第二十二話
□決闘都市ギデオン
『フィガ公のログイン地点が外だったのは、不幸中の幸いだったな』
フィガロのログインによってハンニャとサンダルフォンがギデオン内部から<ネクス平原>へと移動し、事態も大きく変化した。
この事件の解決策を練っていたシュウがこの変化にどう対応するかを考えていると、【テレパシーカフス】による連絡が入った。
【お兄さん】
【ルークか、どうした?】
【今、迅羽と合流しました。空間のシャッフルが解除されていて、今なら必殺スキルで狙えるそうです】
既に《天死領域》は解除されている。
今ならばテナガ・アシナガの必殺スキルでハンニャを狙うことも出来る、というわけだ。
【心臓を抜ける確率は?】
【五割と言っています。相手のAGIが高い上に、現在も踏み荒らしに合わせて少しずつ動いていますから】
テナガ・アシナガの必殺スキルは、相手に直接ロックオンするものではない。そのため、指定の空間座標から動けば外れてしまう。
だからこそ、<超級激突>ではフィガロの動きを制限した上で使用し、当てている。
今のハンニャはサンダルフォンが巨大すぎることもあり、踏み荒らしの度に座標からずれている。
ゆえに、迅羽でも必中とはいかない。
【……ハンニャはブローチも装備しているだろうからな。一度じゃ抜けず……それをきっかけに<ネクス平原>に限らず広範囲で暴れるかもしれないってところか】
【そうですね】
【……まずはフィガ公に任せる。駄目だったら迅羽のプランで行こう】
【承知しました】
◇
シュウとの通信を終えた後。ルークはサンダルフォンを……サンダルフォンと相対するフィガロを遠目に見ながら疑問を覚えていた。
「どうしてフィガロさんはサンダルフォンを上っているんだろう? 真下から【グローリアα】……そうでなくても射程の長いスキルを使えば倒せそうなのに」
「不思議だよねー。試合のときみたいにズバーンってやっちゃえばいいのにー」
「……長射程の攻撃スキルを使うことに、何か問題がある? 何らかのスキルで防がれてしまう、のかな……?」
『違うゾ。お前、頭いいけど疎いナ』
推測を重ねようとしたルークだが、横合いからかけられた声がそれを否定する。
声の主は、ルークと合流した迅羽だ。
「……疎い」
『あいつが上ってるのはナ、もっと簡単な話だろうヨ』
「簡単、ですか?」
しかし、迅羽が簡単だというものを、ルークはまだ理解できていない。
『ああ。武器を持ってねーシ、オレとの決闘では使ってなかった必殺スキルも使ってるからナ。そういうことだロ』
「…………」
その発言もまた、ルークには理解できない。
事前情報では、フィガロはハンニャとの決闘を心待ちにしていたし、昨日のレイの話でも決闘をする心算らしいと聞いている。
ゆえにフィガロにとってこれは待ち望んでいた決闘、あるいはギデオンで破壊を行おうとしていたハンニャの制止だとルークは考えていた。
『ま、考えりゃお前なら分かるだろーサ。考えるのが勉強だゼ、ルーク』
「迅羽ちゃんって子供だけどお姉さんっぽいよねー。ルークのお姉さんポジは渡さないよー」
『要らねーヨ』
バビの言葉を笑って否定しながら、迅羽は必殺スキルの発動準備だけはしつつフィガロ達を見守っていた。
◇◆◇
□■<ネクス平原>
<ネクス平原>には大地を砕く轟音と……少年の声が木霊していた。
『落ちて! 落ちてください!』
声の主であるサンダルフォンは、そう叫びながら両脚を連続で踏み下ろす。
だが、彼が振り落とそうとしているフィガロはその動作と衝撃に耐えて、垂直の塔の壁面に両足をかけて駆け上っていく。
物理法則からするとありえないような光景だが、コル・レオニスによって強化されたブーツの《登攀》スキルと、フィガロのステータスはそれを可能にする。
何より、不安定な足場を駆けることなど彼の戦闘では日常茶飯事だ。
『なんて人だ……!』
サンダルフォンにとって、攻撃動作中の自身を上ってくる相手などこれまでいなかった。
これまでの二度の敗北の相手は広域殲滅を得手とする自然の権化と、あらゆる物理攻撃を無為とするスライム。どちらも相性が悪く、有利を活かせず敗北したのも理解できる。
