第十一話 講和会議前夜
□【聖騎士】レイ・スターリング
日が暮れる頃、俺達は国境に最寄りの村であるウェルミナ村に到着した。
昨晩に護衛メンバーが襲撃されるというトラブルはあったものの、出発以降のスケジュールは概ね予定通りと言える。
今夜はこの村で休息し、明日の朝……国境に用意された講和会議の会場へと向かうことになるだろう。
夕食が済んだ後、アズライトから呼び出しを受けた。
集まったのは<デス・ピリオド>のメンバー、それと扶桑先輩だ。月影先輩や<月世の会>のメンバーは村の周辺を警戒しているらしい。
アズライトの傍には、彼女が連れて来たティアンの文官三人の姿もある。
「アズライト、急に集めるなんて何かあったのか?」
「集まってもらったのは、明日の講和会議に関してアナタ達……<マスター>の意見が聞きたいと思ったからよ」
「俺達の意見?」
「ええ。出発前に講和に関する条件を詰めはしたけれど、それはあくまで私達ティアンの見方に沿ったものでしかないから。まだ<マスター>を含めての思考や方針に対応し切れていない部分もあるかもしれない。そのあたりの最終調整のため、講和会議の前にアナタ達に確認をしてほしいの」
「なるほど……」
たしかに、そういうことはあるかもしれない。
しかしそれを言うなら、俺達だって講和会議なんてリアルでは無縁だった。
そもそも<Infinite Dendrogram>における国家間の協議自体に、リアルのそれとは幾つかの点で差異がある。
一個人が協議に持ち込めてしまう武力。
嘘を見抜く《真偽判定》をはじめとした多種多様なスキル。
そして最も大きい差異である……【誓約書】の存在。
約束事を守らせるための【契約書】系アイテムの中でも、国家元首かその代理人しか交わせず、破れば国家そのものに甚大な被害を齎す【誓約書】。
破るときは国が滅ぶときであり、数百年前にとある国が【誓約書】の取り決めを破った際は巨大な黒い渦がその国の都を蹂躙し、後には何も残らなかったという。
それがあるために、国家間の取り決めはリアルのそれと違って決して破れないものとなっている。
だからこそ、講和会議では双方の講和条件を突き詰め、折り合いを見出し、双方が納得する条件で【誓約書】に署名する。
それがゴールであり、後から覆すことはできない。
「順を追って説明するわ。まず、今回の講和会議では両国が合意すれば、『今後一〇〇年間に亘るアルター王国とドライフ皇国の戦争行為を禁止』する講和条約が締結される予定よ」
一〇〇年、か。
こちらが三倍の時間で流れるとはいえ、俺がいる間に再び戦争が起きることはなさそうだ。
「戦争行為の範囲は?」
「軍の侵攻と領土の不法占拠、それと両国間での<戦争結界>の発動禁止ね。……あまり細かい例まで言及するとふとした拍子に破りかねないからこれが限度になるわ」
「それだと先のギデオンやカルチェラタンで起きたようなテロを防げませんよね? あれは軍が動いたわけでも占拠したわけでもありませんし」
マリーの言葉にアズライトは頷いた。
「ええ。だからそれはこちらからの締結条件で封じる予定よ」
「締結条件?」
「会議では条約締結のための条件を両国で協議することになるわ。それで……皇国からは『予め講和のための条件と譲歩できる内容を列挙して欲しい』とも要請されているの」
「それは……直截的だな」
予め札を並べた上で交渉しようということか。
「そうね。けれど、両方に《真偽判定》持ちがいるなら、ブラフや腹の探り合いは時間の無駄ということでしょう」
たしか、今回アズライトが連れて来た文官三人の内、一人はそういった対人の心理判定に特化したビルドの人物だったな。
それにジョブのスキルだけでなく、<エンブリオ>でも相手の思惑を読むのに特化したものが存在するかもしれない。
『それで、こっちが挙げる条件と譲歩はどんな内容になるクマ?』
「まず、譲歩するものは決まっているわ。『旧ルニングス領の放棄』よ」
旧ルニングス領……先の戦争で皇国に占領された地域だ。
「いいのか?」
「……手放さない方がまずいといったところね。はっきり言ってしまえば、現在の王国が持っていてもあまり意味はない土地だから」
アズライト曰く、旧ルニングス領は先の【グローリア】襲来で壊滅し、住民の殆どもその命を落とした。
