第十六話 マリオ
□【煌騎兵】レイ・スターリング
談話室でトムさん達と話してから、また昨日のように宿の周りを散歩していた。
散歩というか、今起きていることやここ数日で得た情報が頭の中でごちゃごちゃとしはじめたので、その気分転換といったところだ。
ちなみに、ネメシスは今が女湯の時間なので温泉に入っている。
鬼の居ぬ間にではないが、ネメシスがいない間に伯爵夫人からいただいたクッキーも俺の分を取り出し、散歩しながら食べている。
優しい味で兄とは別ベクトルに美味い。
「ん?」
散歩しているうちに、マリオ先生の姿を見つけた。
展望用に設置された木造ベンチに座りながら、カルチェラタンの街を見下ろしているようだ。
既に日も落ちて薄暗かったこともあり、その横顔からは何を思っているかは読み取れなかった。
「……おお、レイサン。こんばんはデスネ」
「こんばんは、マリオ先生」
マリオ先生の方も俺に気付いて、挨拶を交わした。
「何やらおいしそうデスネ」
マリオ先生は、俺がパクついていたクッキーを見ながらそう言った。
「食べます?」
「おお、それでは遠慮なく」
俺がクッキー袋を差し出すと、マリオ先生はそう言って一枚だけとって口に運んだ。
「これは、なんだか優しい味デスネ。作ったのは女将さんかシャーリーちゃんデスか?」
「いえ、伯爵夫人のお手製です。さっき<遺跡>の件で立ち寄った時に貰いました」
マリオ先生の質問に俺はそう答えた。
それはただの事実を述べただけだったけれど、
「――――」
なぜか、マリオ先生は言葉を失っていた。
驚いたとも違う、何か俺には分からない感情の動きがそこにあるように感じた。
「…………これが、こういう味、だったか……」
マリオ先生が小声で呟いたその言葉は、俺にはよく聞き取れなかった。
「マリオ先生?」
「……! いや、驚きマシタ。急に伯爵夫人のお手製なんて言われて、ビックリして心臓止まるかと思ったデス」
まぁ、それはビックリするだろう。
マリオ先生の反応は劇的過ぎたような気がするけど……。
「それにしても、今晩はみなさんお忙しいようデスネ。鑑定もあまりなくて、散歩と景色を眺めるくらいしかすることがありませんデシタ」
「<遺跡>に関して動きがありましたからね」
「ええ、聞き及んでいマス。危険な<遺跡>であった、と」
アズライトの言じゃないけど、マリオ先生は本当に耳が早い。
「……っと、そうだ」
俺はアイテムボックスから、マリオ先生に見てもらうつもりで撮ったあの壁画の写真を取り出した。
「<遺跡>を探索していて気になった壁画を見つけたんですけど、文字が読めなくて。マリオ先生ならこの写真の文字を読めますか?」
「ふむ、少々お待ちを」
マリオ先生はアイテムボックスからランタンを取り出し、周囲を照らす。
たしかにこの薄暗がりでは文字の判読は難しい。
「では、拝見しマス。……ふむ」
そうしてマリオ先生は眼鏡を外し、ランタンの揺れる灯りで壁画の文字を読み取っていく。
やっぱり、その目の色はカルチェラタン伯爵夫人に似ていた。
「眼鏡、外されても読めるんですか?」
「ええ。むしろ、注視するときには邪魔になるのデス」
近眼用の眼鏡じゃなかったのかな?
