第七話 双王出陣
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( ̄(エ) ̄)<色々スムーズかもしれないクマ
□■<天蓋山>
<境界山脈>の中央には、決して人が足を踏み入れてはならない山がある。
天竜の巣窟である<境界山脈>であるが、この<天蓋山>にはたった二匹の竜しかいない。他の天竜達は、この山にはまず近寄らない。
それでも、「この山にだけは立ち入るな」と西方に住むティアンは何百年も伝え続けてきた。アルター王国の法にすら、<天蓋山>への立ち入りを極刑とする旨が明記されている。
その理由は明確だ。
この山に住まう竜が、如何なる生物よりも恐ろしいからだ。
その名は、【天竜王 ドラグへイヴン】。
先々期文明以前の時代から生き続け、死に続け、蘇り続けた最強の天竜である。
今では記録に残ってすらいないが、かつて数多の国を滅ぼした存在。
その果てに“化身”と呼ばれる存在とも戦い、敗れて死に、そして今は生きている。
生と死を超克した最も恐るべき生物……否、生死物。
それが【天竜王】である。
『……思い出した』
<天蓋山>の山頂にある玉座で【天竜王】は白い巨体を起こし、そう言った。
この山頂には【天竜王】と、二人の人の形をした者しかいない。
「父上。思い出した、とは?」
【天竜王】の言葉に反応したのは、その内の一人だった。
姿形こそは人のそれだったが、彼は人間ではない。
《人化》した天竜の、それも最上位の存在。
彼の名は【輝竜王 ドラグフレア】。
【天竜王】の第一子であり、天竜第二の力を持つ存在。
人の姿で侍っているのは『彼が正体を現すとこの玉座の間が手狭になるから』というだけの理由だ。
『あの【グローリア】だ。我はあれを見たことがある』
「真ですか?」
『ああ、【死竜王】と【光竜王】の子よ。お前が生まれる前、山脈を出ようとしたので我が殺した番よ』
「なぜ……いえ、そういうことですか」
『ああ。見てのとおり、連中の子は奇形だったからな。間引かれる前に連れて逃げたのだろうさ。ククク、あの三つ首に金の鱗、間違いないわ。連中の抵抗で子は逃げたが、今になって出てくるとは。……ああ、そうか』
【天竜王】は言葉を切り、何かに気づいたようにこう言った。
『“化身”の手引きだな。なるほど、両親の力以外も持っていると思ったが、連中の手が加えられているなら納得だ。その代償に、今までどこかで封印されていたということか。しかし、我のいるこの<天蓋山>を目指さず、人の都を目指すとは……。ククク、奴を回収した“化身”共との契約か』
「…………」
第一子である【輝竜王】も、父の言葉の意味を理解しきれてはいない。
先々期文明以前から生きる【天竜王】は、他の竜……他の生物が知らぬことを知りすぎている。
【天竜王】は己の知識を自分の子にもほとんど伝えていない。
逆に言えば、それらを知っても生きて……存在し続けていられるのは【天竜王】くらいのものだ。
そうでなければ、知った時点で“化身”によって滅ぼされている。
【天竜王】は殺しても封じても不滅であるがゆえに、“化身”との取引で放置されているだけなのだから。
『ふむ。しかし、どうしたものかな。我も“化身”との契約がある。条件が揃わねばこの<天蓋山>から出られぬのだ。アルクァルにはあのように頼まれたが、我は動けぬ』
アルクァル、とは【雷竜王】の本来の名だ。
【竜王】に類する竜は、<UBM>となった時点で名前が【ドラグ】何某に固定される。だが、知性ある竜の間では元々の名で呼び合うことも多い。
「父上。では私があの魔竜を討ちましょう」
『無理だな』
第一子の言葉を、【天竜王】は一言で切り捨てた。
『一〇〇に達しているお前なら結界でも死にはせぬ。だが、お前は一〇〇の壁を越えられていない。あの壁を超え、アルクァルに割かれていた<UBM>としてのリソースも取り込み、力量を増した【グローリア】には勝てぬよ』
