第十話 猛獣達のダンス
追記:
(=ↀωↀ=)<一部数値を修正しました
□■<サウダ山道・???>山頂崩落現場
山頂の陥穽の中で、彼らは戦っていた。
目まぐるしく立ち位置を変えながら切り付けあう彼らの戦いは……猛獣同士のそれだった。
それはある意味で自然だった。
片や真に猛獣の虎、対するものも……大差はない。
なぜなら彼らはどちらも餓えていたのだ。
生命の躍動に、己の身体を十全に振るう機会に。
だからこそ牙を剥き、己の本能のままに刃を振るう。
そして彼らは互いに思う。
「まだ終わってくれるな」、と。
両者の闘いの模様は――互角だった。
両手に剣を持つ【闘士】――フィガロは、無数の《攻性斬撃結界》を紙一重で回避しながら自身の刃を振るっている。
結界を展開する虎――【絶界虎 クローザー】も、その斬撃を棒状の結界で受け、更なる反撃に転じる。
一進一退。
互いの刃は未だ命に届かず、されど迫り合う。
傍から見て、両者の戦闘は互角だった。
だが、別の見方をすれば……互角であることが不自然だった。
――不可解
珠の中に閉じ込められていたとはいえ、【クローザー】は六百年の年経た魔獣。
さらには、閉じ込められる前は数多の敵を屠ってきた猛者。
敵手の力量を測る直感は会得している。
その直感に従えば……眼前のフィガロのレベルは50未満。未だ下級職一つ完全ではない。
それは正しく、フィガロのレベルは41。
ジョブレベル相応のステータスならば、二合ともたずに敗れ去っているはずだ。
だが現実には、フィガロは【クローザー】と渡り合っている。
クローザーの攻撃を巧みに避け、手にした剣を振るって《斬撃結界》を凌ぎ、切りつけている。
普通ならば不可能だ。
ステータスとレベルが噛み合わない。
仮にステータスが高くとも、彼が持つ数打ちの剣では結界を砕く前に折れているはずだ。
――装備か?
レベルが足りないのならば、装備でそれを補う。
しかしそれも矛盾する。
なぜなら強力な装備は着用者に扱うに相応しいレベルを要求する。
例外は【クローザー】のような<UBM>を撃破して入手する特典武具。
あるいは……。
――アクセサリーか?
六百年間、珠の中で人々の営みを見てきた【クローザー】は人の使う道具への知識もある。
ゆえに、アクセサリーが着用者にレベルを要求しないことも知っている。
フィガロの装備している四つの指輪と一つのブローチ、それがアクセサリーであることも悟っている。
――だが、あれは然程のものではない
その考えは正しい。
四つの指輪は、いずれもステータスを上昇させる指輪。
それぞれがSTR、END、AGI、DEXを固定値で200上昇させる、アクセサリーの作成に秀でたレジェンダリアではありふれたマジックアイテムだ。
とてもフィガロと【クローザー】の間にある地力を埋めるものにはなりえない。
ゆえに、【クローザー】はフィガロが自身と比肩する理由が分からなかった。
そしてもう一つ、【クローザー】には不可解なことがあった。
「……ッ!!」
一瞬、フィガロの足から力が抜ける。
その間隙を狙って【クローザー】が《斬撃結界》を振るう。
フィガロは脱力したものと逆の足で跳び、辛うじて回避するがそれでも脇腹を薄く斬られた。
そう、今のようにフィガロは戦闘中に時折疲れを見せる。
それは【クローザー】との戦いの開始時からそうだった。
始まったときからフィガロは傷つき、そして疲労も抱えていた。
まるで、“これまでずっと誰かと戦っていてそのまま【クローザー】とも戦っている”という風に。
しかしそれでも、フィガロの動きは早く、力は強く、剣捌きは巧みだった。
――不可解だ
――だが、面白い
【クローザー】は、フィガロの状態の不可解さをそれ以上勘案しなかった。
【クローザー】にとって重要なのは、フィガロが強く、自分と互角であり、何よりも闘争を楽しめる相手であったこと。
