第六話 再びの夢
□【聖騎士】レイ・スターリング
「……またこの夢の中か」
ネメシスとアズライトによって【気絶】させられ、俺はこれまでにも度々訪れたあの夢の空間にまたやってきていた。
【気絶】するのにも慣れたもので、空間の装いが違っても同じものだと空気で分かるようになってきた。
今回は『何もない場所に「準備中」の立て札だけ』ということもなく、なぜかリアルの俺の部屋によく似た空間になっている。
恐らくはまた俺の記憶からの再現なのだろう。
「……まぁ、今の問題はこの空間の装いよりむしろ、【気絶】した経緯の方か」
普段使っているのと同じ感触の椅子に座りながら、俺は溜め息をついた。
「浴場のルールは守っていたのだから、この結果は理不尽ではないだろうか?」
露天風呂に入ったらネメシスとアズライトがいて、何か間違えたかと思って脱衣所の張り紙を確認したが……そこには今の時間が混浴であることが書かれていた。
「それなら問題ないな」と思って温泉に入った直後に、あの連撃だ。
解せぬ。
「解さなきゃ駄目だよ、……ね?」
俺の声に応えたのは、ベッドの上にちょこんと正座した小柄な少女である。
「だけど兄貴が言ってたんだぞ? 「うっかり女性の入浴中に足を踏み込んだ時は慌ててはいけない。口ごもったり赤面すれば相手に悲鳴をあげさせてしまう。だから努めて冷静に何でもない事のように、訥々と理知的になぜ自身が入ってきたかを述べるんだ」って」
「それはウソかホントかはわからないけど、……ホントだとしたらあのクマさんもやった、の?」
赤銅色の肌をした少女は、首を傾げながら問いかけてくる。
「「一緒に入っていても何もおかしくないと思わせたら大丈夫」とも言っていた気がする」
「それは明らかにおかしい、よ?」
……たしかにおかしい。
今思うと兄のジョークだったのかもしれん。
ジョークを真に受けて、二人には悪いことをしてしまった。
…………でも混浴時間中に入浴したことはやっぱりルール違反じゃないよな?
「ルール上正しくても、恥ずかしいものは恥ずかしいし、怒るときは怒る。当たり前だ、よ? 女性へのマナーは、大事?」
「たしかにそうだ。……やっぱり、俺も突然の状況に気が動転していたみたいだ」
動転していたことにすら今ようやく気付いた。
性的な興奮はなくても、「家族以外の女性と風呂に入る」という状況そのものに冷静でいられなかったのだろう。
二人には悪いことをした。
「ちゃんと謝らなきゃ、ね?」
「ああ、わかってる。起きたら謝らないとな。……ところで」
「なに?」
俺は振り向いて、赤銅色の肌の――角が生えた少女に問いかける。
「お前は、【ガルドランダ】だよな?」
「そう、だよ?」
【大瘴鬼 ガルドランダ】。
俺が<Infinite Dendrogram>で初めて遭遇した<UBM>。
そして俺の初めての特典武具、【瘴焔手甲 ガルドランダ】となったモノ。
俺は以前にもこの【ガルドランダ】の意思とも呼ぶべき存在とは会っている。
二体目の<UBM>である【ゴゥズメイズ】との戦いで気絶した俺は、俺の記憶を再現した夢の中でこいつに出会った。
そのときは赤と黒で彩られたシルエットであり、話す言葉も明瞭ではなかった。
しかし今は……はっきりと見えているし、言葉も話せるようだ。
「『準備中』って立て札は何度か見たが……もう準備は完了したみたいだな」
「うん。準備万端、かな?」
……何でさっきから後ろに疑問符がついているような発音なのだろう。
「で、まず聞きたいことがあるんだが……結局お前って、何なんだ?」
兄やフィガロさんに聞いたが、倒した<UBM>の意思が【気絶】中に出てきたというケースはないらしい。
神話級や<SUBM>までも倒している二人ですら起きたことがない現象。
そんなことがなぜ、【ガルドランダ】には起きているのか。
「元々のガルドランダの、使われなかった余剰の力と、知性が、今の私になっている、かも?」
「かも?」……ね。
「もっと言えば私は、あなたが倒した【ガルドランダ】のお腹の中にいた、子供?」
「…………あれ、妊婦だったのか」
ティアンの人達の命も掛かった戦いだから倒したことに悔いはないが、少しだけ後味が悪くなった。
「そういう生き物だから、ね? レイが戦ったのは、卵の殻みたいなもの、かも?」
「卵の殻?」
俺が戦ったあの【ガルドランダ】は卵に手足が生えて戦っていたようなもので、実際の【ガルドランダ】はこの目の前の【ガルドランダ】ということか?
