第四話 歴史
◇
その<UBM>と土竜人に関する逸話を語るには数百年前まで遡る必要があった。
今は<サウダ山道>の地下に住まう土竜人だが、彼らは元々王国の住人ではなく、黄河に住む一部族だった。
黄河は純竜より更に上位の竜と人間のハーフを祖とする者達が築いた国。
その上位の竜はもはや正式な名称すら忘れられ“古龍”と呼ばれている。
それゆえに、その血を継ぐ者達も古龍人と名乗っていた。
古龍人は代々黄河の皇帝として君臨し、他の種族を率いていた。
また、支配下の各部族にはその証として「龍」の名を与えていた。
土竜人もその一つであり、古くは土龍人と呼ばれていた。
「龍」の名を頂いた龍人達は、古龍人の庇護と支配の下、黄河の地で健やかに日々を送っていた。
古龍人の間で次期皇帝の座の奪い合いが起きるまでは。
始まりは不幸な出来事だった。
時の皇帝が二十代の若さで嫡子を作らぬうちに死去したのだ。
あまりにも若いうちの死に、民は不幸を嘆いたが……安堵もしていた。
皇帝には年近い弟がいた。
勤勉実直で覇気もある……彼ならば次期皇帝に相応しいとされた。
そうして、皇帝の地位は恙無く継承されるはずだった。
亡き皇帝の側室が遺児を孕んでいるとわかるまでは。
ここで、宮中は二分される。
先代皇帝の弟が皇帝に就くべきであるという派閥。
亡き先代皇帝の直系遺児こそが皇帝となるべきであるという派閥。
派閥の争いは、先代皇帝の弟や未だ生まれぬ遺児の意思とは無関係に加熱していった。
皇帝の継承にはこういった継承争いはつきもので、黄河にはそういった事態への対策もあった。
継承を監督し、過度な争いを諌める者が配されているのだ。
それは【龍帝】と呼ばれる特殊超級職。
“古龍”を祖に持つ古龍人に数百年に一度誕生する先祖返り。“生まれながらの超級職”。
通常の古龍人の十倍近い数百年の時を生きる長寿と、戦闘系超級職ゆえの絶大な力を持つ。
長寿と力ゆえに権力の頂点に立てば黄河の歴史を停滞させかねないともされ、古龍人の掟によって権力の座に就くことは許されない。
しかし代わりに、【龍帝】は古龍人と宮廷の御意見番として生を送る。
今回の諍いも、本来ならば加熱する前に【龍帝】が諌めていただろう。
しかし折悪しく、先代の【龍帝】は皇帝に先駆けて数年前に天寿を全うしており……次代の【龍帝】はまだ生まれていなかった。
この一件はひたすらに巡り合わせが悪かった。
【龍帝】が没したのは先代皇帝が即位した直後であり、しばらくは不要であると考えられていた。
しかし蓋を開ければ、皇帝も新たな【龍帝】が生まれる前に没してしまった。
皇帝が後継者を決めぬ内に崩御し、また次期皇帝の選定に意見できる者も不在で。
次期皇帝の座の争奪戦が始まったのはひたすら巡り合わせが悪かったからとも言える。
だが巡り合わせの結果であろうと争いは始まってしまい……止められる者もいなかった。
そして宮中での刃傷沙汰を機に、両陣営の争いは政治闘争から武力衝突へと発展する。
宮廷の二分に収まらず、皇帝に仕える部族の二分を経て、民の二分に至った。
かくして、黄河を二分した大戦は始まってしまった。
◇
□【闘士】フィガロ
『まるで応仁の乱だな』
ドリルモーさんの昔話をそこまで聞いて、シュウは小声でそう言った。
「応仁の乱?」
『ああ、うちの国で大昔にあった戦だよ。将軍の弟と将軍の子供……それとそのバックについた連中同士で国を二分した大戦だ』
ああ、そういえば歴史の本か何かで少し読んだような……。
「争って、どうなったの?」
『色々すっ飛ばすとどこもかしこもボロボロになって戦国時代が始まるきっかけになった』
戦国時代……ノブナガとか?
