第八話 狼煙
◆◆◆
■【孤狼群影 フェイウル】
【フェイウル】にとっては狭いトンネルの中を、眼前のクマ目掛けて走る。
体をトンネルの壁や天井に擦らせながらなので速度は出ないが、牙を剥き、眼前のクマを追いかける。
あの日、【フェイウル】になる前の狼が、仲間を失った夜に見たモノを追いかけている。
なぜ追いかけるのか、それは【フェイウル】自身にも明確には分からない。
それは孤独を紛らわせるために【クローザー】と争っていたときとは違う。
それはあやふやなまま、されど膨大な熱量を持つ感情によるもの。
そう、あの日、仲間を失った日に見たモノから逃げることは、あの日から逃げることと同じだと【フェイウル】は感じていた。
孤独になったあの日の自分から逃げることだと。
だから、【フェイウル】は牙を剥いてクマを追う。
あの日の悲嘆を、少しでも晴らすため……あの日に背を向けた相手の一つをここで討ち滅ぼして。
そんな【フェイウル】の感情を知ってか知らずか、クマは後方の【フェイウル】を見る。
その作り物の瞳からは内なる感情も何も窺えない。
ただ、時折振り返りながら距離を測っている。
――追いつけない
クマを追う【フェイウル】は既に気づいている。
このトンネル自体が、自分を誘い込み、それでいて追いつかせないための仕掛けなのだ、と。
このギリギリ通れるサイズも計算したものだろう。
トンネルにはなぜか灯りのようなものが等間隔に埋め込まれており、視界は確保されている。
そのことからも、このトンネルが自然の横穴などでなく、目の前の相手が用意したものなのだと【フェイウル】は理解する。
加えて、
――鼻が曲がる
眼前のクマからは、酷い悪臭が漂っていた。
それは【フェイウル】にも覚えがある【ギャレルの実】という強烈な匂いを放つ木の実だ。
この山に自生していることは、この山に来て登っている最中に気づいていた。
だが、実を潰さなければここまでの悪臭はしない。
どうやらあのクマは【ギャレルの実】を潰し、自身の体に塗りたくっているらしい。
この狭いトンネルでそんなものの匂いを発されては、狼のそれを上回る【フェイウル】の嗅覚は完全に麻痺してしまう。
恐らくはそれが狙いなのだと【フェイウル】は気づいている。
――鼻を潰して、何が狙いだ?
それを疑問に思いはしたが、それ以前にこのまま追いつけない鬼ごっこを続けるつもりは【フェイウル】にはなかった。
自身の影から十以上の【影狼】を呼び出す。
それらにクマを追わせ、仕留めさせようとする。
だが、クマはそれを読んでいたように、振り向きざまに撃ち放った機関銃弾で【影狼】を駆逐する。
かつて自身の目の前で上位のモンスターを蜂の巣にしたように。
『…………ッ』
【フェイウル】は察する。
クマの使う銃器に、【影狼】では太刀打ちできない。
四方八方から囲めば話は違うが、ここは一本道。
クマは一方向に銃口を向けるだけで【影狼】に対処できる。
【フェイウル】自身でなければ、クマを倒すことはできない。だが、【フェイウル】はトンネルの狭さゆえに追いつけない。
このトンネルがそういう罠なのだと【フェイウル】は考える。
――だが、トンネルは永遠には続かない
――いつかは行き止まりになる
【フェイウル】がそう考えた矢先、クマの向こうに視界が開けていた。
どうやら、また空洞があるらしい。
トンネルで終わらせるつもりではなかったのだと【フェイウル】は気づく。
だが、それならそれでいい。
そこで追いつき、クマをその牙で仕留めようと【フェイウル】は画策する。
そうして、まずはクマが空洞へと飛び込み、
――空洞に繋がるトンネルの出口が炎上した。
『なッ……!』
【フェイウル】が驚きの言葉を漏らす。
見れば、空洞の入り口で大火が燃えているらしいと知れた。