しかもその後、近隣のクレーミルの壊滅や戦争での人的被害もあり、今の王国にはカラになった旧ルニングス領に回せるほどの人間がいない。
本来なら真っ先に領土回復を主張するルニングス公爵家は一人残らず死亡しており、直轄領とした王族にとっても必要な土地ではない。
旧ルニングス領は元々王国最大の穀倉地帯であったが、今は手付かずの壊滅状態。それに国家全体が肥沃な土地に恵まれた王国にとって、必須というほどではない。他の土地でも必要量よりも遥かに多くの作物を産出できているのだ。
実効支配している皇国から旧ルニングス領を取り返しても……開墾と復興のために手を回せる状態ではなく、確実に長期間に渡って持て余すそうだ。
「対して、皇国にとっての旧ルニングス領は何よりも必須の土地よ。こちらが得ている情報では、原因は不明だけれど皇国全土で農耕用の土壌の枯渇が進んでいるそうだから。飢餓状態にある皇国としては、土壌が生きている旧ルニングス領を手放せない。それを取り上げようとすれば、そもそも講和が成立しないでしょうし、きっと手段も選ばなくなるわ」
『そうなるとその外せない譲歩から何を条件として要求するかが問題……なるほど、そういうことクマ』
兄は何かに納得したように頷き、アズライトもその答えを口にし始める。
「先ほど問われたように、現在の我が国で最大の問題は皇国側の<マスター>によるテロよ」
先月、ギデオンでフランクリンが起こした事件。
そして、今月にカルチェラタンで【魔将軍】が起こした事件。
どちらも最悪の結果を免れることは出来たが、二つの街がなくなっていても全くおかしくない恐ろしい事件だった。
「既に二度も起きているもの。今度は【獣王】が王都でテロ……などということになっては取り返しがつかないわ」
『…………』
テロとは致命的な先制攻撃だ。
しかも犯人を倒して王国で指名手配しても、皇国で指名手配されていなければいくらでも復活してまたやって来るだろう。
事実、フランクリンも【魔将軍】も“監獄”には送られていない。
「だから、まずはそこを潰すわ」
「それはつまり……」
「王国が提示する第一の条件は――『両国の指名手配の共通化』よ」
「……なるほど」
今後、皇国の<マスター>が王国内で犯罪を起こして指名手配された場合、皇国でも指名手配しなければならないというルールを作る。
たしかにこうすれば、今後はフランクリンや【魔将軍】がやったようなテロを抑止できる。
「逆に向こうが罪を捏造し、お兄さんや扶桑女史を指名手配することを防ぐための条件も盛り込む必要はあるでしょうね」
そういえば、俺がトルネ村の事件に関わっていたころ、兄がとある事件の容疑者として逮捕されたのだったか。
あれは兄に罪を被せようとした他の<超級>の仕業だったらしいが、同じことを国家ぐるみでしてこないとも限らない。
ルークの意見を文官の一人が書きとめている。
「そうね。他には何かあるかしら」
「これだと双方向の取り決めなのでイーブンな条件です。既に相手が実効支配しているとはいえ、国土を手放すのだからもう少しこちらに有利な条件を盛り込めないでしょうか?」
先輩の言葉はもっともだ。
それに相手の動きを抑える意味でもまだ甘い気がする。
「ええ。候補はいくつかあるのだけど、それを詰めるためにも意見を聞きたいのよ」
アズライトがそう言うと、文官達が【書記】のスキルで印刷した冊子を俺達に手渡してくる。
冊子には王国が提示する条件の候補が羅列されている。
「ふぅん? この中なら賠償金の要求がよさそうやねー。例えば『戦争で死んだ兵士の遺族当て』~って名目がええんちゃう?」
冊子が配られてすぐに、一覧を軽く眺めた扶桑先輩がそう言った。
「その理由は?」
「皇国は金で<マスター>を雇って、あんだけ勢力を拡大させたんやろ? せやったら、その軍資金を削りにかかればええやん。賠償金を払うほど、雇える<マスター>が減るってことやからね。今後の牽制にはちょうどええんちゃうかな」
一理ある。
ギデオンでの事件の前、ユーゴーからも皇国の財政は戦争で大打撃を受けたとは聞いていた。
ならば、さらに財政に負担をかければ皇国も踏み込み辛くなる。
だが……。
「ですが、条約が締結されれば戦争行為は禁止されます。加えて、第一の条件で皇国に所属している<マスター>も手を出せなくなりますが……」
俺も先輩と同意見だ。軍資金を削っても講和条約で意味がなくなるのでは?