だが、フィガロは人間。踏み潰せばそれで終わるはずの人間だ。
それを倒せないことに、サンダルフォンは焦っていた。
既に……フィガロはサンダルフォンを半ばまで踏破している。
「――■■」
『ハンニャ様……!』
《ラスト・バーサーク》状態のハンニャは、機械的とすら言えるフィガロへの攻撃動作のみの存在。
肉体のコントロールは《ラスト・バーサーク》によって自動化され、塔足の操作もサンダルフォン自身の動作サポートがなければ無茶苦茶なものになってしまうほどだ。
しかし、プレイヤー保護機能によって彼女の思考は彼女のまま。
ゆえに、彼女から発せられるフィガロへの感情は、暴走の中にあっても変わらない。
それは殺意、憤怒、悲哀、そして愛と言うには多色過ぎて……一つを選べない。
だが、それらの総意がこの《ラスト・バーサーク》による暴走である。
彼女は恋を見失った時に、こうするしか術を知らないのだから。
人生でたった二回の恋は、一度目は裏切られ、二度目は幻だった。
彼女は失った愛の対象に、悲哀と憤怒と憎悪をぶつけることでしか晴らせない。
『…………』
そんな彼女の心を、サンダルフォンは誰よりも知っている。
彼女の、そうするしかない望みを知っている。
彼自身が、彼女のその心から生まれたものだから。
そして、この世で誰よりも彼女に従順な<エンブリオ>は、今もそれを実行する。
『――《スクリーマー》、セット』
サンダルフォンの宣言と共に、その姿が僅かに変貌する。
大地に近づくほど細くなる逆さ塔のシルエットはそのままに、全体に――螺旋状の溝が出来上がる。
それは塔を上るフィガロには見えず、ギデオンから傍観する者達には全貌がよく見えた。
誰かがその姿の答えを口にするのと同時に、変形したサンダルフォンが僅かに発光し、
『――《フォール・ダウン・スクリーマー》!!』
彼にとって唯一の――攻性アクティブスキルを発動させた。
今の彼は、全長一キロにも達する超巨大螺旋衝角。
かつてフィガロと会うために“監獄”からの脱獄を目論み、■■■による進化で第七形態となったサンダルフォンが獲得したスキル。
空間自体が操作された“監獄”からの脱獄こそ叶わなかったものの、あらゆる地下構造を粉砕し貫通する穿孔特化強度無視攻撃スキルである。
無論、今使うことに穿孔も強度無視も然程の意味はない。
そもそも効果が発揮されるのは塔足の先端であり、フィガロが上る側面ではない。
では、なぜ今発動させたのかと言えば……単純な話だ。
――螺旋衝角の回転でフィガロを振り落とすためである。
秒間六〇〇を超える螺旋塔の回転。遠心分離機の如き高速回転に、サンダルフォンはフィガロが空中へと投げ出される光景を幻視した。
だが、【超闘士】はその幻視を超えていく。
「……まだ」
フィガロは、両足だけでなく両手でも側面を掴み、嵐を遥かに上回る回転の暴威の中……頂上を目指して上り続けている。
その動きは先刻よりも遅々としたものだったが、まだ彼は進み続けていた。
『ッ! しつこいんですよ!!』
サンダルフォンは――高速回転する双塔を擦り合わせた。
逆方向に回転し合う二本の足が火花を散らして接触し、
壁面に張り付いていたフィガロを巻き込み、
柔らかいものと硬いものが砕ける音が<ネクス平原>に響いた。
遠心力でサンダルフォンから弾き飛ばされる血液が、血煙となって幽かに漂う。
粉々になって地面に落ちていく破片は、フィガロが履いていたブーツのものだろう。
『やった! やりましたよ! ハンニャ様!』
サンダルフォンは主の意思を実現できたことを喜び、成果を報告する。
間違いなく挽き潰した。間違いなくデスペナルティにした、と。
『……え?』
だが、そこで気づいてしまう。
ハンニャが……未だに《ラスト・バーサーク》を発動していることに。
『ま、まだ死んでいな……!?』
そしてもう一つ、気づく。
サンダルフォンの目を務める頂上部の二つの宝玉。
その片方の台座に――鎖が巻きついていることを。
直後に鎖の持ち主が、鎖に引かれてサンダルフォンの頂点に着地した。
彼は裸足であり、左腕を失っており、全身も傷だらけで、血は必殺スキルの反動で蒸気となって消えていく。