【ギャレルの実】の悪臭に混ざって、何かの匂いがする。
それはこの山に来た最初の日に【フェイウル】が蹴散らした土竜人達からも漂っていた匂い……土竜人達が掘って生計を立てている石油の匂いだ。
クマは予め石油を空洞の中に用意しておき、あの【ギャレルの実】の匂いはそれに気づかせないためのものだと【フェイウル】は理解した。
『…………』
それがどうしたというのだ、と【フェイウル】は考える。
この程度の炎で諦めるとでも思ったか、と。
そうしてフェイウルは駆け、炎が燃え盛る地下空洞へと侵入しようとして、
『!』
直後、炎のカーテンを突き破って飛び込んできた砲弾がフェイウルを襲う。
砲弾が【フェイウル】の身を削り、血を吹き出させる。
砲弾は一発ではなく、二度、三度と間隔をおいて放たれてくる。
この段になり、【フェイウル】は相手の狙いが炎の壁を目くらましにした砲撃だと自身の読みを改めた。
砲弾は少しずつ【フェイウル】の身体を傷つけているが、
『舐めるな!!』
フェイウルは四度目の砲弾を回避し、そのまま炎のカーテンに……その先にある空洞へと飛び込んだ。
そこは完全に行き止まりの空洞だった。
トンネルの出口があった付近で石油が煌々と燃えている以外には、あるものしかない。
それは固定砲台。
厚い装甲板に覆われた銃座。
クマ――シュウ・スターリングの<エンブリオ>、バルドルの第三形態。
その砲門は当然のように、【フェイウル】へと向けられていた。
そして、五度目の砲弾が着地直後の【フェイウル】に向けて放たれた。
『ッ!!』
足の一部が削られる。
ダメージとしては最も大きい。
傷口を炎が炙りもする。
しかし……。
『この程度……!』
【フェイウル】は、足元の炎も、身を抉る砲弾も意に介さない。
炎によって高温に加熱し始めた空洞内でも小揺るぎもしない。
それは、【フェイウル】自身が有する、通常のモンスターとは桁違いのHPによるもの。
『燃え盛る炎でも、鋼の礫でも、俺は殺せない!』
なぜなら、今の【フェイウル】は<UBM>。
強豪生物の中の強豪生物。
この程度のダメージ、物の数ではない、と。
『その箱の中にいるのは分かっているぞ!』
【フェイウル】の嗅覚は、固定砲台の中から漂う【ギャレルの実】の匂いに当然気づいていた。
【フェイウル】は再び【影狼】を呼び出し、二十を数える【影狼】を固定砲台に差し向ける。
もはやトンネルではなくここは空洞。四方八方から【影狼】に襲わせることができる。
固定砲台も応戦して砲弾を撃ち出すが、ガトリング砲ほどには数に対応できていないし、砲の向きを変えることも出来ていない。
すぐに寄られ、囲まれ、【影狼】の爪牙で少しずつ装甲版を削られている。
そのままならば、数分もすれば装甲を引き剥がされて内部にいるはずのシュウを引きずり出すだろう。
そう、決着はもうすぐだ。
固定砲台はもう砲弾を吐き出すことをやめている。
【フェイウル】自身も固定砲台の砲撃範囲に入らない位置に移動している。
炎の勢いだって随分と弱くなっている。
あとは固定砲台の中にいるシュウの首を食いちぎれば終わる。
そうすれば、一つ……【フェイウル】を苛むあの日の記憶が薄れる。
【フェイウル】はそんな風に考えていて、
『ハッハッハ』
固定砲台から、笑い声が聞こえてきたのはそんなときだ。
『タフだクマー。動かせないし砲の向きも変えられない代わりに、数回当てれば亜竜も倒せるのが第三形態の砲なのに……<UBM>だからクマ? 獣なのに炎も恐れていないクマ』
『……何をぶつぶつと言っているんだ?』
【フェイウル】は問わずにはいられなかった。
【影狼】に囲まれ、このままなす術もなく引きずり出されて殺されると言うのに、声にはまるで緊迫感が感じられないからだ。
