第十一話 周辺国家の事情
□<DIN>ギデオン支部
その日、エリザベートはもはや住み慣れた迎賓館ではなく、見知らぬ一室で目を覚ました。
それは<DIN>のギデオン支社にいくつかある仮眠用の個室であり、昨晩の女子勢(ビースリーを除く)による慰め会の途中で眠ってしまったエリザベートを運び入れた部屋だ。
壁際にはエリザベートを守るように……マリーが立ったまま眠っていた。
レイがいれば「立ったまま眠るのは隠密のスキルか何かか?」と疑問の突っ込みを入れていたかもしれない。
だが、エリザベートは気にすることもなく、マリーを起こさないように仮眠室を出た。何かあれば起きられるようにしていたマリーだが、エリザベートのナチュラル隠形がその察知能力を上回っていた。
エリザベートは仮眠室を出て、顔を洗うために洗面所へと移動する。
部屋や壁に貼ってある案内を頼りに洗面所へと移動すると、そこには先客がいた。
「よう。目が覚めたか」
それはエリザベートと同じくらいの身長の少女だった。
エリザベートは一瞬それが誰だか分からなかったが、血の気のない青白い肌とギザギザとした歯の並んだ口元で知り合いだと気づく。
「迅羽? ずいぶんとちぢんだのじゃ」
四メートル近い身長の怪人は、その身長をおよそ三分の一程度にまで縮めていた。
「こんなところで手足伸ばしてても邪魔臭いからな。仕舞った」
迅羽の<超級エンブリオ>であるテナガ・アシナガは義手義足型である。
しかし、それはフィガロのコル・レオニスやゼクスのヌンのように生身の身体と置換しているわけではない。生身の迅羽がマジックハンドや高下駄のように装着しているに過ぎないので、こうして必要に応じて外すこともできる。
「かおとこえもちがうのじゃ」
「そりゃあんな符をつけてちゃ顔も洗えないからな」
普段は顔を隠し、声を変えるためにつけている大符も外しているので、今の迅羽はリアルの年齢相応の顔と声を隠していない状態だ。言葉のイントネーションも自然なものになっている。
「顔洗うんだろ。隣、空いてるぞ」
「うむ」
エリザベートは迅羽の隣の洗面台に並び、顔を洗う。
「わらわよりせがひくい迅羽はしんせんなのじゃ」
「だろうな」
フランクリンの事件以降、何だかんだで付き合いの長い友人のまだ見ぬ一面を見たことにエリザベートはクスリと笑う。
それから二人は顔を洗って身支度を整えて、自販機が併設された談話室の方へと移動した。
迅羽は適当に飲み物を買ってエリザベートに手渡し、並んで長椅子に座った。
「一晩寝たらちったぁ落ち着いたか?」
「……うむ」
昨晩。姉にツァンロンとの婚姻と黄河行きを告げられ、冷たい態度のまま反対を許されなかった。突然の出来事にショックを受けていたが、一晩経てば落ち着きもする。
そうして昨晩のことを冷静に思い出せば……冷徹に振舞う姉の目がどこか涙で滲んでいた。
あるいは姉としてもそれを命じることに躊躇いがあったのかもしれない。
それでも命じたのはそこまでしなければならなかったか……あるいはエリザベートのためか。
「もしかしたら、わらわをこうがにおくりだすこと、あねうえもダンチョウの思いだったかもしれないのじゃ」
「断腸か。まぁ、そうかもな」
理由はまだ分からない。
聞いてみなければ、分からない。
ただ、姉も辛い気持ちで送り出そうとしていたのであれば、エリザベートが抱く気持ちもまた変化する。
「こんばんかえったら、もういちど……あねうえとはなしてみるのじゃ」
「そうだな」
そんなことを話していると、
「殿下、こちらにおられますか!」
少し焦ったように声を上げたのは、エリザベートの護衛としてこの<DIN>ギデオン支局まで同行したリリアーナだ。
「どうしたのじゃ?」
「下の階にあの方が……ツァンロン第三皇子がいらっしゃいました」
その答えに、エリザベートと迅羽は顔を見合わせて首を傾げた。
◇
ツァンロンの来訪を聞かされた後、エリザベートは着替えるために一度部屋に戻った。相手が相手であり、寝巻きのまま顔を合わせるわけには行かない。
ちなみに全力で家出するつもりだったので、しっかり衣服や生活用品の入ったアイテムボックスは持ち出してきている。
脱走……もとい家出に手馴れすぎた手際だった。
「おはようございます。エリザベート殿下」
