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第二十三話 月影は語る

(=ↀωↀ=)<今回ちょっと変わった形式です

 □ある男の話


 先ほども申し上げましたが、静島一郎シジマ・イチロウ氏は<月世の会(我々)>の信者の一人です。

 それにリューイ少年は覚えていなかったようですが、私や月夜様は彼の家族とも面識があります。

 結婚前まで、静島氏は<月世の会>の戦闘部隊の長でしたからね。

 彼がファリカ夫人と結婚して居を構えた後、私と月夜様も祝いに行きました。


 さて、静島氏が今はどこにいるのか。

 もちろん、我々はそれを知っています。

 ですが、それを話すには他の事も順を追って話す必要があります。


 まずは<月世の会>の成り立ちからお話しましょう。


 いえいえ、慌てず。どうか怒らずに。

 本当に関係のあるお話です。

 彼の今を語る上でも、外せない内容ですよ。


 ◇


 さて、藤林さんはもうご存知と思いますが、<月世の会>は今から一世紀近くも前の戦後日本から起こりました。

 当時、<月世の会>の初代教主となる人物……月夜様のご先祖、扶桑月世(ふそうげっせい)様は医者をしておりました。

 ですが、当時は戦後の暗黒期。復興には向かえど物は足りず、人には死がつきまとっていました。

 戦災で負った傷が日に日に悪化する者、栄養不足から失調し病となる者、心を病み自らの身を傷つけて死に近づく者。地獄の如き有様だったそうです。

 月世様は志ある医者で、儲けを度外視で患者を看続けたそうです。

 しかしそうして人が集まれば、それは死を集めるのと同じこと。

 大勢の患者が亡くなりました。万全の状態であれば救えた患者も足りない薬や食料のために亡くなりました。

 そうして彼は見たのです。

 多くの人の、この世に絶望した眼差しを。

 病は気からとも言いますが、それで言えば彼らは不治の病にかかったようなものだったのでしょう。

 心から死んでいるのですから。


 月世様は人を救う医者として大いに悩みました。

 彼は患者達に、せめて何かに希望を持ってもらいたい。

 しかしあらゆる物が不足するあの時代には、彼らの絶望の原因である病や飢餓を除く手段がない。

 日本が復興するまで、まだ暫しの時が必要な時代です。

 そこで彼は一計を案じます。

 ここに希望がないのなら、ある世界を空想すればいい、と。

 物がなくとも、まずは心を救わねばならんと。


「枷に囚われた肉体より離れ、真なる魂の世界に赴く」

「自由なる世界で、己の魂の赴くままに自由を謳歌せよ」


 ご存知、我々の教義です。

 その教義こそが<月世の会>の始まりです。

 不自由な身体なれども、その魂は自由であり、己の望む自由を夢想せよ。

 現実逃避の言葉です。空想の言葉、妄想の言葉でもありましょう。

 けれど、己の魂で考えることを……心が生きることを諦めない言葉です。

 ええ、そうです。「楽しいことを考えて気分を良くしよう」、教義の元々の意味はそれだけです。

 カルト思想とも言われますが、根本はそれだけの話なのです。

 今で言うセミナーやメンタルヘルス程度の話です。


 もっとも、百年の間に日本の経済発展や物品の充実と共に変質し、今のような形になっているのでカルトと言われても否定は出来ませんが。

 希望を見失った病人だけでなく、将来を悲観した若者なども入信するようになりましたし。

 現在の教主である月夜様ご自身は、月世様の掲げた根本の考えにも、百年の間に変質した今の形にも、思い悩むところがあるようですね。

 え? 「宗教組織の在り方に思い悩んでる人間が人を誘拐とかするな」、ですか?

 それは仕方がありません。月夜様の悩みと、性格及び性癖はまた別問題ですので。

 それに、“せめて気に入った人間を傍に置いておきたい”という思いもあるかも……。

 ハハハ、仰るとおり椋鳥君にとって迷惑なのは変わりませんね。


 ◇


 さて、話を戻しましょう。

 斯様な事情で<月世の会>を誕生させた扶桑家ですが、その後も病院の経営は続けていました。

 表面上は<月世の会>と無関係ですけどね。

 それに専門も普通の病院とは違います。

 そうですね……いわゆる終末医療(ターミナルケア)というものです。

 難病を患い、死に瀕した人に安らかに最期の時を迎えてもらうための病院です。

 もちろん、可能ならば延命や快復のために注力しますが。


 静島一郎氏はその病院の患者でした。


 ここで勘違いなさらないでほしいのは、死に瀕した患者に入信を勧めたのではなく、信者も入院させていたということですね。

 ええ、そこまでダーティーではありません。<月世の会>は手が後ろに回るようなことはしていません。本当です。「繰り返すところが怪しい」とか言わないでください。

 