『あ、会話できるクマ。いや、気にするなクマ。ただの現状確認クマ。トンネルで駄目、砲弾でも炎でも駄目。強いのは分かってたけどダメージが少なくて驚いているクマー』
『……言ったぞ。燃え盛る炎でも鋼の礫でも俺は殺せないと』
【フェイウル】は苛立っていた。
相手の声に恐怖がない。
それはあの日の人間モドキと同じように感じられた。
『罠を張っていたが、そんなもので俺を、殺せるものかよ! クマの皮を被ったサル知恵のヒトモドキ!』
『心外クマー。こっちは勝ち筋の組み立てに必死なだけクマー。あと一発言に動物ぶっこみすぎクマー』
【フェイウル】の怒声に対してもやはり恐怖はなく、ひょうきんな様子で答える固定砲台の中のクマ。
『勝ち筋の組み立て? そんなもの、全て噛み砕いてやったぞ!』
『えー? それはおかしいクマー』
未だ怒りを孕んだ【フェイウル】の言葉に、
『俺はまだ――仕掛けの半分も見せちゃいない』
それまでのひょうきんさが嘘のような――空恐ろしくなる声音が返ってきた。
――なんだ、コイツ
――声から感じる気配が
――全然、違う
【フェイウル】は、その気配に息苦しささえも感じていた。
<UBM>であるはずの【フェイウル】が、息苦しさを。
『生憎、こっちは大勢の命の掛かった頼まれ事だ。キレイで真っ当な組み立てだけじゃやっていけねえのさ。お前がこれまで噛み砕いてきたようなのだけじゃ、な』
それまでのおどけた様子は微塵もない。
ただ、極めて純粋な決意だけがその声に含まれていた。
“どんな手を使ってもお前を倒す”という決意が。
『舐めるな、ヒトモドキ。お前じゃ、俺を倒せない。力が……違う!』
感じる息苦しさを誤魔化すように、【フェイウル】は己を鼓舞しながらシュウに言葉を放つ。
『力の大小か。それはあるだろうな。お前はとても強い狼で、俺は貧弱なクマの皮を被ったサル知恵のヒトモドキかもしれないぜ』
【フェイウル】に言われた罵倒を認めつつ、シュウは『だが』と言葉を区切り、
『狼でも、クマでも、サルでも、ヒトモドキでも……大して変わりゃしない』
そうして彼は一拍おいて……こう言ったのだ。
『――どいつもこいつも呼吸をしているんだからな』
その言葉の意味を、【フェイウル】には理解できなかった。
だが……、
『なに、ヲ……?』
その直後、【フェイウル】は眩暈を感じた。
それは、【フェイウル】となってからは初めての経験。
強靭な生命力をもつ【フェイウル】としては想定し得ない、体調不良。
『下調べって、大事だよな』
シュウはそんな【フェイウル】の様子に構うことなく、言葉を伝える。
『お前と虎がバトってたあの黒い結界。俺も色々調べたんだよ。撃ったり口説いたり歌ったり舐めたり……あとはキスしたりな』
そんな自身の行った奇行について述べてから、
『けど、俺は別に結界にキスしたくてしていたわけじゃねえ。ただ、息を吹き込んでいただけさ』
そんな理由を――現在の状況に至った原因の第一歩目を口にした。
『俺が吹き込んだ息は、結界を通って中に入っていった。つまりあの結界は空気を通していたわけだ』
◇
山中の結界に閉じ込められ、山頂に黒い結界を見つけたシュウはそれが原因だと推定してあらゆる調査を行った。
銃撃は無論のこと結界の耐久力を。
歌は音の反響を。
口説いたのは結界が何らかの意思あるもののまやかしでないかを。
舐めたのは結界が化学的に分解できるものであるかを。
そしてキスをしたのは……その結界の通気性を。
それぞれ調べるための行いだ。
第三者には奇行としか思えなかった行為の全ては、その場で結界の性質を確かめていたに他ならなかった。
そして結界の性質と内部環境、さらには【クローザー】との戦闘映像から……シュウは眼前の<UBM>の生存可能条件を推測していた。
◇
