四十狂目 『毒蛹ノウコの鬱々』
芸能界。
それはまさに魔窟。
ラスボス級のモンスターが次々とエンカウントする裏ダンジョン。
チート級のスキルを持った、なろう系転生主人公でも瞬殺されるようなクソ難易度。
悪鬼羅刹がしのぎを削り合い、希少な領土を命懸けで奪い合う修羅の道。
落ちた者はまず這い上がれることはなく、容赦なく地獄のマグマの中へと滑り落ちて征く。
それは椅子取りゲームにも似て、座席の数には限りがあり、他者に遠慮していていては決して生き残れない。
「ぶち殺すぞ・・・ゴミめら・・・・・・!」
なんて言われるのは日常茶飯事だ。
時には騙し、時には脅し、他人のケツをフッ飛ばしてでも自分が座ることを考えなければならない。
そんな中で私は生き抜いてきた。
そう。誰にも頼ることなく……
数十人が“誰が作ったんだよ。頭湧いてんじゃね?”というようなデザインのゴスロリを身に纏う。
個性もへったくれもなく、尻を振って生足をチラ見せして、クソカメラに向かってアヒル口でウインクする。誰もが自己PRに忙しい。
(クソが! あたしの目の前に出んじゃねぇよ!)
(なんだァ? てめェ……。さっきセンターで決め顔やったばっかじゃねぇか。何度でしゃばるんだ? このブスがぁ!)
(クソカメラ! こっちも撮れや! ブタ! 乳揺らしてやってんだろうが!)
♫好きだから〜
♫好きだから〜
♫ダ、ダ、ダーリン!
♫ダ、ダ、ダーリン!
♫ナンバーワン!
腹ん中ではそん風に互いに罵り合いつつ、初恋の人への甘酸っぱい想いを、ノリの良いソングに乗せて歌う。
まあ、ぜんぶ口パクなんだけどな。
(これ終わったら、真っ先に監督に挨拶しなきゃなぁ。酒呑んでヨイショ、ヨイショ)
仕事終わりの“アフター”を考える。週末ともなればいつもこんな感じだ。
ただ踊って歌ってぶりっ娘してりゃ御飯食える生易しい世界じゃない。営業活動は深夜になっても続くのだ。
(アイツ、ねちっこいからイヤなんだよなぁ〜。下手くそで痛ぇだけだしよ。スケコマシ名乗んならもってテク磨けや)
清純派、恋愛禁止…処女信仰の馬鹿共に金を貢がせるための真っ赤な嘘に決まってる。
ケツからマシュマロなんかでっかよ。
出んのはテメェらと同んなじなんだよ。しかもストレス性潰瘍によるドス黒い血も混じった……濃厚イチゴシロップ増し増しだ!
(はー、今夜もオールか。実家に電話してねぇしよ。睡眠時間全然とれねぇー)
化粧の力は偉大だ。どんな不摂生な生活を送っていて、どこの閣下だと思われるほどの黒いクマが素で浮かんでいても、パウダーとクリームとマスカラで誤魔化せる。
ゾンビみたいな顔色してても、塗り壁の如く塗りたくればプリップリッのモチ肌に変身だ。
撮影が終われば、即握手会。
“ナンバーワン”のあたしは当然一番忙しい。
「ユンコリン、さ、サイコーだったよぉ!」
「ホント? 嬉しぃ〜! ありがとぅ!」
(最高なのは当たりめぇだろ。つまんねぇこと言うなや。豚が!)
「あー、信じらない! 感動した! もう、一生手洗わねぇよ! 俺!」
「応援ありがとね! どーしよ、そんなこと言われたらユンコリンも洗えないかも…テヘヘ☆」
(洗え! 馬鹿言ってんじゃねぇ! 脂ぎってんだよ! ベトつくだろうが! ダボが! 洗え! 漂白剤で色素なくなるまで死ぬほど洗ってから来いや!)
「ボーナス全部使って、グッズもCDも大量に買ったから! 応援してるから! 永遠に! ユンコリンは俺のヨメー!!」
「ウフフ! ユンコリンなんかをお嫁さんにしてくれるなんて優しすぎて涙でちゃう〜! ありがと!」
(嫁にしたきゃ、毎月50億ぐらい貢いでみろや! テメェの端金を使い果たしたからなんだっちゅーねん! うちのマンションの月の家賃すら払えねぇーよ! タコが!)
ファンとの握手会を終え、控え室に戻る。
そして椅子にあぐらかいて座り背もたれに体重を預け、左右に首を回す。
40前後のくたびれたオッサンかってほど、ゴキリゴキリなんていう嫌な音が響いた。
“倉持ユン”から素の自分、毒蛹 膿仔へと戻った瞬間だ。
…なにがユンコリンやねん。
本名のどこにユンコリンなんて要素があんねん。
そもそも最後の“リン”ってなんやねん! リン酸カルシウムか! 二毛作すんぞコラ!
