第二十六話 親子
□【聖騎士】レイ・スターリング。
「これは、防空壕か?」
村の近くの開けた空間に、俺達が地上を飛び立つ前にはなかった半球状の建造物があった。それも一つではなく三箇所に点在している。
恐らくは地属性魔法スキルや地形操作能力を持つ<エンブリオ>を有する<マスター>達が協力して作り上げたのだろう。地面を材料にしているので、半ば地面に埋まるようにして造られている。
加えて、この建造物の表面は幽かに発光している。結界に類するスキルを使用し続けて、攻撃に備えているらしい。
【モノクローム】の攻撃についても、少なくとも上空一万メートルから降り注ぐ威力の落ちた熱線ならば暫くは耐えることができるものだろう。……近距離の熱線ではどうなるかはわからない。
中に入ると、防空壕には村人や観光客が避難している。
俺はその中で先輩やリューイ達の姿を捜した。
奴が二〇分後に再び地上を射程に収める前に、ネメシスが解析で反撃の糸口を掴む前に、まずは先輩と合流して状況を説明すべきだと思ったからだ。
そうして防空壕の中を捜していると、見知った二人を見つけた。
「はなして、放してください……!」
「いけません。その身体で無理をしてはお腹の子に障ります……」
それはファリカさんと先輩。
ファリカさんは必死な顔で防空壕から出ようとしていて、それを先輩が留めている。
何かあったのだろうかと考えて……二人の傍にリューイの姿がないことに気づく。
嫌な予感がする。
「先輩!」
「レイ君、【モノクローム】は……いえ、わかっています」
俺の様子や、今も聞こえる【モノクローム】の笑い声から事態がまだ解決に至っていないと先輩はすぐ悟ったらしい。
「そっちは……」
「リューイが、リューイがいないんです!」
「リューイはまだ避難を……!?」
「はい。他の防空壕も確認してきましたが、姿がありませんでした。この防空壕にいたリューイ君の友達にも事情を聞きましたが、リューイ君は【モノクローム】が出てくる直前に「もうすぐ踊りが始まるからお母さんを迎えに行く」と言って別れたそうです」
「……ッ!」
つまり、【モノクローム】が暴れているときにリューイは一人だったということだ。
苦いイメージが脳裏をよぎり、背筋に寒気が走る。
「捜しに行きます!」
「私も同行しましょう。ファリカさんはここで待っていてください」
「ですが、リューイが……」
「リューイ君のためにも、待っていてください!」
自ら捜しに行こうとするファリカさんを制止しながら、俺と先輩は防空壕から出る。
兎に角、早くリューイを見つけなければ、命が危うい。
【モノクローム】が攻撃を再開するまで……もうあまり時間は残っていない。
どうか無事でいてくれと思いながら、俺と先輩はシルバーに乗って燃えるトルネ村へと駆け出した。
◆◆◆
■???
レイとビースリーが揃って防空壕を出ていくのを、ある集団が見ていた。
彼らはいずれも<マスター>であり、一様に同じマークを身につけている。
彼らはお互いに目配せし、頷き合う。
通信魔法スキルを使用して、他の防空壕に退避していた彼らの仲間や防空壕以外で待機している者にも連絡を取る。
【モノクローム】の襲来によって人数こそ減っていたが、それでもこれから行うことには十分な人数が揃っていると、彼らを率いるものは考えた。
それから彼らは、レイとビースリーを追うように防空壕から抜け出した。
そうして出て行くとき、彼らのうちの一人は呟いた。
「存外早く好機が来たな」、と。
◇◇◇
□トルネ村
トルネ村にある石造りの風車小屋の一棟の中で独り、リューイは膝を抱えていた。
「……ぐすっ」
【モノクローム】による熱線の照射が行われたのは、リューイが家へと向かっている最中だった。
幸いにして人の集まっている祭りの会場から離れていたので、【モノクローム】にも狙われず、リューイの命は助かっていた。
だが、それでも炎上する村の姿に、リューイの心は恐怖に囚われた。
リューイは必死に逃げて、道の傍に建っていたこの風車小屋に逃げ込んだ。風車小屋は【モノクローム】の視界からリューイの姿を隠し、他の家屋からも離れていたので火に巻かれることもなかった。
しかし、逃げ込んでも、そこはリューイにとって袋小路だった。
一時的に難は逃れたが、外に出れば【モノクローム】に燃やされてしまうのだから、この風車小屋は防空壕であると同時に牢獄でもあった。
「うぅぅ……」
だから今、リューイは膝を抱えて泣いていた。
頭上から響く笑声が恐ろしくて。
一人でいることが心細くて。
何より、家にいたであろう母の身を案じて。
「義父さんがいれば……」
リューイは思う。
こんなときに義父がいれば、あのときみたいに僕たちを助けてくれるのに、と。
リューイがそう思っていても、現実はシジマ・イチロウが解決できる問題ではないだろう。
けれど、今このとき、幼いリューイの心はあのときと同じように助けを求めていた。
幼い子供が、親を求める気持ちのままに……。
自らの“父”を待っていた。
◇
四年前……出会った当初からリューイはシジマを慕っていた。命の恩人であり、強靭無比な<マスター>。子供心に、シジマはリューイのヒーローだった。