「…………読めマシタ。内容は次のようなものデス」
そう言って、マリオ先生は壁画の文字を音読し始める。
「『“獣の化身”によって四つの歩兵師団が壊滅したことは記憶に新しい。地平線を埋め尽くす“獣の化身”に対し、我々は質・量共に及ばなかった。これは我々の敗北であるのか。否、我々はまだ終わってはいない。希望はある。本施設において煌玉兵の量産、……を完遂し、いつの日にか必ず幾千幾万の“獣の化身”を駆逐せん。その誓いを胸に、あえて敗北をここに刻む』」
写真の文字を目で追いながら、マリオ先生はスラスラとそう言い終えた。
普段のイントネーションはどこにもない発音だった。
「この壁画にはこう書かれていマス。この壁画は一種のモニュメントデスネ」
「あえて敗北をここに刻む、ですか」
日本でも有名な三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗した徳川家康が、負けた後の自分の姿を戒めとして絵に残した例もあるし、そういうこともあるだろう。
けれど……、
「幾千幾万の“獣の化身”?」
「おや、どこか引っかかりマシタか?」
「いえ、以前友人に先々期文明が滅んだ頃の話を聞いたときから随分増えたなぁ、と」
たしかあれはゴゥズメイズ山賊団のアジトに乗り込む前、ユーゴーとの会話の中でのことだ。
「『科学文明により増長して度を弁えなくなった人間に対する神の怒りで、神と十三体の眷属が文明を滅ぼした』、って」
それも、先輩から『先期文明も同時に滅んだ』ということを聞いて、よく分からなくなっているのだけど。
「ああ、それは後世の宗教も絡めた一般的な説デスネ。文明崩壊時の出来事について記した後世の書物にはそのように記されているのデス」
「宗教?」
「ええ。ところで、レイサンは王国国教の宗教観についてご存知ですか?」
「『司祭の力で人々を癒す』。ジョブを主体にした教義ですよね?」
「はい。基本的に宗教観として神はかつて信仰されていたが今はいないものとして扱われている、いたとしても天罰神しかいないものになっていマス。あとは……ジョブの【神】シリーズのことデスネ」
『いないものとして扱われている』と【神】シリーズは分かる。
でも……。
「天罰神?」
「はい。先ほどレイサンがおっしゃったように、かつて先々期文明が滅んだことを神の天罰と捉え、戒めの話として語られているのデス」
「…………」
たしか、再び神の怒りが降りかからないように、ドライフとグランバロア以外は意識的に機械文明を封じているのだったか。王国は窮状打開のために手を出そうとしているところだけれど。
……しかし天罰神、ね。
ネメシスもモチーフはそうだったっけな。
「けれど、それはあくまで宗教として捉えた話で事実は違いマス。正に崩壊当時に書かれた歴史的資料では他の側面が見えてくるのデス。先々期文明と先期文明が同時に滅んだというお話を聞いたことは?」
「あります」
「当時の資料によれば、我々が先々期文明、先期文明と呼んでいるのはそれぞれ別の大陸で発展した文明だったらしいのデス」
別の、大陸?
「他にも大陸があるんですか?」
「あった、と言うべきデス。何らかの事情で大陸が沈み、そこから脱出した一隻の空飛ぶ船……それこそが先期文明と呼ばれているものデス。歴史書では度々“異大陸船”という言葉が出てきマスから」
「“異大陸船”……」
大陸が一つなくなって、残ったのが船一隻だけ、か。
「彼らはこの大陸に辿りつきマシタ。しかし、この大陸に繁栄していた文明は彼らを受け入れませんデシタ。それどころか、異なる技術の塊である船を奪うべく、攻撃を行ったそうデス。そこから、船一隻と大陸全土の戦争が起こりました。かつてこの地にあったというツヴァイアー皇国のような、当初の攻撃に無関係だった国家は巻き込まれていい迷惑だったデショウね」
海を渡って巡り合った異なる文明同士の不幸な接触。
それは地球の歴史でも幾度となく起こったことだ。
「先々期文明の攻撃に対して、先期文明の船も反撃に出ます。彼らは数こそ少なかったのですが、“化身”と呼ばれる極めて強大な戦力を持っていました」
「それは、どれくらいの?」
「資料に書かれていることが事実ならば……推定であの【グローリア】か、それを上回る戦力です」
<SUBM>の一体、【三極竜 グローリア】。
かつて、兄とフィガロさん、女化生先輩と<月世の会>が倒した王国史上最強のモンスター。
俺はそれを聞いた話でしか知らないが、あの面子が揃って戦って、最後に立っていたのが兄一人しかいなかった時点で、その恐ろしさは理解できる。
「“化身”は<UBM>、あるいは<エンブリオ>のように、各々が異なる力を振るうモノだと伝えられていマス」
曰く、幾千幾万の武器を虚空から取り出して天を覆うモノ。
曰く、幾千幾万の獣に増殖して地を埋め尽くすモノ。
曰く、空間そのものを歪め海をも呑み込むモノ。
曰く、全く未知の力を行使する球体の如きモノ。
先期文明は、数多の規格外の力を一隻の船の中に抱え込んでいたそうだ。
石碑に書かれた幾千幾万の“獣の化身”もその一つ。
その力の……“化身”の数は十三。
後世の資料で神と扱われている“異大陸船”そのものを含めても十四。
