地獄と殺人と その二後編
(=ↀωↀ=)<コミカライズ第一巻発売記念で二本分更新
(=ↀωↀ=)<まだの方は前話からー
■一週間前 カルディナ某所
ラスカルから初任務として『子守』を言い渡され、流石の張も硬直していた。
「…………」
「すまん。言葉選びを間違えた気がする」
「いや……」
『先ほどの発言はやはり間違いだったか』と張は思い、改めて任務を受領するべく気を張る。
そして、
「子守だけでなく、他の仕事もある」
「子守はあるのか!?」
ラスカルの発言に対する張のツッコミで、張っていた気はどこかに霧散してしまった。
しかし張にしてみれば、これをそのまま『分かりました』と言うのは無理というものだ。
「それは本気で言っているのか!?」
「俺は人を丸め込むのは得意だが、嘘はつかんし隠し事もしない。事実だ」
残念なことに、張の《真偽判定》はずっと無反応だった。
残念なことに、事実だった。
「いや、待ってくれ! そもそも、<IF>で子守とはどういうことだ!?」
悪名高い指名手配クランで、なぜ子守が必要になるのか。
まさか副業で保育園でもしているのか、と張が考えたとき……。
「おはなしおわっちゃー?」
張とラスカルがいる病室の扉が開き、場違いな……舌足らずの声が聞こえた。
張が扉へと視線を移すと、そこには幼い少女がドアを開けてこちらを覗き込んでいた。
年齢は十歳になるかどうか。誰かの趣味なのか、ピアノの発表会で着せられるようなフリフリとした赤いドレスを着ている。
そして左手の甲には……“交差する斧”を模した<エンブリオ>の紋章がある。
(少女……、もしや先ほどからラスカルさんが言っている子守とは、……!?)
そのとき、張は気づいた。
ラスカルの様子が、明らかに変わっている。
表面上は平静を装っているが、内心でひどく緊張している。
まるで、一触即発の爆弾でも目の前に置いているかのように。
「あ。おじしゃん。おじしゃんがあたらしい“しゃぽぉと”のひと?」
そんなラスカルの様子に気づいていないのか、少女は張へと話しかけてくる。
「あ、ああ。先ほど、ラスカルさんと契約も交わした」
「しょうなんだー。よろしくね」
「ああ……よろしく」
張は状況を掴めなかったが、少女の挨拶には応じた。
そして少女が差し出してきた手を取り、力を込めないように気をつけて握手を返す。
すると、少女は何が嬉しいのか満面の笑みで無邪気に笑った。
「おじしゃん、いいひと! ぷらす! てきじゃないね!」
「……?」
張には少女が何を言っているのかは分からなかった。
しかし、横にいたラスカルの緊張が薄れ、どこか安堵したように息を吐いたのだけが気になった。
「わたち、えみいぃー・きりんぐしゅとん。えみいぃーってよんでね!」
「……俺は張葬奇、だ。よろしく、エミイィー」
「ぶー。えみいーじゃないよ、えみいぃーだよぅ!」
「……?」
張が首を傾げると、なぜかまた少し緊張したラスカルが助け舟を出した。
「……こいつの名前はエミリー・キリングストンだ。まだ自分でも上手く発音できないんだよ」
「ぶー。いえるもん! “らしゅかりゅ”のいじわる!」
「……この分だと俺の名前はいつ言えるんだろうな」
そんな二人のやり取りを見ながら張は納得し、改めて言葉を発する。
「すまないな、エミリー。これでいいか?」
「うん!」
張がちゃんと自分の名を呼んだことにエミリーは満足した様子だった。
「エミリー。まだ話の途中だから、向こうで遊んでな。うちのマキナが付き合ってるだろ?」
「えー? でも“まきにゃ”よわいもん。“おしぇろ”がぜんぶまっくろになったもん!」
「……あのポンコツは子供にオセロで負けるのか」
ラスカルはまた疲れたように息を吐く。
出会ってから間もないが彼は<IF>の中でも苦労しているのではないかと、張は感じた。
ともあれ、エミリーはラスカルに部屋から追い出されるらしい。
「ちゃんおじしゃん。またね!」
「あ、ああ」
そうしてエミリーが部屋を出て扉が閉じた後、
「……ふぅ」
ラスカルはようやく全ての緊張が解けたかのように大きく息を吐いた。
張は、そんなラスカルに質問する。
「ラスカルさん。子守というのは、エミリーの子守ですか?」
「そうだ。これまでは俺やもう一人のサブオーナー、ラ・クリマ、……それと最近収監されたバカの持ち回りだったが……しばらくはアンタに任せたい」
カルディナでも有名な指名手配犯ラ・クリマの名があったことで、それが『<IF>の正式メンバーによる持ち回り』だと張は察した。
そうするほどにあの少女は重要人物なのであろう、とも。
だが、張には一つ解せないことがあった。
(なぜ、エミリーが部屋にいる間……ラスカルさんはあんなにも緊張していた?)