『結界が空気を通す。それは……少なくとも虎の方は酸素が必要だったってことだ』
シュウは訥々と自分の推論を述べる。
『そして、今この空間には……酸素なんてない』
あれほどに燃え盛っていたはずの石油の燃焼は止まっている。
酸素がない……これまでの炎で使い尽くしたのだから当然だ。
そしてよく周囲を見てみれば、いつの間にか【フェイウル】の入って来たトンネルは閉ざされている。
予め空洞付近に待機していた土竜人によって土砂で閉ざされている。
そう、今この空洞の内部は、密閉された無酸素空間だった。
『ま、お前の方にまで効くかはちょっとした賭けだったが……確率は高いと踏んだよ。真っ当な生き物の形をしているし、映像も、今も、呼吸をしているしな』
そうして、今度は説明ではなく、問いかける。
『一週間飲まず食わずは平気でも……呼吸はどのくらいしなくていいんだ?』
『……!!』
呼吸はしている。息は吸い込んでいる。
しかしそれが自分の身体を回らないことを【フェイウル】は自覚していた。
当然だ。
生命維持に必要な酸素は既に失われ、空気中に残った成分は窒素と不完全燃焼により生じた一酸化炭素くらいのものだ。
その環境下で生命を維持することができるモンスターもいるだろう。
【フェイウル】が呼び出した【影狼】も、狼の形をした影であるから問題はないだろう。
だが……【ティールウルフ】がベースの【フェイウル】はそうではなかった。
既に【酸欠】の状態異常に掛かっている。
それ以外にも一酸化炭素濃度の上昇による中毒が原因と思われる状態異常が複数確認された。
HPは減少し続け、長くともあと十分もすれば息絶える。
『お、前……は……?』
『俺が何で無事かって?』
【フェイウル】に問われ、シュウは何でもないことのように答える。
『固定砲台の中に、土竜人族が使ってる酸素生成のマジックアイテム放り込んだからな』
その言葉を聞き、【フェイウル】は駆けた。
固定砲台の破壊を【影狼】に任せていられないからだ。
自身の力を用い、すぐにでも固定砲台を壊し、内部の酸素生成のマジックアイテムを獲得しなければならない。
今この瞬間、【フェイウル】の心境はあの夜と同じだった。
恐怖に突き動かされていた。
『ガァァァアァ!!』
<UBM>である【フェイウル】の力によって、固定砲台の装甲は瞬く間に歪む。
激しく動き、体内に残った酸素を消費しながら、固定砲台を攻撃する。
そして、固定砲台は一分とかけぬ内に破壊された。
『…………あ?』
だが……固定砲台の中には誰もいなかった。
そこには【ギャレルの実】の汁にまみれた、クマの着ぐるみだけが入っていた。
もちろん、酸素生成のマジックアイテムなど……ない。
『さっきのは嘘だ』
そんな無線音声が固定砲台の残骸から聞こえた。
『固定砲台のバルドル、動けないし使い辛いが、利点もある』
無線はそこで一度言葉を区切り、
『遠隔操作できるんだよ』
第三形態のバルドルは未だTYPEこそアームズであるが、一箇所に設置して運用することができる。
それこそ、結界の傍に置いて、監視カメラとして運用していたように。
『遠隔、そうさ?』
『ああ。だからさ、俺はその空洞に入りはしたが、バルドルだけ置いてもう脱出している。お前がここに飛び込んでくる前にな』
無線は、種明かしを続ける。
その会話も……先ほどから続けてきた会話も、【フェイウル】に残された時間を削るための策。
しかしそれでも、【フェイウル】は耳を傾けてしまう。
『空洞に入ってすぐに、着ぐるみだけ脱いでバルドルの中に放り込んで、予め用意したトンネルで先に脱出していた。そう、ちょうど石油に点火したタイミングだな』
着ぐるみに染み付いた匂いは、石油のにおいを誤魔化すためでなく、自分の存在を誤認させるためのもの。
