第三十一話 静寂
(=ↀωↀ=)<本日、区切りの問題もあって短めですがご了承ください
□トルネ村・風車小屋
リューイがこの風車小屋に逃げ込んで、どれだけの時間が経っただろう。
時計で見れば、まだ長針が一回りもしていない程度かもしれない。
けれど、リューイの体感では、もう何時間もここにいる気がしていた。
石造りの床と壁だけを見て、聞こえてくるのは上空の笑い声だけ。
ただの偶然か、あるいは【モノクローム】による異変が周囲の環境にも何らかの影響を及ぼしているのか、トルネ村に吹き込む風さえも止まっている。
だから、風車小屋の中だと言うのに風車が回る音さえ微塵も聞こえない。
「…………?」
けれど不意に、上空からの笑い声が止んだ。
『KYAHAHA』と笑うあの声が、響かなくなった。
「空の怪物はどうしたのだろう?」とリューイは疑問に思う。
誰かに退治されたのか、それともどこか別の場所に飛んでいってしまったのか。
いずれにしろ、リューイの周りに音を出すものは何もなくなり……無音の静寂の中にリューイは座り込むこととなった。
静寂に、ただ自分の鼓動の音だけが聞こえている。
「……なんだか、あのときみたいだ」
その静寂に、リューイはある日のことを……シジマのいなくなった朝のことを思い出した。
◇
その日、リューイはなぜか夜明け前に目を覚ました。
村の鶏が鳴くよりも早く目を覚ましたのは、リューイにとっても初めてだった。
まだ誰も起きていないだろう夜明け前は、夜行性の鳥も、虫さえも鳴くことなく……まるで世界の全てが眠っているかのような静寂に包まれていた。
子供部屋に二つあるベッドの片方にはリューイが眠り、もう片方にはユノーが眠っていた。ユノーはリューイが起きたことに気づく様子もなく、スヤスヤと眠っている。
子供部屋の窓の外では、家の敷地内でグリンガムがその大きな身体を寝転ばせている。
ただ、その窓の外から見える風景。家の傍の少しだけ盛り上がった丘の上に、リューイがよく知る人物――シジマの姿があった。
シジマは丘の上で独り佇み、夜明け前のトルネ村を眺めているようだった。
「…………」
リューイはなぜか気になり、隣のベッドで眠るユノーや隣室の母を起こさないように静かに歩きながら、家を出た。
リューイが家を出ると、グリンガムが「どうしたの?」とでも言うように目を開けて静かに首を起こす。
リューイは「気にせず眠ってて」とジェスチャーで伝えて、シジマが佇む小高い丘へと歩いていった。
丘を登ったリューイはシジマに声をかける。
「義父さん、どうしたの?」
「……ああ、リューイ。早起きですね。おはようございます」
シジマは少しだけ驚いた顔をしてから、リューイに朝の挨拶をした。リューイもまた「おはよう」と挨拶を返す。
「それで、こんな朝早くからどうしたの?」
「……いえ、村の風景を見ておこうと思いまして」
「?」
「ここに暮らしてもう二年以上になりますが、こうしてゆっくり眺めることもなかったので。この村の心地よい風に吹かれながら、目に焼きつけておこうかと」
シジマはそう言って村を見下ろしているが夜明け前の空はまだ暗く、風景を見てもリューイには細部が見えづらい部分が多々あった。
「見えないよ? 朝になってから見たほうがいいんじゃない?」
「はは、私は夜目が利きますから大丈夫です」
シジマはそう言って、自分の目を指差してみせる。
「騎兵として、夜の森をグリンガムと駆けることもありました。あれはたしか、<ノズ森林>に迷い込んだ<UBM>に挑んだときのことですね」
「そんなこともあったの?」
「ええ。そのときは私だけでなく何人もの<マスター>で戦いましたが、相手もとても強かった。見た目はただのゴブリンだったのに、グリンガムより早くて強い。さらに見失うと狼や蝙蝠など、別の姿で襲ってくる。私達はとても苦戦しましたが、何とか<UBM>を包囲し、最後は月影君……私の知り合いが倒していました」
「へえー!」
シジマの語る思い出話はダイジェストでありながら子供が胸をときめかせるエピソードであり、リューイもとても興味を惹かれた。
「ねえ! 他にもそういうことはあったの!?」
「はは、ありますよ。そうですね、例えばこんな話もあります。ファリカと結婚してからのことですが、久しぶりに仲間に呼ばれると何とあの【三極竜】の討伐に」
「えぇー!」
そうしてシジマとリューイは話し続けた。
シジマが思い出話を語り、リューイが驚き、目を輝かせてそれを聞く。
そんな親子の会話は、太陽が空に昇るまで続けられた。
「……ああ、太陽が昇りましたか」
ちょうど、ある思い出話を語り終えたシジマは、東の空から昇る日を眩しそうに……あるいは惜しむように見ていた。
「義父さん? どうしたの?」
リューイは、そんな父親の様子に何かを思ったのか、そう尋ねた。
シジマはリューイの顔を見て、何かを考え、言葉を紡ごうとする。
「リューイ。私は…………」
シジマは、そこで何かを言おうとして……口を閉じた。
