番外編 Valentine's Day[2044]
(=ↀωↀ=)<今回はバレンタイン話だよー!
(=ↀωↀ=)<時系列は本編の一年ちょっと前、二○四四年の話ー!
( ̄(エ) ̄)<……そうだな
(=ↀωↀ=)(なんかクマニーサンのテンションが低い)
( ̄(エ) ̄)<……ふぅ
(=ↀωↀ=)(思い出し溜め息!? 今回の過去エピソード何があったの!?)
□王都アルテア・中央通り噴水前
『フィガ公ー、チョコレート狩りに行くガル』
二〇四四年の二月一四日、<Infinite Dendrogram>にログインしたフィガロを迎えたのは、友人のそんな言葉だった。
彼の目の前にいるのは身長二メートルほどの着ぐるみ……言わずと知れたシュウ・スターリングである。
なお、語尾が『ガル』となっているのは別に猛獣だからではない。彼の今の装備が【はいぱーきぐるみしりーず さいくろんぽけっと】、……カンガルーに似た<UBM>から取得した着ぐるみだからだ。カンガルーの『ガル』である。
「…………」
フィガロは「たしか狼の着ぐるみのときは『ワン』だったはずなのだけど、シュウは何を基準に鳴き声と名前のどちらを語尾にするか決めているのだろう」と疑問に思ったが、そこには突っ込まないことにした。
今はそれより重要なこともある。
「チョコレートを狩る? 貰うではなくて?」
フィガロにしても、なぜ今チョコレート云々の話が出ているかは分かる。
今日はリアルではバレンタインデー。キリスト教圏、あるいは宗教の区別を気にしない地域では記念日だからだ。
フィガロのリアルであるヴィンセント・マイヤーズも本日ログインする前に、リアルでもチョコレートを貰っている。
母親やマイヤーズ家の侍女達、それとなぜか弟のキースからである。
健康面に問題を抱えている身であり、運動でのカロリー消費もできないので少しずつしか食べられないが、それでもチョコレートに込められた親愛の気持ちはありがたいものだと考えていた。
『おう。今はバレンタインイベントの真っ最中ガル!』
「バレンタインイベント……あるんだ」
女性が男性にチョコを送るという風習は、二十世紀のころはお菓子メーカー主導による日本ローカルのものだった。昔からバレンタインデーがある欧米では、男女問わず花やお菓子を贈る記念日だった。
しかし二十一世紀も四十年余り。日本から逆輸入された女性が男性にチョコを送る文化が欧米にも広まっており、世界規模のVRMMOである<Infinite Dendrogram>にもイベントとして反映されていた。
……ローカルなお祭りでもやるときはやるが。
節分イベントも普通にやっていた。
『今回もハロウィンや節分と同じで、マップに運営がポップさせたモンスターが出てくるタイプガル。そいつらを倒してチョコを集めると、あとで景品と交換できるガルー』
「あ、チョコが景品ではないんだ」
『そう、交換用アイテムガル。でも食べても美味しいらしいガルー』
「へー。……交換用アイテムなのに食べた人もいるんだね」
ちなみにこのイベント、リアルで十二時間前にはもう始まっていた。
運営が記念日にやるイベントは基本的に「リアルで最も早く記念日になった地域の0時から最も遅い地域の24時まで」、要するに48時間行われる。デンドロ内では六日間だ。
余談だが、クリスマスイベントの時期はログイン率が下がっていた。しかし逆にログインしている層の一部はイベントへの熱気が凄かったのだが……理由は深く触れない方が良いだろう。
「モンスターを大量にハントするのは分かったけど、どうして僕を誘うんだい、シュウ」
フィガロは言外に「僕は仲間と一緒だとまともに動けないのだけれど」とも言っている。
彼が生まれてからの二十年で育んだぼっちの呪いは、デンドロ時間で一年半以上が経過した今もまだ解けていない。
『それは今回のイベントの特殊な性質にあるガル』
「性質?」
聞き返すフィガロにシュウは深く頷いて……こう言った。
『今回、カップルじゃないとイベントモンスター倒せないガル』
「……?」
シュウが説明したイベントの要約はこうだ。
今回は大量討伐イベント。運営により不自然ポップしたイベントモンスターを、二人パーティで撃破せよ、というもの。
今回のイベントモンスターは二人パーティでなければダメージを与えられず、モンスターからダメージを与えられることもない。
ダメージを与えられることがないというのはイベント不参加者やティアン、モンスターの生態系への配慮であろう。そういったことは運営も考えてイベントを組んでいる。
二人パーティ……とは言うなればカップルであり、愛の誓いの記念日であるバレンタインデーならばこそのギミックだ。
