挿話⑤『アニマルパンティズ』
ここは、超東京某所の一等地。かつてはネギ一本を買うにも超高級百貨店を利用しなければならないという上級市民ことセレブたちが住まう場所だった。
だが、現在。ここは一人のある由緒ある資産家がその周辺地域を一気にまるまる買い占め、東京ドーム25個分(約115万㎡)はある土地に大豪邸を築き上げてしまっていた。建屋以外はすべて森のような私庭という信じられない規模である。
その資産家の実態は謎に包まれている。皇族や幕府に関わりあった旧華族の末裔、または戦後に商いを成功させてバブル時期にも成功し続けた大商人、フリーエネルギーの利権を独り占めにした中東アジアの王であったとか、はたまた北欧から莫大な財産を持って明治時代にやって来て隠れ住んだ貴族だったなど、憶測が憶測を呼び、様々な噂が飛び交っていた。
さらに資産は国家予算並みではないかと言われ、政治家や他国の経営者、指導者とも呼ぶべき世界トップクラスの人々とも強い人脈を持つ。
そんな知る人が知る超スーパー資産家の名は…越宮家と言った!!
白亜の城とも呼ぶべき豪邸。その令嬢の一室。どこのコンサートホールだと聞きたくなるほど無駄に広く、金銀細工、宝石の類いを惜しげもなくあしらった装飾の数々。象がまるまる一頭入ってしまいそうな洋服ダンスなど、実のところそれだけで家が軽く一軒は買えてしまうお値段なのである。
本来、24時間体制で100名を越すメイドがお世話係りとして側に控えているはずなのだが、この部屋の主が「自分でできることは自分で行う」との命令を下しているがため、使用人の類いは一人を除いて外廊下で待機しているのであった。
キャビネットを前に、引き出しを開けて何かを探し回っていた下着姿の美少女は顔を上げる。
知的な美貌。眉目秀麗、威風凛々という言葉が体現したような美少女…彼女こそ、越宮家の後継者こと、越宮 聖華であった。
下着一枚だというのに、その抜群のプロポーションが自信を持たせているのか、セイカは少しも恥じ入る素振りを見せない。むしろ堂々としている様が極上の美、飾らない自然の美しさというものを醸し出している。
「…ない」
大人っぽい顔立ちなのに、セイカは親指の爪を子供のようにカリッと噛る。
だが、その凛々しい顔とのギャップがむしろ愛らしさに拍車をかけていた。この一場面の写真を撮ることができたとしら、大枚を叩いても買う小市民は幾らでもいることであろう。
「…お嬢様」
背の高い一人の老紳士がペコリと頭を下げる。
彼の名はセバスチャン。ありきたりだが、まあ、執事のニックネームなんてそんなもんでしょ。という感じで、無難に越宮家にそう呼ばれている執事長である。もちろん本名は別にあるのだが、誰もそれを知らない。知る必要はない。彼はセバスチャンなのだからして。
「私のお気に入りのパンティがない……」
ピクッと、セバスチャンの長い白眉が動く。
「お気に入りと申しますと……例の、ですか」
「そうだ。セバスチャン。私のお気に入りのヤツだ!」
セイカが手刀を切って振り返るのに、セバスチャンはコクリと小さく喉を鳴らす。
「……あいにくと、お嬢様がお気に入りの下着は本日洗濯中でございます」
「すべてか?」
「…………はい」
セイカの頬がピクピクッと引き吊る。
「“クマちゃん”も“ウサギちゃん”も“ネコちゃん”も、か!? 三枚もあるのだぞ!? すべてが洗濯中ということはないだろう!!!」
「申し訳ございません! すべて洗濯してしまったのは、このセバスめの落ち度! いかなる処罰もお受けする次第!!!」
セバスチャンはほぼ直角90度に頭を下げる。
それを見て、セイカはフーッとため息をつく。
「…声を荒げて悪かった。このようなことで処罰などする気は毛頭ないが、こう何日も同じことが続くのは遺憾だぞ」
「……申し訳ございません。しかし、お嬢様。僭越ながら申し上げさせて下さい」
「新しいパンティをはいていけというお前の提案は聞かぬ」
「…………そうで…ございます…か」
グッと唇を噛み締め、セバスチャンは悲しい顔をする。
「お気に入りのパンティがないならば仕方ない。今日も学校へはノーパンで行く!!」
「お、お嬢様! それだけは…それだけは。年頃の淑女が…この越宮家を将来背負って立たれる方がそのような!」
「構うな。私はあの動物さんパンティ以外では学校に行かないと誓っているのだ!」