「ビーちゃんは純真やねー。そんなんは皇国に所属してないフリーの奴でも大金で雇ってやらせたらええやん。腕に自信があってテロへの呵責もない<超級>や準<超級>なら金額次第で受けるやろ。あるいは所属してる奴に“監獄”逝き覚悟でやらせたり? どっちにしても雇う額は今よりも跳ね上がるやろーから金銭削るのは有用やって」
その手があったか……。
アズライトも俺以上に驚き、「そんな手が……」と口に出して戦慄している。
ティアンから見た<マスター>の“監獄”送りは、俺達が考える以上に重い。
例外は軽犯罪で入所したハンニャさんくらいなので、他は重篤な犯罪で外部への復帰がまず不可能と考えれば死刑と同義だ。
このあたりも、アズライト自身が言っていたティアンと<マスター>の見方の違いと言える。
第一の条件には微修正が加えられることになるだろう。
『流石は金に汚い悪辣雌狐クマー』
「せやろー? 弾代にも困窮してポップコーン手売りするクッキングクマも見習ったらええよー」
「『…………』」
……無駄に緊迫した空気にしないでもらえるかな。
◇
その後もいくらか話したが、王国側の条件は最初のものと扶桑先輩が挙げたものになった。
『しかし、こっちが複数の条件を出すように、あっちも旧ルニングス領以外の条件を出してくる可能性は高いクマ』
「そうね。私を皇王と婚姻させて、王国をそのまま併合しよう……というケースも考えられるわ」
「……王国をそのまま取り込む、か」
「元々、そういう話はあったそうだから」
「え?」
「戦争前の王国と皇国は友好国だったもの。私は皇国に留学していたし、当時の第一皇子の第一子だったハロン皇子も王国に留学していたわ」
「そういえば、前にも皇国に留学していたことや、皇国に友人がいるとは聞いていたな」
「……ええ。その友人が、明日の交渉相手のクラウディアよ」
「それは……」
かつての友人と、今度は国家を背負っての交渉の場で向かい合うことになるのか。
「あるいは向こうも、私を相手に交渉するからこそクラウディアを選んだのかもしれないわね……。話を戻すけれど、当時は本当に両国の関係は良好だったから、婚姻での同盟……ひいては併合も考えられてはいたそうなの」
「…………」
「と言っても、お父様や相談役の【大賢者】様といった一握りの上層部の間でのみ話されていたことらしいわ。私も先日、二人の遺した記録を見て知ったことだから」
話が本決まりになるまでは周知をしていなかったってことか。
「そないに仲良ぉしてたのに今は戦争。ほんま因果なもんやねぇ」
「……そうね」
『それで、向こうが婚姻や併合を申し出てきたらどうするクマ?』
「その類の条件は呑めないわ」
兄の問いにアズライトは即座にそう答えた。
「国民感情からしても、受け入れられない。それに皇国は軍事力こそ増大しているけれど、国力は疲弊しているもの。一つになっても王国側の負担が増大するだけよ」
軍事力という点で見れば、皇国は多数の<マスター>を抱え、“物理最強”の【獣王】をはじめとした<超級>を五人抱え込んでいる。
しかし飢饉によって国民は飢餓に見舞われ、戦争による出費で国庫は疲弊し、さらに皇王に就く際の内戦で領土の統治者も不足している。
マイナス要素が多く、併合しても王国には何も良い点がない。
そもそも……。
「そもそも王国は皇国の国土も資源も、技術さえも欲していない。併合にしろ、戦争にしろ、王国には得るものが何もないのよ……」
王国は国を拡大する意思がない。
土地にしても旧ルニングス領をそのまま手放しても惜しくないほどだ。
食料資源がない皇国にも鉱物資源はあるらしいが、それとて工業国家でない王国がそこまで欲するものではない。
機械技術にしても元より発展していないし、……先日のカルチェラタンで見つかった<遺跡>から新規に発展させることすらできてしまう。
本当に戦争や併合をする意味がない。
始まってしまった時点で、王国からすれば負けのようなものだ。
「むしろ……失うだけだった」
俯きながら、彼女はそう言った。
「アズライト……」
先の戦争で、彼女は多くの民を、師を、そして父を亡くしている。
どれほどの感情がその言葉に籠められているのか、俺達では計り知れないものだ。
「だから、終わらせましょう」
それでも彼女は顔を上げて、俺達を見る。
「この条件と譲歩で、講和会議に提出するわ。旧ルニングス領放棄を対価とした指名手配条約の締結と賠償金の請求。こちらに多少の不利はあっても、これで戦争を終結させる」
アズライトは俺達を見回す。
「けれど……昨晩に襲撃があったように、講和会議で何かのトラブル……あるいは皇国の罠があるかもしれない。もしもそうであったときは……」
「任せろ」
そんな彼女に、俺は応える。
「もしも、皇国が牙を剥くなら俺達がお前と王国を守る」
「レイ……」
「<マスター>は王国に……協力してもいいんだろ?」
いつかの問いを確認するように、俺はアズライトにそう言った。
それに対し、アズライトもまた……それに応える。
「……ええ!」
ならば、話は決まりだ。
何があろうと、何が待ち受けようと。
俺達は俺達の全力で、アズライトの望む可能性を掴み取る。
◇
かくして、講和会議の前夜は終わる。
明くる日の俺達が赴くは、数多の思惑と“最強”が待ち受ける激動の講和会議。
目指すは、講和条約の締結と講和会議の無事な終了。
クエスト、スタート。
To be continued
(=ↀωↀ=)<作中にも出ているとおりデンドロの国家間の約束事は
(=ↀωↀ=)<【誓約書】があるため結構シンプルになってます