異性愛のみでなく同性愛も容認しないと色々問題があるため、二人パーティなら男と女の組み合わせ方は問わない仕様である。
ちなみに、モンスターをパーティメンバーにして……というのはアウト。あくまで人間範疇生物同士で組め、という訳だ。
『俺はまだ相方が見つかってないガル。そんな訳でフィガ公にパーティ組んで欲しいガル。討伐は全部俺がやるし、報酬は山分けでいいガル』
「僕は<墓標迷宮>に潜るくらいしか予定がなかったからいいけれど。珍しいね、シュウが相方見つけてないって」
シュウは着ぐるみを着たひょうきんな変人ではあるが、これで顔は広い。
探せば相方などいくらでも見つかったのではないか、とフィガロは思った。
『……レイレイさんはリアルが忙しいし、ダルシャンは店が繁盛してそれどころでなく、他の面々も既にカップル組んでいたガル。まだ組んでない面子も……』
「も?」
『「さすがに着ぐるみとカップル扱いされると心が痛い」、「なんか一人寂しくディ○ニーランドに来たOL気分になる」、「脱いで。お願いだから脱いで」、と』
「シュウに着ぐるみ脱いでって無茶言うね」
『今回の件の根幹はむしろ…………いや、深く触れない方がいいな』
「?」
実際には着ぐるみ云々ではなく、その理由の向こうに彼女達のリアルでの寂しい事情があるわけだが、……恋愛経験皆無で恋すらしたことがないフィガロはそれには全く気づかなかった。
家族などに対する親愛の気持ちは理解できるが、男女間の恋愛感情に関しては無知で未経験という訳だ。
◇
あるいは彼がそうした機微にもう少し気づける男ならば……今回の一件はまた違った結果になっていたかもしれない。
◇
兎にも角にも、フィガロはシュウとパーティを組んでイベントに参加することにした。
もっとも、フィガロはシュウのおまけで見学するだけだったが。
『まずは北西を目指すガルー』
王都周辺にもイベントモンスターはポップするが、シュウはそこでは狩らなかった。
マップのレベル帯に合わせてイベントモンスターの強さが変動し、得られるチョコの価値……景品に交換する際のポイントも変わってくるからだ。
それに初心者ばかりのところに、第五形態にまで到達したベテランが乗り込むのも大人気ない、というものだ。
今、シュウとフィガロはバルドルの第四形態……戦車に乗りながら、シュウの適正レベル帯のマップがある北西に向かっていた。
「戦艦の方は出さないんだね」
『移動まであれでやってたら目立ってしょうがねえガル』
バルドルの第五形態は陸上戦艦だ。
もっとも、戦艦と言ってもサイズは軽巡洋艦ほどなのだが。
『それに弾代もバカにならんガル。今回は第四と近接戦闘でやるガル』
第五形態から急激に燃費が悪くなった自分の<エンブリオ>に溜息をつきながら、シュウは戦車のキューポラの上で武器やアイテムを確認していた。
第三形態の固定砲台からそうだったが、戦車のバルドルも遠隔操作できる。
既に普及している自動運転車の如く、目的のマップまでの移動もバルドルのオートパイロットに任せられる。
時折、バルドルが道を塞ぐモンスターへの攻撃を行い、倒されたモンスターのドロップ品がシュウの……シュウが装備した【さいくろんぽけっと】のポケットに収まっている。
こちらは特典武具である【さいくろんぽけっと】の固有スキル、《高速自動回収》によるものだ。周囲一帯の“自分に所有権があるアイテム”を自動回収できる。
なお、<UBM>だったころの【さいくろんぽけっと】……【旋風徴獣 サイクロンポケット】は他者が手に持つアイテムや放った銃弾、矢までも吸い寄せて自動回収する傍迷惑なモンスターだった。随分マイルドになったものである。
ちなみにどうやって倒したかと言えば、第五形態のバルドルが近接信管の砲弾を連射しただけだ。
【サイクロンポケット】は全ての砲弾を吸い寄せたが、回収直前で連続起爆してあっという間に削り倒された。
恐らく、シュウがこれまで戦った中で最も楽な<UBM>だっただろう。
……まぁ、近接信管の砲弾は値が張ったので、そのコストを回収するのは大変だったが。
「そういえば、今回のイベントモンスターはどんなモンスターなんだい?」
イベントのときは大抵、そのイベントに因んだモンスターが登場する。
直近のイベントである節分では鬼と豆袋のモンスターであったし、新年では今年の干支であるネズミのモンスターだった。
ならば今回はチョコレートのモンスターでも出ているのだろうとフィガロは考えたが、
『女の子』
「…………え?」
『美少女モンスターらしいガル。種族は「悪魔」ガル』
「……………………」