けれど当時は父親としては全く見ていなかった。ヒーローや、スター選手を父親とは思わないのと同じことだ。
だから、ファリカがシジマと再婚したときは、正直に言えば釈然としない気持ちがあった。
「ほんとうのおとうさんではない」という……素直な拒絶だった。
好きだし、慕ってもいるが、決して父親ではない、と。
「ほんとうのおとうさんはちゃんといるから」、という再婚した後の子供にはよくある普通の考えだった。
それまでは素直に慕っていたのに、リューイはシジマとの間に一線を引き、溝を作った。
シジマが共に生活を始めても、リューイはむしろ以前よりも他人行儀で、シジマを“家族”とは考えていなかった。
しかし、それについてシジマもファリカも何も言わなかった。
それは親が何か言うことではなく、リューイ自身が己の心に折り合いをつける……あるいはつけないまま日々をすごすことを、リューイの意思で選択すべきだと思っていたからだ。
だからそれについてはむしろ、夫妻よりも騎獣のグリンガムや<エンブリオ>のユノーの方が心配そうにしていた。
そんな風に、ぎくしゃくしたまま一ヶ月ほどが過ぎたとき……一家にある転機が訪れる。
それは……ファリカとリューイが王都に墓参りに行ったときのことだ。
参るのはリューイの実父の墓であり、命日に母子で墓石の清掃と献花に来ていたのだ。
リューイの実父は平凡な【大工】だったが、ある日屋根から足を滑らせて、そのまま亡くなってしまった。打ち所が悪く、即死であるために回復魔法も間に合わなかったという話だった。
リューイとファリカは墓を掃除し、墓前に花を添えて祈っていた。
祈りを終えて二人は墓地を出て帰路につく。
ただ、帰り際にリューイが父の墓前に掃除用具を忘れてしまったことに気づいた。
リューイは「すぐに戻るからお母さんは待ってて」と言って、慌てて父の墓に引き返す。
そうしてリューイが墓前に戻ると、そこには予期しない人物の……シジマの姿があった。
二人を王都に送った後、「用事がある」と言って分かれたはずのシジマの姿が。
彼はリューイの実父の墓前に煙の出る香を置き、両手を合わせて瞑目していた。
余程集中しているのか、咄嗟に他の墓の陰に隠れたリューイに気づく様子もなかった。
それからどれほどそのまま静止していただろう。
シジマは長い祈りを終えて、シジマはゆっくりと口を開く。
「私の命がある限り二人を守り、必ず幸せにしてみせます」
それは、亡き人物に……自身の最愛の人々を自分の前に守っていた人に向けた言葉。
「だからどうか……見ていてください」
亡き人に、誓う言葉だった。
リューイはその様子をただ隠れて見ていた。
けれど、そのときに自然に思ったのだ。
「ああ、この人は……とうさんなんだ」、と。
その日を境に、リューイの中にあった蟠りは少しずつ消えていた。
それからは、彼らは親子としての日々を、穏やかな日々をすごした。
そうして家族として打ち解けあった後の風星祭は、リューイにとってとても楽しい思い出だった。
◇
けれど、今このとき、リューイが置かれた状況は思い出とはまるで違う。
「どうして、こんなことになっちゃったんだよぅ……」
風星祭の今日、リューイは独りで膝を抱えて怯えていた。
去年の風星祭は、義父がいた。
騎獣であるグリンガムも、メイデンのユノーもいた。
けれど、義父と共にグリンガムとユノーもいなくなった。
そして今は……母すらも傍にいないまま、リューイは冷たい石の小屋の中で頭上から聞こえる絶望の笑声に震えている。
「義父さんと母さんに……会いたいよぅ……」
独りのまま、リューイは風車小屋の中で泣き続けた。
◇◇◇
□???
――君は自由になるかもしれない
――そうなれば、私が君に命じられることは何もないだろう
――けれど、もしも君が……
――私と同様に……あの日々を輝くものだと感じていたのなら
――私達が“家族”だったと思っているのなら
――どうか、叶えてほしい願いがある
◇
とても大切な言葉を反芻しながら、彼はゆっくりと目を開けた。
彼が目を覚ましたのは、彼がよく知る風景の只中。
しかし、彼が眠る前から季節は二つほど過ぎていた。
彼は自分の状態を確認する。
そうして気づく。これまであった何かが、彼が慕う誰かとの繋がりが途切れていることを感じていた。
彼は、失われた繋がりを悲しいと思った。
『…………?』
自身の状態を確認した後、彼は空の様子がおかしいことに気づいた。
まだ夜ではないと思うのに奇妙に暗く、そして不快な笑い声が響いている。
彼は空の上から聞こえる笑声を、不愉快にこそ思えども気には留めなかった。
けれどその笑声に紛れて、彼が決して無視できない音が聞こえた。
無視できるはずがない。
聞き逃すはずがない。
その音は……彼がよく知る愛しい子供の泣いている声だったから。
彼の“家族”が泣いていたから。
『GLUWOOOOOOOOOOO!!』
彼は吼え、四本の足で地面を蹴立てて一心不乱に声の元へと駆け出した。
愛しい“家族”を守るために。
To be continued