そして出口に生じたあの炎の壁は、壁ではなく、砲撃を当てるための目眩しでもなく……カーテンだったのだ。
トリックを仕掛けている様を見られないための。
同時に……密閉空間の酸素を奪い、【フェイウル】を死に追い込む処刑器具でもある。
『……………………』
【フェイウル】は言葉もない。
要は、最初からこれが狙いだったのだ。
自分がいると思わせ、引きつけて、この地下の空間で窒息死させる。
ただ単に土砂で生き埋めにしなかったのも理由があったのかもしれない。
いや、実際ただ土砂で埋もれただけならば、【フェイウル】ならば対処できたかもしれない。
無数の影狼による掘削で地上に出られたかもしれない。
だが、この空洞はどうだ。
先刻までは炎や固定砲台にしか注目がいかなかったが、よく見れば壁がひどく固められている。土魔法によるものだろう。
恐らく、これを地上まで掘削しようとすれば、それを完遂するより先に【フェイウル】の息が尽きる。
それを狙った窒息の仕掛けであり、この空洞だった。
ここは……【フェイウル】にとっての墓穴だった。
◇
シュウがこの企てを成せたのは土竜人族という土の扱いに長けた者達がいたからだ。
しかし、こうも言える。
それができる土竜人族がいて、彼らに頼まれて<UBM>の討伐をするから、土竜人族の力を活用する企てをした、と。
後に、超級職【破壊王】となり莫大なSTRを駆使した戦い方をするシュウ・スターリング。
<超級>へと至り大火力の戦艦である第七形態バルドルでの殲滅戦を実行するシュウ・スターリング。
しかしそれは……彼がそれらを持っているからそのような戦いの組み立てをしているに過ぎない。
彼の真髄は、そこだ。
手元にある札で、自身の望む可能性を掴むためにあらゆる組み立てを行える。
かつて、アンリミテッド・パンクラチオンの世界大会において、試合前に右足を骨折していながら、その事実こそを利用して頂点に立ったように。
シュウ・スターリング……椋鳥修一が真に卓越しているのは、才覚ではなく勝ち筋の組み立てにこそあった。
◇
いずれにしろ、状況は既に詰んでいる。
このまま【フェイウル】にできることは何もなく、ただ死を待つのみ。
それを理解した瞬間、【フェイウル】の心に一瞬の無が生まれ――
『ァァアアアアアア!!』
直後、【フェイウル】の影が爆発する。
無数の、それこそ真に無数の【影狼】が溢れ出し、空洞をその身で埋め尽くす。
それは死に瀕した者の意地。
蝋燭の煌き。
自身の残存MPの全てを使い、【フェイウル】は限界を超えて【影狼】を呼び出す。
空間以上の体積に膨れ上がる【影狼】の群れによって、トーチカの残骸さえもその圧力で押し潰さんとしていた。
だが、それよりも先に限界を迎えたのは――この空洞そのものだった。
内部から溢れ出す【影狼】の圧力によって、補強された壁の一部が崩壊する。
破れたのは、シュウ自身が脱出に使用した出口へのトンネルを塞ぐ壁。
予め、強い力でなら破れるように残しておいた壁。
それが【影狼】の圧力によって崩され、
出口が開き、
酸素が流れ込んだ瞬間――全てが青の炎に染まった
◇
バックドラフトという現象が存在する。
加熱した一酸化炭素ガスが充満した密閉空間に、新たな酸素が吹き込むことで発生する爆発現象。
一酸化炭素が新鮮な酸素と結合することによって一気に燃え上がり、酸素の方向へと爆発炎上を引き起こす。
【フェイウル】との戦いでシュウが仕掛けた最後から二番目の仕掛けが正にそれだ。
出口へのトンネルが出来たことで生じたバックドラフト反応。
一酸化炭素の燃焼によって生じる青い炎で室内の影狼は一瞬で燃え尽き、トーチカは融解し、【フェイウル】の全身をこれまで以上の火炎で焼き焦がす。
◇
『VOWooooooooo!!』