「愛の記念日に「悪魔」持ってくるの?」、「要するに女の子からチョコレート奪い取るイベント?」、「つまりこれから戦車とカンガルーが女の子を爆破してチョコ強奪する光景が?」等々、一応キリスト教徒でもあるフィガロは心の中で色々考えたが、それを口に出したりはしなかった。
ただし、代わりに一言。
「運営、何考えているのだろうね」
『……イベント担当の管理AI、バレンタインデーを何か勘違いしたのかもな。その「悪魔」、チョコレート投げつけた上に与ダメージの三倍のHPを吸収するらしいから』
三倍返しってそういうことじゃないよな、とシュウは嘆息した。
◇
数時間後、二人を乗せたバルドルは目的地に到着した。
このマップはレベル51以上のモンスターが跳梁跋扈しているので上級のシュウには丁度いい狩場だ。
ここでしばらくイベントモンスターを狩っていくつもりだったのだが……。
「あれってイベントモンスターじゃないよね?」
『……とりあえず頭上に名前は見えないな』
――そのマップには、イベントモンスターでもなければ、それらを狩る<マスター>でもないものがいた。
それは巨大な二本の“足”。
一本一本が鉄塔のような“足”は、その巨大さでありながら地面を軽快に……そして地震を引き起こしながら踏みしめてスキップしていた。
付け加えれば、その足の着地点には<マスター>らしい人々の姿があり、潰されては光になって消えていく。
そして最もシュウとフィガロが奇怪に思ったのは、
『アハハハハハ!! 潰れろぉ! 潰れろぉ! カレも泥棒猫も全て潰れてしまえェェェええ!!』
巨大な“足”の上から聞こえてくる、木霊するような女性の雄叫びだった。
『…………』
「…………」
優れた<マスター>であり、幾多の修羅場を越えてきた二人は、今起きていることを冷静に分析した。
声の主の女性は<マスター>なのだろう。
あの“足”は<エンブリオ>なのだろう。
この上級のマップにいる<マスター>を蹂躙しているのだから、相当強いのだろう。足元から放たれている攻撃を無為とばかりに蹴散らしているし、間違いない。
しかしそんな冷静な分析より何より、……女性から声で伝わってくるドス黒い怨念が如実に伝えていた。
シュウは察する。「あれは関わったら駄目なタイプだ」、と。
フィガロは思う。「あれは強そうだから戦いたいな」、と。
このズレは、放たれる怨念に危機感を抱くか否かの問題かもしれない。
恋も愛も未経験のフィガロには、触れたら死にそうなドロドロの怨念が理解できないのだ。
『河岸を変えるガル』
「え? ……あ、うん」
素早く決断したシュウと、ちょっと残念そうなフィガロを乗せたままバルドルは進路を変え、一八〇度向きを変えてこの場を去ろうとする。
だが、
『そぉこにぃもカップルがいたかァァああ?』
頭上から、地獄に響くような声が降り注いだ。
見上げれば、そこにはあの鉄塔の如き“足”がある。
『…………』
「…………」
二人は冷静に計算する。
恐れるべきは、“足”の接近に二人が気づかなかったこと。
類稀な直感を持つ二人が、だ。
瞬間移動か、あるいは別の何か。
しかも、既にこのマップにいた他の<マスター>を全滅させて、シュウ達の近くに来たらしい。
戦うならば間違いなく強敵だと判断した。
シュウは『面倒なことになりそうだ』と考え、フィガロはワクワクしていた。
『あー、俺達は』
戦うにしろ何にしろ、シュウがまずはコンタクトとして声を掛けてみる。
『え? なに? 着ぐるみの中身は男……』
が、そこで予想外の反応があった。
“足”の上から聞こえてくる女性の声は、何かに驚いているようだった。
そして、
『……お前らはBLカップルか?』
『「違います」』
上から投げかけられてきた質問に、二人は即答で否定した。
『ならばよぉぉぉし……ちょっと待っててね』
唐突に、それまでの地獄のような轟きが鳴りを潜めた。
鉄塔の如き“足”が消失し……上空からふわりと女性が舞い降りてくる。
……より正確に言えば、重力に任せるまま百メートル以上の高さから豪快に着地していたわけだが。
空から降ってきた女性は、二十代半ばか後半で、見た目は美人だった。
見た目は。
「私はハンニャ。ごめんなさいね、おどろかせて」
それは先ほどまで恐ろしい奇声を発しながら大量PKを行っていたとは思えない穏やかな声音だったが、『それが逆に怖い』とシュウは思った。
あと、『どんな意図込めてそのネームにしたんだ』、とも。
『……俺はシュウだ』
これまで色々な経験を積んでいるだけあって、女性の機微と怖さは重々承知しているシュウだった。
逆に、
「僕はフィガロ。はじめまして」
フィガロがいつもとまるで変わらぬ様子で挨拶しているのは、それを全く知らないゆえだ。