<UBM>が<UBM>を倒した場合、それは人が<UBM>を倒した場合とは異なる。
人ならば能力に応じた特典を得るが、<UBM>の場合は純粋に力を得る。ゲームらしく言えば莫大な経験値を得るということだ。
それに加えて「格上の<UBM>を倒した場合はレベルの上限を引き上げる」という効果もあったが、<SUBM>である【グローリア】にはそちらの効果は然程意味がない。
また、<UBM>の中には「倒した相手の力を取り込む」という能力で擬似的に特典武具のように力を増していく個体もいるが、これも今は関係がない。
いずれにしろ、神話級上位の【雷竜王】を倒したことにより、既に<SUBM>であった【グローリア】はその力を更に強めていた。
『そもそも、我であっても奴と戦えば永遠に決着はつかぬ。我が矛は奴とは噛み合わぬし、奴は不滅の我を滅ぼせぬ。決着がつくとしても、その頃にはこの大陸も随分と静かになるであろうさ。馬鹿らしいなぁ』
その結果を想像し、【天竜王】はクツクツと笑う。
『いや? あるいは、“化身”共が収拾に出張るかも知れぬな。それも一興ではあるか。しかしそうなると前倒しになる分だけ盛り上がりに欠けるな。……ククク、惜しい惜しい』
「…………」
【天竜王】は国家や大陸の存亡を、盤上の遊戯か舞台の観劇のように楽しみながら見物している。
……否、彼が見下ろして楽しんでいるのは自分も含めた全ての生命の盛衰についてかもしれない。
この大陸でもっとも超越した生死物のスケールなど、余人には、そしてその言葉を聞く彼の第一子にも理解できないものだ。
『だが、見物だけもしていられぬか。何分、アルクァルの最期の願いがあるのでな』
それは【雷竜王】の最期の言葉。
天竜の住まう<境界山脈>を、そして人の世界を守るために【グローリア】を討ってほしいという願い。
それを無碍にはしない程度には、【天竜王】は第三子への愛情を持っていた。
『我は出られぬ。息子は勝てぬ。ならば、第三者に代行を頼むしかあるまい』
「なるほど」
そこで、これまで沈黙を保っていた二人目の人間……二人目の人の形をした者が声を発した。
「この私に【グローリア】討伐を依頼する、ということですね?」
その者の名は――【犯罪王】ゼクス・ヴュルフェル。
王国出身の<超級>であり、王国を始めとした各国で指名手配されている大犯罪者。
そして……【天竜王】の知己となった数少ない者の一人である。
◆
ゼクスが【天竜王】と知り合った理由は、ひどくシンプルなものだった。
それは<天蓋山>に入ることが王国の法で極刑となるほどの大罪だったからに他ならない。
罪を犯し、「悪人になる」という目的しか持たないゼクス。
<天蓋山>への侵入が王国でも屈指の大罪であり、彼が積極的に動く理由としては十分だった。
ゆえにゼクスは単独で<天蓋山>へと入り、防衛に出た【輝竜王】と交戦した。
【輝竜王】はここ数年の侵入者……特に<マスター>と呼ばれる人種の増加に悩まされていた。
自身や父を討伐して特典を得ようとする連中に辟易し、それを蹴散らすことを作業的に行なっていた。
だが、ゼクスはそれまでの侵入者とは一線を画した。
侵入時点でゼクスは<超級>へと至っており、その戦力は神話級である【輝竜王】にも引けを取らなかった。
攻勢に秀でる【輝竜王】と守勢に秀でるゼクス、両者の戦いは千日手の様相を呈した。
だが、それを止めたのは楽しげに戦いを見物していた【天竜王】が放ったふとした一声であった。
『そういえば、お前はどうしてここに来たのだ?』、と。
【天竜王】も【輝竜王】も、最初はこれまでの侵入者と同じく、討伐によって得られる神話級の特典、あるいは名誉が目当てだと考えていた。
だが、【輝竜王】と戦うゼクスの目は、ひどく純粋だった。
物欲らしきものが何もなく、名誉もまるで欲しているようには見えない。
ではどうして戦っているのかと問われて、ゼクスが返した答えが先の『大罪だったから』である。
