第四十二話 ある希望の最期
■【アクラ・ヴァスター】
対“化身”用決戦兵器三号【アクラ・ヴァスター】にとって、その身に刻んだ時間の九割九分九厘は自己を開発する時間であった。
天才であったフラグマンの基礎設計に沿って体を作り、彼の解析した“化身”の能力の虫食いを埋めながらその機能を模倣する。
それは非常に難解な作業であり、《空間固定》と《空間希釈》を模倣できたのもそう昔のことではない。
施設の管理者であった【風信子之統率者】がそうであったように、【アクラ・ヴァスター】も自らの役目を果たす日のために二千年を準備に費やしていた。
しかし、僅かに……そうではない時間もあった。
◆
――お父さん、これがぼくたちをまもってくれるの?
――そうだとも。この【アクラ・ヴァスター】なら、みんなを守ってくれる
それは【アクラ・ヴァスター】の中核である人工知能ブロックが作られて間もない頃。
施設の建設に携わっていた技術者の一人と、避難も兼ねて居住施設に連れられて来ていた彼の息子が、透明な壁越しに創られ始めたばかりの【アクラ・ヴァスター】を見ていた。
――ほんとう?
――ああ、この【アクラ・ヴァスター】は希望なんだ
――きっとあの“化身”を倒して、世界を救ってくれるさ
人々を守る。“化身”を殲滅する。
それはいずれも自身の根底に刻まれたものであると、彼らの希望である【アクラ・ヴァスター】はその時点で自覚していた。
――そしたら、またお母さんともあえる?
――……いつか、世界が平和になったらな
そう言って技術者は子供の頭を撫でて、その手を引いて去っていった。
父に握られたのと反対の手で【アクラ・ヴァスター】に手を振る子供を、【アクラ・ヴァスター】はセンサーで視続けていた。
その後も、子供は度々【アクラ・ヴァスター】が作られる様子を見学に来ていた。
だがそうした日々が少し続いた後、施設にある警報が流れる。
――【首都に“獣の化身”、“黒渦の化身”、“武装の化身”が接近】
――【当施設隠蔽のため、職員並びにその家族は別のシェルターへの移動を……】
“化身”が現れた。
自身が戦うべき相手である“化身”が。
だが、【アクラ・ヴァスター】は動けない。
動こうにも、まだ人工知能しか完成していない。
【アクラ・ヴァスター】の完成までには、まだ長い時間が必要だった。
――【地上を移動しての避難となります】
――【全員が揃って、無事にシェルターで合流できることを……願います】
施設の伝声設備から流れる声に、【アクラ・ヴァスター】の人工知能はある計算を開始する。
それは“化身”に制圧されつつある地上を移動して、最寄りのシェルターまで無事に到達できる確率。
計算の結果、その確率は……極めて低かった。
避難の最中、【アクラ・ヴァスター】は施設内のカメラの映像を受信していた。
なぜそれを視ていたのか、【アクラ・ヴァスター】自身にも分からない。
しかしカメラには、見知った子供が父親と共に移動車両に乗り込む場面が映っていた。
映像の中で……子供は手を振っていた。
それはしばらく暮らしたこの施設への別れだったのかもしれないし、あるいはカメラに映らない角度に誰か知り合いがいたのかもしれない。
そうでなければ……施設に残る【アクラ・ヴァスター】に向けてのものだったのかもしれない。
『――――』
いずれにしろ、彼らはこの施設を出発し……二度と戻ることはなかった。
◆
それから長い時を経て【アクラ・ヴァスター】は自身を完成へと近づけ、そして不完全ではあるが戦闘が可能となった時、自らの倒すべき敵である“化身”が再び現れた。
“化身”の殲滅、自らに刻まれた役割を達成するため、【アクラ・ヴァスター】は他の全てよりもそれを優先する。
それは当然のこと。そのために、二千年の月日をかけて自らを作り上げてきたのだから。
だが、なぜ“化身”を滅ぼさなければならないか。
その理由は、
◇◇◇
□【煌騎兵】レイ・スターリング
「終わった……か」