それ以上、【クローザー】にとって考えるべきことはない。
そう、考える必要もない。
フィガロが……右手の甲に中身が空っぽの【ジュエル】を着けていることなど。
◇
種明かしをすれば、フィガロが【クローザー】と互角に戦えている理由も、抱えた疲労も、原因は同じだ。
フィガロは【クローザー】と戦うまで一時間前から、ずっと戦い続けていた。
シュウが土竜人と共にバトルフィールドとなる空洞やトンネルを作っている間も、ひたすらフィガロは戦い続けていた。
相手は、彼の【ジュエル】に入ったままだった“インスタントモンスター”。
若い【闘士】にトレーニング用として購入される……安価だが一時間もすれば消えてしまうホムンクルス。
出したものを襲う設定で、トレーニングにしか使いようがないモンスター。
フィガロの【ジュエル】にはそれが使われないまま入っていた。
それは、勧められるまま購入したものの“インスタントモンスター”に忌避感を抱き、余らせていたもの。
フィガロはこの戦いの前にそれを解放した。
そうして“インスタントモンスター”を相手に一時間、それと戦っていた。
それこそがフィガロが疲労している理由であり――彼が【クローザー】と互角に戦えている理由。
フィガロの<エンブリオ>には現在二つの固有スキルがある。
装備数に反比例して装備品を強化する《武の選定》。
そして、“戦闘時間に比例して装備品を強化する”、《生命の舞踏》だ。
現段階の《生命の舞踏》は、戦闘時間三秒につき各部位の装備品強化能力を一%ずつ上昇させる。
フィガロは、【クローザー】と戦う直前までに一時間戦闘を続行し、そのまま【クローザー】との戦闘に突入した。
つまりは3600秒。
強化値にして1200%。
そう、フィガロは一時間のウォーミングアップを経て、自身の装備の性能を引き上げていた。
今このとき、ステータスを上昇させる四つの指輪は、フィガロのステータスを3000近く上昇させている。
そのトータルステータスは上級の域をも超えている。
他の武器や防具も強化され、剣は《斬撃結界》と打ち合っても折れることがない。
続けた闘争と二つのスキルによって【クローザー】とのステータス差は大きく詰まった。
そして、残るステータスの差を自らのバトルセンスで補い、フィガロは【クローザー】と五分に渡り合っている。
「…………」
フィガロは【クローザー】と戦うと決めたときから、「僕にはこのやり方しかない」と考えていた。
シュウがあらゆる手を使って勝ち筋を組み立てていたのに対し、フィガロには取るべき勝ち筋はその一つしかなかった。
“自身の能力を高め、真正面からぶつかる”しかなかった。
それがフィガロという男。
それまで停滞していた己の生の全てを、真正面からこの世界にぶつける以外の手段を知らない男だった。
とはいえ、フィガロに迷いがなかったわけでもない。
何時間も戦い続け、疲労と傷を抱えたまま戦場に立つことを見栄えが悪いとも感じていた。
何より、“インスタントモンスター”を使うこと自体に忌避感があった。
なぜ“インスタントモンスター”に忌避感を抱いていたのかは……実行している過程ですぐに気づいた。
ずっと【ジュエル】の中に押し込められ、出てきて動き出せば一時間もせずに死んでしまう“インスタントモンスター”。
それを無意識のうちに、本当の自分と重ねて見ていたのだ。
ずっと屋敷の中で安静にして、身体を思うままに動かせば発作を起こして死んでしまう自分自身と。
だから、フィガロはこれまで“インスタントモンスター”の使用を無意識に避けていた。
ウォーミングアップの最中に、それに気づいたフィガロは……笑っていた。
――なら、何も忌避する必要はない
――なぜなら、もう昔の僕とは違う
――今の僕には
――心を高鳴らせ、生命を燃やし、躍動させる喜びを知った僕には