着替えた――迅羽に関しては手足も装着した――二人とリリアーナ、それと起こされたマリーが一階に降りると、そこには黄河の第三皇子であるツァンロンの姿があった。
エリザベートも既にツァンロンとの顔合わせはしている。
昨晩の夕食は一緒であり、姉とのいざこざはその後に起きたからだ。
「おはようなのじゃ。……こんなにあさはやく、何をしにきたのじゃ?」
マリーの背中に隠れながら、エリザベートが問う。
ツァンロンが悪い人間でないのは察しているが、やはり自分が結婚して黄河に行く原因であると考えている人物なので警戒している。
そんなエリザベートに向けて、ツァンロンは……頭を下げた。
「この度、私のせいでエリザベート殿下のお心を乱してしまい、申し訳ありませんでした。そのことをお詫びしたいと思い、失礼と思いながらこちらに参らせていただきました」
ツァンロンがここへ来た理由は、謝罪だった。
「……む」
だが、そうして謝られてしまうとエリザベートも対応に困る。
そもそも、エリザベートはツァンロンが原因であるとは思っているが、ツァンロンが悪いとは思っていない。
両者の婚姻と黄河行きを決めたのはアルティミアと黄河の皇帝であり、ツァンロンもまたそれらの事情によってここにいる……言わば同じ立場の人間なのだから。
ゆえに、謝られても困ってしまう。
「……べつに、ツァンロンのせいではないのじゃ」
エリザベートには顔を背けながら小声でそう言うのが精一杯だった。
「ですが僕がこのギデオンに来たことで……」
「いいのじゃ! わらわがツァンロンのせいでないと言ったら、ツァンロンのせいではないのじゃ!」
己のせいで姉妹の間に諍いを起こしてしまったのではないかと気が気でないツァンロンと、自分でも分別しきれないもやもやとした気持ちのエリザベート。
二人の言い合いを、リリアーナなどはハラハラとしながら見ている。
そんな折、迅羽がリリアーナとマリーをちょいちょいと招き寄せる。
そして言い合う二人に聞こえないように、こう言った。
「あいつら、デートさせようゼ」
「……えぇ?」
「……少々お待ちを迅羽ちゃん。あの、どっからそんな話に辿りつくんですか?」
マリーが「この子は唐突に何を言っているんだろう」という顔で迅羽に問う。
「昨日から思ってたけど、結局これって『エリザベートが意に沿わない形で国を離れて遠い外国に嫁入りする』って話が発端なんだロ? じゃあ、『意に沿う形』になればいいだロ。恋愛結婚で外国行きとか普通だゾ。うちのママンもそれでシンガポールに引っ越したシ」
「え、っと、そうなん、ですかね……?」
「そもそも、元はお見合いって話だっただロ。それが当事者二人も知らねえうちに黄河の皇帝とエリザベートの姉の交渉で、一足飛びに結婚が決まってたわけダ。それは筋が違ウ。ひとまずはこいつらがお見合い……デートでもしてお互いを結婚相手として見れるかを判断してもらおうゼ。それでお互いが好き合うなら、後は憂いなく嫁入りできるわけだシ。それにこれなら、エリザベートの姉も『妹を意に沿わない形で送ってしまった』みたいに考えずに済むだロ」
道理であった。
そう、元々はお見合いをするはずだったのだ。
それが色々順序逆転した結果で姉妹関係やこの場の拗れが生じているが、これでお見合いが成立すれば何の問題もないのである。
強いて問題があるとすれば、この道理的な意見が女子小学生の口から出てきたことであろう。
「……お互いが好き合わない場合はどうするんです?」
「それはそのとき考えようゼ。婚約云々はともかく、好き嫌いは当人達の自由だからナ。これは『好き合う』って結果になれば八方丸く収まっていいな、ってだけなんだからサ」
「たしかに、駄目だったとしても状況が今ほど拗れるわけではありませんね」
迅羽の言葉にリリアーナも賛同する。
彼女も近衛騎士として、そしてエリザベートの姉の友人として、エリザベートが幸せな結婚を迎えられるならばそれに越したことはないと考えた。
マリーも渋々と、苦々しく、渋い顔で、「……まぁ、エリちゃんの幸せのためには、それが、ベスト……ですね」と賛同する。その後に「……ぐぬぬ」と呻いてはいたが。
かくして、その場にいた三人はひとまずエリザベートとツァンロンの言い合いを止めて、お互いを知るためのお見合いを二人に提案したのだった。
◇◇◇
□【煌騎兵】レイ・スターリング