 さて、話を静島氏に戻しましょう。

 静島氏はある難病に罹っていました。

 それは命のリミットが定められた病です。

 幼少期から治療のために手を尽くし、それでも治療法は見当たりませんでした。

 そうしてこちらの時間で四年前、彼は<月世の会>に入信しました。迫る死から気を逸らすには、良いと思われたのでしょう。

 「家族は反対しなかったのか?」、ですか。

 彼の生い立ちの詳細は個人情報の観点で話せませんが、入信時点の彼は天涯孤独だった、とだけ言っておきましょう。

 ともあれ、彼は入信し、我々の信者となりました。

 我々は気を紛らわすことに一世紀かけた宗教ですから、余命四年と宣告されていた彼も、少しはその恐怖を和らげられていたと思いたいですね。

 ええ、そうです。


 彼の余命は、四年前の入信時点で、余命四年です。


 丁度今頃が、彼の命の刻限でした。

 ああ、けれど今から二年前ですか。彼の病気の治療法が見つかりました。

 ただし、成功率は一割程度。身体がその治療法によって拒絶反応を起こせば即座に死ぬ、という類の治療法ですが。

 ええ、そのときの彼(・・・・・・)はその治療法を選択しませんでした。


 ◇


 さて、迫る死から目を逸らす日々を送っていた彼に、ある転機が訪れます。

 それは、<Infinite Dendrogram>の発売です。

 ところで、お二人はVRの真価とは何だと思いますか?

 いえいえ、今度も話を逸らしたいわけではありません。必要な話、前置きです。

 それで、どう思いますか?

 もちろんここで言うVRはダイブ型であり、<NEXT WORLD>に代表される失敗作ではなく、<Infinite Dendrogram>のような……過去に夢のゲームとされていた完成度のものと想定して、ですが。

 はい。その通り、「現実から五感を移せる」ということです。

 詰まるところ、そのレベルのVRであれば現実で脳細胞(思考)以外はまともに機能しない人間だとしても、ダイブすれば健康な五体を動かせます。

 だから二十一世紀初頭から<月世の会>はVR機器にも手を出し、出資を行うようになりました。それらは多くの患者……信者にとって希望でもありましたからね。

 もっとも、最終的にそれらの完成系として現れたのは出資した幾つものVRではなく、事前の情報すら全く掴めていなかった<Infinite Dendrogram>だったわけですが。……ああ、これは関係ない話ですね。


 と、ここまで話せばもうお分かりですね。

 シジマ氏がどれほどそれを望んでいたか。

 必死に目を逸らしていても、刻一刻と迫る命の期限。

 どれほどの苦痛の中で、彼は生きたい、活きたい(・・・・)と願ったでしょう。

 その思いは、私や月夜様にも推し量れません。


 <Infinite Dendrogram>の発売当日、我々はVR関連の品々は全てチェックをしていたので、<Infinite Dendrogram>もすぐに初期ロットを一定数確保し、入手したうちの一つを静島氏に提供しました。

 そうして、彼は<Infinite Dendrogram>にログインし、シジマ・イチロウとなりました。

 残る現実の余命から逃避し、<Infinite(真なる) Dendrogram(魂の世界)>で自由な生を送るために。

 彼は解放されました。

 死に進む苦しさから、絶息の痛みから、己の希望すらない世界から。

 溌剌と動く身体、特別な力、現世と比べるべくもない充実感のまま、彼は第二の生を謳歌した。

 きっと、当時の彼は我々の誰よりも満ち足りた思いをしていたことでしょう。

 これまで得られなかった全てがそこにあったのですから。


 そうして現実に迫る死を忘却しながら日々を送る彼は……ある日、一組の母子に出会いました。

 迫る絶望(モンスター)から逃れられない、ただ死を待つだけの親子。

 それは現実の彼に重なる姿だったことでしょう。

 あるいはかつて亡くした家族とも重なったかもしれません。

 けれど、<マスター>(シジマ・イチロウ)になった彼は母子を救えました。


 死を待つだけだった彼が、死を待つだけだった母子の命を救えたのです。

 偶然の出会い。しかし、それは彼にとって運命だったのでしょう。

 その後も彼は母子と交流を続け、ある日を境に本当の家族となりました。

 家族との日々から、今まで感じたことのない暖かさをもらったそうです。

 ええ、これは……彼の口から聞いたことです。


 そうして家族を得た彼は、自身の子供も授かりました。

 こちらでは不可能だったこと。

 その喜びは彼にとって掛け替えのないものであり、そして……引き金にもなりました。


 彼は思い出したのです……こちら側(・・・・)の自分を。


 今も呼吸器と点滴に繋がれた、生命維持装置の中の半死人だということを。

 もう、ほんの二ヶ月程度しか余命が残っていないことを。

 あちらの時間でも半年程度、彼にはもう時間はありません。

 妻と老いることも、義理の息子が成長する姿を見ることも、……そして生まれてくる実子の顔を知ることすらなく死んでいく。

 それは彼にとって、絶望を思い出すことだったでしょう。

 どれほど、惜しいと思ったことでしょう。


 けれど――彼は折れませんでした。


 新たな希望を見出していました。

 彼は、かつて逃げたあの治療法を受けることに決めたのです。

 もちろん、以前よりも病状は進行しています。

 成功率は下がり、3%もあれば良いというほどです。

 成功すれば奇跡というものでしょう。

 しかしそれでも……彼は手術を決意しました。

 私も、月夜様も聞きました。「なぜ?」、と。

 彼は答えました。「家族と生きる未来のために」、と。

 そうして彼はこちら側に戻り……治療を受けました。


 ◇


 これで、彼のお話はおしまいです。

 「それから……どうなったんだ?」、ですか。

 椋鳥君。


 奇跡というのは、そうそう起きないから……奇跡と言うのですよ。



 To be continued

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― 新着の感想 ―
ククク、奇跡は早々に起きない、ねぇ…だからこそ、その奇跡を起こすまで折れない奴らってのは眩しいんですよねぇ…
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