いま履いている就寝用パンティをその場で脱ぎ捨てる。セバスチャンは慌てて自分の眼を覆った。別にそんなことをしなくてもセイカが怒らないことは知っているが、それでも自分が仕える主人への礼儀である。
セイカは素早く制服に着替えてしまう。もちろん、その下着はない状態でだ。
「では、行ってくる!!」
☆☆☆
セバスチャンは、机に並べられた三枚の動物さんパンティを見てため息をつく。洗濯したというのは嘘だ。彼がこっそりキャビネットから取り出して隠しておいたのである。
動物さんパンティは何年も履き続けられてきたせいでボロボロだ。デフォルメされた動物のアップリケはほぼとれかかっているし、小学生低学年から使っていたせいでノビノビになっている。もう棄ててもいいんじゃないかと思うが、これがセイカにとって宝物に等しいと知っているからこそ棄てることはセバスチャンにはできなかった。
彼はひどく悩んでいた。高校生にもなって、こんな幼稚なアニマルパンティを履く主人をどうしていいのか解らなかったのだ。
セイカがこの動物さんパンティに執着している理由は簡単だ。これが彼女の今は亡き母が選んで与えたものであり、一時期小学生に通うのが嫌だとセイカがグズッた際に「ほら、セイカ。貴女は一人じゃないのよ。動物さんたちも一緒に行ってくれるわ」と言って渡したという経緯がある。
結果、セイカは母の言葉通りに、このアニマルパンティズとともに学校に通えるようになったというわけだ。
当時のセイカにとってみれば、メドゥーサに鏡の盾、モハメ◯・アリにローキック、ジャイ◯ンに母ちゃんといったほどに心を支える武器となったであろうことは、長年に渡り越宮家に仕えているセバスチャンには痛いほどよく解っていたことなのである。
さすがに高校生になった今、このアニマルパンティがないと登校できないということはないが、それでもセイカはお気に入りと称して履いていこうとするのだ。そして最近はそのお気に入りがないと、代わりのパンティするも履かずにノーパンで登校するような次第である。
セバスチャンは頭を抱える。冬はいい。まだタイツを履くからしてノーパンがバレることはひとまずないだろう。問題は夏だ。夏になった時、ここぞとばかりに太陽と雲が戦いあってフーッとイタズラな風が巻き起こったらどうやるか…そう考えて。
男子中学生や男子高校生というものは、基本的に人間ではない。いわゆるケダモノだ。女の匂いを嗅いだだけでかけつけご飯を三杯は平らげるモノノケの類いだ。きっとヤツらはセイカの女の薫りを嗅いだ瞬間に本能剥き出して暴れだすだろう、と。そうセバスチャンは信じて疑わない。
古武道を修め、合気道や空手、柔道、フェイシング、剣道と合わせて六段は持つセイカではあるが、集団となった馬鹿には勝てはすまい。越宮家の令嬢がこんなことで華散らしていいものか…そんなわけない。
だか、かといってアニマルパンティを履かしたらどうだ。まだ中学生だったら「もう! ジイ(セバスチャン)ったら、私にまだこんなお子ちゃまパンティ履けっていうのよ」……うん。若干無理はあるが、親が買ってきたパンティを履かざる負えないみたいなぁ~という言い訳もギリギリ通りそうな気がする。子供は大人びているつもりだが、中学生ってのは親からすれば“小学生の延長”と思ってる節がある。義務教育期間だ。だからこそ、アニマルパンティもかなり瀬戸際で許されるかもしれん。
しかし! 高校生は無理だ! 高校生にもなって自分で自分の下着ぐらいは選んで買うだろう。
男子だって半数以上が白ブリーフからトランクスに転向する。なぜブリーフがダサいと思われてるのかは知らないが、少なくとも解放感を得るためであることは間違いない。 股間を固定する拘束から、上下左右に振り回せる自由へ……そう。これが成長なのだとしたら、それは必然。
女性とて例外ではあるまい。男子ほど無節操な進化でないにしろ、それは子供から大人へとなる一歩先の道。アニマルパンティからセクシィパンティへ。そう。それが人間の成長というものであるはずだ。
しかし、そんな中、“もし”、だ。もし万が一、セイカがこともあろうか古びたウサちゃんパンティを履いてきたとしたらどうだろう? もしそれが他生徒にバレたとしたら!? 一部の趣味趣向の者どもは例外として、間違いなく幻滅。理想郷の瓦解。圧倒的冷笑。これは越宮家の失墜と繋がるのではなかろうか?