『<天蓋山>への侵入は、王国でも最大規模の犯罪でしたから』
『そうか。だが<天蓋山>への侵入は罪だが、我らを討伐することは罪にならぬぞ』
『それなら止めます』
【天竜王】の言葉に、あっさりとゼクスは矛を収めた。
戦っていた【輝竜王】が呆れて声も出ないほどに、実にあっさりとした戦いの終わりだった。
【天竜王】の方はゼクスの行動に大笑し、気に入ったのだった。
それ以降、ゼクスは度々【天竜王】に招かれて<天蓋山>に登っている。
招かれてはいるが、そんな事情を知らない王国としては侵入の度にゼクスの罪を計上している。
ゼクスも『登るだけで罪になるとは、良い場所ですね』などと思いながら、毎回【天竜王】の招待を受け、世間話をしていた。
【天竜王】の傍の【輝竜王】は「これでいいのだろうか?」とは思いつつも、結局父の意向に従っていた。加えて、話しているうちにゼクスと友人関係を結んでいた。
あるいは彼も父以外の相手との会話に飢えていたのかもしれない。
そして【グローリア】出現から一週間後の今日、ゼクスはまた【天竜王】に招かれていた。
◆
『奴の討伐を引き受けてくれるなら、私から報酬を出そう。まだ何を渡すか決めてもいないが、十分な対価を渡すことはこの【天竜王】が保証する』
「この私がクエストを受けるのは久しぶりですね」
「……前に犯罪を斡旋する組織にも逃げられたと言っていたな」
「悲しいことに」
冒険者ギルドのようにアウトローの間にもクエストを受注できる組織はある。
が、このゼクスは<超級>の犯罪者としてそういった組織にまでも恐れられていた。「犯罪を斡旋してくれる組織がある」という情報をゼクスがキャッチして意気揚々と向かった頃には、夜逃げの如く斡旋組織は王国から撤退していたという逸話がある。
『それとな、お前も【グローリア】に王国を滅ぼされては困ることになるぞ』
「と、言いますと?」
『仮に王国が滅んだ場合、王国がこれまで計上してきたお前の罪が帳消しになる。それは困るだろう?』
「……困りますね」
真剣な顔で、ゼクスはそう言った。
普通の犯罪者ならば喜ぶだろうが、この男は罪を重ねて悪人となることが目的。
ゆえに「罪が帳消しになります」などと言われれば逆に困ってしまう。
「しかし父上。ゼクスと私は互角です。討伐を依頼するにしても、私が勝てぬならばゼクスも勝てないのでは」
『かもしれぬな。だが、お前には倒せず、ゼクスには倒せる【グローリア】もいる』
「……?」
【輝竜王】は怪訝そうな顔をする。
【天竜王】の物言いはまるで【グローリア】が複数いるとでも言いたげだ。
「なるほど。やはりあれはそういうことですか」
だが、当のゼクスは得心がいった、という風に頷いている。
『ふふ、分かったか』
「ええ。この私も<バビロニア戦闘団>の戦闘映像は見ましたからね。それと、現場写真が載った新聞も」
「…………」
【天竜王】の見た光景を知らず、人界の新聞も読んでいない【輝竜王】には何のことだか分からなかったが、この二人が納得する何かがあったのだろうとは察した。
掴みどころのない父と友人に対し、自分もある程度受け流しながらでないと会話にならないことを彼はよく知っていた。
「ではこの私はあれの捜索に入ります。恐らく、貴方の目でも視えていないのでしょう?」
『それが逆に、どこにいるかを示しているがな』
「そうですね。では、時間もないでしょうし、これにて失礼します」
『ああ。……そうだ。一つお前のやる気が出ることを教えよう』
「?」
『あの【グローリア】は、新たな<超級>を生み出すためにこの世界を管理する存在が遣わしたものだ。ゆえにな』
【天竜王】はその口の端を歪めながら、ゼクスにこう告げる。
『新たな<超級>が生まれる前にあれを倒すことは――言わば天の意思に背く大罪と言えよう』
「ああ――それは良いですね」
誰よりも罪を望むゼクスは……深い笑みを浮かべて<天蓋山>を駆け下りていった。
◆
