第九話 恐怖の理由
□椋鳥玲二
名も知らぬまともな人のお陰で、再びあの化生から逃れることができた。
どうにもあの化生相手だと誰かに助けられることが多い。
しかし、「あの化生と同じ大学」という大問題はまだ少しも片付いておらず、今後の懸念もある。
今回は回避できたが、カルト宗教団体のトップである化生にリアルが割れてしまった。
やばいなんて話ではない。あいつがなぜか俺に執着していることからも、身の危険を如実に感じる。
「……はぁ」
後で兄に……場合によっては姉に連絡しよう。
事が大きくなるから、あまり相談したくはないけれど……あ、やっぱ駄目だ。
ちょっと想像したら<月世の会>の本部ビルが折れる光景が見えた。やめよう。
あの化生はともかく他の人にまで被害が出るのは後味悪い。
◇
さて、伏魔殿から脱した俺は大学の図書館にやってきた。
なぜかと言えば今日知り合った級友から得たある情報のためだ。
その情報とは、図書館の蔵書についてのもの。
級友は事前に図書館の蔵書をチェックしていたのだが、何でも図書館にはデンドロ関連の書籍が何冊も置いてあったらしい。
俺もデンドロ関連の書籍がどんなものか気になり、ちょっと読みたくなった。
で、探してみるとすぐに見つかった。
出版社による攻略本の類なのだが、『マクシム旅団探検記』や『海底二万メテル』、『天地ふらふら旅』など、何と言うか冒険小説か旅行雑誌みたいなタイトルであった。
まぁ、そもそも<Infinite Dendrogram>の莫大なデータ量に対し、攻略情報を集めるのは容易ではない。
各マップに出現するモンスターの情報や、ダンジョンなどの情報は攻略wikiでも完全でなく、さらには時間経過によって著しく変化する。<ノズ森林>がなくなったり。
そのため、攻略情報といってもデータ的な面より、編集者の体験レポートがメインになっているらしい。
それはそれで面白そうだったので借りてみる。
これからの講義の合間の休み時間など、デンドロにログインできないときにでも読むことにしよう。王国以外の国について書かれたものも多いので楽しみだ。
さーて、早速借りて…………。
「あ」
……そうだった。本を借りるのに必要な学生証、パスケースごとあの女化生に盗られたままだ。
どうしよう、またあそこに戻るのは余りにも危険な、……?
「…………」
懐に手を入れてみると、そこには俺が女化生に盗られたはずのパスケースが元通りに納まっていた。
「…………いや、逆に怖いわ」
恐らくあの女化生が戻したのだろうが、盗られたとき同様に全く気づかなかった。
俺を捕まえたときの怪力といい、あの女化生は比喩でなく妖怪の類ではないだろうか?
ともあれ、学生証が無事に手元に戻っていたので、本を借りることは出来るのだった。
見つけた三冊の書籍を持って図書館の貸出カウンターに向かうと、途中の新刊コーナーが目に留まった。
そこにもデンドロ関連らしい『カルディナグルメ旅』なる本が置いてあった。
これも借りようと手を伸ばすと、
「あっ」
「すみません」
同時に手を伸ばしたらしい女性と手が触れ合ってしまった。
一言謝って、慌てて手を引っ込める。
そうして相手の顔を見たのだが、
「あなたはさっきの……」
「あ、さっきは助けてくれてありがとうございます!」
誰であろう、相手の女性はあのまともな人だった。
彼女はお礼を言う俺に対し、少しだけ困った顔をして応える。
「お礼など……。私としても、同じサークルから犯罪者を出すわけにもいきませんでしたから。ああ、申し遅れました。私は藤林梢。文科Ⅰ類の二年です」
「俺、椋鳥玲二です。今日から文Ⅲの一年です」
ようやくまともな人の名前を聞けた。
そしてどうやら先輩であったらしい。
◇
その後、藤林先輩に「先ほどのお詫びがしたいのですが」と言われて学内の喫茶店に誘われた。
俺は「先輩に謝ってもらうことなんてありませんよ」と言ったのだが、「会長は謝りませんから……。せめて関係者の私が代わりに謝罪しなければ」と返された。
……やっぱり真面目だ、この人。
「先ほどは会長がすみませんでした。会長も、普段はあそこまでネジが外れてはいないのですが」
先輩はそう言って謝ってくれるが……、その会長は昨日から俺が見る限りは常時あんな感じです。
ネジが外れていない姿……というか人にメイワクかけない姿が現在想像できません。
「私が入会してからも今日みたいなことは一度も起きなかったのに……」
それはあの化生も上手く猫を被っていたようで。
化けの皮と言うべきか。
「……ああ、入会と言ってもサークルの話です。会長の家の宗教には全く興味がありません」
「それはわかります」
信者だったら教祖を床で正座させないだろうし。
「先輩はいつからあのサークルに?」
「少し前、四年生と院生が卒業、修了した後ですね。人数不足になったらしく、会長と月影副会長がメンバーを勧誘していた時期です」
先輩は「なお、会長と副会長は現在医学部の三年です」と付け足した。
……あれが医者の卵かー。