「義父さん?」
「……リューイ。私とユノー、グリンガムは……少しの間だけ遠出をします」
「また<UBM>と戦うの?」
先ほどの思い出話を引きずってか、リューイはそう尋ねた。
シジマはそれに首を振りつつ、
「いいえ。けれど……それ以上の大冒険です」
「そうなんだ! 頑張ってね!」
そのとき、リューイはただ純粋に「凄いな」と思った。
冒険に出ると聞いても、安心していたのだ。
シジマは<マスター>であるから、不死身。
何かあっても、すぐに戻ってきてくれる、と。
実際、シジマの語った思い出話の中で、シジマは何度か死んでいた。
だから、そのときもリューイは心配をしていなかった。
ただ……。
「……ええ、頑張ります」
笑っているのに、どこか弱さを感じさせるシジマの笑顔と、
「…………」
『GLUWOO』
ユノーを乗せたグリンガムが、丘の上に上ってくる姿を見て、なぜか……違和感を覚えた。
何もおかしなところはない。
シジマと、ユノーと、グリンガムの三者は一組でこれまで多くの冒険を乗り越えてきたのだから、また冒険に行くならば、揃って出るのは当たり前だ。
そのときのリューイは、冒険に出る彼らになぜか不安を覚えた。
だから、シジマの服の袖を掴み、顔を見上げながら、こう言った。
「帰ってくるよね!?」
なぜ、そんな風に聞いてしまったのかリューイ自身にも分からない。
ただ、言いようのない不安に駆られて、そう口にしたのだ。
問われたシジマは、少しだけ表情を崩しかけた後……笑顔でリューイの頭を撫でた。
そして、まるで震えた涙声になるのを必死に抑えているような声音で、シジマはこう言った。
「ああ、私達はきっと……この家に帰ってくる。君とファリカのところに……必ず」
そのシジマの声に、強い思いが込められていることは……リューイにも分かった。
「うん……わかった」
だから、リューイはシジマの袖を放した。
代わりに、ある言葉でシジマを送り出す。
「いってらっしゃい、義父さん」
「いってきます」
何でもない、ありふれた言葉。
どこかへ出かける家族に向ける言葉。
それがリューイの思い出に残る、シジマと交わした最後の言葉だった……。
◇
今このとき、静寂に包まれた風車小屋は、まるであの日の夜明け前のようだ。
日の光が差さないままに暗く、何の音も聞こえない。
けれど、リューイは思う。
あの朝はこんなに心細くはなかった、と。
それはきっと、家族と共にあったからなのだろう、と。
リューイがそうして、物思いに耽っていると……。
「誰かー、誰かいないかー、助けにきたぞー」
外から、人の声が聞こえてきた。
「おーい、誰かー、いないのかー、いたら出てきてくれー」
それは、生存者を捜す誰かの声だった。
周囲に呼びかけるように、声を張り上げている。
「もう大丈夫だー、化け物はどっかに飛んでいったー、今のうちに、安全なところに、逃げるんだー」
その声に、リューイは安堵した。
あの笑い声が聞こえなくなったのは、やはり空の上の怪物がいなくなったからだったのだ、と。
「良かった……。そうだ、怪物がいなくなったなら、すぐに母さんのところに行かないと」
リューイは自身の命が助かったことを喜びながら、今も自分のことを心配しているだろう母を安心させたいと思った。
「きっとレイ兄ちゃん達が助けてくれてるから大丈夫だろうけど……」
リューイは母が難を逃れていることを疑わなかった。
なぜなら、傍にレイとネメシス、ビースリーがいると考えたからだ。
誰も受けてくれなかった義父捜しを引き受けてリューイに手を差し伸べてくれた三人。それに、トルネ村までの道中のトラブルも解決してみせた。
リューイにとって、三人はシジマの次にヒーローだった。
「おーい、誰かー、いないのかー、いたら出てきてくれー」
「あ、はーい! ここにいまーす!」
リューイは避難者を探す外の声に応え、風車小屋を出た。
◆
リューイは、気づかなかった。
笑い声は止んでいるが――空は今も暗いままだということに。
◇
「え?」
風車小屋の外に出て、リューイは困惑した。
外には、避難者を探す誰かがいると思った。
けれど……誰もいなかった。
人影はなく、空は暗く、そして避難者を探す声は、
「だれかー、だれかー、だれかー……ミ……ツ……ケ……タ……♪ ……KYAHAHAHAHAHAHAHAHA』
人を呼ぶその声は、上空から聞こえていた笑い声と同じものに変わっていた。
【黒天空亡 モノクローム】の笑い声。
天地の距離も、速度の差も越えて伝わるその声は、何の攻撃能力も持っていないし身を守る力にもならない。
しかし、ただ嘲笑うだけのスキルでもない。
三百年前、家屋や穴倉に閉じこもった人々を誘き出して燃やすために身につけた……人間を釣るためのスキルだった。
「あ……」
リューイは、雲の上から自分目掛けて降り注ぐ熱線を目撃した。
そうしてリューイは衝撃と熱を感じ、焼ける肉と血の匂いを嗅いだ。
To be continued