――死よりも、それができないことが恐ろしいのだから
そうして彼は、過去の自分を重ねた“インスタントモンスター”との闘争を経て、【クローザー】との闘いに挑んだ。
心を高鳴らせながら、生命を燃やす闘いへと身を投じたのだった。
◇
――最初よりも、強い
戦闘時間が三十分を越えた頃、【クローザー】の脳裏にその考えがよぎった。
それはフィガロの攻撃の手応えによって得られたもの。
最初よりも剣圧が強く、棒状の《斬撃結界》の内にまで刃が食い込み始めている。
そう、《生命の舞踏》は戦闘時間に比例して強化される。
今このとき、【クローザー】との戦いの中でも、フィガロの力は強まり続けていた。
――なるほど、戦えば戦うほど強くなる、か
【クローザー】はその野生の勘と経験ゆえに、すぐさま固有スキルの正体を見抜いた。
そして考える。
――これは、悩む
悩む。
何を悩むかと言えば、早期に決着をつけるかつけないか、だ。
ここで時間を掛けて長期戦になればなるほどフィガロは強まり、勝敗の天秤は【クローザー】の敗北に偏る。
されど、これほどの強敵との戦いを、ここで終わらせてしまっていいものだろうか、とも【クローザー】は考えていた。
そうして考えた時間はホンの数秒。
導き出した答えは、
『ここで……決着をつける』
それまで遥かに上回る数の《斬撃結界》が展開し、陥穽の中を埋め尽くす。
地には人の身では通れないほどの数、鬱蒼とした密林の如き《斬撃結界》。
空中にも羽ばたく鳥さえ切り刻む、檻の如き《斬撃結界》。
天地全てを阻む絶界。
これこそは、【クローザー】が残存MPの全てを費やして放つ必殺。
その名も《断命絶界陣》。
かつて【龍帝】に敗れてから、珠の中で百年以上の時と瞑想によって編み出したスキル。
千を超える《斬撃結界》で遍く敵を寸断する、【絶界虎】最強の爪牙。
そう、このスキルの発動が示すように、【クローザー】が選択したのは最大出力による短期決戦。
それを選択した理由は強化されてゆくフィガロへの怖れ……ではない。
むしろ逆、フィガロの体力が尽きることへの怖れだった。
一時間半の戦闘を経て、フィガロの疲労も極限へと達しようとしている。
ゆえに、【クローザー】はこれ以上の長期戦をやるつもりがなかった。
最高の闘争相手との戦いを、竜頭蛇尾に終わらせたくはなかったからだ。
そして、その思いは……フィガロも同様だった。
「ありがとう」
眼前の光景を、自らを切り刻むために生み出された幾千の刃を前に、フィガロは……感謝していた。
フィガロも、【クローザー】と同じだった。
この闘いをつまらない形では終わらせたくなかった。
ゆえに、彼もここで全てを使い尽くす。
AGI補正のついた下半身防具を除き、全ての防具を外す。
アクセサリーも、ENDを上昇させる指輪を外す。
十四の基本装備スロットと【闘士】のスキルで増加していた武器一つ分のスロット。
計十五の装備スロットのうち、八つが未使用状態になる。
同時に装備数反比例強化である《武の選定》が発動し、彼のSTRとAGI、DEXがさらに跳ねる。
対して防御力は下級のそれに戻り……【クローザー】の攻撃が一度でも直撃すれば即死するだろう。
かくして、両者の準備は整った。
互いに己の出しうる力の全てを展開し、今このときに、これまでの生で最も心高鳴る闘争の決着をつけんとする。
そうして、風も吹かぬ陥穽に、僅かな静寂が満ち、
――フィガロが動いた。
彼は、下半身装備のポケットから袋――アイテムボックスを取り出す。
それを空中――【クローザー】の真上に放り投げ、次の瞬間には投擲した左の剣でそのアイテムボックスを貫いていた。
直後、アイテムボックスが破裂し――内部に収納されていた無数のアイテムがばらまかれる。
それは回復アイテムや素材アイテム、食料や水。
そして、無数の武器。
