第十話 カルチェラタン伯爵夫人
□カルチェラタン伯爵邸・書斎
カルチェラタン伯爵邸の奥、伯爵夫人の書斎ではアズライトと伯爵夫人が話し合っていた。
「それでは、これからあの<遺跡>の探索に向かわれるのですね」
「ええ。なるべく早いうちに、あの<遺跡>が何のための施設かを調べておきたいもの」
伯爵夫人から差し出された資料。三日前に<遺跡>が見つかってからこれまでに得られた情報について目を通しながら、アズライトはそう言った。
「転職用のクリスタルがある広間の先は、あまり探索が進んでいないのね」
「はい。そこから先にはモンスターが多いらしいのです。何でも機械仕掛けのモンスターとか」
「<遺跡>に配備されることが多い【ゴーレム】の類かしら。名前は?」
通常、モンスターの頭上には名前が表示される。
それがこの世界の仕組みであり、だからこそアズライトも尋ねたのだが……。
「それが、名前がバラバラだそうで……」
「?」
アズライトが疑問に思いながら資料を捲ると、たしかに【リトル・ゴブリン】や【ティールウルフ】という名前の機械が出現したという情報が書いてあった。
また、倒した際、消えずに残った、とも。
「どういうことかしらね……。あるいは、<遺跡>の成り立ちと何か関係があるのかもしれない。それも含めて調査してみるわ」
「ええ、……ありがとうございます」
「礼を言う必要も、頭を下げる必要もないわ。私は、私が成すべき事をするだけ。皇国との戦争が再開する恐れの強い現状……、王国の窮状を救うための手立てを<遺跡>に求めているのは私だもの」
そう言うアズライトの、仮面の奥の瞳にはいっそ悲壮とも言える決意が垣間見えた。
「それならば、やはり<マスター>の方々に……」
「私は彼らを戦争に使うつもりはないわ、伯爵夫人」
「ですがお連れの方は」
「彼はッ! ……彼は、あくまでも調査に協力してもらっているだけよ。戦争は……別の話だわ」
一瞬だけ声を荒らげかけ、すぐに平静を取り繕ったアズライトは、どこか誤魔化すように資料へと視線を移しながらそう言った。
「そうですか」
そんなアズライトを、伯爵夫人はどこか優しげな目で見ていた。
「けれど、あの方のことは信頼していらっしゃるのですね」
「ち、違うわ! 信頼なんかじゃない!」
アズライトは仮面の下から僅かに見える頬を染めて、伯爵夫人の言葉を否定する。
それから、彼女自身も知らず知らずのうちに小声になりながら、こう言った。
「ただ……彼には、大きな借りがあるの。だから、彼の協力の提案を受け入れた。…………それだけよ」
赤面しながらそう言うアズライトを、伯爵夫人は微笑みながら見ていたのだった。
◇◇◇
□【聖騎士】レイ・スターリング
ベルドルベル氏の演奏は続き、子供達を大いに喜ばせている。
それにしても、本当に子供が多い。
使用人の人によれば「今日は月に一度のお茶会の日で、街に二つある孤児院の子供を招いています」とのこと。
見れば子供の数は五十人を超えている。
「孤児が多いんですか?」
「ええ……特に先の戦争で父親を亡くし、母親も何らかの理由で喪った境遇の子が多いのです」
……なるほど、ここでも戦争か。
昨日話したレフティやシャーリーの父である宿屋の主人も、戦争には民兵として参加していたそうだからな。騎士以外にも被害は大きいらしい。
「っと、屋内もあるのか」
お茶会の会場は庭園だけでなく、庭園と扉一枚でつながった広間もそうであるらしい。
室内にはテーブルや椅子、ソファが用意されており、日に当たって疲れたらしい子供達が中で涼んでいる。
俺は広間の内装が少し気になって中に入った。
室内にも高級そうな陶器の花瓶に花が活けられており、室内は落ち着きつつ華やかなものになっている。
広間の壁には何枚もの肖像画が並んでいる。
恐らくは歴代の当主を年代順に並べたものと思われるが、肖像画特有の迫力と威圧感があり、子供の中には恐々とした目で見ている子もいた。
「?」
並んだ肖像画の一番端、恐らくは最新のものと思われる肖像画は他のものと趣が違った。
当主一人ではなく、三人の人物が描かれている。
二十代から三十代と思われる青年男性とそれより少し若そうな女性、それから女性の抱きかかえた赤ん坊だ。
女性の顔を良く見ると、若くはあるが伯爵夫人の顔だった。
「この肖像画は?」
「三十年ほど前、ツェルミーナ様のお若いころの肖像画です。……一緒に描かれているのは、旦那様と若様です」
広間の使用人の人に尋ねるとそのような答えが返ってきた。
ツェルミーナ、というのは伯爵夫人の名前だろう。
ただ、その返答の声には、何か重いものが引っかかっているように感じた。
「何かあったのですか?」
「……この肖像画を描かれた直後、旦那様と若様はお亡くなりになられました」
「それは……」
「すみません。お二人の死についてこれ以上のことは……」
「いえ、こちらも無遠慮に聞いてすみませんでした」
どうやらカルチェラタン伯爵夫人は夫と子供の死後、一人でこの伯爵領を切り盛りしてきた人物であるらしい。