さらに、張がもう一つ気がかりなことがある。
ラスカルの緊張が、張にも向いていたことだ。
まるで……『張がエミリーに何かしないか』ということを恐れていたかのように。
(まだ信用されていないということだろうか……だが)
しかしそれにしては、奇妙な点がある。
ラスカルはたしかに張に意識を向けていたが、その体は……すぐに張を庇えるように身構えていたように見受けられる。
そのことが、張の中で上手く繋がらない。
「ラスカルさん、あの子……エミリーはいったい……」
「……ああ」
考えても分からず、これからの仕事のことも考えて張は直接聞くことにした。
そして、ラスカルは『嘘も隠し事もしない』という彼の主義のままに、答え始める。
「張葬奇。アンタ、あいつに《看破》はしなかったのか?」
「していないが……」
「正解だな……。していたらマイナスだったかもしれん」
「?」
その言葉に張は違和感を覚えた。
しかし、先刻のエミリーとのやり取りで、エミリー自身が『プラス』と言っていたのを思い出す。
直感だが、張はそれらの言葉が深く対になっていると感じた。
「しかし、名前で気づかなかったか? 俺達の中では俺よりも、ラ・クリマよりも、……場合によっちゃオーナーよりも有名なんだがな」
「なに? しかし…………、…………!?」
張はエミリーという名を記憶から掬おうとして思い出せず、……だが間を置いて思い出した。
たしかに、「エミリー」という名は張の記憶にある。
だが、張にはその名と……あの少女が一切繋がらなかった。
なぜなら、あんな舌足らずの……自分の名前すらまだまともに言えない少女と、その名は結びつかないのだから。
「改めて、話をしよう。張葬奇」
「あ、ああ……」
動揺する張の肩に手を置きながら、ラスカルは言葉を重ねる。
「アンタの初仕事はエミリーの子守……仕事のサポートだ。だが、その仕事自体もアンタとは因縁がある」
ラスカルは張に若干の動揺が残っていることを察し、少しエミリーからずれた話から進めることにした。
「<蜃気楼>と取引するはずだった<UBM>の珠だがな。アンタの手許にあったのと合わせて六つ、このカルディナに散らばっている。それを欲して色んな国の<超級>やら裏社会の猛者やらが動き出している」
「珠……か」
張が<蜃気楼>の本部からの指令で預かっていたのは、【轟雷堅獣 ダンガイ】という<UBM>が封じ込まれていた。
それ自体も兵器として非常に有用であったが、あれと同じものがさらに五つもカルディナの地にあると聞き、張は気を引き締めた。
「その争奪戦に加わり珠を奪う、ということか?」
「違うな。いや、手に入るならそれもいいが、最優先は違う」
「と言うと?」
「最優先は珠を求めてやってくる連中の観察だ。どんな能力か、何を求めているのか、性格や人格はどうか。そしてこっちの話に乗って……スカウトできそうか、だ」
そして、ラスカルは張を直視しながらこう言った。
「<UBM>や特典武具ではなく、その争奪戦に加わる人材が俺達の求めるものだ」
その言葉に、張は一つの事実に気づいた。
珠そのものを餌とするその手法。
それは珠が偶発的にカルディナに広まったのでは、実行することが難しい。
しかし逆に……。
「……一つ聞こう」
「ああ、何でも聞いてくれ」
その返答に、張は決心して問いかけた。
「もしや、珠をカルディナにばらまいたのは……<IF>か?」
「その通りだ。<IF>のもう一人のサブオーナーが、黄河の宝物庫から七つの珠を奪い、その内の六つをばらまいた」
張は、そのことについては誤魔化されると思っていた。
なぜなら、その珠を原因として張は“蒼穹歌姫”と戦い、右腕を失っている。
しかし、ラスカルは隠すことなどないと、正直に答えていた。
