第九話 虎の闘争
■【絶界虎 クローザー】
【絶界虎 クローザー】と世界に名づけられた虎は、<Infinite Dendrogram>の時間で今から六百年以上前に誕生した。
生まれた地は、現在のカルディナ領……当時は砂漠ではなかった密林の中だ。
【クローザー】は生まれたときから【絶界虎 クローザー】……<逸話級UBM>だった。
【クローザー】でなかったときの記憶はなく、生まれながらの強者だった。
自然界において最も死の危険が大きい子虎のときでさえ、【クローザー】はその生存圏で最強の存在だった。
それこそ小腹をすかせた彼と遭遇したモンスターが、諦めて自ら餌となるほどに。
あらゆるものは【クローザー】より弱く、餌でしかなく、挑んでくるものは皆無だった。
そう、生まれながらにして【クローザー】はその密林で最強の存在であり……近隣に住まう者達からすれば神のような存在だった。
しかしそうであった反動か、【クローザー】はその密林を決して心地よくは感じていなかった。
彼が常々思っていたことを人の言葉に直せば……「これでは籠の鳥だ」というものになるだろう。
虎が鳥とは皮肉も利くが、それは彼の赤心だった。
密林の中で最初から満ち足りていたがゆえに、彼の心は一度も高鳴らなかった。
だからだろう。
成体となって一年後……【クローザー】は密林を飛び出し、東方へと旅に出た。
当時の成体となった【クローザー】の力は、世界の基準でいえば<伝説級UBM>といったところ。
東方への旅の途中、彼に戦闘を挑むティアンやモンスターはいたが……全て彼に倒された。
密林を出てからの旅の中でも彼は最強だった。
その最強が終わったのは、東方に辿りついてからだった。
一人の老人に【クローザー】は完膚なきまでに敗北した。
老人の攻撃は彼の作る結界を意に介さず、逆に彼の爪牙も攻撃結界も老人にはまるで通じず……最強であったはずの【クローザー】が赤子のようだった。
老人は、【龍帝】と呼ばれる存在だった。
クローザー同様に強い力を生まれもち、それを数百年鍛え続けた怪物。
当時の黄河で最強の存在。
そう、【クローザー】は初めて自分以外の最強に出会い、敗れ去った。
そうして、【龍帝】は秘術によって【クローザー】を珠の中に閉じ込めた。
【龍帝】に敗れ、珠の中に封印されてからの【クローザー】は、不思議と満ち足りていた。
自分が最強であったころには、一度も感じたことのない気分を味わっていた。
初めて、心を躍らせていた。
『……我はこれを望んでいたのか』
己と同格以上の敵との戦い。
【クローザー】は理解する。
それこそが自分の求めていたものなのだ、と。
己の望みを知った【クローザー】は、願った。
この珠を出てもう一度、あの【龍帝】と戦いたい、と。
◆
しかし、【クローザー】が初めて抱いた願いは叶わなかった。
【クローザー】が珠の中に封じられてから数年の後に、【龍帝】が天寿を全うして死んだからだ。
【龍帝】は自分の寿命が尽きることを予め知っていた。
だからこそ、【クローザー】を討伐せず、珠の中に封じ込めた。
討伐し、特典武具としていれば自身の死と共に世界に回収されるが、珠の中に封じ込めた状態ならば死後も残る。
自身がいなくなった後の黄河帝国、そして皇帝の座に就いたばかりの若い皇帝のことを考えた上で、【龍帝】は珠を遺した。
もっとも【龍帝】といえど、自身の死の数年後に皇帝も急逝し、黄河帝国が二つに割れるとまでは予想できなかったが。
兎にも角にも、【クローザー】は珠の中に封印されたまま、自身が好敵手と見定めた相手を失った。
珠の中にあれど、【クローザー】は【龍帝】の死を察することが出来た。
いなくなったのが分かるほどに【龍帝】の力が強大だったためか、あるいは彼を珠に封じ込めた術が【龍帝】の成したものであるためか。
いずれにせよ、彼は【龍帝】が死んだと知っていた。
それを深く悲しみはしたが、こうも考えていた。
『あの老人と再戦できないのは残念だ』
『だが、我が知ったようにこの世は広い』
『きっと、あの老人と同じように、我と心躍る戦いをしてくれるものもいるはずだ』
【クローザー】はそう願った。
いつかまた強者達と戦いたい、と。
同時に、一つの可能性を考えていた。
『我はこれから珠として、マジックアイテムとして使われることだろう』
『それはきっと激しい戦いになるはずだ』
『いずれかの機会で珠が壊れ、外に出ることも叶うかもしれない』
『そうなれば、我は存分に闘争の相手を探しにいける』
そんな期待を抱き、機会を待ちながら……【クローザー】は珠の中で瞑想に耽った。
◆
しかし思惑に反し、【クローザー】は珠の中は愚か、蔵を出されることすらないまま……数年が経過した。
【クローザー】の考えていた激しい戦い、皇帝の座を争う内戦は起きたが……その渦中でも【クローザー】はマジックアイテムとして使われることすらなく、蔵の中だった。
先代【龍帝】の遺産を内戦に使うことを、古龍人が躊躇ったためである。
それは良識と言えば良識であったが、【クローザー】にしてみれば要らぬ世話だった。