「お、お疲れ様です!」
「あー?」
ブッ!
いけね。気抜いたら返事と共に屁まで出ちまった…くっせー。昨日の夜食ったニンニク炒めとビールが効いてんな。目に染みるわ。
ま、目の前の気弱そうなジャーマネはあたしの本性知ってるから動揺することなんてねぇけどな。
「今日の予定なら知ってんよ。テレビ局のディレクターのお酌だろ。注いでやんよ。流し目で注いでやんよぉ。ジョボジョボとなぁ!」
「あ、いえ…」
「んだよ。ハッキリ言えや」
「それがですね。明日、急遽…その、収録が入りまして」
「はぁー?」
多忙に多忙だ。分単位どころか秒単位で仕事が入っている。それなのに急に仕事を割り込ませるなんてありえない。
「テメェはクソか!? 地味な見た目通りに、地味な仕事しやがって! スケジュール管理も満足にできねぇのか!」
「も、申し訳ございません!」
「ゴメンで済んだらリハーサルなんてやんねぇんだよ! ぶっつけ本番で生放送なめんな!」
無能な野郎だ。事務所からあてがわれたんじゃなきゃ速攻でクビにしてやるところだ。
でもコイツより優秀な奴いねーって言われてるしな。どんだけだよ。ソロになったら、もっとまともなヤツ探すわ。
「そ、それが…“イヤしん棒マンプク!”の“ヒートたけちよ”直々のオファーでして…断るに断われず…」
「んんッ!?」
「…え?」
「ヒートたけちよ! 大御所中の大御所じゃんか! 断るなんてアホか! あたしの出世を潰す気か! このタコ野郎!!」
この無能が! なに断ろうとしてくれてんだ!
「内容は!?」
「は、はい。ええっと、老舗和菓子屋に『突撃! 斜向かいの間食』…なんて企画でして…」
「…和菓子屋か」
チッ。団子とか饅頭とかしみったれた食いモンにトップアイドルのあたしを使うんじゃねぇよな!
「あ、あと地元の高校生の社会科見学も兼ねていて…偶然マッチングなんてコンセプトで、広く庶民と触れ合うような企画みたいです」
「は? ションベンくせーガキ共とかよ」
イメージアップ戦略か?
まあクソ古びた和菓子屋に田舎クセーガキ共か。お似合いちゃお似合いだわな。
全国ネットで、ローカルネットの十八番を奪ってドヤ顔してやるってことか。確かにヒートたけちよとユンコリン…この二人の共演って話題性だけで充分だわな。
地域放送のクソみてぇな蓮っ葉アイドルを使った地元愛番組を蹴散らすにゃもってこいだわな。調子乗ってるのもいっからな。
「解った。なら、今日の予定はキャンセルだ」
「え? そんな…だって、もう予約も…」
「馬鹿野郎! ヒートたけちよだろ! そっちが優先に決まってんだろうが! クソみそっかすのテレビ局員なんて相手してられっか! 国民の金巻き上げてアイドルと飲んでんじゃねぇ!」
この勝ち馬は逃さねぇ!
番組ひとつやふたつくらいブッ潰してでも成功させる必要がある!
「さっさと企画書持ってこいや! 寝る前に丸暗記すんだかんよ!」
ブッ! あーら、まーた屁がでちまったぜ!
☆☆☆
…と、なんかよく解かんない小ストーリーを夢の中で見せられて、しかも人物の心の声がダダ漏れだったわけですけれども。
これがジジイの陰謀だとしても、あの超有名アイドルの実態がこれだったなんてショックだわー。マジ、ショックだわー。
「おはよーございまぁす。ユンコリンでぇす☆ 蒼蘭学園の皆さん、今日はヨロシクね♫ キャピキャピ♡」
番組スタッフのバリケードの向こうで、ユンコリンがキラキラした笑顔で手を振る。
男子全員と、ミーハーな女子がマタタビを嗅いだ猫の如く盛り上がった。
私ももし昨夜の夢が無ければ…ってか、本当に和菓子屋見学がなければ、単なる夢だと思って忘れたんだろうけれど、眠りにつく直前のジジイの『再生開始じゃーい』のせいでもう疑いしかない。
いつもの例だと、ユンコリンが還暦型決戦兵器ってことになるんだろうけど、なんだかいつもとパターンが違う。
まず第一にユンコリンは20代のアイドルだ。還暦にはまだまだ程遠い。
それに、新担任になっていきなり社会科見学だというのも…
「どうしたの? 山中さん」
カチャリと眼鏡を上げて、浦河先生が微笑む。
「あ。いえ…」
うーん。どこをどう見てもまともな先生だ。頭に大砲もついてないし、太腿にサバイバルナイフを括り付けてもいない。
「その、なんでいきなり翌日に見学だったのかなぁ〜って」
「ああ。それはね。鬼瓦先生は殆どの学校行事を独断でキャンセルしてたからなの」
「ま、マジすか」
「このクラスだけ圧倒的に課外学習が足りないの。特に2年生ともなれば、これからの進路決定するのに重要な節目だわ」
「た、確かに…」
「そのために実際に自分の目で、社会そのものを見て、今後の自分の将来の糧として欲しかったのよ」
うあー、まともだ。まともすぎる大人だ。
ちょっと感動したわ。最近、変な大人しか見てないからなぁ。
ってか、ゴンサレス…学校行事をキャンセルってどういうことよ。そんなこと可能なの?
