第四話 かぐや姫
□<月世の会>・本拠地
「…………情けないのぅ」
<月世の会>の本拠地の一室で、ネメシスは独りそう呟いた。
それは、最初にレイが寝かされていたあの部屋だ。
彼女の眼前では、敷かれた布団の上にレイが寝かされている。
扶桑月夜に完敗した後、再びここに戻されたのだ。
そして部屋には格子や見張りの類すらない。
それほどに侮られていると……ネメシスは感じていた。
「つくづく……己が情けない」
ネメシスは、【気絶】したままのレイの髪をそっと撫でながら、己の心のままに言葉を発した。
先ほどの敗北。
あれは明らかに、<エンブリオ>としてのネメシスの敗北だった。
どうしようもないほどに、策や意思、相性では覆せないほどにネメシスが扶桑月夜の<エンブリオ>に劣っていた。
その事実が、ネメシスを苛む。
「レイ、御主はこの一ヶ月で……本当に強くなった」
<UBM>に勝利して、あるいは幸運に恵まれて得た装備。
数々の戦いにより上がった【聖騎士】のレベルとステータス。
何より、多くの猛者との模擬戦による戦闘経験の蓄積。
一ヶ月前とは見違えるほど、レイは強くなっていた。
「反面……私は何も変わらぬ」
【ガルドランダ】との戦いで一度目の進化をしてから、少しも<エンブリオ>としてのネメシスの強さは変わっていない。
それが、ネメシスの自戒の理由。
模擬戦を繰り返した<マスター>の<エンブリオ>はいずれも強く、かつては並んでいたはずのバビも形態で言えば二つ先にいる。
自分だけが一歩も進まないまま、この一ヶ月を過ごしていると……ネメシスは感じていた。
レイにその気持ちを吐露すれば、レイはきっと否定するだろうとネメシスは知っている。
ネメシスだって成長してるさ、と本心から言ってくれるだろう。
だが、今ネメシスが求めているのは……もっと直接的な力だった。
もう、レイに敗北と痛苦を味わわせないですむような力こそを……ネメシスは求めていた。
「進化を、したい……」
目尻に涙を浮かべ……心の底から搾り出すようにネメシスは嗚咽を漏らした。
レイのために……自身が心を預けたこの<マスター>のために新たな力が欲しいと、願いながら泣いていた。
「進化は焦ってするようなものじゃないわ」
そんなネメシスに……襖を開けて入ってきた何者かがそう声を掛けた。
「ッ!? 何者だ!」
眠るレイを護るように、両腕を剣へと変えてネメシスは誰何する。
その相手は……奇妙な相手だった。
天女の羽衣のような衣服と月光に似た長い髪。
しかしそれらの視覚情報以前に……ネメシスは相手に感じる気配こそを奇妙だと思った。
「此が何者か、ね。カグヤ、と名乗ればいいのかしら。それとも、月夜の<エンブリオ>と答えればいいのかしら」
カグヤと答えたそれが……己と同属であると、ネメシスには気配で分かった。
(このメイデンが……!)
この<エンブリオ>こそが……先刻完敗した<超級エンブリオ>。
敗北を思い出して体が強張るが、それでもネメシスは気力を振り絞り、レイを護るためにカグヤの前に立った。
「うふふふ。まるで子猫を守る親猫ね」
そんなネメシスの様子に……カグヤは優しげな微笑を浮かべていた。
「心配しなくていいのよ? 月夜も此も、あなたの<マスター>が眠ってる間に手を出したりはしないから」
「信用できるものか!」
そもそも寝ている間に誘拐してきたのはそちらではないか、とネメシスは心底怒鳴りつけたかった。
「貴様が、あの奇怪な女の<エンブリオ>が何の用だ!」
「うふふ。そう邪険にしなくてもいいのよ。此は同じメイデンの貴女と話がしたいだけだもの」
「私には話などない!」
ネメシスは拒否を言葉と表情で示すが、カグヤは「まあまあ」と言って……アイテムボックスから取り出した座布団をさっさと敷いて居座ってしまった。
ご丁寧にも「使うかしら?」とネメシスの分も取り出している。
ネメシスは「これは喧嘩を売られてるのだろうか」と思い、反射的につき返そうとした。
しかしそうする寸前、レイが眠っている傍で<超級エンブリオ>と殺し合いなど出来ないと考え、渋々座布団に座る。
その間にカグヤは急須と茶葉、お湯の入ったマジックアイテムの魔法瓶を取り出し、お茶を淹れていた。
「……本当に何の用だ、貴様」
「だから、お話に来たのよ? あ、この茶葉は信者さんから寄進されたとっても良い茶葉なの。天地産ですって。どうぞ」
カグヤはそう言ってネメシスにお茶を勧める。
ネメシスは促されて渋々口元に運ぶが、
「…………毒ではなかろうな?」
「あらあら。飲み物に毒を仕込むだなんて……どこかのエセチャイナと蛇みたいな真似はしないわ」