だが、【フェイウル】自身は全身を燃やしながら、炎上する炎の回廊を……地上への道を駆け抜けていた。
その身を焦がしながら……【フェイウル】は開けたトンネルの中を地上へと疾走する。
灼熱する空気に喉を焦がしながら、<UBM>の強靭な生命力で駆け続ける。
そうして、二分ほども駆け続けた【フェイウル】の進路に――あるものが立てかけてあった。
それはハンマー。
人が両手で持って使うような大型のハンマーが、その打撃部分をトンネルの土に埋めた状態で立てかけてある。
まるで標識か何かのように。
『ガァァァアァアアア!!』
障害物のハンマーを勢いのままに砕き折って、【フェイウル】はなおも駆ける。
そうして間もなく、【フェイウル】は、地上へと脱出した。
『ハ、ァ』
豊富な酸素が、熱を孕まない大気が、優しく【フェイウル】の気管を通り、体内を癒そうとした――
「――“木断”」
――その瞬間に【フェイウル】の喉元に蹴撃が突き立った。
『が、ァ、ァ?』
それは人の足によるもの。
スキルの発動すらなされてないもの。
その攻撃でHPはさほど減ってはおらず、【フェイウル】はそのままトンネルを抜け出した。
だが、
『が、ぁあああああ?』
【フェイウル】は気づく。
息を吸い込めない、と。
首の骨が、気管が歪み、息を吸い込むことができない、と。
首の骨の一部が、【骨折】している。
「俺の力でも、首の小骨一つずらす事くらいはできたな」
トンネルの傍には、【フェイウル】の見知らぬ男――蹴撃を放った男が立っていた。
黒い長髪を背に流した、ヒトにしては長身の男。
あまり丈夫そうではない、初期装備の衣服に身を纏った男。
そんな僅かにも見覚えがない容姿でありながら……その声は先刻のクマや無線と同じ。
そう、彼はシュウ・スターリングだった。
今、【フェイウル】の首の骨の一部を折ったのは、彼の蹴撃によるもの。
【壊屋】であるゆえに下級職としては異様に高いSTRによる蹴撃が、これ以上なく正確な軌道とタイミングで叩き込まれ――【フェイウル】の首の骨を僅かにズラしていた。
『…………お、ま』
狙っていたのだ。
狭いトンネルを無理やりに潜り抜けて出てくる、その瞬間を。
トンネル上に置いてあったハンマーを排除する音で、【フェイウル】が出てくるタイミングを見計らって。
唯一の脱出口であるこのトンネルから出てきた瞬間に、首を破壊して呼吸を止めるために。
息の根を止めるために。
そう、シュウが組み立てた最後の仕掛けは……シュウ・スターリング自身だった。
『どこま、で……』
「俺は絶対に勝たなきゃならないときにはあらゆる手を打つ。相手に容赦はしないし、情もかけない。見栄えだって気にしない」
そこで言葉を切り、
「だから、俺の使える全てを使って……可能性を掴ませてもらった」
そう、面と向かって【フェイウル】に宣言した。
『…………』
【フェイウル】は眼前の男……ともすれば恥知らずな言葉を吐いた男の目を見る。
しかして、作り物ではないその生の目は……非常に澄んでいた。
そこには自身の行いへの羞恥は一片もなく、同時に「策に嵌めてやった」という暗い喜びもなかった。
そして、あの日に見たヒトモドキのように、死を恐れずにこちらを的か何かのように見ているわけでもない。
ただ、【フェイウル】という強敵に勝つ方法を考え続け、この瞬間も【フェイウル】を見続けている。
それは非常に、真剣な目だった。
あの生きているようで生きていないヒトモドキ達とは違う。
フェイウルやかつての仲間、そしてあの生態系の中にいた全ての生物と同じ。
生きている者の、目だった。
『…………』
そこで【フェイウル】はふと思う。
この男は、あの夜……【フェイウル】が一心不乱に逃げたあの夜も、こんな目をしていたのだろうか、と。