その変わらなさに少し助かりつつも、『こいつ地雷踏まないだろうか』とちょっと心配になるシュウだった。
「そうだ、あなたも挨拶しなさいな。サンダルフォン」
『はい、わかりました』
声と共に、彼女の手の甲の紋章が発光し、中から何者か……彼女の<エンブリオ>が現れる。
だが、その<エンブリオ>は奇妙だった。
人の姿をしている。いや、それだけなら奇妙ではない。人に近いガードナーや、あるいは少女の姿をしたメイデンは二人とも見たことがある。
だが、その<エンブリオ>は違った。
ガードナーのように、人に似ていても人と違うパーツが付いているわけではない。
だが、メイデンのように少女ではなく……少年の姿をしていた。
人間の少年の姿の<エンブリオ>、そんなものは今まで見たことがなかった。
「ぼくの名前はサンダルフォン。TYPE:アポストルwithエンジェルギアです」
◇
使徒……それは二人がこれまで聞いたことがないタイプだ。
付随するエンジェルギアも同様。もっともこちらはアームズかチャリオッツから発展した、オンリーワンのカテゴリーなのだろうと見当がついたが。
それにそのパワーは凄まじい。
マップの状態を見れば、サンダルフォンが踏み砕いたために壊滅的な被害が出ている。
……イベントモンスターだけはカップルでないとダメージが入らない仕様だから普通に生き残っていたが。
『……これ、ティアン巻き込まれてねえだろうな』
『そうだったら大惨事なんだが』とシュウが呟くと、
「安心して。この子にはNPCと<マスター>を見分けるスキルもあるの。だからNPCは死んでいないわ。別にNPCに怨みはないし、殺したいわけでもないものね」
ハンニャは穏やかな笑みを浮かべたままそういった。
その発言に、『つまり<マスター>には怨みがあって殺したいのかよ』とシュウは着ぐるみの内で冷や汗を流しながら思った。
『なぜ怨嗟を振りまきながらPKしてたガル?』
「カップルが敵だからよ」
『……俺たちを攻撃しなかったのは』
「カップルじゃないからよ」
応答している内にシュウは深く察した。
『あ、この人、めちゃくちゃこじらせていらっしゃる』、と。
これ以上聞くとやばいな、と判断して話題を変えることを決意する。
だが、
「なんでカップルが敵なのかな?」
『フィガ公ぉぉぉぉぉ!?』
隣のおだやか脳筋は彼女から漂ってくる恋愛の暗黒面に気づいていないのか、起爆させかねない質問を普通に投げかけていた。
しかし当のハンニャもまた、フィガロの問いかけに対し、静かに答え始めた。
「あれは、今から五十二日前……こちらでは五ヶ月ほど前のことよ」
『……あっ』
バレンタインから、五十二日前と聞いた時点でシュウは察してしまった。
その日もまた、恋に関わり深い記念日だからだ。
「そう、クリスマスの日。私には結婚を前提に付き合っていた彼氏がいたわ」
昔を懐かしむように、穏やかな目で彼女は語っている。
だが、シュウにはわかる。これはジェットコースターがのぼっていく過程のようなものなのだ、と。これから感情の急速落下と暴走が来るのだ、と。
もちろんフィガロは分かっておらず、フンフンと呑気に聞いている。
「彼氏のために手編みのセーターとマフラーと手袋を作ったし、クリスマスのディナーも手作りでフルコース……ケーキも三段重ねを焼いたわ。それに婚姻届と結納金も準備できていたから、プロポーズを受ける準備は万全だったわ」
シュウは『重い』という心の声を、口には出さなかった自分を褒めてやりたかった。
なお、フィガロは「それはすごいね」と素直に感心している。
「でもね、約束の時間になっても彼は私の部屋には来なかったわ……」
『……来たか』
「え? 来てないんでしょ?」
シュウは『そういう意味じゃねえよ』という言葉を飲み込んだ。
「何回も電話とメールをしても返事がなくて、一時間遅れのメールにはただ一言…………「別れよう」、って」
『…………』
「どうして?」
フィガロが続きを促すと、彼女はクワッと目を見開き、乾いた笑みを浮かべて
「「<Infinite Dendrogram>でもっと好きな人と巡り合って、リアルでも付き合うことになったから、ごめんな」、って……アハハハハ」
そんな、ちょっとどうしようもないことを言った。
『…………』
MMOでの関係から発展したリアルの恋愛、そしてネトゲ婚。それは半世紀近く前から既に存在したことだった。
しかもここは<Infinite Dendrogram>。五感があり、極めてリアルなこの世界ではより恋愛に発展するケースが多い。パーティを組んで強大なモンスターと戦えば、吊橋効果だってあるだろう。