「母体と胎児の二重構造、二重デザイン? なんだろう、私には分からない、かも?」
「つまり、どういうことなんだ?」
「そう。わたしは、卵の殻を割って生まれる前に……真の力を発揮する条件が達成されないまま倒されたから……、今になって表出して、る?」
俺はチェシャのヒントがあったから、すぐに腹部のコアに気づいて勝負を決めることができた。
しかしそれが分からなければ、より状況は悪化して本当のコイツが出てきていた、ってことか。
何にしろ、この【ガルドランダ】は戦った時の【ガルドランダ】そのものではないかもしれないが、【ガルドランダ】であることには違いない。
特典武具になった後に<UBM>の意思が現れることもある、ということだ。
ならば、気になることもある。
「……【ゴゥズメイズ】と【モノクローム】にも同じことは起こりえるのか?」
あの人食いの怨霊と、天光の星もこいつと同じようにいずれ俺の前に再び現れるのだろうか。
「【ゴゥズメイズ】は、ない、よ? 何も残ってないし、今のあれはただの器だから、ね? 【モノクローム】は……わからない、よ?」
「なぜ?」
「わたしより、歴史も古いし格も上だから、ね。でも、今は一つのことに力を集中しているから……多分、出ない?」
それは恐らく今もまだ使えていないあのスキルのことだろう。
……何にしろ、あの二体の<UBM>が俺の前に現れることはないようだ。
もしも【ゴゥズメイズ】の意思が迷い出てきたなら、そのときは地獄に送り返す必要があると思っていたから、これでいい。
【ガルドランダ】や【モノクローム】といった人とは違うロジックで動いていた怪物達と違い、人の悪意と妄念のみに彩られたあの怨霊の意思を、俺は許容できない。
だから、【ガルドランダ】の話を聞いて一安心という思いもある。
「それで、俺をここに呼び込んだ本題は何なんだ?」
以前は己を倒した俺について知るためだった。
今回は準備が完了したということだが、それが何かをまだ知らない。
……予想しているものはあるが。
「ちょっと耳貸して、ね?」
「ん? ああ」
なぜ俺とガルドランダしかいない空間で耳打ちする必要があるのかは疑問だが、とりあえず耳をガルドランダに向ける。
ガルドランダは俺の耳にそっと顔を近づけて、
「ガブッ」
思いっきり噛みついた、…………ナァ!?
「ぎゃあああ⁉」
痛みはないけど変な感触が伝わってきた!?
つうか、噛んだ!? 今噛んだのか!?
「何すんだよ!?」
「生前の母体が食べられなかったから、ちょっとだけ、味見?」
「…………」
そういえばこいつ、人食い鬼だった。
あれは母親の方だったらしいのでこいつの罪ではないのだろうが、今まさに新たな罪が刻まれかけたぞ……。
「噛み切れなかったけど、舐めただけでも、おいしかった、よ?」
「うるせえ」
自分の味を褒められても何も嬉しくない。
「じゃあ本題、ね?」
【ガルドランダ】は居住まいを正し、俺の目を見据えて、こう述べた。
「あなたが三体の<UBM>を倒したことで、――【瘴焔手甲 ガルドランダ】の三番目のスキルが解禁された、よ?」
そうして、俺は【ガルドランダ】からそのスキルの説明を聞いた。
◇
【ガルドランダ】との会話を終えて……俺は目を覚ました。
「…………」
アイテムボックスから【瘴焔手甲】を取り出し、装着してみる。
今の夢がただの夢ではない証拠は、【瘴焔手甲】の詳細にも表れていた。
第三のスキルは、ウィンドウの説明文でも解禁されている。
「…………はぁ」
第三のスキルが解放されたと聞かされて、あいつからも詳細な効果と……使用条件について説明を受けた。
実際、メニューで確認してみても同様の内容が書かれている。
はっきり言おう、このスキルはこれまでに俺が見てきた装備スキルの中でも、桁違い。
むしろズルイとさえ言われるレベルの代物だ。
流石にフィガロさんが持つ【グローリアα】の《極竜光牙斬・終極》には劣るだろうが、逆に言えばあれが比較対象に上がるレベルのスキルだ。
だがこのスキルは……。