『さて、ゼクスへの報酬は何が良いか。娘でも嫁にくれてやろうか』
「父上、嫁に出せる姉妹はおりませぬ。姉上はかつて【覇王】に下って諸共封印されましたし、上の妹はキャサリン金剛なる<マスター>に侍っております。下の妹はまだ幼すぎるでしょう」
『ククク、そうであったわ』
ゼクスが去った後、【天竜王】はそんなことを楽しそうに話す。
同時に、これから起こるであろう【グローリア】との戦いの最終幕の観戦を心待ちにしていた。
『それにしても、最近の人界は見ていて飽きぬよ。【覇王】達の時代と、その後の【聖剣王】の時代、それらが終わってからどうにも退屈だったのだがな。……こういう出来事があるから生きようという気にもなる』
「父上」
『ククク、貴様も永く生きれば分かるようになる』
どこか倦んだ思いの混ざった瞳で、【天竜王】は言の葉を吐く。
『だが、高々数百年ではまだ生き足りぬだろうさ。お前も……アルクァルもな』
「……父上?」
そう言って、【天竜王】は身を起こす。
『さて……そろそろ還してやるとするか』
そう呟いた【天竜王】の口から漏れ出したのは、理解できぬ言葉の波。
人間範疇生物の言葉でも、非人間範疇生物の言葉でも、竜の言葉でも、先々期文明の古代語でもない。
遥かに古き言葉を歌うように紡ぎながら、【天竜王】は最後にこう述べた。
『――《ヘヴンズ・リザレクション》』
その宣言の直後、【天竜王】の体から膨大なエネルギーと光の柱が立ち上る。
そのエネルギーは【天竜王】の眼前に収束し、やがて形を成す。
それは四肢を持ち、長い首と尾を持ち、巨大な翼を持つ生物――ドラゴン。
全身に雷光を纏うその竜は――【雷竜王 ドラグヴォルト】だった。
そう、【グローリア】に殺されたはずの【雷竜王】だ。
「な!? アルクァル!? なぜ、死んだはずでは……!」
眼前で蘇った弟の姿に、【輝竜王】が驚愕する。
蘇生可能時間……どころの話ではない。
ここから離れた地で肉体すら光の塵になったはずの【雷竜王】を、目の前で蘇生させてみせたのだ。
どれほど優れた【死霊術師】でも不可能とされる、無からの蘇生。
現在それを行使可能な数少ない……二者しかいないうちの一者。
それが【天竜王 ドラグへイヴン】である。
『そうか。そういえば、お前たちには見せたことがなかったな。ククク、たしかに千年は使っておらなんだわ。……ふむ、やはり削れるな』
しかし、【雷竜王】も生前と同じではない。
その体は一回りも二回りも小さくなっているし、放つ雷気も以前ほどの力を感じさせなかった。
何より頭上に表示される名が【雷竜王 ドラグヴォルト】ではなく、【ハイエンド・ライトニング・ドラゴン】という純竜の種族名になっていた。
『こ、れは? 我は、死んだはずでは……』
意識が戻ったのか、彼は何が起きたか理解できないという風に言葉を発した。
『運が良かったなぁ、アルクァル。お前を倒したのが人であれば、その魂と概念の全て、人の武具と化していたであろうよ。リソース以外は手付かずであったから、こうして再構成できたがな』
『父上……』
その言葉から、アルクァルは命を失った自分を呼び戻したのが父であると理解した。
『だが、【雷竜王】の名は失われ、貴様の一助となっていたリソースは【グローリア】に奪われている。我が引き戻した反動、弱体化もある。今のお前はただの天竜だ。しばらくは力を取り戻すために修行でもするのだなぁ』
『……はい。ですが、父上! 私を殺したあの狂竜めは……!』
『健在よ。公爵領を滅ぼし、古の城砦を消し、じきに王都へと達するであろうな』
『……ッ!』
その目に、友の命までも奪われた怒りが燃える。
復活したばかりのその四肢に力を込めて、
『往くなよ?』
その視線と言葉は圧力を持ち、アルクァルの動きを止めた。
『今のお前の力ではもはや舞台にも上がれぬわ』
『……!』
父の言葉を、誰よりも【雷竜王】……アルクァル自身が理解していた。
