二十九狂目 『パンティ・トゥ・ザ・ウォッチャー part1』
本日中に3部をすべて公開!
一気に公開しないのはまさにチラリズム(パンティなだけに)!
『痴漢は犯罪です!』
……駅構内に貼られたポスターを見る度、俺は「そんなの解ってんだよ!」と言いたい気持ちにかられる。
犯罪だと、もし捕まったら処罰されるのだと……仕事も、友達も、家族も失うのだと、そんなこと誰しも解ってる。
しかし、どうしてやっちまうのか。
そう。魔が差すんだ……。
性欲ってやつは本人が気づかないうちに、鎌首をもたげてて、鬱憤を晴らす機会を虎視眈々と狙っていやがるんだ。
例えば、そう。目の前の座席に座ってる生真面目そうな中年だって、きっとどこかの役職クラスだろう。
実に真面目だ。眼鏡をかけてるし、薄いけど七三分けだ。なんの面白味もないけれど、堅実さは見た目に現れている。
仕事に尽くし、家族に尽くし、真面目一辺倒に人生を歩んできたに違いない。
仕事帰りの電車の中。一杯ひっかけたい気持ちを抑え、愛する家族のもとに寄り道せず帰る。
手には可愛い紙袋、そう。それは子供への誕生日プレゼントだ。
今日もよく働いた。上からは叩かれ、下から突き上げられ、挙げ句のはてには顧客からの理不尽なクレーム。
それでも今までの経験と知恵を活かし、何とか今日という苦難の1日を乗り切った。
明日の事を考えると憂鬱だ。
だが、それでも毎日を懸命に生きている。
自身の血圧が高いこと、年老いた親のこと、これから考えなきゃいけない墓や遺産相続、子供の将来、夫婦の老後貯蓄……悩みは付きないだろう。
しかし、こんな苦しい毎日でも、感謝をもって働いて、懸命に人生の荒波を漕いで進んでる。
しかし、そんな彼は気づいていやしねぇ。
人生を安全に歩むために、犠牲にしてきたものの存在に。
それは秩序とか良識という社会という名の鎖にがんじがらめにされ、怒りに満ちた形相で復讐の機会を狙っているのだ。そして、その時が訪れる……
ふと、気づく。
気づいてしまう。
彼は見てしまうのだ。
向かいの席、斜向かい。
深々と座り居眠りをしている若い女性。
かなり深い眠りに落ちているのだろうことは明白。
しかし、注目する点はそこではない。
短めのスカート、ふしだらに開帳された脚。
彼のいる視点からは肝心なところはちょっと見えずらい。
しかし、その白亜の柱の間に、はたしてどのような色の横木が使われているのかが気になってしかたない。
千載一遇のチャンス…コクリと喉を鳴らす。
だが、手に持つプレゼントがその気持ちを押し止める。
彼の脳裏に愛する妻と娘が思い浮かぶ。
ガタンッ!
いきなりした音に、男は驚いた。
何事かと隣を見やると、どうやらスマフォを床に落としたようだ。
向かいの女性はかなり深い眠りのせいで起きていない。
だが、男の胸はドキドキとは早鐘を打っていた。自分が考えていた邪な思いを咎められたような気がしたからだ。
隣の男は薄汚い作業着を着ていた。
何の仕事をしてるかは知らないが、それでもディスクワークではないことだけは確かだろう。
無精髭だらけの粗野な見た目からして、少なくとも接客業なんてしてそうには見えない。
その作業着は、スマフォを取ろうと大きく前屈みになりつつしゃがんだ。
そしてむんずと掴むと、ゆっくりと立ち上がり、そのまま立ち去る。
普段なら気に留めることもない何気ない所作。
しかし、今は違った。
彼は気づいてしまった。
その作業着の男が、スマフォを取るときに視線を正面に向けていたことに……
そう! 彼はスマフォを取る振りをして、“堂々と視た”のだ!!
女性は寝入っている。
周りには乗客はいない。
男の目の前で犯罪行為が堂々と行われたのに、それを咎める者は1人もいないのだ!