ネメシスは「エセチャイナと蛇?」と聞きなれない言葉に疑問符を浮かべたが、お茶を一口啜ってみる。
「……美味い」
真実、そのお茶は美味だった。体の芯から温めて解きほぐすような優しい味だった。
「でしょう? ああ、お茶菓子もどうぞ」
「……もらおう」
ネメシスにお茶菓子を勧めながら、カグヤもまた茶を啜る。
ネメシスがお茶菓子を食む音と、カグヤがお茶を啜る音だけの時間が少しだけ流れる。
そうした間を経て、カグヤから言葉を発した。
「久しぶりだわ。こうしてメイデンの娘とお茶を飲むのは」
「…………」
ネメシスはカグヤの声に応えないが、カグヤは構わず言葉をつむぐ。
「<月世の会>は、その性質上メイデンは他のクランよりは多いのだけれど。それでも、“ゲームだと思っていない”<マスター>の全てがメイデンの<エンブリオ>を得るわけではないから。数はそれほどでもないの」
「……ふむ」
「そういえば気配もあまり感じなかったな」とネメシスは納得していた。
「それにね。不思議なことに、メイデンの<マスター>はここを出て行くことが多いのよ」
「出て行く?」
「此と同時期に生まれたメイデンの<マスター>にも、そうした人がいたわ。クランにはまだ所属しているのだけれど、生活はここから離しているの。なぜだと思う?」
「……知らぬよ」
カルト宗教団体に属し、そこに属したまま距離を置きたがる。
そういった心理はネメシスには……それにレイにも分からない。
けれど、
「ティアンと所帯を持ったそうよ」
カグヤの答えは、ある程度わかるものだった。
「本当にこちらを、あちらと同一視していれば、ティアンとの間に愛が芽生えることもあるでしょうからね」
「……だの」
相手をゲームのキャラクターと認識していなければ、それは恋愛対象ともなる。
あるいは、認識した上で対象とするものもいるだろうが。
「そしてこのクランに限らず、メイデンの<マスター>に限らず、そんな人々は増えているわ。<Infinite Dendrogram>が始まって、こちらの時間ではもう五年近く経っているもの」
「?」
少しずつ、話の筋が移っているのを、ネメシスは感じた。
いや、あるいはこれまでの話は本筋に入る前の前置きだったのか。
「此の名前、カグヤというでしょう? これは月夜の国の、御伽噺のヒロインの名前なのよ」
「……竹取物語ならレイの記憶から私も知っておる。一般常識の範疇らしいからの」
カグヤは「あら、貴女の<マスター>も月夜と同じ国の人なのかしら」と微笑んだ。
しかしその後、その微笑を少しだけ弱めて……言葉を繋げた。
「あの物語のかぐや姫はホンの僅かな時間で美しく育ち、やがて月に帰る地球人ではない者。そんな何かに、男たちが恋をして愛を求め、姫は難題を課した挙句に、最後には遠くへと別れていく物語」
ネメシスは「まるでかぐや姫を異物か何かのように言う」と感じた。
「自分の名前であろうに、見方があまり好意的ではないな」
「そうね」
カグヤは少しだけ笑ってから……笑みを消した表情でネメシスを見据える。
そうして真剣な表情のまま、
「かぐや姫は此の名前だけれど……メイデンも、<エンブリオ>も、そしてティアンも……<マスター>にとってはかぐや姫なのではないかしら? あるいは……<マスター>がかぐや姫なのではないかしら?」
そんな曖昧な例え……あるいは脚色のない事実を述べた。
「……何が言いたい」
「貴女は、貴女の<マスター>を愛しているでしょう?」
「んな!?」
単刀直入に放たれたその言葉に、ネメシスは驚愕のあまり座布団から腰を浮かした。
「愛の萌芽。惹かれる気持ち。そう、正に……恋。そんな初々しいものではないかしら」
「な、な、何を言っておるか! そんな、そんな訳……いや、その、好意は否定せぬがそれはあくまでも……」
ネメシスは何とか否定しようとして、否定しきれずしどろもどろになる。
だが、
「――けれど愛があっても、此等と<マスター>はいずれ別れるわ」
そんなカグヤの言葉に、ネメシスの表情が強張った。
「何を……」
「何を馬鹿なことを……」と続けようとしたネメシスを、カグヤは言葉で制する。
「考えなかったわけではないでしょう? 彼らの本当は向こう側。こちら側ではあくまで客人でしかない。この世界で死ぬことがないのは、彼らにとってはこの世界での生そのものが仮初だから」
それは事実。
<マスター>とは、プレイヤー。
彼らにとって、<Infinite Dendrogram>の世界はあくまでもゲーム。
真実、知性を持った生物が生きる世界であろうと、彼らはゲームを訪れているに過ぎない。