その身に満ちる力が、以前と比べ物にならないほど弱いことを、実感していた。
『父上……我は! 我は、自分の力のなさが恨めしい……!』
自分があの狂竜に勝利していれば続く悲劇も起きなかったと、アルクァルは嘆く。
『カカカ、嘆けば良い。その嘆きは貴様の修行の糧となるであろうよ。我も何回敗れ、嘆き、死に、蘇り、力をつけたか。もはや数えることも出来ぬわ』
『父上……』
『だが、あの狂竜……【グローリア】の始末は人の手に委ねよ』
【天竜王】は遠く離れた何処かを……王国を荒らす三つ首の竜と、それと戦う準備を進める人間の姿を観る。
『見物しようではないか。王国の……人界の存亡を賭けた戦いを』
そして笑みを深め、
『そして、いずれ来る戦いの前哨戦をな』
待ち遠しげにそう呟いたのだった。
◇◇◇
□王都アルテア・王城最奥
謁見の間での招かれざる、あるいは待ちわびた客との交渉に王城の耳目が集まる中、王城最奥では一人の少女がベッドの上に腰掛けていた。
彼女の名はテレジア・C・アルター。
このアルター王国の第三王女であり、生来の病弱さゆえに王城最奥の無菌と治癒結界の部屋で生活している少女である。
生まれながらに王国に伝わる【元始聖剣】に選ばれた長姉や、過剰なほどの活発さと天真爛漫さを発揮する次姉とは異なり、テレジアは外を出歩くことがなくそのほとんどを王城の……この部屋の中で過ごしている。
城内が【女教皇】扶桑月夜との交渉……引いては王族に課せられた【契約書】への命懸けの署名で騒然とする間も、彼女は自室で静かに過ごしている。騒ぎと無関係であるのは幼い彼女と一つ年上の姉だけは署名を免除されたという事情もあったが。
「…………」
テレジアはまるでネコのように宙の一点を見つめていたが、不意にその視線を扉に移した。
「ひさしぶりね。キグルミさん」
『……ああ』
そこに立っていたのは……アライグマの着ぐるみだった。
「きょうはカメレオンじゃないのね」
『これも、《気配遮断》のスキルは付いてるからな。あっちと違って《光学迷彩》はないが、今日はここも随分と手薄なんでそのまま来た』
【Q極きぐるみしりーず おるふぁん・ろあ】という名の着ぐるみを纏ったその男――王国が誇る<超級>の一人である【破壊王】シュウ・スターリングは、テレジアに歩み寄り、会話がしやすい位置で立ち止まった。
テレジアは鼻をスンスンと鳴らし、何かを嗅ぎつける。
「しらないにおいね。どこか、とおくにいっていたの?」
『カルディナだ。砂遊びが好きな魔法バカとやりあっていた』
そこまで言って、シュウは何かを後悔するように言葉を吐く。
『……王国に帰ってくるのに、一週間も掛かった』
一週間。それは、この王国で【グローリア】が猛威を振るった日数だ。
彼は【グローリア】出現の報を知ってから、即座に帰国の途に着いた。
しかし、<超級>である彼をしても、カルディナの大砂漠を越えて王国に帰還するにはそれだけの時間を要してしまった。
「きにやむことはないとおもうわ」
シュウに対し、テレジアは慰める……わけではなくただ事実としてこう告げる。
「そもそも、キグルミさんに【グローリア】とたたかうギムがあるわけでもないもの。<マスター>はジユウ。そういうものなのでしょう?」
『……ああ。だが、<DIN>や向こうで聞いた話だが、状況は最悪に近いんじゃないか?』
「アルテアはほろぶかもしれないそうよ。このシロのなかでも、ジジョたちがウワサしていたわ」
『それにしては、勤めてる人の数は減ってないな』
「みんなセキニンカンがつよいのよ。にげてしまえばいいのに」
テレジアの言葉は、幼い少女ゆえの舌足らずな声音ではあった。
しかしその言葉の内容は、年齢にそぐわない大人びたものだった。
テレジアはリアルで言えばまだ小学生にもならない年頃なため、あるいは違和感を強く抱かせる光景だろう。
けれど、彼女がこのように話す相手は限られている。
二人と一匹……目の前のシュウと彼女のペットの巨大ハムスター、それとかつて彼女を攫ったとある大犯罪者の前だけだ。
