第二十九話 【風信子之統率者】
□■<遺跡>・煌玉兵プラント
【風信子之統率者】は二千年以上、ひたすらに己の職務を果たし続けた。
煌玉兵の指揮官機、そしてプラントの管理者としてフラグマンに作成されてから、彼(生体パーツを含まない機械なので性別はないが、便宜上「彼」と呼称する)は<遺跡>から出たことがない。
彼に初期設定された任務は施設の監督と防衛だった。だが、侵入者など二千年の間に一度も現れなかったため、彼の作業は監督だけだった。
地上にエネルギーが漏れない程度に稼動する煌玉兵のプラントを監督しながら、もう一つの生産兵器である【アクラ・ヴァスター】の遅々として進まない開発進捗を看視するだけの二千年。
それは人間であれば……いや、生物であれば気が狂う年月であっただろう。
しかし、純粋な機械である彼の思考は歪むことなく、狂うことさえなく、ただ己に課せられた任務を続けていた。
傍から見れば哀れに過ぎる彼の在り方だが、しかし彼自身はその監督作業を苦には思わない。
そして、彼自身はこの任務が未来永劫続くとは思っていなかった。
機械である彼に、「未来を夢見る」などという感傷はない。
ただ最初から定められた予定として……いずれ「敵と戦う」ことを想定していた。
煌玉兵を指揮し、“獣の化身”なる敵と戦い、人類と世界を守る。
彼が作られたその瞬間から定められた最終目標であり、彼はそのために二千年以上を待ち続けた。
変わらなかった二千年に変化が生じたのは、つい先日のことだ。
突如として地面が揺れた。
それは局所的なものであり、<遺跡>の山の麓にあるカルチェラタンの町や山中で人が住まう場所にはほとんど被害を及ぼさなかった。
しかし、狙ったように、地盤が崩れて<遺跡>の通路が地上へと晒された。
その現象に何者かの作意を感じることが出来る程度には、【風信子之統率者】の人工知能は機能した。
しかし、その追求よりも彼には優先すべき事柄、施設の隠蔽という作業があった。
入り口を埋め直して隠蔽しなければならないが、他の煌玉兵は動力源が無くては<遺跡>の外には出られないため、煌玉人と同じ動力炉を積んだ彼自身が動くほかなかった。
そうして、彼は初めて<遺跡>から外に出た。
機械の知性には何の感慨もない。
だが、気づくこともある。
地上には、彼が知っている風景――彼にインプットされたデータにあるものは何もなかった。
木々の植生、地形、モンスターも彼の知る分布と異なる。
そしてリストにある人種は……“人間”は一人もいない。
【風信子之統率者】は煌玉兵の指揮官機。
特別製ではあっても、その人工知性はオリジナルである煌玉人には及ばず、柔軟性に欠ける。
それゆえ彼には、今の時代のティアンは「人間と似て非なる生物」としか判断できなかった。
加えて、彼にとって危機感を覚える情報もあった。
先々期文明の大敵である“化身”に類似した反応が、そこかしこにあったからだ。
エネルギーは微弱だが多種多様、それでいて根本が“化身”と同じ……そんな反応が。
結果として、彼は施設の隠蔽ではなく外界の調査を優先した。
生物を捕獲し、煌玉兵の動力源にしてストックを次々に稼動させた。
新たな煌玉兵稼動のための動力源確保と、外界の環境調査のために煌玉兵を放出した。
この地に何かが起きている。その変化の理由を知って施設を守るために。
しかし彼が煌玉兵を放つと同時に、外界から施設へと“化身”と類似した反応が大量に侵入した。
防衛用のセントリーガンや煌玉兵で迎撃するが、侵入者達は施設への攻撃と収奪を強めていく。
そうしている内に施設の半分が制圧される。
それは煌玉兵のプラントではなく、予備資材の倉庫と、かつて人間の技術者達がいたときに使っていて既に放棄された居住区画だった。
占領されたエリアは最重要ではない。しかしそれでも、施設の監督と防衛を任とする【風信子之統率者】にとって由々しき事態ではあった。
全煌玉兵を防衛戦装備で稼動させる絶対防衛態勢の発令も検討したが、最終目的である“獣の化身”殲滅に戦力を温存するため、それを実行することは出来なかった。
だが、今朝になり、彼が発令止むなしと判断する事態が起きた。
きっかけは二つ。
一つは、侵入者が居住区画でなく、最重要エリアであるプラントへと突き進みはじめたこと。
もう一つは、調査のために出した煌玉兵が周辺地域に設置していたセンサーに、これまでと比較にならないほど強く“化身”に似たエネルギー反応を示す個体が現れたこと。
それは人間に酷似した生命体だったが、内包するエネルギー量が明らかに違った。
そして、“悪魔を従えたその個体”は、明らかな侵略意図を持っていた。
【風信子之統率者】は判断する。
今このときこそが、二千年の時を経た“化身”との戦いなのだ、と。
事此処に至り、【風信子之統率者】は絶対防衛体制の発令を決定。
自身も二千年の待機で初めて使用する戦闘用装備で、プラントに迫る侵入者の迎撃へと動き出した。
◇◆
この<遺跡>の最重要ブロックである【アクラ・ヴァスター】の格納庫に繋がる一つ手前の空間、煌玉兵のプラントに【風信子之統率者】は陣取っていた。
その機体は通常の煌玉兵より二回りは大きく、機体色も多彩だ。名の由来であるジルコンが多様な色を持つ宝石であるのに合わせてか、赤や金、白といった色彩で塗られている。
その鮮やかな機体色は、開発者であるフラグマンの意思だ。
開発当時、煌玉兵の統率者としてオリジナルの煌玉人を新たに作る時間がなく、試作型の大型煌玉兵にオリジナルの動力コアをはじめとした従来機能を詰め込むに留まった。