『ま、黄河はそうはならなかったみたいだけどな』
◇
皇帝弟と皇帝遺児を御旗に掲げた黄河の内戦だったが、その結果は予想外の形で幕を閉じる。
数ヶ月の戦乱の間に、皇帝遺児がこの世に生まれたから。
【龍帝】として、生まれたから。
先に述べたように、【龍帝】は権力の座に就けない掟。
如何に先代皇帝直系の遺児であろうと、例外ではない。
その報が黄河の各地に届いたとき……誰しも膝をつき、心が折れた。
何のためにこんな戦いをしていたんだ、と。
重ねて言うが、これは巡り合わせの悪さゆえに起きたこと。
あと数ヶ月でも早く子供が生まれていれば、あと数ヶ月でも先代皇帝が生きていれば、決して起きなかった戦いだった。
しかしそれでも戦いは起きた。
本来不要、無益でしかない戦いに勝利者など一人もいない。
しかし敗者は無数にいた。
土龍人もその敗者の中にいた。
土龍人の住んでいた土地は戦乱で放たれた無数の広範囲攻撃魔法によって荒れ果て、汚染され、もはや再生が望めないほど死んでいた。
その光景に、土龍人達の心は疲れ果てていた。
彼らは新たな皇帝に告げた。
――荒れ果てた故郷を見続けるのは心が辛い
――故郷に似たこの黄河の地のどこにいてもそれは同じ
――ゆえに、我々土龍人はこの地を離れ、西方の地で生きることとします
――黄河の民でなくなるせめてものお詫びに、我らは「龍」の文字をお返しします
――それが気に入らぬと申すならば、この首全て、切り落としていただきたい
――もはや黄河に住んでいたくはないのです
――流浪が許されぬならば、せめて故郷の美しい自然を夢見たまま死なせてほしい
土龍人達の涙ながらの訴えに皇帝は、彼らの流浪を許可した。
同時に、彼らから龍の返納を受ける。
そうして、彼らは土龍人から土竜人になった。
◇
ドリルモーさんも、いつの間にかこの集会場に集まっていた他の土竜人の方々もこのくだりで号泣していた。
隣を見ればシュウも着ぐるみの目を押さえていた。
『歴史ロマンが目に浮かぶクマ……』
言いたいことは色々あるけれど……着ぐるみのそこ押さえても意味ないよね?
しかし、今の話やこの状況には三つほど思うところがある。
正確には、どうでもいいことが二つと重要なことが一つ。
どうでもいい二つは「昔の土竜人族は「~モグ」とは言っていなかったんだ」ということと、「土竜人族の人達は男女で容姿が全然違うんだ」ということ。
集まった土竜人達の人々の姿を見ると、来るときには見られなかった女性の姿もある。女性は男性よりも地球の人間に近い。背は低いし皮膚の所々が男性と同じように毛皮になっているけれど。
まぁ、それは別にいい。性別で肉体的特徴が異なるのはよくある話だ。
口調も棚上げして問題ない。
重要なのは……ドリルモーさんが語って聞かせてくれている話自体だ。
「シュウはこの話をどう思う?」
僕は土竜人の方々には聞かれないようにシュウに小声で耳打ちした。
するとシュウは目を押さえていた手を外し、こちらに視線を(多分)向けてくる。
『これが設定か、こっちで本当にあったことかって話か?』
そう。
数百年前の話……として過去の伝説を語られるのは本などでもよくあること。
けれど、ここは<Infinite Dendrogram>というゲームの中。
どれほど精巧でも、数百年前があるはずがない。
だって、時間の加速は三倍しかないんだ。
数百年前があるのなら、地球でも最低百年は前から<Infinite Dendrogram>を作っていなければならない。
第二次世界大戦の真っ最中の地球の技術でそんなことは不可能だ。
だから、普通に考えてこの話は作り話の設定に過ぎない。
けれど、号泣する土竜人の方々を見る。
彼らは本当に感涙している。
先祖の歴史を思い、そのときの心情を想って泣いている。
それはどう見ても……本当にあるものとして信じている反応だ。
『ま、それについて俺の予想できる仮説は三つある』
「三つ?」
『まずは世界五分前仮説だ』
世界五分前仮説は知っている。
たしか……。
『本当はほんの少し前にゲームサーバーの電源が入っただけなのに、その中にいるティアン……NPCはこれまでも連綿と続いてきた歴史や送ってきた人生があると思い込んでいる。これが仮説の一つ目』
僕も、あるとすればこれだと思っている。
それでも、それだけの記憶をこの<Infinite Dendrogram>全てのAI……ティアンに埋め込む時点で現実離れしているけれど。
『そして二つ目の仮説は加速だが……』
シュウはそこで少し口ごもる。
「加速って?」
僕が尋ねて発言を促すと、シュウは少しだけ間をおいて、
『……運営、本当は三倍どころじゃない早さに加速できるんじゃねえのか?』
……?
…………。
……………………!!