『……さい、ごに、といたい』
【フェイウル】は自覚している。
もはやこの先に生はない。
仮に眼前の男を倒しても、【フェイウル】は二度とは息を吸えず、間もなく生命力を使い果たして死ぬだろう。
これが自己再生能力を持った<UBM>ならば違ったかもしれない。
だが、生憎と【フェイウル】や、【フェイウル】と戦った【クローザー】はそのタイプではなかった。
ゆえに、どうしようもない。
しかし最後に、疑問だけは解消したかった。
だから、肺腑に残った僅かな空気を消費して、言葉を吐く。
『おまえは、あのとき、<ノズ、森林>……いた、か?』
あの日に見たクマは、眼前の男だったのだろうか、と。
「あのとき」という言葉で通じるかも分からないまま、問いかけた。
シュウは、それでも理解したように頷いた。
「ああ。きっと……お前のことも知っている」
その返答を、【フェイウル】は不思議に思う。
今ならばともかく、【ティールウルフ】だったころの自分を、どうして覚えているのだ、と。
しかし、その疑問よりも大きな疑問があった。
『なぜ、俺を、うたなかった?』
あの日、あの夜。
【フェイウル】となる狼を屠ろうとしたモンスターだけを殺し、【フェイウル】となる狼を……撃たなかった。
弾切れなどではないだろうと、今では確信している。
『あれは、お前、だろう?』
「俺はたしかに狼を……恐らくはお前を逃がしたことがある」
『理由を、きかせて、くれ』
だから、【フェイウル】はその理由を聞いておきたかった。
「ああ、いいぜ」
【フェイウル】の言葉に、シュウは頷いた。
多重の策の組み立てによって【フェイウル】を討たんとしたシュウだったが、もはやその目論見は達せられている。
全身に重度の【熱傷】を負い、呼吸を断たれて【酸欠】に陥った【フェイウル】の命は永くない。
仮に最後の力でシュウが殺されたとしても、確実に【フェイウル】は死ぬ。
目的は果たせる。
だから、シュウは【フェイウル】の頼みを聞き入れた。
彼が見たもの、生かし、見逃した理由を話し始めた。
冥土の土産でも、あるまいが。
「あの日、<ノズ森林>にいた俺は逃げる【ティールウルフ】の群れを見た」
そうしてシュウは訥々と……それでいて少し早口に話し始めた。
【フェイウル】の命が尽きる前に、全てを伝えようとしたからだ。
『……む、れ?』
シュウは頷き、言葉を続ける。
「後ろには、群れを追いかけている<マスター>の集団がいた」
あの日、シュウは傍観者だった。
そもそも、【ティールウルフ】はその時のシュウのレベルからしても、適正の相手ではない。
ガトリング砲という、一対多の戦闘に特化した武器を持つシュウのレベルは、早々に<ノズ森林>の適正レベルを超えていたのだから。
あの日は<ノズ森林>よりも北の狩場に行って、歩いて戻る最中だった。
そのときに、【フェイウル】となる狼と、彼の群れ、そして<マスター>の集団を見つけたのだ。
「先頭を走る狼は一際大きく、群れの長に見えた」
【フェイウル】に……もはや【ティールウルフ】ではない狼にその面影を僅かに見ながら、シュウは述べる。
「しかし少しずつ<マスター>に追いつかれ、少しずつ減っていった」
その当時の様子を思い出しながら……シュウは、【フェイウル】の知らないある事実を口にする。
「群れの先頭を走る一頭までも攻撃を受けようとしたとき……すぐ傍にいた狼が庇った」
『…………』
「何匹も、何匹も、先頭の一頭の背を守るように飛び出して散る様を見ていた」
『……あ』
そこで、【フェイウル】は気づく。
あの夜、あのとき、逃げる自分の背にいつまでも仲間の血が降りかかっていた。
けれど、それはおかしいのだ。
自分は逃げ出したのだから。
その場に置いて来た仲間の血が、逃げた自分の背に降りかかる訳がない。