思えば、その誘拐事件からこうして部屋に訪れるシュウとテレジアの交流も始まったのだが、それは今語るべきでない話だ。
『……みんなが逃げて、その時にお前はどうするんだ?』
「どうもしないわ。このシロにほどこされたケッカイのなかでしか、わたしのたいちょう……アレはあんていしないもの。このシロで【グローリア】という<SUBM>をまつでしょうね」
展開した《絶死結界》によって周囲のレベル四九九以下の人間を抹殺し尽くす【グローリア】を待つ。それは、取りも直さず死を意味していた。
だが、テレジアは自分が死ぬことについては特に何も思うことがないかのように言葉を続ける。
「サイゴに、わたしがあれをみちづれにできればいいのだけど。……ああ、そのときはこのアルテアがつかえなくなってしまうわね。オウコクのリョウドすべてにヒガイがカクダイするよりは、いいのかもしれないけれど」
『……お前のペットのドーマウスはどうした?』
「ドーならいないわ。きっとおしごとがいそがしいのでしょうね。「トウカがはやすぎる」ともいっていたし、なにかヨテイとちがったのではないかしら」
『…………』
彼女の言葉の内容について、シュウは何事かを思案する。
しかしそんなシュウに、テレジアは言葉を重ねる。
「キグルミさんも、はやくみじたくをしたほうがいいわ。キグルミさんがなにをえらぶにしても、ね」
テレジアはシュウに対し、戦うにしろ、逃げるにしろ、あるいは他の道を選ぶにしろ、早くした方が良いと告げる。
しかしそれはシュウの選択を促すだけであり、選んで欲しい答えを示すものではなかった。
『…………テレジアちゃん』
そんな彼女に……シュウは着ぐるみの頭を外し、素顔で向き合った。
「テレジアちゃんはそれでいいのか?」
直接、真っ直ぐに視線を合わせてシュウは問いかける。
それでも、テレジアの目に揺らぎはなかった。
「アルティミアねえさまは、うまれもってしまったチカラとダイイチオウジョとしてのセキムをニジュウにおっている。でも、わたしはこうしてやすんでいるだけで、かたほうしかせおっていないわ。ここでチョウジリをあわせないのは、フコウヘイよ」
そう言ってから、テレジアは……初めて子供らしい笑顔を浮かべる。
「それに、エリザベートねえさまには……ぎゃくになにもせおわないでジユウにいきてほしいもの。だから、わたしはわたしのたいせつなカゾクをまもるために、わたしのせおったチカラをここでつかうわ」
それは覚悟の言葉……ではない。
幼い彼女が放った言葉は、それではない。
ただ、優先すべきものを……自分にとって大切なものを選んでいるだけだ。
それは自分の命よりも、自分の大好きな家族を選んだ少女の言葉だった。
『…………』
そんな彼女の選択の前に、シュウは……。
『……用事思い出したから帰るクマ』
そう言って、テレジアに背を向けた。
「あら、なにかあるの?」
『散歩』
テレジアの問いかけにそう返して、アライグマの着ぐるみを着たシュウは、テレジアの部屋を去った。
◇
城の中を《気配遮断》で誰にも悟られずに脱出して、貴族街も出たシュウは、王都の路地裏に辿りつく。
大通りは避難民でごった返しているが、路地裏には逆に人気がない。
そんな路地裏を独り歩いていたシュウは、不意に独り言を漏らした。
『結局、あいつは……戦ってくれとは一度も言わなかったな』
<超級>であるシュウが戦い、勝利することができれば、【グローリア】の王都到達は防げる。
王都のティアンの命は助かる。
テレジアも、死ななくて済む。
それでも、シュウを【破壊王】と知るテレジアは、シュウに「戦って」とは言わなかった。
むしろ最悪の結果の中で、自分がすべき事を……自分が守りたいと思う者達について考えていた。
それはまるで、彼女自身の生まれてきた意味がその瞬間にこそあるとでも言わんばかりの……。
『そんなもんは……あいつの歳にはまだ早いんだよ』