メイデンの<マスター>がこの世界を「ゲームだと思っていない」としても、この世界は彼らの生の一部であって中核ではない。
「だから、いつか“終わり”がきたら彼らは向こう側、此等はこちら側になるの」
ゆえに、彼ら自身の終わりと、彼らがここに訪れることの終わりは違うもの。
「その“終わり”は彼らの向こう側での死かもしれない。あるいはこちら側への意欲の喪失かもしれない。もしかすると、こちらとあちらを繋ぐものがなくなってしまうかもしれない」
そう、終わり方はいくらでもある。
何時だって、終わりはありえる。
だからこそ……、
「そうなったときに、今のままだと貴女には絶望しか残らないわ」
恋心を抱いていたとしても、それを抱いたまま永遠に会うことはなくなるのだ、と。
そして<エンブリオ>である以上、<マスター>がこの世界を訪れなければ……何者とも関わり触れることはない。
残されるのは<マスター>との思い出と……続きのない終わりだけだ。
それを……考えないようにしていた事実を……ネメシスはカグヤの言葉によって自覚した。
自覚させられてしまった。
「…………貴様、なぜこんな話を?」
ネメシスは、少しだけ恨みに思う気持ちでカグヤを見る。
けれど、それは筋違いだとも気づいている。
この事実は……本来もっと早く自分で直視しなければいけなかったのだから、と。
そんなネメシスに対し、
「うふふふ」
カグヤはその頭を優しく撫でた。
「んん!? 何をする!?」
突然の行為にネメシスは心底仰天したが、カグヤはお構い無しだった。
カグヤは再び表情を柔らかいものに戻し、ネメシスに微笑みを向ける。
「ごめんなさいね。本当は、もっとメイデンらしい話がしたくてきたのだけれど。……<マスター>の力になりたいと涙する貴女に、少し警告したくなったの」
「その警告は……いたみいるがの」
「けれど、警告だけではかわいそうね。だから、もう一つ。最後に絶望しないためにアドバイスを」
カグヤはそっと指を伸ばし、トンッとネメシスの胸を軽く突いた。
「その恋心は……叶うならすぐに伝えた方がいいわ。実るのが早ければ、それだけ多く思い出という宝物も持てるでしょうから」
そうして年長のメイデンとして……とても真っ当な恋のアドバイスをしたのだった。
「……それは、覚えておこう」
「実行するかは別だが、の」とネメシスは付け足した。
ただ、少しだけその表情は赤く、柔らかかった。
そのことに、カグヤは満足そうだ。
「此はそろそろ失礼するわ。貴女の<マスター>が起きたら、また月夜が何か言い寄るでしょうけれど」
「御免蒙るのぅ」
ネメシスはカグヤの<マスター>である扶桑月夜が決して好きではなかった。
だが、カグヤについては、少しだけ気を許した。
それは、彼女のネメシスを見る目が真実、後輩や妹を心配するようなものだったからだろう。
「ああ、そうだ。メイデンとしても一つアドバイスするけれど……次に■■■が使えるようになっても、少なくとも上級に進化するまではキャンセルなさい。上級に進化するのが一年は先になってしまうわ」
「……そちらも覚えておくが、そもそもあれは何だ?」
■■■。
【ガルドランダ】との戦いの折に突然発動してネメシスを進化させ、その場に最もマッチした《逆転は翻る旗の如く》を獲得させたもの。
今もってその正体は不明だが、あれが原因で進化が遅れているであろうことはネメシスも察していた。
「メイデンの、いえ、<エンブリオ>の<エンブリオ>たる所以。もう失われた、意味のない機能だけれど……メイデンとアポストルにだけはまだ残っている」
「アポストル……?」
「此等が危機感の産物なら、アポストルは使命感の産物。真に生きていれば持ちえる心。意思までも仮初のままでは持ちえぬ<エンブリオ>だからこそ、あのシステムは残留しているの」
「……わからぬ」
カグヤは単に真実を語っているのだろうが、それはネメシスには理解できない。
いや、今の段階のネメシスではまだ理解できる素地がないと言うべきか。
「いずれわかるわ。貴女が此と同じ舞台に立ったときにでも……あら」
悩むネメシスを優しげに見た後――カグヤはその表情を厳しいものに変え、あらぬ方向を見た。
「どうした?」
「……お客さんだわ」
カグヤがそう言った直後――ネメシス達のいる家屋の屋根が、“鎖”によって引き剥がされた。
To be continued
( ̄(エ) ̄)<「此が可愛がってあげるから(深い意味無し)」(四章前話より)
(=ↀωↀ=)<……まさか可愛がってお茶ご馳走してお節介焼いてアドバイスするだけとは
( ̄(エ) ̄)<思わせぶりに裏がありそうであんまりない、雌狐と似ても似つかない<エンブリオ>クマ