装備もAGIを上げる下半身装備と、右腕の鎖一本しか残っていない。
けれど彼――フィガロは生きて幽閉塔を上り終えた。
『そんな……まさか!?』
サンダルフォンには、フィガロの有様から彼がどうやってここに上ってきたのか理解できた。
フィガロは、サンダルフォンが回転を始めたときには既に「このまま上ることは不可能」と判断していた。
ゆえに、まずは《登攀》のブーツを即座に装備解除し、それを足場にして宙へ跳んだ。
同時に、己の左手を切り落としてドリルの間に投げ込み、生じた血煙で一瞬だけでもサンダルフォンの注意を逸らす。
そして、装備による強化を鎖に集中し、射程を延長した鎖をサンダルフォンの上部に巻きつけ、瞬時に自らを引き上げた。
鎖が届かなければ、サンダルフォンが気づいて移動すれば、フィガロを待っていたのは墜落死だったはずだ。
それでもフィガロはそれを実行し……サンダルフォンの最上部、ハンニャの懐にまで届いたのだ。
『本当に人間ですか!? ……ハンニャ様!』
サンダルフォンには分かっていた。
サンダルフォンは極めて巨大であり、広範囲の空間支配改変能力も有する強力な<超級エンブリオ>だが、欠点もある。
アポストルの共通の欠点として、<マスター>へのステータス補正が皆無であること。
そしてサンダルフォン自身の欠点。その巨大さゆえ、懐……最上部に辿りついた相手に対する対抗手段が存在しないことだ。
サンダルフォンは全戦闘力がこの状況では役に立たない。
そして、サンダルフォンの装備を解除し、ハンニャ自身で戦ったとしても……《ラスト・バーサーク》の強化を加味したところでフィガロには敵わないだろう。
サンダルフォン抜きでは、両者の間にはそれだけの差がある。
「…………」
最早、敗北が確定的となった今も、ハンニャはフィガロを睨んでいた。
それは《ラスト・バーサーク》の効果の一部かもしれないし、彼女の感情かもしれない。
いずれにしても、彼女はそれこそ般若の如き顔でフィガロを見ていた。
「…………」
「…………」
そうして、彼と彼女は無言のまま視線を交わして……。
「ハンニャ……君に、これを」
フィガロが、アイテムボックスから何かを掴み出した。
間近で見ていたサンダルフォンは、一瞬だけそれを武器だと思った。
遠く、ギデオンから見ている者達もそうだと思っただろう。
特にネメシスなどは、形状から自分の第三形態を思い出した。
だが、違った。
フィガロがハンニャに向けたのは武器ではなく……花束だった。
太陽のようなカタチの、リアルで言えば日向花に似た花束だった。
昨晩に、月夜との写真を撮られたあの植物屋で購入していた花だ。
「…………え?」
それを見たハンニャは呆然と、その表情を元の彼女のものへと戻していた。
《ラスト・バーサーク》の暴走効果を一瞬消してしまったかのように、彼女自身の精神が大きく揺らいでいた。
だって、彼女は知っている。
ひまわりの花言葉を知っている。
『あなただけを見つめてる』という花言葉で、プロポーズに使われる花だということを。
想定外の花束をフィガロに手渡される時、ハンニャは驚きの表情のまま……まるで《ラスト・バーサーク》が機能していないかのように受け取っていた。
「……それから、これも」
ついで、フィガロは小さな箱を取り出して、その蓋を開けた。
その中には宝石の嵌った指輪が収められていた。
それはフィガロが昨日にアクセサリーショップから引き取ったもの。
ハンニャが出所できる日が分かってからすぐに、自分の所持金で購入できる最大限で注文した指輪。
――婚約指輪だった。
「フィ、ガロ?」
「冬子」
《ラスト・バーサーク》の影響下でありながら、ハンニャは彼の名を呼んだ。
フィガロは、ハンニャをアバターのネームではなく本当の名前で呼んだ。
「この<Infinite Dendrogram>で、そしてリアルでも……」
そして彼は指輪を彼女に向けながら、
「僕と、結婚してくれないか?」
彼の人生……最初で最後のプロポーズをした。
To be continued
第二十二話 フィガロの結婚