ああ、なんという不条理!
この社会は、そういう犯罪を撲滅すると誓ったのではなかったのか!
男の中でふつふつと怒りが込み上げてくる。
それは正義の怒り……などではない。
それはただ単に羨望、嫉妬、僻み。
男が生真面目に守り続けてきたルールを意図も容易くスルーしてしまう、あの粗野な作業着に対する憤怒。
(泥にまみれた職業選択しかできない、低学歴低所得者のくせにッ!)
いつもは思わない罵倒の言葉がつい脳内で駆け巡ってしまう。
だが、相手は間違いなく社会的地位からすれば格下だ。
名の知れた大学を出た彼にとっては、肉体労働は頭がよくない人が行う薄給の最底辺の仕事だ。
だが、それでも普段なら“差別”なんかしない。
“社会的な通念”からすれば、職業の貴賤は問わないことが良識とされているからだ。
“ああいう人種”を寛容に受け容れることで、「どんな仕事も尊いんだよ」なんて上から目線の台詞を吐くことで、彼は中流よりちょっと上流に近い高級な市民としての心の安寧を得てきたのだ。
仕事を代われと言われたら豹変して怒るだろう。職業安定所で働いている職員に、「お前の仕事をくれ」と言ってみればわかる。
世の中はそういう“建前”で綺麗に見せかけられているのだからして!
しかし、それが一変したのはそんな温情をかけてやった奴らからの裏切り!
いま自分の目の前で犯罪行為をやって裁かれることがなかったということが彼の逆鱗に触れたのである!
いや、止めよう。
それは単なる言い訳。
ぶっちゃけて悔しかった。
自分がどうしても見たいと思ったパンティを、あんな手段で見ることができるなんて思わなかったんだからして!
「わ、私は…」
思わず手に力を込める。メキッとプレゼントの袋から音がした。だが、彼にはそんなことどうでもよかった。
意を決する。
目の前の女性は確実に寝ている。
まだチャンスタイムは終わってなどいない。
かといって、さっきのヤツがやったように電話を落とすのは危険だ。女が目覚める可能性が高い。
ならば、余計な小細工は無用。
こういうときは堂々とやった方が成功する可能性が高い。
正攻法。
これが彼が歩んできた勝利の方程式である。
彼はすっくと立ち上がる。そして、ポケットから二つ折りのガラケーを取り出す。
そうだ。1枚だけ。たった1枚だけならいける。
しかも、さっきのヤツみたいにただ視ただけじゃない。
こっちは記録に残していつでも楽しめるんだ。
「俺は…もっと上をいく」
ネクタイを弛め、彼は眉間にシワを寄せる。
彼は良い夫、良い父、良い中間管理職である前に“男”であったのだ。
震える手をのばし、ガラケーのカメラモードを起動させる。
そして、シャッターボタンを押す!
カシャリ!
「キャーーッ!! 盗撮!!」
「ええッ!?」
女がいきなり立ち上がって叫ぶ!
いきなりのことに、男は硬直する。
頭が真っ白になっていた。
「なにぃ!? 盗撮だとぉ!?」
「どこだ!? どこだぁ!?」
「どうしたどうした!?」
「犯罪はゆるせないわ!」
「ええええッ…?」
隣の車両からワラワラと人が雪崩れ込んで来る。
あっという間に、男を取り囲んだ。
「コイツよ! コイツが私の下着を盗撮したのぉ!」
さっきまで寝入ってたはずの女は、ヒステリックに叫ぶ!