既にあったものを組み合わせただけの間に合わせの機体だが、この機体色だけはフラグマンが彼のために遺した。
いずれ煌玉兵を指揮して希望となる彼のために描いた、旗頭の色である。
『――検知』
【風信子之統率者】は頭部カメラをプラントへの入り口に向ける。
彼は<遺跡>内の情報を完全に把握している。
ゆえに、このプラントに繋がる扉の前に一体の侵入者がいること。
その侵入者と全く同じ反応が七体、他の侵入者と交戦していることも当然把握していた。
『――迎撃用意』
彼の指示に従い、このプラント内に残っていた合計九六八体の煌玉兵が、その全ての砲門を入り口へと向ける。
未だ体が完成しておらず、基礎フレームに武装を施された間に合わせの機体も合わせればその数はさらに倍以上となるだろう。
如何なるものが来ようと、扉を開けて姿を見せた直後に塵へと変わる。
そうして、侵入者によって死地への扉が開かれ、
「――『我らの時代は、再び輝ける夜明けを迎える』。攻撃中止」
侵入者は先々期文明の言語でそんな言葉を述べた。
『――攻撃中止』
『――攻撃中止』
『――攻撃中止』
侵入者が唱えた最上級制御コードによって、煌玉兵は攻撃動作を停止した。
【風信子之砲火】も、【風信子之閃光】も、未完成の機体も、全て停止している。
「ああ、二千年前から弄られていない<遺跡>だから効くとは思っていたけど、効果覿面だねー」
侵入者――【猫神】トム・キャットは自身に向けられたまま止まった幾千の砲門を前に、そう呟いた。
彼が述べたコードは先々期文明が健在であった二千年前に、ごく一握りの研究者やツヴァイアー皇国上層部にのみ伝えられた緊急用のもの。
尋常な<マスター>では知る術がなく、皇国最高峰の考古学者であるマリオ――ギフテッド・バルバロス元帥でも知りえない情報だった。
彼が言うように煌玉兵への効果は覿面だった。
道中でも……それこそ他の<マスター>と共に<遺跡>に突入した段階で使っていれば、より簡単に全員でここまでたどり着けただろう。
だが、彼はそれをしなかった。
まるで、「こんなことを知っている」と知られるのを避けるように。
「まぁ、やっぱり効かない個体もいたけど。……指揮官機かな?」
そう言ってトムは肩をすくめ――超音速機動で飛び退いた。
――直後にトムの立っていた位置を、【風信子之統率者】の腕から伸びた巨大なブレードが断ち割った。
『戦闘継続』
【風信子之統率者】に、トムの唱えたコードは効かない。
それは彼も最上級制御コードを有している機体だからだ。
そのため、トムのコードを聞いてもその動きは停止しない。
しかし、【風信子之統率者】の最上級制御コードとトムのコードが矛盾しているため、結果としてこの空間の【風信子之統率者】以外の煌玉兵は停止状態にあった。
一方で、トムも八人中の七人を人形の足止めに用いている。
ゆえに今、この戦場は【風信子之統率者】と【猫神】トム・キャットの一対一の戦場である。
超音速機動でプラント内の床や壁を駆け回るトムに対し、【風信子之統率者】はバックパックに二基設置されたガトリング砲座を照準し、撃ち放つ。
間断なく放たれる弾丸がトムの後を追うが、超音速で動くトムにガトリング砲座の旋回は遅れを取り、弾丸を命中させることは叶わない。
ならばとばかりに右腕――その前腕に仕込まれたレーザー砲でトムを狙う。
しかし、直前でその動きに気づいたトムはその進路を急激に変え、光速のレーザーからその身を逸らす。
同時に、アイテムボックスから取り出していたのか、いつの間にか手にした弓で【風信子之統率者】に向けて矢を放つ。
その直後――【風信子之統率者】も超音速機動を実行する。
巨体を風よりも早く動かし、いとも容易くその矢を回避する。
そうして、トムに僅かに劣る程度のその機動力でトムを追い、最低限の冷却に必要な間隔でレーザーを放ち続ける。
「なるほど。指揮官機だけあってスペックは煌玉人に近いか。改変兵器は積んでないけど、余剰エネルギーの分だけ兵装は潤沢に使用できるわけだね」
何かに得心したように、トムは頷く。
「単体スペックだとかなり不利、かなー……」
冷静に彼我の戦力を分析し、こう言った。
「ねえ、君。僕はさー、用があるのはこの奥にある兵器だけなんだよねー。それをちょっと見せてくれないかなー? 壊す必要がないならこのままここを出るからー。ああ、壊す必要があったら奥の兵器は壊すけど、君達煌玉兵は対象じゃなさそうだから放置するしー……っと」
【風信子之統率者】に対し、トムはそんなことを――受けたクエストの内容とも矛盾することを言い募った。
しかし、【風信子之統率者】はその発言を一顧だにせず、排除すべき侵入者としてトムに攻撃を放ち続けた。
「まぁ、分かってはいたけど無理だよね。君達、先々期文明の兵器はそのあたり本当に頑固、というか健気な機械だから。でも、こっちも後続が来る前に終わらせておきたいからね。破壊させてもらうよ。君を」
『戦闘継続』
そうしてトムは逃げ回るのでなく、真正面から己に勝る【風信子之統率者】に相対することを決めた。
自身の最大の特性である分身もなく、純粋な一人の超級職としての力量のみで。
そうする彼の顔はどこか楽しげである。
彼は邪魔とばかりに己の両目を隠す前髪をかき上げる。
「残機が一つだけって状況は久しぶりだけど……逆に面白くなってきたよ」
そうして晒された両の目は――まるで猫科の肉食動物に酷似していた。
To be continued