エリザベートの輿入れに関する話が済んだ後も、俺はアズライトと話している。
内容は昨晩のもう一つの問題……ハンニャ女史の来訪についてだ。
「“監獄”から出てきた<超級>。しかも人の恋路を見ると逆上するのね。……<マスター>の理不尽さは知っているつもりだったけど、そのハードルを一段上げてきたわね」
「兄貴が対策考えているみたいだけど、もし騒動が起きたときのために伝えておこうと思ってさ」
「ありがとう。何も知らずにそんなトラブルになったらたまったものではなかったわ。愛闘祭の時期に何て間の悪い……」
アズライトは溜め息をついて頭を抱えた。
「そういえば、愛闘祭って初代の【聖剣王】に由来してるって聞いたけど。どうして愛闘祭なんてお祭りが出来たんだ?」
丁度良いので、当事者の子孫であるアズライトに聞いてみよう。
「初代アズライトが建国する前、この西方中央は数々の都市国家が群雄割拠する戦国時代だったのは知っているわね?」
「ああ」
「一介の牧童でありながら土中に埋まった【元始聖剣 アルター】を見つけ、【アルター】に選ばれた初代アズライト。彼は王国の建国と中央の統一までに様々な冒険をすることになるのだけど……。その中でも特に有名なエピソードがここギデオンで行われた『嫁取り決闘』なの」
「嫁取り……決闘?」
なぜ嫁取りと決闘が一つの単語になっているんだ。
マッチするような、そうでもないような……。
「王国ができる前からこの決闘都市には今と同じ結界設備があって、決闘が盛んだったわ。当時、特に有名だったのが都市国家時代のギデオンの王女で、決闘王者でもあった【超闘士】フレイメル・ギデオンね」
【超闘士】……フィガロさんと同じジョブか。
まぁ、決闘王者ならば就いていても不思議じゃない。
「彼女は当時のギデオン最強であり、常に戦の先頭にも立ち続けた。そして生粋の戦闘狂でもあり、自分を決闘で倒した相手にしか嫁がないと公言していたわ」
男前なお姫様だ。
自分から前に出るあたりは少しアズライトっぽい。
「それと戦いの場では常に仮面をつけていたそうよ」
訂正。すごくアズライトっぽい。
「当時既に【聖剣王】だった初代アズライトはその決闘前からフレイメルと知り合っていて、彼女に惹かれていたそうよ。同時に、彼女も【聖剣王】である初代アズライトとの決闘を望んでいた」
「……【アルター】って決闘できるんだっけ?」
「できないわよ。これで斬ったら結界の中だろうとそのままだもの」
そりゃそうだよな。
あれ、それだと……。
「フレイメルとの決闘当日。初代アズライトは【アルター】を持たなかった。フレイメルは怒りの言葉を向けたけれど、初代アズライトはこう言ったそうよ。『あなたの夫となるためのこの戦いで、私は【アルター】を使わない。それは二つの信念によるものだ』、と。フレイメルは『それはなんだ!』と問う」
まるで舞台劇のように、アズライトは声を張り上げる。
「『私は愛する人の始まりに、傷を刻むつもりはない。そして……!』」
まるで初代アズライトがその場にいるような熱を感じる。
それはこの場面へのアズライト自身の思い入れが感じられた。
「『私は、あなたの愛を……拾った力で得ようとは思わない!!』」
アズライトがそう言って見栄を切った後、気づけば拍手していた。
ハッと我に返ったアズライトが、顔を赤らめて俺に背を向けた。
「好きなのか、その話」
「……む、昔から王都の舞台劇で見ていたもの。ご先祖様達の話だから……」
「ご先祖様達、ってことは」
「そう。初代アズライトは【アルター】の力無しで決闘に勝って、フレイメルが彼の妻になったわ。言い伝えによれば、終生愛し合っていたそうよ」
なるほど。ハッピーエンドだ。嫌いじゃない。
「西方にはこういった初代アズライトが活躍した逸話が幾つも残っているわ。王国領土だけでなく、南方のレジェンダリアにもね」
へぇ、別の国にまで冒険譚が広がるほどだったのか。
っと、レジェンダリアといえば……そちらでも気になっていたことがあった。
「そういえば、エリザベートの輿入れだけど……どうして黄河が相手だったんだ? 地理的には、レジェンダリアやカルディナ、それにグランバロアって選択肢もあったんだろ?」
いずれも黄河よりは距離的に近いはずだ。
むしろ、間に他の国がない分だけ戦争での援軍にも期待できる。