<Infinite Dendrogram>が始まって半年以上が過ぎ、デンドロ婚、という言葉も出始めていた。
しかしだからと言って、
「どうして私が、彼氏に、ゲームを理由に、捨てられなきゃいけないのよぉぉぉぉぉぉ!!」
捨てられた側が納得できるかと言えば、それは全くの別問題だった。
……恋愛の形は人それぞれだし、恋愛の起点も千差万別ではあるだろう。
だが、終点では綺麗に終わらせてくれ、とシュウは思った
なぜなら、自暴自棄に暴走した人が残ると他の人にも大変メイワクだからだ。
「あ、もしかして今デンドロをやっているのは……」
「私を捨てた元カレと泥棒猫をまとめて踏み潰してやるためだアアアアアアア!!」
ハンニャは泣きながら、心の底から自身の願望を吼え叫んだ。
彼女の隣にいるサンダルフォンが背中を摩りながら宥めている。
物凄く手馴れているので、よくあることなのだろう。
『…………』
リアルの修羅場をデンドロまで持ち込まないでくれ、とシュウは深く思った。
「ふぅ、ふぅ、ごめんなさいね、思い出すとどうしても……ごめんなさいね?」
絶叫して少し感情が発散できたのか、彼女は少しだけ落ち着いた。
少しだけだったが。
『その辺はリアルで法的に慰謝料とかで解決すれば……』
「リアルでは判決のせいでもう近づけないのよ。前科がついて会社もクビになったわ。でも、こっちならまだ復讐できるの」
『法的解決の前に物理的に事件起こしてらっしゃる……?』
彼女の回答に対するシュウの呟きは聞こえなかったらしく、彼女は自身のこれまでを話し始める。
「二人に復讐するためにデンドロを始めて、最初はカルディナに所属していたけれど、見つからなかったのよ。大陸の真ん中ならすぐ見つかると思ったのに……。だから今度は西に来たの、彼ってアジアよりヨーロッパの方が好きだから。私のお金でイタリア旅行をしたときも……」
『ああ、うん。事情は分かった。それで、このマップにいたカップルパーティを潰して回ったのは……』
「全部元カレと泥棒猫に見えたのよ。だって、カレのこっちでの顔は知らないし、泥棒猫は名前も知らないもの。だからカップルは全部カレと泥棒猫だと思ってTU・BU・SUの」
シュウは『狂気の世界に片足踏み込んでるじゃねえか』と思いつつ、今の発言にふと思うところがあった。
『カレの顔は、ってことはアバターのネームは知ってるのか?』
「ええ、前に『ロックパンサーのデンドロ巡り』ってブログを開いていたから、名前はロックパンサーのはずよ。あまりアクセス数を稼げていなかったし、私が炎上させたからもう閉鎖されているけれど」
『炎上…………うん、ま、わかった。ロックパンサーだな。ちょっと待っててくれ』
「どうしたの?」
『いや、ひょっとしたら、あんたの探してる相手が見つかるかも……』
「――本当?」
鬼気を漲らせた眼光で、ハンニャがシュウに問いかける。
それは一切の嘘と冗句を許さない眼光だった。
シュウは『だから「ひょっとしたら」って言ってんだろうが』という言葉を飲み込み、『知り合いの情報屋に問い合わせてみる』と答えた。
シュウはハンニャから離れ、アイテムボックスからあるアイテムを取り出した。
それは通信魔法が内蔵された高価なアイテムで、とある情報屋――<DIN>の上得意先にしか配られていないものだ。
受信機を持つ<DIN>の担当職員にしか繋がらないが、逆に言えばどの国にいても繋がる。
『あー、もしもし俺だ。ちょっと人捜しを頼みたいんだが……』
シュウはそうして情報屋に問い合わせ始めた。
『……これ、見つからなかったら対人戦に突入するだろうな』と考えながら。
◇
シュウを待つ間、フィガロはそのままハンニャとの会話を続けていた。
「ところで、かなり強いみたいだけど、ジョブや<エンブリオ>の到達形態は何?」
このマップで狩りが出来る熟練のプレイヤーを一方的に蹂躙できるのだから、相当高いのだろうと踏んでの質問だった。
より突き詰めれば、「決闘できないかなぁ」とフィガロは考えていた。戦闘狂である。
「ジョブは……何だったかしら?」
それはジョークの類ではなく、素で自分のジョブを忘れているようだった。
元カレと泥棒猫への復讐という目的が彼女の中で巨大すぎ、他の事まで気を回していないのかもしれない。
「今は【狂王】ですよ、ハンニャ様」
「ああ、たしかそうだったわ」
隣のサンダルフォンが助言すると、ハンニャも思い出して頷いた。
「……超級職」
フィガロが言うように、【狂王】は狂戦士系統の超級職だ。
彼女の発言通りなら、彼女がデンドロを始めたのは早くても五十日前、デンドロ時間では三倍とはいえ、驚異的スピードなんてレベルではない。
フィガロとて闘士系統の超級職を目指しているもののまだ届いていない。