「クッ。旦那様。私はどうしたら…」
セバスチャンは懐から赤い押しボタン式スイッチを取り出す。何か緊急事態があった場合、海外を飛び回っている越宮家当主に一発で連絡をつけるための緊急連絡装置だ。
押すか押すまいか悩み、やがて力なく項垂れ、セバスチャンはそのボタンをポケットに戻す。
「……ここの留守は私に一任されている。私が、私が対処せねば 」
丁寧にアニマルパンティズを折り畳み、いそいそと宝箱にしまった。
「セバスチャン様!」
ノックもせず、慌てた若いメイドの一人が飛び込んで入ってくる。
「…なんですか。騒々しい」
越宮家の使用人はいついかなる時も冷静沈着でなければならない。例え火葬しようとした祖父が生きていて、燃やされてる最中に飛び起きたとしても顔色一つ変えてはならないのだ。その時は何事もなかったかのように、本当に逝かれるまで静かに待つことが求められる。
そして、そういう教育を施してきたつもりだったのだが、まだまだ甘かったのかとセバスチャンはため息をつかざるを得なかった。
「も、申し訳ございません! しかし、お嬢様のペットが!」
セバスチャンはもう一度ため息をつく。
「“また”ですか……」
越宮家の執事長セバスチャンの悩みはまだまだ尽きないのであった…………。
越宮邸宅、東側第八庭園、犬舎にて。
ここではドーベルマン、ブルドッグ、土佐犬やマスティフといった強面の犬たちが数十匹単位で飼われている。餌の時間ともなると、それは物凄い勢いで犬たちが集まってくる。
その犬たちの中、一頭だけ毛色が違うものがいた。
「このバカ犬どもがぁッ! この肉は俺様のだっちゅうちょろうがーいッ!!」
血の滴る生肉を咥え、土佐犬と睨み合うゴリラがいた……いや、賢明なる読者諸君ならばもうすでに理解されていることだろう。それはゴリラではない。ゴンザレスであるッ!!!
「こっちは超松阪牛か!? んでもって、こっちは超神戸牛!? 挙げ句の果てには超岩手の白金豚とな!? ゆ、ゆ、ゆるせぇーーーんッ!」
容赦なく犬の群れに向かってドロップキックをかます。まさに圧倒的動物虐待!
…しかし、動物を動物が攻撃するのは果たして虐待といえるのか? そこは動物愛護団体の見解にお任せしたい。
「犬畜生の分際で、こんな高級肉を毎日毎日たらふく喰らうとはッ!! ゆるされることではないわッ! 全部寄越せ! この俺様が今後貴様らの食料はいただいてくれるわッ!!」
戦利品を得てドラミングするゴンザレスに、犬たちは耳を垂れて怯えている様子である。猛犬たちはこの男の危険性を本能で感じ取ったのだ。関わってはまずい。次は自分が“餌”となるに違いない、と。
「ブワハハハハッ!」
「…鬼瓦様」
それは今の今まで生じなかった越宮家始まって以来の異常事態であった。
ある日、いきなりセイカはこのゴンザレスなる生物を連れ帰ってきた。その姿に見覚えのあったセバスチャンは「担任の鬼瓦先生では?」と尋ねたのだが、セイカは「他人のそら似だ」と取り合わなかった。
正直話しかけたくはない。この者と話すことで自分の何かが失われる気がしてならない。そう。人としての尊厳とか何かが、だ。だが、話しかけねば執事長、この越宮家の留守を預かる使用人として正しくはない。それはセバスチャンにとって人の尊厳に勝るものである。
「食事でしたら館内でお召し上がりに…」
「なぁに!? またこの俺に、あんなおべべを着て、フォークとナイフでちまちま喰えと言うかッ!? んならば、箸と醤油は用意しろッ! そうしたら考える!」
「…最低限のテーブルマナーはお願い致します」
手づかみで料理を頬張り、前菜をウサギの餌だと喚きちらし、他人の皿にまで手をだすだけでなく、厨房に入り込んで勝手に食い散らかす…そんな先週の出来事を思い出して、セバスチャンは軽い目眩を覚えた。
「…それと、庭で生活されるのは何卒ご遠慮頂きたいのです」
セバスチャンはチラッと犬舎の端を見やる。
そこにはどこからか集めた廃材でアバラ屋が一軒作られていた。それはゴンザレスが敷地内に勝手に拵えたものだ。
「それは貴様らがこの偉大な性教師を閉め出してからじゃろうがーい!」
「……使用人への、嫌がらせを辞めていただけるのであればちゃんとお部屋をご用意させていただきます」
そう。なぜこのゴンザレスが外にいるのかと言えば、毎日のように行われるメイドへのセクハラが問題点だったのだ!