「本当は、もっとこっちの時間を早められる?」
『千倍速にでもできるなら、地球の一年でこっちは千年経つわな』
「…………」
ないとは、言えない。
電脳上に条件を設定し、生物の進化を早回しでシミュレーションする研究は、もう随分前に開発されている。
それなら、このゲームに付けられている系統樹という名前の意味合いも少し分かってくる。
これが人間の脳が繋がっているなら問題も起きるかもしれない。
けれど、サービスの開始前のサーバーだけで完結している状態ならば……可能ではあるだろう。
「だけど……」
その仮想環境で、人間と同程度の知性を持ったAIが何万、何億人も生き、千年、二千年と歴史を積み上げているとすれば。
それは、最早シミュレーションがどうこうという話じゃない。
そんなもの、ほとんど世界を一つ創ってしまったのと同じだ。
そしてそうであるならばこの世界で生きる知性もまた、ただのAIじゃない。
地球の歴史が進めば、あるいは“生命”と定義される存在。
電脳知性の命の証明。
まるでこれまで生きてきて読み漁ったSFの物語のようだけれど……今は目の前にありえる。
そうだとすれば、<Infinite Dendrogram>は、もうゲームじゃない。
「…………そうだとしても」
そうだとしても。
そうだとしても……僕は<Infinite Dendrogram>をやめない。
僕は、ここでしか満足に動けない。
僕は、この<Infinite Dendrogram>の中でしか命を燃やせないのだから。
仮にここが本物の命と世界だとしても、僕はここで生きることを止めない。
『ま、あくまで仮説だ。合ってるとは言わねえし、着ぐるみの言ってることだし当てにならんクマー』
僕の様子を見て取って、シュウはそんな軽口を言った。
「そういえばシュウ、さっき仮説は三つって言っていたけれど……」
まだ二つしか言っていない。
『ん? ああ、三つ目は…………やっぱやめた』
「やめた?」
『二つ目に輪を掛けてSF、あるいはファンタジー過ぎる。真面目に言ったら阿呆の類だ』
ファンタジー?
『っと、号泣が止んでそろそろ話が再開するクマー』
そうだった。
そもそもドリルモーさん達から<UBM>とやらとこの土竜人の人達の因縁を聞いている最中だった。
まだ<UBM>のUの字も出てきてはいないけれど。
◇
土龍人、改め土竜人達の訴えを聞き届けた皇帝は、彼らにあるものを託した。
それは小さな珠だった。
目を凝らして中を覗けば、まるで四足の獣の如き影が入っている。
――この珠の中には先代の【龍帝】が封じ込めた“虎”が入っておる
――“虎”には強い結界を張る力がある
――他の宝物獣と同様に、見事仕留めたものに絶大な力を齎すだろう
――されど、倒した当人が死ねば天に還ってしまうものだ
――ゆえに先代の【龍帝】は“虎”を生きたまま封じ込めた
――そうであれば、永きに渡りその力の片鱗を使えるゆえに
――この国を無為に荒れ果てさせ、そなたらの心をそうまで追い詰めた我の……
――せめてもの詫びと思い……持っていってはくれまいか
そうして、皇帝は重く頭を下げたのだという。
土竜人達もまた皇帝に頭を下げ、彼の手から珠を受け取った。
そうして、土竜人達は西へと旅立った。
西へ、地平線の向こうへと一路進む土竜人。
珠の力は絶大だった。
西へと渡る彼らを襲う野盗も、凶暴な魔物も、珠の中の虎が作る結界によって阻まれた。
それでも過酷な旅路ゆえに命落とす者はあったが、土竜人の多くはこの新天地……後にアルター王国と呼ばれる地域へと辿りついた。
彼らはこの地に元から住まう者達と争いになることを避けるため、自らの居住地を地下のみに定めた。
こうして、土竜人達の新しい生活が始まった。
また、彼らをこの地まで護り続けた“虎”の珠は、御神体として祀られることになった。
長い旅の中で、彼らは“虎”を自分達の守り神と崇め始めていたのだ。
土竜人達の住居は地下にあったが、“虎”の珠だけは陽光の元にあるようにと、彼らの住まう山の頂上に祠は作られた。
もうその力を利用することはなかったが、土竜人達は“虎”の珠に感謝し、日々の祭事と敬う気持ちを忘れなかった。
それから数百年が経ち……。
◇
「先日、ある事件が起きましたモグ」
『それは?』
「御神体の祠が別の宝物獣……狼の<UBM>に襲われましたモグ」
……狼の<UBM>?
「その<UBM>は影で出来た狼たちを従え、襲ってきたのですモグ。あなた方が先ほど河原で倒したものと同じ狼ですモグ」
「あれですか……」
あの狼くらいならば、さほど厄介ではないけれど……。
「ちなみに、あの狼と狼の<UBM>の大きさはどの程度違うのでしょうか?」
大きさで正確な力量を測れるわけではないけれど、目安にはなる。
「十倍以上ですモグ。それに、あの狼の<UBM>は影の狼をいくらでも出せるみたいですモグ」
「…………」
大きさ以前にそっちが問題だね。
大きさもすごいけど。
『……その狼はどうして御神体を?』
「わかりませんモグ。突然に山の外からやってきましたモグ」
「集落への被害は?」
「直接の被害はありませんが……御神体を護ろうとした村の若い衆が大怪我をしましたモグ。回復魔法で治療しましたが、未だ重体で絶対安静ですモグ……」
『退く際に追撃は受けたクマ?』
「いえ、まったく……」
『……ふむ』
村人を追ってこない。
ということは、その狼の狙いは最初から御神体だけ?