「孤児の世話を焼いているのも、そういった事情からかのぅ」
「かもしれないな……」
あるいは、三十年以上も庭園や街のガーデニングを行っているのも、そこに何かの理由があるのかもしれない。
それから何十分か経って、広間にアズライトと伯爵夫人が姿を現した。
伯爵夫人に気づいた子供達が駆け寄り、口々に御礼を言い、笑顔で話しかけている。
余程愛されているのだろうと、傍目にも分かった。
◇
その後、「アズライトの協力者」であるという理由で、俺やネメシスも交えて伯爵夫人とのお茶会が開かれた。
場所は庭園の様子を一望できる二階のバルコニーで、そこもやはり草花で飾られていた。
庭園からはベルドルベル氏の演奏の音が聞こえてくる。
曲を終えるたびに子供達のリクエストを受け、実に楽しそうに演奏しているのがよく分かる。
ただ、段々と演奏曲にアニメソングや、有名な映画のBGMが混じり始めているのが何とも言えないところだった。
伯爵夫人も交えたお茶会は、アズライトに協力することへの御礼を言われることに始まり、<遺跡>の探索者から上がってきている内部構造の情報を教えてもらうことが主だった。
ただ、そうした話も一段落し、世間話をし始めたあたりでネメシスが質問した。
「なぜ、孤児院の子らを庭園の茶会に招くのだ?」
広間で抱いた疑問の答えが知りたかったのだろうその質問に、伯爵夫人は嫌な顔一つせずに答えてくれた。
「子供を招くのは、私自身の寂しさを紛らわせるためなんですよ。私にもエミリオという息子がいました。ですが、私が臥せっている間に、夫と共に向かった外遊先でモンスターに襲われて……」
「…………」
「エミリオはあの子達のように走り回れるようになる前にいなくなってしまいましたから……元気な子供の姿を見るだけで、私の心は癒されます」
伯爵夫人は優しげな目で庭の子供達を見ていた。
「それに、この庭園も同じです。私の夫は王国の外交官を勤める傍ら、趣味でよく園芸をしていましたから。草花に囲まれていると、あの人を思い出すことが出来るのです。庭園の真ん中にある大木は、あの人が存命の頃に植え替えたものですし、ね」
子供達を招くのも、庭園を手入れするのも、全ては家族を亡くした寂しさを紛らわせるためだと伯爵夫人は言った。
それは悲しくはあるけれど、しようのないことでもあると思う。
ただ、庭園の子供達を見る伯爵夫人の目を見ていて、あることに気づいた。
「……オッドアイ?」
左右の目の色合いが、僅かに違う。
伯爵夫人の目は右目が青色で、左目が緑のオッドアイだった。
俺の呟きに気づいたのか、伯爵夫人はかすかに笑ってこう言った。
「この目はカルチェラタン伯爵家にはよく見られるものです。私の息子もそうでしたわ」
「そうなんですか」
「ええ。……実は、旅人の方を茶会に招くのも、それが理由なんです」
「オッドアイが、招く理由?」
どういう意味だろうか。
「夫とエミリオがモンスターに襲われて……、夫の遺体は戻ってもエミリオの遺体は見つかりませんでした。赤子でしたから、残らなかったのかもしれません。けれど、もしかしたら誰かに助けられて、どこかで生きているかもしれない……。そんな思いが今もあるのです」
「…………」
「だから、旅人の方に「私のような目をした青年をどこかで見ませんでしたか」と訊いているのです。……もう、三十年も前のことで、半ば諦めてはいるのですけどね」
伯爵夫人はそう言って、疲れたように笑った。
そんな伯爵夫人に対し、
「……可能性は低いかもしれませんけど、ゼロでないのなら続けるべきだと思います」
俺は、思ったままにそう言った。
「納得しきれないまま、諦めてしまえば、……それはもっと後にまで続く悔いになってしまうと、俺は思います」
それは、自分がどう思うかを述べただけの言葉。
今日会ったばかりの俺が言っていい言葉ではなかったかもしれない。
けれど、差し出口と思われても構わない。
もしも諦めてしまえば、それが伯爵夫人の後悔になると思ったのは……本心だったから。
「……そうね。ええ、その通りだわ。母親の私が、あの子が生きていることを諦めるわけにはいかないものね」
ただ、そんな俺の言葉を、伯爵夫人は肯定してくれたようだった。
「ありがとう、スターリングさん。本当に、噂どおりの方ですね」
「いえ……」
そう答えると共に「噂って……どんな噂だろう」と若干気になってしまった。
女化生先輩みたいな悪評じゃなければいいけれど。
「そうだわ、スターリングさん。あなたも、どこかでこんな目の人を見なかったかしら。今は三十過ぎだと思うのだけど……」
「そうですね、見ていたら良かったのですけど、ティアンでオッドアイの人に会ったのは伯爵夫人が初めてで……」
<マスター>ならそれなりにいるんだよな、オッドアイ。
ジュリエットみたいに、メイキング時に張り切ってオッドアイにしてしまう人がいるから。
だけどティアンで伯爵夫人のような目を見たことは、……あれ?