そうして【クローザー】が戦いを経ぬまま内戦は終わり……【クローザー】の珠は土竜人に下賜され、西へと渡ることになった。
その旅の中、【クローザー】は自身の結界が使われていることは理解していた。
そうして使われる度に『恐るべき強者が現れ、この珠を壊し、我と闘争をしてくれないものか』と考えていた。
しかしてそれを為すほどの猛者も現れないまま、土竜人は西の地に辿りついた。
そして【クローザー】の珠は御神体として祀られた。
土竜人達は彼を崇め、捧げものをし、年に一度は祭事の歌や踊りを披露する。
彼らは真に彼を敬っていた。
彼を使って闘争を行うこともなく、代々守り神として崇め奉っていた。
【クローザー】は、それにこそ絶望した。
【龍帝】と再戦できなかったことよりも、内戦に参加できなかったことよりも、西への旅路で強者が現れなかったことよりも……祀られていることに絶望した。
あの、密林から飛び出して真の自分の望みを見つけた後で、あの密林と同じような状況に引き戻されているのだから。
密林の、満ち足りたが“何もなかった”頃と同じになっているから。
敬われていても、愛されていても、それで【クローザー】は幸福なわけではない。
【クローザー】にとっての幸福とは、強者との命懸けの戦いで心を躍らせることなのだから。
『強者を』
『我に、闘争と、強者を』
彼は切に願った。
だが、彼の幸福は叶わぬまま……六百年の時が経つ。
◆
長い時の中で、彼は少しずつ磨耗していく。
珠の中で、餓えることや渇くこともなくても、少しずつ衰えていく。
六百年を経る内に、伝説級だった【クローザー】の力も逸話級にまで落ち込んでいた。
『闘争を……』
『強者を……』
その一念を抱きながら、【クローザー】は緩やかな揺り籠の中にあった。
そのままもう数百年が経って、静かに命尽きるまで祀られるだけだと思っていた。
そんなとき、何者の導きによるものか、彼以外の<UBM>である【孤狼群影 フェイウル】が襲来し、【絶界虎 クローザー】は解き放たれた。
『時が来た』
『時が……来た!!』
その瞬間、彼の心は歓喜と期待に包まれる。
同時に、数百年ぶりに自身の力を全開にして、山一つ包み込む大結界を展開。
加えて、眼前の強者――【フェイウル】との戦場となる黒い結界も展開。
【クローザー】は餓えていた。
闘争に、餓えていた。
眼前の【フェイウル】だけでは足りない。
【フェイウル】の次はこの山の生物全て。
その次は、この国の生物全て。
『闘争だ!』
『六百年待ち焦がれた、闘争の時だ!!』
【クローザー】は六百年間封じ込められていた自身の闘争欲求の全てを、この地の全てに叩きつけるつもりだった。
彼にとって幸いだったのは、最初の相手である【フェイウル】が強かったことだ。
一週間戦い続けても倒れないまま、【クローザー】と戦い続ける【フェイウル】は、【クローザー】にとって最高の相手だった。
そうして戦う内に【クローザー】の勘や能力の“錆”も取れてくる。
徐々に、徐々に、【クローザー】の力の出力は増していく。
かつて失った伝説級としての力を取り戻し始め……あるいはその先へと向かいかけている。
『勝負を決める』
『この狼を倒し、次に土竜人と戦い、さらにこの地の全てと戦う』
『闘争の祝宴だ!!』
しかし奇しくも、【クローザー】の願いはまたも叶わない。
山頂の突然の陥没。
その直後、クマの介入による【フェイウル】の離脱。
『…………』
水を差されたとしか言いようがない。
【クローザー】はその有耶無耶な決着に不満しかない。
だが、
「失礼。決闘の邪魔をしたのは謝ります」
新たに、【クローザー】の前に立つ者がいた。
「ですが今は、僕と死合っていただきたい。古き伝説の虎よ」
それは、人間だった。
人間であるが、かつての【龍帝】には遠く及ばない。
【フェイウル】と比べても、格は落ちるだろう。
しかし、その人間は最初から、【クローザー】と戦うためにそこに立っていた。
【クローザー】を【クローザー】と知りながら、【クローザー】と戦うためにここにいるのだと、直感で理解できた。
その挑戦がなぜか……【クローザー】には少しだけ嬉しかった。
ゆえに、【クローザー】は、その挑戦を受けた。
『数百年ぶりの闘争の代役だ。容易く死んではくれるなよ』
【クローザー】は言葉と共に、“錆”のとれた自身の能力……かつて最も得意とした《攻性斬撃結界》を展開する。
それは無数の棒状の結界。
それぞれが数多の攻撃を防ぐ盾であり……同時に相手の身を斬りさく刃でもある。
かつて密林で、砂漠で、あらゆる有象無象を切り裂いてきた【クローザー】の“爪牙”を前に挑戦者は――笑っていた。
「なるほど……。これは、“ワクワクする”」
口の端を僅かに上げて、目を輝かせる挑戦者。
自身の“爪牙”を見てもなお笑う挑戦者に、【クローザー】は思う。
――我もだ
そして、【クローザー】は挑戦者――フィガロへと飛び掛った。
To be continued
次回の更新は本日の22:00です。
( ̄(エ) ̄)<二本立てクマー
( ̄(エ) ̄)<そして脳筋闘争マニア同士の激突クマー
(=ↀωↀ=)<……似たもの同士