けど、僕とシュウは河原で影の狼に襲われている。
その違いは……。
『なぁ、ドリルモーさん』
「なんでしょうかモグ」
『その襲撃受けて、御神体が壊れたろ』
シュウがそう確認すると……ドリルモーさんは重々しく頷いた。
シュウが溜息をつき、「そういうことか」と納得したように言葉を吐き出した。
『で、今はあの黒い結界の中で狼と虎が殺し合っているわけだ』
「なぜお気づきに……」
『俺は一週間この山をうろついていたが、あの【影狼】はともかくでかい狼も虎も見たことないからな。あんたらが<UBM>を倒してくれと俺達に頼むのだから、死んでないしこの山から出てもいないのだろう。で、この山にいるなら俺が見ていないあの結界の中しかない』
あの黒い……結界の中?
そうか、“虎”は結界を張る力がある。
だから結界を張ってあの狼を外に出さないように……。
「分かった。ドリルモーさん達はその襲ってきた狼を倒して、虎を護って欲しいと」
『違うな』
僕の予想を、シュウはその一言で切り捨てる。
『そうだろう?』
シュウが尋ねると、今度はドリルモーさんも頷かなかった。
しかしそれは否定ではなく、答えるのを躊躇っている様子だ。
『ま、神様と崇められても虎の主観では数百年……ずっと閉じ込められていいように使われていたわけだからな。そうなるか』
「シュウ?」
『先に黒い結界で狼を“逃がさなかった”のは……食うためか? <UBM>が何かは知らんが、倒すことで何かあるのか? その処理を終えた後に土竜人を……』
シュウがブツブツと考えを言葉に出しながら組み立てている。
しかして、その内容には穏やかではない気配があった。
『復讐……それが自然? いや、むしろ逆に……どっちだ。その虎はどっちの立場で動いているんだ?』
そうして考えているシュウは、着ぐるみ越しだというのに奇妙な威圧感が伝わってくる。
そして、さっきまでのひょうきんさ……奇妙な語尾も忘れているようだ。
「シュウ、さっき……虎を護るのは違うと言ったのはどういうこと?」
『フィガロ。考えてもみろ。結界は山頂の黒い奴だけじゃない。この山を覆っている奴もあるんだ。それも、地下まで広がった奴がな』
「あ……」
そうだ。
シュウは言っていた。
この山を覆う結界が東西南北、川の中にも地下にもあった、と。
「…………地下?」
僕が何かに気づきかけると、シュウは着ぐるみの指先を横に滑らせて……土竜人の人達を順に指す。
『――そんなもん、地下に潜れる土竜人を一人たりとも山から出さないために決まっているだろうが』
「…………」
言葉は出ない。
シュウの言葉が間違っていると思ったわけではない。むしろ大きな納得があった。
だが、それは……。
「それは……彼らの守り神である“虎”が彼らを閉じ込め、どうにかしようとしているってこと?」
『さぁな。そこがまだ決め切れん。出さない理由はいくつか考えられるからな。だが、いずれにしろ土竜人達は結界を出なければならない』
シュウは言葉を切って……その着ぐるみの作り物の瞳越しにドリルモーさんを見つめた。
『そうだろう、ドリルモーさん』
「……はい」
その言葉に、ドリルモーさんは頷いた。
「狼と戦って、大怪我を負った村の戦士が大勢いますモグ……。彼らは村の皆の家族であり……一人は、私の……息子です……モグ」
一言、一言。
言うのが辛いかのように、ドリルモーさんはゆっくりと言葉を吐く。
「我々の使える回復魔法では、彼らの命を辛うじて繋ぎとめるので精一杯なのですモグ……。彼らを救うには、街まで行って治療を受けねばなりません……」
それは、この先にある言葉を言うのを少しでも遅らせるため。
だけどそれは……言わねばならないことなのだろう。
「ですが……虎が張った結界によって我々は山を出ることが出来ませんモグ……。黒い結界にいくら呼びかけても……虎は答えてはくれませぬモグ……」
そんな状況が、既に一週間。
そして、彼らにはもう時間がないのだろう。
だから……怪しくても僕らに声を掛けるしかなかった。
「もはや、虎を……守り神を討つしか手は残されておらず、しかし我々にはその力はなく……お願いします!」
ドリルモーさんや村の全員が――死に瀕する戦士の家族が地に頭をこすり付ける。
「虎を……、【絶界虎 クローザー】を倒し、結界を消していただきたい!」
そうして彼らは……僕とシュウに“神殺し”を依頼した。
To be continued
次回の更新は明日の21:00です。
 