「そういえば、右目の色が似てるな」
「私の目のことなら当然ね。私の母方にカルチェラタン伯爵家の血が入っているから」
俺の呟きにアズライトがそう答えた。
「ああ、なるほど」
たしかにアズライトの目も伯爵夫人とよく似ている。
ただ、あの人の目の色もそっくりだった。
「……でも、違うよな」
あの人は、両目とも青色だったのだし。
◇
それから俺達はお茶会を終えて、<遺跡>に向かうために伯爵邸を出た。
「……ありがとう、レイ」
伯爵邸を出ると、アズライトがそう言ってきた。
「急にどうしたんだ?」
「伯爵夫人のことよ。三十年間捜しても息子が見つからなくて、ああ見えて大分疲れていたようなの。けれど、アナタが本心から背中を押してくれたから、少しは気持ちも上向いたでしょうから」
ああ、そういうことか。
「俺は思ったことを口にしただけだからな、御礼を言われることでもないさ」
「うむ。レイは思ったことをポロリと口にしすぎるからのぅ。昨日の夜も風呂場でのもごもごもご……」
昨日の【気絶】から目覚めた後の話を口走ろうとしたネメシスの口を封じる。
あれは思ったこと言い過ぎて俺も後から恥ずかしくなったから、掘り起こさないで欲しい。
「まぁ、いいさ。何にしても次はいよいよ<遺跡>だろ?」
「ええ。早速向かいましょう、……?」
っと、<遺跡>のある山へと歩き始めてすぐに、アズライトは何かに気づいたように立ち止まる。
俺もつられてアズライトの視線の先を見ると、そこには見知った人物がいた。
「マリオ先生……?」
そこには考古学者のマリオ先生が立っていた。
伯爵邸を囲う柵越しに、庭園を眺めているようだった。
子供が大勢いる庭園を覗く行為は、ともすれば不審者となりかねない。
しかし、庭園を見る彼の様子は……瞳が見えない厚いレンズ越しでも、深い思いを抱いていると察せられた。
まるでそう、何かを思い出そうとしているかのような。
「…………っ、オーゥ、レイ君と、お嬢サンではありマセンカー」
っと、俺に気づき、マリオ先生は話しかけてくる。
「オゥ、そちらの黒くて小さなお嬢サンはどなたデス?」
「ああ、俺の<エンブリオ>のネメシスです」
「うむ。しかし、なんとも胡散臭い喋り方だのぅ、御主」
「よく言われマース! ハッハッハ」
マリオ先生は昨夜と同じ、インチキ外国人みたいなイントネーションの陽気な喋り方だ。
けれど、なぜだろう。
昨日とはどこか違う気がする。
「アナタ、どうして庭園を盗み見ていたの?」
と、どこか棘のある詰問でアズライトが尋ねた。
それに対し、マリオ先生は頭を下げながら謝罪した。
「すみマセーン。見事な庭園だったのでつい心奪われてしまいマシタ。マナー違反、申し訳ないデス……」
「……そう。あまり覗き見し続けると、官憲に捕まるわよ」
「オゥ、それは怖いデス。すぐに立ち去らせてもらいマース」
マリオ先生はそう言って庭園に背を向けて、歩き出す。
アズライトはその背を睨んでいる。
けれど俺は、
「マリオ先生は、伯爵夫人のお知り合いなんですか?」
マリオ先生の背に、そんな言葉を投げかけていた。
ネメシスとアズライトは俺の問いに怪訝な顔をしている。
俺自身だってなぜその言葉を口にしたのか、はっきりとはわからない。
強いて理由を挙げれば、先の伯爵夫人でのお茶会で聞いた話と、昨夜に俺が見たものがその原因か。
俺の質問は、マリオさんにとって意味不明なものかもしれない。
けれど、マリオさんは足を止めて……少しの沈黙の後。
「いいえ。きっと、関係ないのでしょう」
そう言って、去っていった。
去り際に、レンズの内側に少しだけ見えたもの
昨日と同じく疲れ果てた目と……その瞳。
それは、伯爵夫人の右目とよく似た青色だった。
To be continued