だから、それはつまり……。
『俺は、一匹だけで逃げたのでは、なかった?』
「……、ああ、俺が見たのは……お前を先頭にして逃げる群れだ」
『…………』
あのときは、ひどく混乱していた。
<マスター>を前に踵を返し、すぐに逃げ出したことしか覚えていない。
だから、率いる群れに「逃げよう」と言ったかどうかさえも覚えていなかった。
恐ろしくて振り向けなかったから、後ろに誰かがついてきていたかも把握できていなかった。
それは確かに落ち度だろう。
しかし彼は……長でありながら他の仲間をその場に置いて逃げたのではなかった。
『あ、おれ、は、……』
――仲間を置いて独りだけ逃げたから、生き延びたんじゃない
――仲間が助けてくれたから……生き延びたんだ
――俺の、背中の赤は……
そう、背の赤色は罪の十字架ではない。
それは……共に逃げた彼の仲間が、彼を守るために命懸けで庇った証。
彼に生きて欲しいと願った……仲間の思いそのもの。
その一部始終を見ていたがゆえに、シュウもあの日あの時、彼を他のモンスターから助け、見逃し、生かしたのだ。
同時に、あの日見逃した【フェイウル】が今回の騒動の引き金となったがゆえに、それを“終わらせる”ために全てを尽くした。
…………あるいは、見ていられなかったのかもしれない。
『は、は……、はは……』
全てを悟った【フェイウル】が、残り少ない空気を漏らしながら笑う。
泣きそうな顔で、笑っている。
『お、れ……ば、か、だなぁ……』
――勝手に勘違いして
――自暴自棄に死のうとして
――よくわからないうちにバケモノになって
――孤独を紛らわすために暴れて
『ほん、とうに……ばか、だ、なぁ』
【フェイウル】の……一匹だけ生き残った狼の双眸から涙が溢れる。
それは孤独だと思い込み、自身の生への希望をなくしていたものが……その誤りに気づいたがゆえのもの。
仲間に守ってもらったその生命、誇りを持って生きれば良かっただけなのだと気づいたがゆえの……涙。
『な、あ……』
「何だ?」
『こん、な、ばか、な、おれ、でも……、なかまに、あえる、かな……』
「知らないな」
シュウはそう一言で切り捨てて、
「そんなことは……あいつらに直接聞け」
ある一点を指差した。
それはトンネルの出口……内部の燃焼により濛々と立ち込める黒煙。
それは、ただの煙だ。
けれど、気のせいだろうか。
そうして立ち上る煙の幾つかがまるで……狼のような形をしているのは。
『み、んな……』
狼にも見える煙は、まるで踊るように輪になって少し揺蕩った後……天に向かって昇っていった。
空に昇った煙は、また何かを待つように揺蕩って……少しずつ昇っていく。
『ああ、……おれも、いくよ……、ごめんな…………ありがとう……』
そうして、【孤狼群影 フェイウル】と世界に名づけられた……孤独ではなかった一匹の【ティールウルフ】が目を閉じる。
その最後の謝罪と感謝は、誰に向けられたものだったのかは、誰も知らない。
彼が最後に見た煙が、ただの偶然だったのか、それとも本当に彼の仲間が迎えに来たのかも分からない。
けれど、救われたように言葉を発した後、狼は光の塵となり……煙と混ざって天へと昇って消えていった。
「…………」
【<UBM>【孤狼群影 フェイウル】が討伐されました】
【MVPを選出します】
【【シュウ・スターリング】がMVPに選出されました】
【【シュウ・スターリング】にMVP特典【すーぱーきぐるみしりーず ふぇいうる】を贈与します】
「……うるせえよ」
機械的なアナウンスに対して吐き捨てながら。
シュウ・スターリングは自分が齎し、見届けた一つの終わりを……空へと昇る煙を見続けていた。
To be continued
次回の更新は明日の21:00です。