己の心中に生じた苛立ちを込めてシュウが壁を殴りつけると、シュウの拳を受けたレンガ造りの廃屋が一撃で崩れ去った。
だが、周辺に人影はなく、騒ぎ立てるものはいない。
ゆえに、シュウはそのまま歩き続けようとして、
「――随分と苛立っているみたいね、シュウ」
背後からかけられたその声に足を止めた。
『……カルディナにいた頃から視線を感じていたが、やっぱりお前か。ハンプティ』
シュウが後ろを振り返れば、そこには路地裏の中央に異質な存在が浮いていた。
卵に似た楕円の薄い膜に覆われた生き物。
中にいるのは、人間の少女に似ている。
見ようによっては、御簾の中の貴人、あるいはヴェールをかけた花嫁にも見えるだろう。
彼女こそは、<エンブリオ>を担当する管理AI二号――ハンプティダンプティ。
シュウにとっては、既に幾度も遭遇した相手だ。
『そう、カルディナだ。……お前ら、俺がカルディナにいるタイミングを見計らって、【グローリア】とかいうクソ竜を放したんじゃないだろうな?』
「否定はしないわ。だって、【超闘士】や【女教皇】、それに【犯罪王】と違って、アナタは率先して事態の解決に動いてしまうでしょう? 根がとびきりにお人好しだもの」
シュウの問いに対してバツの悪い顔一つ見せず、むしろ笑みを浮かべてハンプティはそう言った。
「貴方一人では勝てないとしても、貴方ほどの<マスター>が戦えばその時点で【グローリア】のスキルは詳らかになってしまう。それでは対策を立てられてしまうし、他の<マスター>の限界を測れない。――新しい<超級>を作りづらいもの」
それこそが目的であると、満面の笑みでハンプティはそう言った。
「【剣王】は見所があったのだけど、きっともう駄目ね。折れてしまったから。ああ、そういえば、<エンブリオ>が折れていなければ<超級>になっていたかもしれないわね。メイデンの■■■はああいう窮地ほど発動が……」
「一つだけ言っておく」
彼女はこれまでの【グローリア】との戦いで、もっとも<超級>に至る可能性の高かった例を挙げてみせたが、……そんなものはシュウにはどうでも良かった。
むしろ、眼前のハンプティがそれを求めて今回の事件を起こしたと言うのなら、シュウは逆に求めない。
「新しい<超級>なんて、あのクソ竜との戦いでは生まれねえよ」
ゆえに、否定する。
それは彼の宣言であり、それゆえに締めくくるのは、
「あのクソ竜は――俺達が破壊してやる」
シュウの――【破壊王】としての宣言である。
「……………………」
シュウの言葉に、いや、彼の言葉から伝わってきた意思に、ハンプティは言葉を失う。
シュウはそんなハンプティに背を向けて、再び歩き出す。
王都に向けて進軍中の【グローリア】がいる――王都北西の<ノヴェスト峡谷>に向けて……。
◇◆
シュウが去った後、ハンプティは独り路地裏に残された。
周囲にはまだ人影がない。
そもそも、廃屋とはいえ建造物が倒壊しても衛兵の一人も来ないのは異常である。このハンプティが何らかの手段で人払いをしているために、路地裏は無人だった。
だが、そんなことは今のハンプティにとって重要ではない。
「フフフ、アハハハハハハ」
ハンプティが笑い出す。
御簾の如き膜の中で、透明な殻の中で、少女の姿をした管理AIが笑う。
それは、彼女の選んだ<マスター>が、彼女の望んだままだったから。
いや違う。行動は同じでも……伝わってくる意思が彼女の想像を遥かに超える強さだったから。
「シュウ。だからアナタが好きよ。アナタ以上に見ていて飽きない同調者なんて……私が生きていたころにも一人だっていなかったもの」
そうしてハンプティは……TYPE:インフィニット・ボディに分類される<無限エンブリオ>は、これから起こることを想像し、喜悦と共に笑っていた。
To be continued
(=ↀωↀ=)<<超級>が出揃いました
(=ↀωↀ=)<次回からVS【グローリア】後半戦開始です