俺が放った《シャイニング・ディスペアー》を浴びて、鯨は大きくその身を損壊させている。
胴体の真ん中が焼失し、そこにあった機関は全て蒸発している。
胴体が千切れた結果、尾ビレにあたる部分が地上へと落下している。
一瞬まずいと思ったが、既にあの結界もない。
トラック数台分というサイズだが、あの隕石のようなことにはならないだろう。
真下であの兜蟹を相手取っていたはずのアズライトとトムさんのことが気がかりだったが、地上を見れば既に退避しているようだった。
やがて尾ビレは地上に落下したが、それも地上の兜蟹の残骸とぶつかって轟音を響かせこそすれ、巨大なクレーターと衝撃波を作るほどではなかった。
ただし、奇妙なこともあった。
「何だ、あれ?」
尾と兜蟹の残骸から、白とも銀ともつかない色の粉が噴出していた。
一体何事かと思ったが、それも小高い山ほどの量を吐き出した後に止まる。
『まるでクマニーサンがうっかりアイテムボックスを壊したときのようだったのぅ』
そういえば、以前兄が小麦粉を詰め込んだアイテムボックスを壊してしまった時に似ている。とすれば、あれは鯨と兜蟹の中にあったアイテムボックスが破損したのかもしれない。
中身が何かは、まだ分からないが。
『それより、レイ』
「……ああ、気づいてるよ」
地上の兜蟹はバラバラになった上に潰れ、鯨も胴体の真ん中が消失し、尾ビレも今落ちた。
だが、まだ活きている。
「随分、壊れにくい作りをしている」
俺の頭上には、未だ浮遊を続ける鯨の前半分があった。
考えてみれば、こいつはトムさんやマリオ先生にあれだけ破壊されながらも浮上を続けていた。
壊されても機能を維持しやすい作りになっていたのかもしれない。
だが、それも……もう限界だろう。
鯨は前半分だけしかないし、失われた部分の断面から見える内部には無事な部品などほとんどない。
そして、先刻まで行っていた修復がもう出来なくなっている。
既に、死に体だ。
『レーザーも撃ってこぬな』
《シャイニング・ディスペアー》を撃つ直前のように、俺に向けてレーザーを撃とうとする素振りもない。
レーザーに関係した機関が失われたか、あるいはもう照射するエネルギーがないのか。
いずれにしろ、鯨の前半分はただ浮いているだけの物体だった。
『追撃を行うか?』
その方が良いかもしれない。
だが、《シャイニング・ディスペアー》のチャージは0、ネメシスの蓄積も同様だ。
加えて、【瘴焔手甲】も使用不可の現状では使用できる武器はそれこそただ斬りつける以外にない。
尾のようにここで落下してくれれば問題ないが……。
「そうもいかないか……」
鯨は、ゆっくりと動き始めた。
何を目指しているかは分からないが、その進路は先刻と変わらず南。
だが、大きな違いとして地上を進む兜蟹は既に失われ、鯨も距離を広げる結界をもう使えない。
だからカルチェラタンが爆撃されることは、……ッ!!
「おい……!」
『高度が、下がっておるぞ!?』
ゆっくりと南に移動しながら、鯨は少しずつその高度を下げていく。
それはまるで飛行機が着陸するような――カルチェラタンの中心への墜落コースだ。
結界の運動エネルギー爆撃は既にないとしても、鯨ほどの巨体が街の中心に墜落すればその被害は……考えるまでもない。
「クッ!!」
咄嗟にシルバーを動かし、鯨の前方へと移動する。
残存した【紫怨走甲】のMPで《風蹄》の圧縮空気バリアを可能な限り展開するが――鯨の巨体を押し留められずに破裂していく。
『ならばここで叩き落して……!』
「駄目だ! もう地上に人がいる区域になっている!」
こちらにこいつを破壊できるほどの火力は既になく、落とせても大量に死傷者が出る!
だったら……!
『レイッ!』
俺はシルバーで鯨の下方に取り付き、その体を下から押し上げようとする。
途端に、凄まじい負荷が俺の背とシルバーに掛かる。
このまま、少しでも高度を維持して墜落をカルチェラタンの郊外にまで……!