それにレジェンダリアとはまだ同盟関係であるし、カルディナとも通商条約が結ばれているはずだ。
「そうね。レジェンダリアとカルディナも似たようなことは提案していたわ。けれど結局は消去法ね」
「消去法? それに……グランバロアは?」
「あそこは婚姻による同盟締結は無理よ。だって、四大船団のいずれにも肩入れできないもの」
アズライトによると、グランバロアの王である大船団長は貿易船団、軍事船団、海賊船団、冒険船団の四つの船団長家の候補者から一人が選ばれて就任するらしい。
そういうシステムなので、四つの船団長家のいずれかに王国の血筋が入ると船団のバランスが崩れてしまう。最悪、グランバロアが内乱になりかねない。
それはいずれの家系も望まないため、打診すらなかったらしい。
同時に、婚姻に絡まない同盟にしても今はできない。
現在の大船団長は高齢でそう遠くない時期に代替わりすると思われるため、国家の方針を迂闊に決められないそうだ。王国と皇国、どちらに与するかで船団長家の意見も統一できていないらしい。
余談だが、海賊船団を取り仕切る船団長家がグランドリア家であり、リリアーナ達の父であるラングレイ氏の実家だ。なので、運命の巡り合わせ次第ではリリアーナが候補者になっていたかもしれない。
まぁ、そういう可能性もあったかもしれないというだけの話だが。
「レジェンダリアは?」
「あそこは政変の最中よ」
続けた質問に、予想だにしない答えが返ってきた。
「政変?」
「ええ。あの国は元々立憲君主制。象徴としての国家元首【妖精女王】と、実務を行う首相という二人のトップがいるわ」
ああ、【妖精女王】のことは前にどこかで見聞きした覚えがある。
しかし立憲君主制……要は日本や英国と似たようなシステムなのかレジェンダリア。
「首相はエルフ……ハイエルフの部族長が長年勤めていたのだけど、前回の戦争の少し前に亡くなったのよ」
エルフやハイエルフ、ファンタジーではおなじみの長命種はこの世界にもいたらしい。
「寿命か?」
「いいえ。暗殺らしいわ」
……穏やかじゃない。
「それも、首から下が猿に変わる異常な死に方だったらしいわ」
「なんだそれ怖いな、…………ん?」
その症例、以前どこかで聞いた覚えがある。
ああ、そうだ。大分前にマリーが話していた。
たしか、レジェンダリアの<超級>の一人が、そういう<エンブリオ>を使うという話だった。
「それってさ……」
「ええ。同じことのできる<マスター>が、レジェンダリアにいるわ。けれど、罪の追及はされていないし、犯人も見つかっていない」
「…………」
それは明らかにおかしい。
調べられてシロだったならそれでいいだろう。《真偽判定》だってある。
だが、そもそも追及すらされていない?
「私もこの事件を聞いたとき、少し調べてみたわ。それによると首相の近縁者が捜査を行おうとしたけれど、別の有力者によってストップがかかったらしいの」
「……それってさ」
「ええ。内部抗争よ。そして現在、あの国のティアンはいくつもの派閥に分かれ、暗殺と裏切りの坩堝になっているわ。剣を交える内戦は起きないけれど、敵味方すら定かでない。正に泥沼の暗闘。その影響で、こちらへの援軍も不可能と再三言われているもの」
「…………」
ドロドロじゃねえか。内戦が途絶えない天地とどちらがマシか、というレベルだ。
しかし、なるほど。それはアズライトも妹を嫁に送るのを躊躇する。
「華やかなのは【妖精女王】の周囲と闘技場だけね。<マスター>の多くは呑気に過ごしているようだけれど」
「妖精郷じゃなくて魔境の類だな。それで、三つ目……カルディナではない理由は?」
きっとカルディナにも何かしらの問題があるのだろうと思いながら尋ねてみる。
「…………」
しかし、それに対してのアズライトの返答は沈黙だった。
「アズライト?」
「……あの国に、表面上の問題はないわ」
そう言うアズライトの顔は「問題はない」という言葉とは真逆のものだ。
そして、
「レイは、あのカルディナという国をどう思う?」
その質問は……声音に大きな不安の感情を孕んでいた。
To be continued
( ꒪|勅|꒪)<まだ続くのカ
(=ↀωↀ=)<周辺状況の整理なのでボリューム多いのです
(=ↀωↀ=)<次回で一段落してお祭りに突入しますが