もっとも、届かない理由は闘士系統の超級職を獲得する条件の一つが「決闘ランキングで一位になること」だからで、その条件以外はクリアできている。
現在のフィガロのランキングは二位。今は一位のトム・キャットの打倒を目指して、準備をしている段階だ。
なお、件のトム・キャットは別の超級職についているらしく、闘士系統超級職【超闘士】には興味を示していない。
また、他国のランキングトップも各々の理由で【超闘士】になっていないため……ある意味ではフィガロが最も近い位置にいると言える。
ちなみに、ハンニャは覚えていないし、サンダルフォンは主の恥なので言うつもりがないことだが……【狂王】の条件の一つは普通なら達成できないものである。
それは「目についた人間を十秒以内に殺した回数が444回を超える」というものだ。
まさに狂戦士。
まともな神経をしていれば実行しようとは思わない。
というか、できない。
たったの十秒で殺す殺さないの判断をしてそれを完遂するなど、それこそ【狂戦士】の如く判断を捨て「全て殺す」としなければ不可能だ。
過去にティアンしかいなかった頃なら殺人犯として成敗される。
そして実際にやろうとして成敗された者が多く、結果として条件ごと【狂王】の存在が風化していた。
で、<マスター>同士ならばやる者もいたかもしれないが、転職の条件自体が上述の理由からサービス開始時点で完全に埋もれていた。
恐らくは今も、狂戦士系統の超級職を目指してああでもないこうでもないと試行錯誤する<マスター>がいることだろう。既に就いているものがいるとも知らず。
さて、普通はできないし、やらない【狂王】の条件。
しかし、彼女の場合はできたし、やってしまったのである。
それもこれもサンダルフォンに<マスター>を識別するスキルがあり、ハンニャが<マスター>のカップルと見れば速攻で潰しにいく危険人物だったからだ。
そんな彼女の奇行凶行の結果として、全く意識しない内に彼女は長く埋もれていた【狂王】の条件を達成し、その座に就いているのである。
「それと、僕の到達形態ですが……現在は第六となっています」
「第六……凄いな」
それはまだ、シュウもフィガロも到達していない形態だ。
そろそろ進化する頃合だとは思っているが、今はまだ第五形態のままだ。
「アポストル、だっけ。進化が早い特徴でもあるのかもしれないね」
「そうね。私はサンダルフォンくらいしか知らないからよくわからないけれど……」
「ぼくも同類はほとんど見ません。なぜでしょう?」
一時期、カテゴリー別性格診断というものが流行った。
基本カテゴリーのどれに属するかで性格を当てよう、というものだが……それでいくとレア中のレアであるアポストルはどのような性格になるのだろうか、とフィガロは疑問に思った。
「…………」
と、フィガロはハンニャが不思議そうな顔で自分を見ていることに気づいた。
「どうかした?」
「その、カレと別れてから、誰かとまともに話すのが久しぶりな気がして。サンダルフォンくらいなのよね」
「そうですね。ぼくの記憶にある限りは初めてです」
当然と言えば当然。
彼女はカップルの<マスター>を見ただけで平静を失ってPKに走り、そんな彼女は周囲から見れば狂犬……というのも生温い何かだ。
彼女自身も、自分がおかしいことには気づいているのだ。が、気づいていても、感情が昂ぶると制御が出来なくなる。
あのシュウですら若干引きながら対応するレベルだ。
「あの、本当に私と話していても大丈夫? 私、おかしいでしょう?」
彼女に対して平静に色眼鏡なく対応できる人間など、
「どこが?」
彼女のどこがおかしいのかを、そもそも理解していないフィガロくらいのものだろう。
人生経験の薄さゆえ、彼女の奇行や暴走もそういうものなのだろうと受け止めている。
「…………」
一切の嘘の演技もなく、本心そのままに「彼女のどこがおかしいのか」と問い返してくるフィガロ。
そんな彼に対して……ハンニャの胸がわずかに高鳴った。
「……私、復讐を済ませたらもう一度あなたに会いにきてもいいかしら」
「? 構わないよ。僕もハンニャとは(決闘のために)また会いたいから。連絡取るためにメールアドレス交換する?」
「ええ! もちろんよ!」
そんな流れで……世間知らずのお坊ちゃまとヤンデレ狂王はメアドを交換したのだった。
◇
『分かった、ありがとな。…………ロックパンサーの居所が判明した』
二人の会話の途中で、通話を終えたシュウがそう言った。
ハンニャはそれに反応し、音がするほどの速さで振り向いた。
「――本当?」