「ただ、あの二人はご存知のように頭と宗教がおかしいので、サークル勧誘は芳しくありませんでした。本日の新入生勧誘も私の知る限りまだ誰も入っていません」
頭と宗教がおかしい……。
「この大学は<月世の会>の信者がほとんどいなかったのも大きかったですね」
「そうなんですか?」
「あそこは現実逃避型の教義ですから、この大学に通っている人で惹かれる人はそうはいません」
なるほど。
<月世の会>の教義は「枷に囚われた肉体より離れ、真なる魂の世界に赴く」、要するに「嫌なリアルにおさらばして現実逃避」である。
そして今はデンドロを真の世界と信じて、あちらでの生活を満喫しているのがあそこの信者だ。
たしかに最高学府に通っておきながら「こんなの本当の人生じゃないやい、現実逃避してやる!」となる人はそうそういないだろう。
……しかしそうなると、あの二人がこの大学の、それも医学部にいるのはかなり不自然だな。
「藤林先輩はどうして入会したんですか?」
「データのためです」
「データ?」
俺が首をかしげると、先輩は俺が借りた本を指差す。
「これらの本やwikiを見て分かるように、従来のゲーム攻略のような詳細データは<Infinite Dendrogram>では殆ど出回っていません」
「そうですね」
「けれど、会長はそれを持っている。<月世の会>の信者千人で集めた、膨大な量の攻略データを」
……ゲームを真の世界と信じた廃人が千人、それはデータも大量に集まるというものだろう。
「<CID>に入ると、会長の持ってる<Infinite Dendrogram>のデータを自由に閲覧できます。そのメリットが欲しくて私は入会しました」
「なるほど」
「もっとも、「<月世の会>に関わる」というデメリットを恐れて、<CID>に入会したのは私だけでしたが」
「そうでしょうね……」
あくまでゲームとして楽しむならば、そのためにリアルが脅かされかねない宗教に関わるのはリスクが高すぎる。
「先輩はそのデメリットはどう思ったんですか?」
「私は元々ある程度関わっていましたから」
「?」
「会長は私の実家のお弟子さんでもありますから」
曰く、先輩の実家は茶道の家元であり、そこにあの女化生が幼い頃から通っていたのだという。
古くから顔見知りではあるので、今さらということだろう。
……あと、さっき正座させていた理由がちょっと分かった。
「そういえば、椋鳥君は<Infinite Dendrogram>の中で誘拐されたんでしたね」
「はい。昨日、デンドロの中で寝ている間に誘拐されました」
「……かさねがさね申し訳ありません」
「いえ、先輩のせいではないので」
八割あの女化生が悪く、残りの二割は【暗殺王】の月影先輩が悪い。
「今日が大学初日ですから……やはり“自害”で脱出を?」
「いや、それはなんとか免れました。知り合いの人が助けに来てくれたんで」
フィガロさんがいなければ、捨て身の覚悟で単身あの化生と【暗殺王】に挑むことになっていただろうけど。
「助けに……ですか。あの会長と副会長を相手にそれができるなんて、いったいどんな人が?」
「フィガロさんです。あの、ご存知かもしれませんけど王国の決闘ランキング一位の」
俺がそう言うと、
「――フィガロ?」
藤林先輩は、少しだけ雰囲気を変えた。
眼鏡の奥の目が、わずかに細くなっている。
「……あの【超闘士】が救援に来るなんて、椋鳥さんは何者ですか?」
「いえ、フィガロさんとは初めて間もない頃からの知り合いで、むしろ兄貴の友達らしいから」
「兄……、フィガロ……、<超級>……、兄弟……、椋鳥……」
それから口元に手を当てて、何かを思案する様子だった。
「……スターリング兄弟」
そうして、何かに気づいたように俺の目を見据える。
「違っていたらすみませんが、椋鳥君はスターリング兄弟のレイ・スターリングですか?」
「あ、はい。そうです」
やっぱり苗字も名前もそのまますぎて、すぐに分かられてしまうようだ。
フランクリンがあの事件を中継していたせいで俺のアバターの名前知ってる人多いらしいし。
「あの【破壊王】の弟で、【超闘士】の弟子の」
「弟子というわけではないです。模擬戦はさせてもらってますけれど」
あと、こう言うとあれだけどフィガロさんは教えるのに向かない人だ。
むしろそういうのは迅羽が上手い。
……十歳児に教わるのも変な話だけれど。
あとは六位のライザーさんも上手かったな。
「……そうですか」
先輩はまた口元に手を当てて何かを考えている様子だった。
「椋鳥君」
十秒ほど待つと、先輩は何かを思いついたように俺に声をかける。
そうして先輩が口にした言葉は、
「よろしければこの休みは一緒にクエストを受けませんか?」
デンドロでのクエストのお誘いだった。
「はい、喜んで」
俺はこれも何かの縁だと思い、先輩の誘いを快諾した。
◇
「じゃあ、そういうことだから」
『おう、わかった』
大学から帰宅した俺は兄に電話して、大学の先輩とクエストを受けることになったので、しばらくギデオンへの帰還が遅れる旨を伝えた。