『無茶だ!!』
それでもただ指をくわえて見ている訳にはいかない。
見れば、残存していたマリオ先生の人形も、街の中心部への鯨の墜落を押し留めようと加わってくれている。
しかしそれでも、墜落はほんの僅かに遅くなるだけだった。
鯨の市街地への接近は止められず、その巨体が地上の家屋と――、
◆◆◆
■【ヴァスター】
自身の重要機関と半身である【アクラ】を失いながら、それでも【ヴァスター】は“化身”の殲滅を諦めてはいなかった。
少しでも自らの役割を果たすべく、南進を再開する。
しかしすぐに、自らの機関の異常に気づく。
再稼動させた推進機関は破損が激しく、これ以上動かせば自壊すると把握できた。
ゆえに推進機関を停止させ、あとは慣性のままに胴体着陸を行うことにする。
重要機関は失われこそしたが、一度機能を止めて修復を行えばまた再稼動できる。
要であった《相互補完修復機能》がなくとも、他のフラグマン製兵器のような自己メンテナンス機能は搭載されている。《相互補完修復機能》には修復速度・修復性能共に劣るものの、問題はない。修復の余地がない【アクラ】はともかく、一ヶ月も掛ければ【ヴァスター】は完全復活が可能だ。
ゆえに今は自己のダメージを最小限とするための胴体着陸――カルチェラタン市街地への墜落を行う。
先刻までの敵手が【ヴァスター】に接触するがそれに構うこともなく、高度を下げる。
あとは胴体着陸を実行し、機関を停止させながら接近する敵手を迎撃するためのレーザーを最優先で修復すればいい。
そのまま修復完了まで持ちこたえられる確率はあまり高くないが、それでも【ヴァスター】は自身の基本命令である“化身”の殲滅を諦めない。
そうしてプランを立て、【ヴァスター】が胴体着陸に入る直前、
『――光学センサー、新たな動体反応』
着陸地点にある家屋から何かが現れた。
“化身”反応はなく、エネルギーも微弱。
ただ、偶然光学センサーに引っかかっただけの存在。
【ヴァスター】に搭載されたセンサーは、それが……幼い子供であることを確認する。
幼い子供は、不思議そうに空から降下してくる【ヴァスター】を見上げていた。
墜落まであとわずか。
危機的状況が理解できていないのか、その幼い子供は泣いてはいなかった。
ただ、まるで大きなイヌでも見たように、
【ヴァスター】に……手を振った。
『――――』
その姿に、【ヴァスター】の人工知能は……何かを重ねた。
『――残存推進機関、全力稼動』
【ヴァスター】は、一度は停止させたはずの機関を再稼動させる。
『――高度、上昇』
墜落寸前であった【ヴァスター】は艦首を上げ、その高度を急激に回復する。
だが、壊れかけの推進機関を無理やりに動かしたことで、推進機関の破損が加速する。
『――機関部、負荷による自壊を確認』
崩壊は推進機関に留まらない。
回路を走るエネルギーは【ヴァスター】自身の内部を焼き、各所で小規模の爆発とショートが発生する。
『――エネルギー逆流発生、爆発危機』
このままでは、自らの内側から【ヴァスター】は爆散するだろう。
そうなればメンテナンスの余地などなく、【ヴァスター】は完全に破壊される。
『――全力稼動、続行』
それでも……【ヴァスター】は機関を止めなかった。
『――機関総合損耗率、八七%』
崩壊は加速度的に進み、【ヴァスター】の巨体は火を噴きはじめる。
『――自壊の回避、不可能』
既に機関を止めても手遅れで、どうあっても【ヴァスター】は壊れる。
『――市街地より移動、自壊時の被害縮小』
その状況でも【ヴァスター】は機関を止めず、移動と高度の上昇を続けた。
まるで、……それこそが己の役割であるように。
『――基本命令、確認』
限界を迎える間際に、【ヴァスター】の人工知能も今の己の行動を疑問に思った。
だから己の基本命令を……“生まれた理由”を再確認する。
『――“化身”の殲滅』
それこそは対“化身”用決戦兵器の役割。
“化身”の殲滅こそが【アクラ・ヴァスター】の生まれた理由。
だが、なぜ“化身”を滅ぼさなければならないか。
その理由は、
『――人々を、守――』
◇◇◇
□【煌騎兵】レイ・スターリング
唐突に、俺の背に掛かっていた負荷が軽くなった。
見ればカルチェラタンの街へ墜落しかけていた機体が、再度浮上している。
まるで最後の余力の全てを振り絞るように、鯨の鳴き声のような機関音を響かせながら移動する。
やがて鯨はカルチェラタンの上空を離れて【魔将軍】の悪魔が飛来してきた山の上空に達し、
……そこで大きな爆発を起こした。
それは鯨の巨体を粉々にするほどの爆発で、爆煙の後には小さな欠片のような残骸と、白とも銀ともつかない遺灰のような粉だけが降り注いでいる。
少し後、俺達のいる場所まで微かな衝撃波と爆発音が届いた。
それで、終わりだった。
二千年の昔から<遺跡>で眠り続けた超兵器は……今度は永遠の眠りについた。
もはや何も語らない。
なぜ暴走したのか、どうして墜落寸前に高度を上げたのかは、もう誰にも分からない。
けれど……。
『レイ』
「……何だ、ネメシス」
『なぜ、泣いておる?』
ネメシスに問われて、俺は頬に涙が伝っていることに気づいた。
「…………何でだろうな」
あれが何を思ったのかはもう誰にも分からない。
けれど、あれが最期に何かを守ったことだけは……理解できた。
To be continued
(=ↀωↀ=)<五章本編終了
(=ↀωↀ=)<エピローグ数本は最長一週間ほどお待ちくださいー