『……<DIN>っていう大陸規模の情報屋のところのリストを照会したらあった。今はレジェンダリアに所属してるらしい。詳しい情報はあとから<DIN>の窓口いってこの紙に書いてある番号伝えればもらえる』
「ああ…………」
ハンニャは感極まったように、涙を浮かべながら手を合わせる。
「この国に来て良かった……このマップに来て良かった……出会いがあって……復讐の手がかりまで……。なんてことなのかしら、あなたが天使に見えるわ」
『天使はあんたの<エンブリオ>じゃないのか』と言いたくなったが、言わない。落ち着いているように見えてもどこで地雷を踏むかわからないからだ。
「あはは、天使はハンニャのサンダルフォンじゃないかな」
が、それを全く気にしていないフィガロの発言。
『こいつ実は【闘士】じゃなくて【勇者】なんじゃないか?』とシュウは心の中で驚愕した。
幸いそれは地雷ではなかったようで、ハンニャも「うふふ、その通りね」と笑っていた。
なぜかフィガロに対する態度がすごく柔らかいことをシュウは不思議に思ったが、何も言わなかった。
「それじゃあ私は早速レジェンダリアに向かうわ。ここから南でいいのよね?」
『ああ、南に真っ直ぐ行けばレジェンダリアに入れるガル』
「重ね重ねありがとう。私の復讐が済んだら、今度は私があなたのお手伝いをさせてもらうわ」
『いえ、お構いなく』
シュウは心底そう思った。
「それじゃあね、シュウさん。それに……フィガロ!」
彼女はフィガロに歩み寄り、何かを手渡した。
「これは……」
「さっき手に入ったの。ほら、今日はバレンタインでしょう?」
それは、イベントモンスターのドロップアイテムであるチョコレートだった。
「メールを書くわ。また……会いましょう」
「うん、またね」
彼女は手を振りながら……再び鉄塔の如き“足”に変形したサンダルフォンに乗って高速で地平線の彼方に走っていった。
向かう先はレジェンダリア。
そこではきっとリアルの修羅場の続きが展開されるのだろう。
シュウは思う。『ああ、彼氏がいるのが王国じゃなくて良かった』、と。
レジェンダリアには気の毒な話だったが。
『……あとの問題は当人達で片付けてもらおう』
話を聞くと彼氏の側にも多分に問題があったので、きっとそれが正解だろうとシュウは思った。
…………思うことにした。
◇
結局、シュウはイベントモンスターの狩りをしないことにした。
気疲れしてしまって、やる気も何も起きなくなってしまったからだ。
そんなわけでシュウとフィガロを乗せたバルドルは、気持ちトロトロと走りながら王都に向かっていた。
その帰り道、フィガロはハンニャとサンダルフォンについて残っていた疑問を、シュウに相談していた。
『カテゴリー別性格診断?』
「そう。それでいくとアポストルってどうなるのかな?」
『……ふむ』
「行動力がある人かな?」
『……いや、それならもっといると思うぞ』
「あ、そうか」
あれを「行動力がある」で済ませるフィガロは大物なのかもしれないと、シュウは少し感心していた。
『ま、サンプルが一つしかないから断言はできないが、予想はつくな』
「それは?」
シュウはハンニャの言動と、同時にアポストルがこの<Infinite Dendrogram>に殆どいない現状からある答えを出していた。
それは……、
『“<Infinite Dendrogram>が嫌い”、だよ』
実に、矛盾した答えだった。
「……なるほど。それはいないはずだね」
<Infinite Dendrogram>は好きだから、興味を惹かれたから始める。
<Infinite Dendrogram>をプレイする過程で何かが起きて、嫌いになる人はいるだろう。
だが、最初の最初、<エンブリオ>が孵化するまでの間に……心底<Infinite Dendrogram>を嫌う人間などまずいない。
それこそ……自分を捨てた彼氏と、彼氏を<Infinite Dendrogram>で奪った泥棒猫への復讐のために、わざわざ<Infinite Dendrogram>を始める人間でもなければ。
「そうか。アポストルの特性じゃなくて、その執念が成長の早さの理由だったのかもしれないね」
『ま、そこはわかんねえけどな……』
アポストルの<マスター>とは、スタート地点から矛盾した<マスター>なのだろう、とシュウは考える。
そして同時に思う。
『最初から<Infinite Dendrogram>が大嫌いなのに何か理由があって始めるアポストルの<マスター>は、きっとどいつもこいつも面倒な奴だな』、と。
「でも、僕より先に行っている人を見たのは、トム・キャットに続いて二人目だよ。僕ももっと頑張らないと」
『おー、がんばれがんばれ。試合は応援してやるガルー』