「……また、当面使えないスキルが増えたか」
ある意味で、チャージに恐ろしく時間を食う《シャイニング・ディスペアー》以上に、【瘴焔手甲 ガルドランダ】の第三スキルは使い辛い。
むしろ、使えるような局面は本来無い方がいい、くらいの条件だ。
スキル性能に見合った、当然の使い辛さ。
だが、もしも使えてしまうような状況に遭ったときは……きっと頼りになるスキルだろう。
「む。目を覚ましたか、レイ」
スキルについて思案していると、ドアを開けてネメシスが入ってくる。
長い黒髪は水気を含んでおり、衣服は別館備え付けの浴衣を身につけている。
その姿に目を奪われて、また少しドキリとした。
「……まだ、温泉入ってたのか?」
「まだ、ではなくまた、だの。御主が【気絶】してから脱衣所に戻し、体を拭いて浴衣を着せ、そこに寝かせるまで一通りこなしたからの。汗をかいてまた温泉に入ったのだ」
言われて自分の体を見下ろせば、全裸で気絶したはずなのに浴衣を着せられている。
「そうか、ごめんな。……それと、ありがとう」
同意なく混浴するというマナー違反をしてしまったことと、そんなことがあった後なのに介抱してくれたことに感謝する。
「まぁ、あのまま放置して風邪でもひかれれば明日以降の活動にも支障が出るからのぅ。それに、御主が近づいてくるのに気付かなかった私にも責はある」
ネメシスは、そこで「ただし」と言葉を区切る。
「私のことは良いが、アズライトにはきちんと謝っておくのだぞ。かなりショックを受けていたようだからの。……見られたことと見たことで」
「ああ、分かった。許してもらえるかは分からないけど、後でちゃんと謝るよ」
「うむ。ところでレイよ、一つ聞きたいのだが」
「何だ?」
ネメシスは部屋に二人だけだというのに、なぜか傍に近寄ってきて耳打ちする。
その行為に先刻の【ガルドランダ】に噛まれたことを思い出し、少しだけ身体が硬直した。
「御主、恐ろしく冷静だったが本当に私達の裸体に何の感慨も浮かばなかったのか?」
……ものすごく答え辛い質問された。
これ、感慨のあるなしのどっち寄りに答えても角が立つよな。
……けど、今回の件はこちらに非があるので、せめて正直に答えよう。
「あのときの行動は冷静に見えただけで、振り返ると俺もかなりパニックになっていたんだったんだと思う。それに……」
「それに……?」
促されて、一度は口ごもった感想を思ったまま言葉にする。
「興奮はしないけど、綺麗だとは思った」
そう言った後、部屋の空気は静まり返った。
「…………」
「…………」
形容しがたい沈黙が、部屋に満ちる。
冷たくなるわけでもなく、生温くなるわけでもない。
例えるのが難しい雰囲気になっている。
俺も言ってから自分が思うままに言った言葉の意味に気づいてしまい、ネメシスの顔を見られない。
「……どっちが?」
「どっちも」
だというのに、また思った言葉をノータイムで答えてしまう。
まずい、この流れは……まずい。
「どっちの方が綺麗だったのだ?」
「…………ここまでにしよう!」
あのときの二人の姿を頭の中で見比べようとしている自分に気付いて、それに関する思考をシャットアウトして記憶を脳内の引き出しに仕舞いこむ。
「ぐぬぅ……」
ネメシスの呻き声に、その顔を見るのが怖い。
馬鹿なことを言いすぎてしまった。
でも、最後に一つだけ言いたいことがあった。
「ただ、綺麗って言うなら……ネメシスは今の浴衣姿も似合ってて凄く綺麗だと思う」
これも本当にそう思った。
長い黒髪と白い肌が、それにネメシスの顔立ちが、浴衣にとても似合っている。
うん、多分、俺が今まで見た中で一番綺麗な浴衣姿だ。
「そ、そうか。……そうか」
何か言葉を返されるかと思ったがそれもなく、……ネメシスは少しだけ呟いて沈黙してしまった。
俺は次に何と言っていいかわからず、ネメシスも俺に話しかけてこない。
そんな俺達の沈黙は、宿屋の従業員が夕食に呼びに来るまで続いたのだった。
To be continued
(=ↀωↀ=)<“みたらし”?
( ̄(エ) ̄)<“みたらし”