修学旅行の積み立て金とかどうしたってのよ。まあどうせ出会い系に大量課金したとかいうオチでしょうけれど。
「山中さん。それであなたは進路は決まっているのかしら?」
「え? あ、はい。とりあえず大学に行きたいな〜とは。ザックリとですけど」
「そう。でも漠然と大学に行きたいだけじゃダメよ」
「え?」
「目的意識もなく大学に行っても貴重な時間を無駄にするだけ。社会人になってから、“こんなはずじゃなかった”ってきっと後悔するわ」
「…た、確かに」
確かに言われてる通りな気もする。大学に入りたいって本当になんか皆がそうしてるからって理由だし…。
「本当に自分がやりたいこと、生き甲斐をもって自分の人生を賭けてみたいと思うことを本気で探しなさい」
「う、浦河先生…」
「先生も山中さんが本気でやりたいと思えることが見つけられるよう精一杯協力するわ。一緒に頑張りましょう」
なんか本気で私のこと心配してくれてるみたい。あ、なんか涙でてきそう…。
だって、お父さんもお母さんも私を捨てて(海外旅行だってことだったけれど)、家は血の繋がりも縁もないジジイとオッサンに占拠され、心の休まる時がないんだもん!
頼れる大人っていい! この先生なら信じられる! 少しでもジジイの手先だなんて思ってゴメンナサイ!
「…それで、山中さん。あなた、きっと悩んでいるのでしょう」
「はい! もちろん!」
「良ければ話してちょうだい。きっと力になれるはずよ」
浦河先生が私の手を掴む。温かい…なんて温かいの。それに良いニオイ。ロリエのような甘く爽やかな薫りが漂う。
「はい。実は…」
「ヒートたけちよ、入られます!!」
ザワザワと周囲が騒がしくなる。なんだかスタッフの皆さんが殺気立った。
ユンコリンが来たときも凄かったけれど、それ以上かも知れない。
「…チッ」
「浦河先生?」
「なんでもないわ。せっかくテレビ局と一緒なんだから。老舗和菓子屋さんだけでなく、テレビのお仕事も見るチャンスよ」
「は、はい。そうですよね」
☆☆☆
「おー、おはよおはよおはよーさん」
ヒートたけちよは総黒スモーク張りの高級外車から降りると、サングラス越しに笑顔を見せる。
彼のお決まりの鉄板ネタ、“脇パカパカマンボー”を決めて見せると学生や野次馬から声援が上がった。
自身が司会する番組を幾つも持ち、エッセイなどによる執筆活動、邦画制作にも乗り出しハリーヴッドにもリメイクされて大ヒットした…もはや単なる芸能人ではなく、文化人…いや人間国宝といっても過言ではない彼が、若手一発芸人がやるような若かりし頃のネタを今でもやることに疑問を覚える者は多いだろう。
しかし、彼はよく知っていた。初心忘るるべからず…そんな謙虚な姿が視聴者の心をくすぐることを。
(大御所である俺がやる。だからこそ面白い)
お笑い芸人として30年、下積みからの叩き上げであった彼からすれば、最近のお笑いはてんで駄目だ。
ヒートたけちよのモノマネで一世風靡した芸人も何人かはいた。しかし、誰一人として1年以上持った芸人はいなかった。
勢いだけで笑わせる一発ネタ、キレ芸、とりあえず脱いでおけばいいみたいな芸…どれもこれもくだらない。あれは人を笑わせているのではない。芸人が“笑われている”のだ。そのことに芸人自身が気付いていない。
彼もネタは脇パカパカマンボーしかない。しかし彼は30年間それを鍛えに鍛え続けてきた。文化人として一目置かれるようになってからもだ。
例えば、あそこで苦笑いしている女子高校生がいる。そこそこお笑いには詳しそうだ。特に勢いある一発ネタで笑うタイプに見える。そんな彼女からすれば、こんな古くて見飽きたネタで笑えないというのだろう。
「ワキワキ! パカパカーァン!」
そこに創意工夫を加え、交差させる両足の角度、脇パカパカのリズムを微調整していく。
(より笑える角度に! それはここだぁ!!)