予定とは違ったものの、気合を入れなおす友人の姿を見て、『ま、これはこれで良かったか』とシュウは納得していた。
あとはドライブ代わりに王都までバルドルを走らせて今日は終わりだな、とシュウは考えていた。
『?』
「モグモグ……」
シュウはフィガロが何かを食べていることに気づいた。
それは先ほどハンニャからフィガロに手渡されたチョコレートだ。
折角貰ったものを景品交換に使うのは忍びないと思ったのか、自分で食べることにしたらしい。
『…………』
シュウは、ハンニャがフィガロだけにチョコレートを渡していた時点で、彼女の気持ちを概ね察していた。
憎悪の矛先はロックパンサーに定まったままだが、愛情の矛先はフィガロに向いたのだろう、と。
恋愛に対して鈍感……どころか不感とすら言っていいほどのフィガロだ。将来的にハンニャと恋愛関係のトラブルが起きるかもしれないとはシュウも考えた。
だが、シュウは『フィガ公の場合はそれでいいか』と結論づけた。
話がこじれて殺し合いに発展したとしても、強敵と戦えてフィガロは望むところであろう。
『つーか、フィガ公も少しは女性の機微と怖さを知った方が良いガル』
「?」
フィガロはシュウの言葉の意味がよくわかってないのか、首を傾げながらチョコレートを齧っていた。
と、そこで何かに気づいたように「あ」と声を出す。
「イベントモンスターはカップルパーティでしか倒せないのに、どうしてハンニャはチョコレートを持っていたのかな?」
『…………さあ?』
シュウは何も言わなかった。
『イベントモンスターじゃなくて、ハンニャにPKされたカップルがドロップしたアイテムだからじゃねえかな』という真実を口にはしなかった。
見方によっては強盗殺人チョコである。
十中八九、フィガロは気にしないだろうが、友人が食べているチョコの、血に染まった来歴を伝える必要もないだろうとシュウは思ったのだった。
そうして、二人を乗せた戦車は夕日が沈む道を走っていった。
◇
この後、ハンニャは所属国をレジェンダリアに移し、<DIN>で得られた情報を使って本格的に二人を探した。
そしてバレンタインイベントの最終日には、ロックパンサーとその恋人をとある街で発見。街の中で暴れ回って見事に復讐を果たした。
が、その後はティアンの特殊超級職やレジェンダリアのランカー総勢十人によって討伐され、器物損壊や建物の倒壊に巻き込まれたティアンへの傷害の現行犯で“監獄”送りになった。
しかし運良く死人は出ず、殺人にはならなかったので……デンドロ時間で三~四年程度で“監獄”から出所できるらしい。
収監後の彼女は、晴々とした気分でリアルの生活を整えた。復讐にかまけている間に色々問題が出ていたのを直しているらしい。
また、デンドロにも時折ログインしている。ストレス解消のためか、あるいは出所後の準備なのか、“監獄”に収監された<マスター>を蹴散らしながら彼女は腕を磨いている。
出所後にはフィガロと再会する約束をしており、文通も続けているという。
◇◇◇
さて、二○四四年のバレンタインを振り返ってみよう。
シュウは結局狩りが出来なかった。
マップにいた<マスター>は理不尽にPKされた。
修羅場に巻き込まれたレジェンダリアの住人達にとっては災害という他ない。
そして、修羅場の元凶ともいえるロックパンサーは、今回の件が引き金となり、元々彼女の方が不満を持っていたこともあって今の彼女と別れることになった。
このイベントはほとんどの者にとって不幸な結果だったが、二名だけ幸福を得ていた。
それはハンニャとフィガロの二人。
ハンニャは復讐による清算を済ませ、清々しく新生活と新たな恋を始めた。
フィガロは新たに決闘仲間ができた……と思っている。
そう、フィガロは素でそう思っている。
文通でも「(決闘のために)ハンニャに会いたいな。早く出所できるといいね」とか書いている。
もちろん、ハンニャは別の受け取り方をしている。
ハンニャからフィガロへの恋の矢印は日に日に巨大化していくのだが、これまで人生で一度も恋をしてこなかったフィガロにはそれに気づく術すらない。
そんな風に擦れ違ったまま……リアルで一年以上、<Infinite Dendrogram>では三年以上の月日が経つ。
やがてこれが原因で一騒動起きるのだが……それはまた別の話である。
End
(=ↀωↀ=)<番外編はこんな感じで
(=ↀωↀ=)<シリアスな本編や外伝とは別に、概ねコメディっぽい感じで進みますー
( ̄(エ) ̄)<…………コメディ?
余談:
今回、書いている最中にクマニーサンの台詞の語尾をうっかり『クマ』と書いてから『ガル』に直す作業が二十回超えていました。