「ご、ごめ…」
謝罪の言葉がつい出そうになったが、相手の顔を見て躊躇する。
これが美女であったならば、心から謝罪するのもやぶさかではなかった。
しかし、残念ながら、その顔はたいして可愛くもなく、男の好みでもなかったのだ。
さっきは天上界きっての天女か、竜宮城の乙姫にさえ思え、ときめいたのにもかかわらず、今ここで叫んでいるのは、百歩譲ってもトドかセイウチにしか見えない。
どうしてこうまで違うのだろう、男の心に深い深い後悔だけが押し寄せてくる。
ああ、言ってやりたい。
それこそ狸寝入りでもしてたんじゃないか、と。
カメラ音で起きたにしても超反応だったじゃんか、と。
だが、無理だ。
今の男にそんな言い訳をする余裕はなかった。
「このオジサン! アタシが可愛いからって襲いかかろうとしたの!」
「は、はぁッ!?」
いや、ない…。
ないから……。
絶対にないからぁッ!
盗撮は認めよう。
だが、襲うなんて、そんな気など微塵もない。
なにここぞとばかりに調子くれてるんだと、もう少しで拳を叩き込むところだった。
「待ってくれ。その、私はつい、出来心で!」
「うるさい! この犯罪者が!」
「は、犯罪者…」
男は愕然とした。
今までは何の過ちも犯してきたことなどない。
捨て犬にエサをやってり、道端に落ちていた1円玉だって交番に届ける誠実な男なはずだ。
しかし、この場にこの男の今まで培ってきた徳を知る者は一人もいない。
名も知らぬ惑星に、1人取り残されたような気分だった。スタンド・アローンだ(意味はよく分かってないが、使ってみたかった英語)。
「ゆ、許してくれ! こんなことに、こんなことになるとは…」
「謝ってすむなら警察はいらんのじゃ!」
見知らぬ男から突飛ばされる。
化粧水と、口臭のキツイ、見知らぬオバハンは残り少ない毛をむしられる!
目の前の女からは、コブラツイストをかまされる。
「あッー! た、助けてくれぇ!!」
男は揉みくちゃにされながら、次の駅で無理やり下ろされた。
きっと鉄道警察に連行されるのだろう。
ひとり電車に残る“被害者”女性はニヤリと笑う。
さっきの騒ぎで共に降りなかったのだ。そして、電話をかける。
「あー、もしもし、お父ちゃん? うん。うんうん。もう戻ってきていいよ。免許証? 大丈夫。ちゃんとヤツの携帯もゲットしてっから〜」
そんな会話をしているうちに、隣の車両から、さっきの作業服の男が現れる。
そう彼は降りたわけではなかったのだ。一旦降りる振りをして、隣の車両に戻ってたのである。
2人はお互いの顔を確認すると電話を切った。
「ロックは?」
「ガラケーだよ。そんなんしてるわけねーじゃん」
「そうか。よくやった。さっそく奥さんに電話しろや」
「うん。これでまたガッポリだわね」
「しぶってしぶっての示談だぞ?」
「わーってるって。…あ、これ」
女が床に落ちている袋に気づく。それはさっきの男が持っていたプレゼントの袋だ。
「なんだ? 金目のもんならもらっとけや」
「ううん。…ゲ。だっさー。クマなのこれ? こんなの欲しがるヤツの気が知れないわ」
多くの人に踏み潰され、プレゼントの中身は辛うじてヌイグルミと分かるぐらいであった。
すぐに興味をなくしたようで、女はその場に放り捨てる。
「……バカが。トーシロが手をだすからだ」
「ン? あんだ兄ちゃん? なんか俺らに文句でもあんのか?」
「……いや、アンタらにじゃねえよ」
そんな一部始終を見ていた俺は、胸くそ悪さを感じつつ立ち上がる。
そう、さっきから俺は少し離れた席に座っていて、さっきから一連のやり取りを見てたわけだ。
「……ソイツ、いらねぇんなら俺が貰ってもいいかい?」
「ん? あー、別にこんなゴミいらねし」
「そうかい。ありがとよ」
俺は薄汚れたクマを拾い、次の駅で降りる。
そして、ゴミ箱ん中に哀れなソイツを放り込んだ。
クマは零れ落ちた目で、悲しげに俺を見上げていた。
「……恨むんなら、俺じゃねぇよ。テメェを買っときながら、愛する娘に渡すこともできなかった哀れなエロハゲを恨むんだな」