兄にはルークとマリーの二人にも伝言を頼んだので、これで問題はないだろう。
ただ、常に伝言を頼む手間を考えると、そろそろ二人の連絡先を聞いておいた方がいいかもしれない。
『ところで、お前を攫ったあの雌狐はどうした?』
雌狐と言われて一瞬誰のことかわからなかったが……該当しそうな人物を順に連想していくとすぐに辿りついた。
「ああ、女化しょ……扶桑月夜か」
俺は化生という印象だったが、兄は雌狐を連想したらしい
「それについてちょっと問題がある」
『……問題?』
「俺の大学の上級生だった」
『…………クマー』
驚いたのかショック受けたのか知らないが、リアルでクマ語尾はやめてくれ。
『大丈夫か?』
「まぁ、頼れる先輩もいたから、なんとか」
先輩がいなかったらどうなっていたかを考えるのが怖いけど。
『そうか。姉貴に連絡しとくか?』
「……やめよう。後味悪くなりそうだから」
うちの姉、なんか世界観が違うんだもの。
そう、最近読み始めたマリーの漫画に出てきても違和感がないくらいの人だから。
『相変わらず姉貴が苦手みたいだな』
苦手……まぁ、苦手だ。
決して嫌いではないが、子供の頃を思い出すといまだに震えてくる。
……十年前のあのアンクラ大会まで兄にべったりだったのは、姉が怖かった反動もあるだろう。
『ふむ……。ところで、扶桑月夜を見てどう思った?』
「どうって?」
『ものすごく怖いと思ったか?』
そう問われて、心臓がドキリとした。
「……何で分かったのさ」
『ああ、やっぱりか。じゃあ簡単に怖くなくなるおまじないをしてやる』
おまじない?
いや、おまじないなんかでどうこうなる話でも……。
『お前があの雌狐を怖いと思う理由は物凄く簡単だぞ』
兄はそこで言葉を切って、
『あいつ、姉貴にそっくりなんだよ』
――――あ。
『もちろん顔じゃない。雰囲気だな。変にフレンドリーで、朗らかで、子供っぽくて、悪戯好きで、それで時々殺気というか獲物を狙うみたいなオーラを発する女。モロに姉貴と被ってんだよあいつ』
「…………」
ああ、ああ。
それだ。
ようやく、もやもやとした正体の分からない恐怖の理由が分かった。
それと、あえて心がその理由に目を背けていたことも納得できた。
あの女化生の恐怖を何かと比較しようと思い出せば……それはもう姉との思い出を抉じ開けるのと同義だからだ。
『あいつが姉と違うことさえ頭で分かってれば怖くないはずだぜ』
「……ああ」
『あの雌狐は幼児のお前を抱えたままビルからビルへ飛び移ったりしない』
「…………ああ」
『沈没する客船の壁をぶっ壊して脱出したりもしない』
「………………ああ」
『飛行機からパラシュート無しで飛び降りたのに掠り傷で生き残ったりもしない』
「……………………」
今さらだけど、あの姉の体は何で出来ているのだろう
まぁ、最後の一件については耕したばかりのふかふかなブドウ畑に落下したからであって、姉以前にも軽傷で生き残った人がいるケースらしいけど。
『そういうわけで、あの雌狐を心の底から怖がる必要はない』
「ありがとう。……気が楽になった」
比喩でなく、本当にスッキリした心持ちだった。
◇
兄との電話を終えた俺は夕食や風呂を済ませ、ログイン前にデンドロ関連のニュースサイトである<MMOジャーナルプランター>を見て、王国内の話題についてチェックしていた。
サイトでは、『王国各地で震度3弱の地震多発』、『新興PKクラン<ソル・クライシス>にあの大物PKが参入か』、『ギデオンで大ヒット、【破壊王】印のポップコーン!』などの見出しが目についた。
「…………」
特に興味もないPKのニュースと、身内だから読むのが怖いニュースは飛ばすとして。
地震のニュースを読んでみると、見出しの通りここ一か月あたり王国内の各所で弱い地震が頻発しているらしい。
震源が一か所でなくまばらで、王国の東西南北に分散していることから原因不明とされている。
また、地震があった場所からは高確率で未発見のダンジョンや<UBM>、強力なモンスターの群れが出現することから、全ての地震に何か因果関係があるのではないかとも言われている。
掲示板の方もチェックすると、『巨大なモンスターが地下を徘徊している』説、『運営の環境担当AIが何かの仕込みをしている』説、『誰かがあちこちで地属性魔法の練習している』説、『どうせまたフランクリンのテロだろ』説などが散見された。俺は四番目だと思う。
チェックを終えた俺は、<Infinite Dendrogram>のハードを装着する。
これからは先輩とクエストに挑戦だ。
幸いなことに明日からは土日で大学も休みだ。余程時間拘束の長いクエストでなければ、問題ないだろう。丁度いいクエストがなければ<墓標迷宮>の探索にしてもいい。
「じゃあ、ログインするか」
そうして俺は、一日ぶりに<Infinite Dendrogram>へとログインした。
To be continued
(=ↀωↀ=)<お姉さん何者なんです
( ̄(エ) ̄)<んー、この前はボディガードやってたクマ