それこそ、彼の言う『嘘と隠し事はしない』信条のままに。
「……そうか。一度手放したものを<蜃気楼>側の対価として取引をしようとしたのも、その人材を見つける餌とするためか」
「それは半分だ」
「半分?」
「俺達は<蜃気楼>と手を組んで黄河を舞台に実行することも考えていた。だが、悪名が知られ過ぎている俺達が、急に『手を貸しますよ』などと言って縁を繋ごうとしても信じられないだろう?」
「…………」
その場合、如何なる裏があるかと疑心を抱き、決して信用できないだろう。
「だが、そちらの手に黄河の国宝という莫大な対価があって、取引として協力するならば……どうなる?」
「……少なくとも、無償のときよりは安心と理解が得られる」
「そういうことだ。タダより高いものはないし、無償の愛なんて信じられる奴は裏社会にいやしない。信用されるために相手にまず対価を持たせる、というのが俺のプランだった」
なるほどと、張は納得した。
「……実行したゼタが内心でどう考えていたかまでは、俺にもわからねえけどな」
ラスカルは、先刻から時折そうするように自身の心情の一部を言葉に漏らした。
それも『嘘と隠し事をしない』信条によるものか、あるいは無意識かは張にはまだ分からない。
「今の所在が確実に分かっているものを幾つか教える。まずはここから一番近い場所に出向いて、仕事始めってことになるな」
ラスカルからの説明に頷きながら、しかし一度棚に置いた疑問が再び張の胸に生じた。
「仕事については承知した。……だが、改めて確認したい」
「エミリーのことだろう?」
「ああ。……本当に、あの子がそうなのか?」
「そうだ」
ラスカルの言葉に、やはり《真偽判定》は反応しない。
張も既に分かってはいたのだ
その時点で、これが真実であると。
しかし、どうしてもあの少女とその真実が結びつかなかったのだ。
「だが、アイツはあの通り子供だからな。一人でカルディナの砂漠に放り出すわけにも行かない。そのために、誰か傍についてやる人材が要る」
ラスカルは「……ゼタは『提言。あの子も十歳。一人で各国を巡り、一人で仕事もできるでしょう』とか抜かしてたがな。出来るわけないだろ。どこの天才児だ。そんなトンデモな子供いるわけがない」という言葉を漏らしてから、言葉を重ねる。
「エミリーのサポートをするに当たって、アンタに伝える注意事項は究極的にはたったの一つしかない」
「……それ、は?」
「エミリーの“敵”になるな」
「“敵”?」
「アンタは保護者としてアイツを叱ってもいいし、諭してもいい。だが、意味なく貶すな。理由なく傷つけるな。アイツを無下にするな。決して、アイツの中でアンタの印象がマイナスにならないように注意しろ。アイツの“スイッチ”を入れるな。さもなければ……」
「さもなければ……?」
「――アイツの本性をアンタ自身で確かめることになっちまう」
その言葉は、これまでの全ての言葉よりも重く言い放たれた。
そして気づく。
エミリーがいたときのラスカルの緊張は、張がエミリーに対して何らかの敵対的行動をとることを危惧していたのだ、と。
その『本性を確かめる』ということが、目の前で起きるのではないか、と。
「……忠告は肝に銘じた」
「まだ実感が湧かず、信じきれないのは理解できる。それでも、すぐに分かる」
ラスカルは張に仕事の詳細を書いた書面を渡してから地図を開き、一点を指し示した。
「アンタの最初の仕事場――商業都市コルタナに着けばな」
◆◆◆
■商業都市コルタナ
張が<IF>のサポートメンバーになって一週間が経ち、張とエミリーはコルタナに到着していた。
なお、コルタナの暑さに疲れ果てていたエミリーだが、砂漠での移動のときはそこまで暑さを苦にしていなかった。