十四の力で、彼らは大陸全土を圧倒した。
「その戦いで先々期文明は完膚なきまでに崩壊しマス。そして、先々期文明が崩壊したために詳細には残っていマセンが、何事かが起きて先期文明も消失しマシタ。こうして、二つの文明は不幸な接触の後にどちらも滅んだのデス」
そこで、マリオ先生の話は終わった。
俺はその話に多くのことを考え、また疑問を覚える。
「でも、先期文明がそんなに凄い力を持っていたのなら、もっと前に先々期文明と接触していたんじゃ……」
“異大陸船”と“化身”にそれほどの力があるなら大陸を渡るくらい、何でもなかったはずだ。
「そうデスネ。それは学者の間でも議論の種デス。しかし、船が一隻しかなかったことから、何らかの止むに止まれぬ事情があったのではないかと言われていマス。それは宗教的なものかもしれませんし、地政学的なものかもしれません。どちらにせよ、先期文明の<遺跡>でも見つからない事には答えは出マセン。見つかるのは先々期文明の<遺跡>ばかりなのデスけどね」
「先々期文明に対し、先期文明は元々が船一隻分しかありマセンから」ともマリオ先生は言った。
「先期文明発祥の地である沈んだ大陸についても、グランバロアが海底探査で探しているとのことデス」
「見つかるんでしょうか?」
「さて? けれどどこかに大陸の痕跡はあるはずデス。そうでなければ『他に大陸もなかったのにどこから来たんだ』、という話になりマスから」
たしかに。それもそうだ。
でも、先期文明は空飛ぶ船でやってきたと言っていた。
それならもしかしたら宇宙からやってきたのかも……ないか。
流石にそれは不可能だろう。
『――ここをただのゲームだと思っている奴は阿呆か説明を真に受ける子供ね』
『これが“何”かなんて私も知らない。私の予想は国家……いや、世界規模の仮想世界構築計画の人体実験フェーズじゃないかと考えているけれど』
かつて、あのパンデモニウムの上でフランクリンが放った言葉が思い出される。
奴の言うようなものだとしても、宇宙の果てまで作り上げられるわけはないし、作る意味もない。
……そういえば。
あいつはあのとき、他にも何か……。
「私からも一つ聞いてよいデスか?」
と、マリオ先生の言葉が俺の思索を断ち切った。
「はい、何についてでしょう?」
「この石碑にある煌玉兵というものに心当たりはありませんか?」
「恐らく該当するモノは知っています、<遺跡>の中と周辺地域では独りでに動く機械鎧は見ました。モンスターやティアンを格納して、燃料にして稼働する仕組みで」
「ふむ、……生物を疑似的なMPタンクとする自動兵器といったところか……デスカ」
「?」
今、なんだか雰囲気が……。
「仕様自体は、まるでドライフの<マジンギア>デスネ。まぁ、あれらに自動操縦システムはありマセンが」
「そうですね。ただ、あのシステムは危険なので、稼動しているモノは壊し、早ければ明日にでも<遺跡>の工場の生産機能を停止させます」
「ええ、ギルドのあたりの噂で聞いていマス。残念この上なし。けど、収穫はあったので十分デスネ」
マリオ先生はそう言ってニッコリと笑う。
まだ眼鏡を外したままだったので、ランタンの灯りに照らされて、疲れたような目と青い瞳が正面からよく見えた。
……注視すると、僅かに左右の色合いが違う。
ただ、どちらも青色だ。
「どうかしマシタか?」
「マリオ先生って、王国の貴族の血を引いた方ですか?」
「…………なぜそう思うのデス?」
「今日お会いしたカルチェラタン伯爵夫人は、目の色がマリオ先生によく似ていらっしゃったんです。その目の色はカルチェラタン伯爵家に由来するものだとも聞きました」
加えて、伯爵夫人は右が青で左が緑のオッドアイ。
カルチェラタン伯爵家の血を継いでいるというアズライトの瞳も、伯爵夫人の右目の色によく似ている。
それは、マリオ先生の目も同じだ。
「なるほど。……ええ、たしかに。私には王国貴族の血も流れていマスから。その中にカルチェラタン伯爵家の血も入っていたそうデス。と言っても、私の代はもう王国貴族ではありマセンが」
「先祖が王国貴族だったけど、今は分家してそうじゃなくなった、ってことですか?」
「概ねはそうデス」
じゃあ、昼間に伯爵邸の傍にいたのはご先祖様の家を見に来ていたのだろうか。
あのときの「きっともう関係ないのでしょう」という言葉とも繋がる。
……どこかにしこりのような違和感を覚えるけれど。
さっきのクッキーへの反応も、少し気になる。
「それに私はきっと貴族をやっているよりも、仕事に励んでいたほうが落ち着きマス。こうしてフィールドワークに勤しむと、デスクワークの疲れが取れていきマス」
「デスクワーク?」
「はい。文机の前で予算案や申請書との睨み合いデス。私はそういう仕事よりも、一個人として動き回った方が向いているのに、偉くなるのは苦労が多いデス」
「そういうものなんですか」
「そういうものデス」
この口振りからするとマリオ先生は……もしかするとどこかの学術機関の教授、あるいは学長なのかもしれない。
そういえば、どこの人かは聞いていなかった。
「…………」
でも、概ね予想は出来ている。
だから直接問いかけてみることにした。
「マリオ先生って、ドライフの人ですよね?」
To be continued