剣が、大剣が、槍が、長槍が、弓が、矢が、斧が、短剣が、鎖鎌が、鉄球が、暗器が……【闘士】であるフィガロが使うために保有していた数多の武器が空中に散乱する。
武器が降り注ぐ中、フィガロもまた地を蹴り、駆け出す。
そして左手に長槍を掴み、棒高跳びの要領で空中へとその身を躍らせていた。
決して通れぬ地の《斬撃結界》の密林の上。
そこにもまた《斬撃結界》が展開されている、空中へと。
『――旺ォ!!』
【クローザー】は吼え、空中の《斬撃結界》を動かしてフィガロを微塵に刻まんとする。
だが、《斬撃結界》が命中する寸前――空中でフィガロの身が跳ねた。
見れば、右の剣を空中の《斬撃結界》に叩きつけ、その反動で己の身を空中で躍らせていた。
次の瞬間、フィガロは空中で落下中だった短剣を左手で掴み、【クローザー】に向けて投擲していた。
【クローザー】は《斬撃結界》を動かしてその短剣を払うが、その一挙動の間にフィガロの姿は【クローザー】の視界から消えている。
直後、いずこからか飛来した槍が、【クローザー】の足を地に縫い止めた。
『ヌゥ!!』
飛来した方向に向けて、見もせぬまま《斬撃結界》を飛ばす。
何かが砕ける音が響く。
音の源は、フィガロが右手に持ち、空中での軌道制御に使っていた剣。
それが《斬撃結界》によって砕け散り、フィガロは完全な無手となる。
そして、その周辺には掴める武器もない。
『終わりだ、好敵手!!』
天と地、陥穽の中にあった《斬撃結界》の全てが、空中のフィガロに対し、包み込むように殺到する。
フィガロの身は細切れになり、勝負は決着する――
『――!』
そう思われた瞬間、フィガロは自身の右足を、最も早くフィガロに届いた《斬撃結界》に叩きつけていた。
姿勢制御用の剣の代わりに自身の足を使って、《斬撃結界》の面の部分を蹴りつけて、フィガロは空中で再度跳ねていた。
収束するように飛来する《斬撃結界》の隙間を無理やり潜り抜けたことで、全身を削られながら――フィガロは死地を切り抜けていた。
恐るべきは、それを実行した胆力か。
あるいは、それを成した身ごなしか。
◇
かつて熟練の闘士が、この戦いの前にシュウが、フィガロを一つの言葉で言い表した。
逸材、と。
それは皮肉ではない。熟練の闘士や、リアルで格闘技の経験を積んだシュウからすれば、本当に逸材だったのだ。
運動神経が、反射神経が、直感が……並外れているとすぐさま分かるほどの逸材だった。
それこそ、ステータスだけ高くてもここまで【クローザー】と渡り合うことはできなかっただろう。
フィガロだからこそ、ここまで戦えているのだ。
病身に生まれ、自身の才能を自覚できず、欠片も発揮する機会がなかった青年。
しかし、自由な世界に足を踏み入れた彼は――今この瞬間に己の可能性の全てを発揮していた。
◇
決死の《斬撃結界》を切り抜けたフィガロは、空中に落下していたある武器を両手で掴む。
武器の名は【ブレイズアックス】。
フィガロが有する武器の内、最大の攻撃力を誇るもの。
同時に、DEX上昇の指輪も外す。
ここから先に技術は要らない。
己の全てをこの一撃に……眼下で身動きを封じられている【クローザー】に叩きつける。
「クロォォザアアァァァァァァアア!!」
『臥ァァァァァアアア!!』
【クローザー】もまた、吼えると同時に刃で応じる。
それは隠し剣――【クローザー】の口中に隠されていた最後の《斬撃結界》。
口内から射出されたそれは、もはや軌道を変えることも払うことも叶わぬフィガロの喉元に突き刺さり――、
『――!?』
――何も成さぬまま勢いを失う。
同時にフィガロの装備していたブローチ――【救命のブローチ】が砕け散り、
――フィガロが【クローザー】の首を断ち切った。
To be continued
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