街から街への移動の際は、ラスカルが用意した砂漠航行用の小型船に乗っていたからだ。
内部には空調もあったので、エミリーは中で絵本などを読んでいた。
時折出てくるワームの類は張が処理し、キョンシーにしてジュエルに納めている。
そうしてエミリーがラスカルの言う“本性”を見せることはなく、張はこの一週間のうちにエミリーが噂に聞くあの人物と同一であるという確信が持てずにいた。
(……だが、ラスカルさんが嘘を言ったとも思えん。やはり、俺がまだ見ていないだけで何かはあるのだろう)
そんなことを考えていると、
「ちゃんおじしゃーん! まーだー?」
エミリーがカフェの前から張を呼んだ。その姿がやはり子供にしか見えなくて、張は少しだけ笑う。
なお、今は張もエミリーもアクセサリーで容姿を誤魔化している。
<IF>に属するエミリーはもちろん指名手配されているし、張も<蜃気楼>絡みで狙われる可能性があったからだ。
ラスカルが用意したアクセサリーはかなり高性能なものだったので、最大レベルの《看破》でも完全には見破れない。小型船舶といい、ラスカルは非常に準備のいい男であった。
きっと今の張とエミリーは余人には普通の家族か何かにしか見えていないだろう。
ただ、張の右腕だけは符で作った義手なので、若干の違和感はあるだろう。
「ああ、すぐ行く」
張はそう言ってエミリーの待つカフェの前まで歩いていき……言葉を失った。
(…………なぜ、いる?)
このカルディナのカフェは空調を効かせ続ける高級店でもなければ窓を広く取っているので、カフェの外からでも店内の様子が見て取れる。
そして張は見たのだ。
テーブルに座って何事かを話している――“蒼穹歌姫”の姿を。
そう、彼らが入ろうとしていたカフェは……ユーゴー達が待ち合わせに使ったのと同じカフェであった。
(考えてみれば彼女も珠が標的なのだから、珠がある街で鉢合わせることもあるだろうが……)
張にとっては、自分の預かった支部を潰し、右腕を奪った仇敵とも言える相手だ。
しかし、張が抱いたのは復讐心でも殺意でもなく、懸念だった。
(どうする……。ラスカルさんから任された仕事は、観測だ。珠を目当てに集る人材のデータ蒐集。ここで揉め事を起こすのは……万が一にもこちらの正体がバレれば、任された仕事の達成も難しく……)
張は自分に任された仕事を全うするため、考えを巡らせる。
基本的には真面目な社会人のような男である。
裏社会の住人だったが。
「エミリー。ここではなく、違う店に……」
「わーい! “あいしゅ”ってかいてあるー!」
店の移動という張の考えた最善策は、店の品書きを見て笑顔で店に入ったエミリーによって木っ端微塵に打ち砕かれた。
そして、エミリーだけをこの店に置いていくことなど……張の仕事を考えれば出来るはずもない。
「……ええい、ままよ」
そうして張もエミリーに続いて店内に入り、
「あ。すみません。ただいま満席でして」
「ああ、それは仕方ないな」
店員から救いの手の如き情報を聞いて『これで店を変えられる』と喜び、
「そちらのお客様と相席でお願いいたします」
「……………………」
六人用のテーブルに三人で座っていた“蒼穹歌姫”一行と同じ卓を勧められたのだった。
「わーい」
そして、エミリーは既にそのテーブルの席についていた。
「…………」
黄河の死霊術師の頂点である【大霊道士】張葬奇は、心中で自身の冥福を祈りかけた。
To be continued
(=ↀωↀ=)<張さん再就職
(=ↀωↀ=)<直属の上司はロリ
(=ↀωↀ=)<しかし<蜃気楼>時代もトップが少女だった模様
( ꒪|勅|꒪)<そういう星の下に生まれてんのか、あの裏社会人
(=ↀωↀ=)<なお、本人は欠片もロリコンではありません