「ワキワキ! パカパカーァン!」
「…プッ。クスクス」
笑い声が上がる。そしたらシメたものだ! 笑いは決壊したダムが如く濁流となり、理性という名の防波堤を呑み込む!
そして笑いは笑いを呼ぶ。
某傘のマークの企業から漏れ出したウイルスの如く、物凄い速度で伝播し、より大きな笑い声へと繋がっていく!
このOウイルス(お笑いウイルス)は感染力大爆発なのだ!
やり遂げた顔で、ヒートたけちよは汗を拭う。
「ヒートさぁん!」
内股小走りで、甘くかったるい矯声を上げてやってくる女子がいた。
芸能界の甘いも酸いも経験した彼からすれば、それは特に容姿に優れているわけではない。
(庶民派アイドルか…お手並み拝見だな)
メチャクチャ美人は高嶺の花。それこそ美しさで言えば女優やモデルであれは掃いて捨てるほど存在するだろう。
しかし現実として付き合うとしたら、庶民は分相応の平均的な女子を愛する。それもちょっとカワイイぐらいでどこにでもいる平均の女子だ。
地味な顔立ち、しかしどことなく気品がある。平均体型、でも胸は決して小さくはない。
アイドルは男たちに幻想を売る職業だ。“もしかしたら俺でも付き合えるんじゃね?”…などという錯覚を引き起こさせる必要性がある。
「あれー、スカートの裾、切った?」
いきなり彼の得意技が炸裂した!
これは登竜門。いわば大御所からの洗礼である。
このセクハラ紛いの質問にどう答えるかで、彼は彼女の力量を推し図ろうとしたのだ。
もし無難にYESとでも答えれば、そんなスケベ女ならば5年以内に風俗落ち確定だ。
NOと答えれば、男の期待に応えられない、答えようともしない半端なアイドルとして引退することになるだろう。
「もうイヤだ♡ でも、お望みとあれば…」
チラッ。少しだけスカートの裾をめくり、その白い陶磁器のような太腿をあらわにする。
(ほう。この女…やるな)
(その手は喰わないわよ)
笑顔で向かい合う、ヒートたけちよやユンコリンの視線が静かにぶつかり合う。
「どもども、ユンコリン! 今日はヨロシクねー!(こんな場所で決着はつかん。超ザギンでシースーでもつまみながら…じっくりとコトを構えよう! 下手をしたら俺の方が呑み込まれる!)」
「もちろんこちらこそですぅ! 大大大先輩ヒートさんのお仕事ぶり、ユンコリン、ちゃーんと勉強させてもらいますぅ♡(超ザギンどころか、高級ホテルで天国を味合わせてやんよ! 次からあたししか指名できねぇように、あたしでしか満足できなくさせてやんよ! 徹底的にだ!)」
これこそが芸能界!
超越魔法連発されている戦場! 勇者と魔王の怒涛のハイレベルな攻防が、まさに水面下で繰り広げられている!
(と、なれば…)
(こんなクソロケ…)
((さっさと終わらせるに限るな!!))
二人の視線が今回の舞台となる和菓子屋へと向かう。
「…あれ?」
若いスタッフの一人が間の抜けた声を上げた。
和菓子の暖簾をたくしあげ、前屈みにそそくさと立ち去るひとりの老人の姿があったからだ。手には分厚い茶封筒を持ち、心なしか嬉しそうにしていた。
「どうした?」
「いえ、いま走り出てったの…確か、この和菓子の店主だと思って」
先輩スタッフが走り行く背広の老人を細めた眼で追う。
「そんなわけないだろ。あれは、言葉は悪いけど…ホームレスか何かだぜ。物乞いに来てたんじゃないか?」
「え?」
若いスタッフは少し困った顔を浮かべる。確かに着ていた背広はボロボロであったし、何やら小汚い紙袋をぶら下げてはいた。靴も片方を履いていなかった。先輩が言うように、ホームレスだと言ってしまいたくなる気持ちも解る。
だが、あの禿げた頭とヒョットコみたいな顔は忘れたくたって忘れられない。この店に取材依頼に来たときに応対した老人に間違いなかった。
「…でも、あの人で間違いないですよ。割烹着を着てれば」
「いい加減にしろ。もう撮影始まるんだから、店主がどっか行く筈ないだろ。お前の気のせいだ」
「そ、そうです…かね」
釈然としない気持ちのまま、その若いスタッフは渋々と頷いたのであった。
しかーし、このスタッフの疑問をスルーしたことが後に大問題を引き起こすとは、ヒートたけちよもユンコリンも、そしてまた山中 南美も気づく由もなかったのであーーーーった!!!




