと考えている。
しかし、アバターでの活動は……ラビット自身の望みだった。
「人間の心理……かぁ」
ラビットのアバターであるクロノは、トムから言われた言葉を呟きながら空を見上げる。
一瞬だけ、その目に何か苦い感情を混ぜてから、視線をトムに戻し……睨んだ。
「それはもちろん理解していないさ。……理解しているわけがないだろう!」
急激に……爆発するようにクロノは言葉を荒らげた。
「君達と違って、この体で人を理解するような時間は……僕にはなかった! 只管にこの<Infinite Dendrogram>を加速させ続け、君達に準備を整える時間を与えていたのは僕だ!」
王国のランカーをPKしていたときのような余裕ぶった言葉遣いではなく、心の奥底を吐き出すような声音だった。
「ああ! 無論理解しているとも! 修正したプロジェクトには時間が必要だった! それが可能なのは僕しかいないということも! 時間加速に特化した、僕しかいない!」
「…………」
「だが、新たな<マスター>達をここに受け入れるまでの間……僕はそれしか出来なかった!」
それは、血を吐き出すような叫びだった。
「彼らが訪れ、時間加速が三倍にまで落とせるようになって、僕はようやくこの体で動けるようになった! 世界を歩けるようになった! そのときの僕の気持ちが分かるか!? 分かる訳がない!!」
クロノから溢れる感情は、怒りとも悔いともつかないもの。
それは溜め込んだ不満を吐露しているようにも、溢れた感情にクロノ自身が振り回されているようにも見える。
「クロノ……」
トムは知っている。アリスから聞かされている。
非生物型の<エンブリオ>が、アリスの力でアバターを得たとき……それには二種類のパターンがある。
表面上はともかく根幹はあくまでも元のように冷徹であるか。
あるいは……肉体から生まれる感情を制御できないか。
クロノは、言うまでもなく後者だった。
クロノがアバターを得たのは、ほんの数年前。
他の管理AIと比べれば数百分の一の期間。
それゆえに……今になってその問題が発露しているのだ。
「本物の世界で生きる! それが僕の<マスター>……クロノ・クラウンが生涯抱いた唯一の願いだった! 閉じた環境の中だけの生ではない! 本物の世界で自由に生きたかった! それにはあまりにも目的地が遠すぎて、あまりにも時間が足りなかった! だからきっと……時間を操る僕が生まれた!!」
「…………」
トムには彼の言っていることが理解できる。
トムもまた……彼の<マスター>が友を欲したがゆえに、今の自分として生まれたのだから。
「僕は、彼の死に際に頼まれたんだ! 僕が終わった後に、本物の世界の思い出を教えてくれと! 今になって、僕はようやくそれが出来ているんだ! かつての<マスター>を模したこの顔で! 懐中時計を持って! 自由にこの世界を……本物を歩けるようになった……そのときの気持ちが分かるのか!! 文化流布担当として、自由に生きてきた君に、分かるのか……!」
クロノは歯を噛み締め、軋らせながら、尚も吼える。
「それが、戦争? <戦争結界>だと!? 前回の戦争、あれはまたあの日々と同じだった! あれが動けば、何も出来ない時間ばかりになる! 僕の自由はまたなくなってしまう! 僕が終わった後に、<マスター>に教えられるものが減ってしまう! 本物の世界の思い出が! 僕にはもっと必要なんだ!」
それが、彼が恣意的なPKを行った理由。
彼にとって、彼自身が何も出来なくなる戦争という時間はこの世で最も疎むべき事象。
なぜなら、プロジェクトの完了までの限られた時間……彼が過ごす最後の時間が削られるのだから。
<マスター>の願いを叶えるための時間が、削られるのだから。
ゆえに彼は、こう言うのだ。
「時間がもったいない! 僕は……忙しいんだよ!!」
クロノの両目から、涙が流れる。
赤い色の、血の涙。
本来は自我なき<エンブリオ>であったはずの彼が、自我を得て。
その全ての思いが、涙として両目から溢れ出る。
「だから戦争なんかに……あんな無意味なものに僕の時間を奪われるくらいなら、それよりも先に、戦争を起こしようがないくらい一方を完膚なきまでに潰す! それの……何が悪いと言うんだ!! グリマルキンッ!!」
「……クロノス・カイロス・アイオーン」
二人の管理AIは向かい合い、お互いに相手を真の名で呼ぶ。
クロノは、邪魔者であり、自らが欲して得られなかったものを得続けた妬むべき仲間として。
トムは、暴走して道を誤ろうとしている同僚であり、亡きマスターへの想いは近しい仲間として。
二体の管理AIは、人の姿で真っ向から対峙している。
「……状況が、変わった」
不意に、クロノはポケットに入れていた両手を出した。
そこには懐中時計が一つずつ握られていた。
彼自身である三つの懐中時計のうち、核である一つを除いた二つ。
「僕はもう行く」
そして彼は服の袖で血の涙を拭い、強い視線で議場のある方角を睨む。
「議場と王都の様子は僕もモニターしている。王女を確保すれば皇国の勝利とも理解した。もうお前と問答している時間はないよ。今から僕があそこに行って、王女を攫う。誰も追いつけない。王都でも同じだ。皇国の目的は完遂される。戦争も起きなくなる」
「……させないよ」
阻むように、トムが声を発する
「彼らの行く末は僕達管理AIが主導すべきじゃない。<マスター>の自由によって導かれるものだ。僕達が、恣意的に歪めるべきじゃないのさ」
「だったらお前もこんなところにいるんじゃない!!」
「君を止める必要がなければ……僕もここには来なかったよ」
暴走しはじめたクロノのアバターを止めなければならないから。
それでもトムは、『アリスがギデオンでトムにしたようにアバターを制止してくれれば』とは最初から考えていなかった。
クロノの感情の暴走は、止めなければならない。
しかし、亡き主を想うがゆえの暴走を、強権で止めてはならないとも考えた。
正面からぶつかって、止めてやらなければと……考える。
だから、一つのことだけをアリスに頼んでいた。
「クロノ。もしも君が僕を倒さないうちに王国のティアンに手を出すようなら、君のアバターを停止するようにアリスに話を取りつけてある」
「……何?」
「つまりこういうことさ」
頭上のネコが飛び降りて、トムへと変じる。
それが増殖して……八人になった。
八人は、クロノを取り囲んでいる。
「ここを通りたければ……僕を倒してからにしなよ。【兎神】クロノ・クラウン」
あえて仮初のジョブを含めた名で呼んで、八人のトムがクロノに武器を向ける。
クロノはトム達を睨みつけて、「ハッ」と短く息を吐いて笑った。
「僕に勝てたことが……一度でもあったかい? 【猫神】トム・キャット!!」
そして一瞬の後に、戦いは始まった。
管理AI同士の……主を亡くした悲しみを知る<エンブリオ>同士の戦いが。
To be continued
(○・ω・○)<この六章後半は三章以上にバトルラッシュになるのであるが
(○・ω・○)<最初はこの二人の戦いからである