部屋に外から鍵をかけても、夜な夜な脱出し、女性使用人たちの宿舎に忍び込んで悪さをする。のぞき、下着ドロ、盗撮…ありとあらゆる性犯罪を毎日のように24時間体制で行うのだ。
さらには事もあろうかセイカの私室にまで押し入ろうとする有り様。その際には止めようとした男性使用人と揉み合いになり、数名が重軽傷を負うこととなった(もちろんゴンザレスは怪我一つしなかった)。
さすがにこの事態にセイカも怒ったが、セバスチャンたちが期待していたような放逐処分は下されなかった。代わりに、「反省するまでペットと同じ扱いでいい! 食べ物だけは人間と同じものを!」と、温情としか思えぬ措置を命じたのであった。
「やめられん!」
「な、なぜですか!?」
「それがこの俺という男の生き様だからよ!」
なんだか良い事を言ってるようだが、ただ単に自身の間違いを認めてないのだ。盗人猛々しいとはまさにこのことである。
「…反省が見られぬのであれば、交渉の余地もございませんッ」
「フン! ならばここでいい! 快適だしな!」
ゴンザレスは笑いながらアバラ屋へと戻っていく。
彼は満足していた。まず何よりも前に住んでいた1Kの狭いボロアパートとは違い、今の彼の生活は家賃どころか一切の光熱費がかからない。必要なものは本邸から盗んでくればいい。事実、小汚い外観とは裏腹に、中は電気ガス水道が設置され、高級な家電や家具によって彩られていた。
食べ物も普段食べているインスタントラーメンなどではなく、犬から巻き上げた高級肉や、ここの厨房が捨てた高級料理の残飯を漁った方がよほど味も栄養的にも満足のいくものであったのだ。
「鬼瓦様!」
「文句があるならば越宮を通して言え! 貴様らでは話にならん!」
ドーベルマンを蹴っ飛ばし、ゴンザレスは高笑いを上げて去っていった。
「……お嬢様はいったい何をお考えなのか」
問題は一つも解決しない。それどころか日増しに厄介なものとなりつつある。セバスチャンは胃がギリギリと痛む思いであった…………。
部屋に戻り、今日のニュースを確認しようと何気なくテレビを付けたところ、ちょうどあるテレビCMが流れていることに気づく。
『あなたの人生を変えるサイボーグ化! 明るい第三の人生を歩みましょう!』
『もう年金なんて不要! 自由に動ける身体でバリバリ働きましょう!』
若い男女が拳を握りしめ、そして光と共に変形していく……サイボーグへと。
『最初は皆不安だった…。けれども! やってみてよよかった。そんな数多くの声がジャンジャン寄せられています!』
サイボーグへと化した女性が不自然なまでのニコニコ顔でそう言う。
『Aさん(65)主婦「最初は不安だったんですけどね…国が推奨しているから安心かなぁと申し込んでみたんです。結果は満足しています。20代の頃の体型を取り戻して、周りからはよく転生でもしたのかって…オホホ。能力は平均値で、チートじゃないって説明するのが大変で」』
どうみても20代にしか思えない女性が現れてコメントする。画面下には、“個人的な感想です。人によって効果は異なります”と注意書が入っている。
『Bさん(75)無職「いや、歯がね。全部入れ歯だったんですよ。食べるとき不便でね。眼もね、老眼でしょ? 良かったですよ。サイボーグ。食べるのも、見るのもできると思ったんですけど、もうその必要すらない。だって、燃料電池を交換するだけ、新聞なんて読まないで脳内にダウンロードするだけなんですからね。サイボーグ様様ですよ」』
頭にUSBを沢山さしたサイボーグが笑う。歯は電飾が通されているようでピカピカと光っていた。
『Cさん(88)自営業「また働けるってのは素晴らしいね! 年金もらうなんて惰弱ですよ! 男ならまた返り咲いてなんぼ! ほら、ひ孫だって片腕で抱っこできますしね!」』
サイボーグ化によって、国籍まで変わってしまったような黒人男性が白い歯を光らせて小さな子供の頭を片手で鷲掴みにしてウェイトリフティングする。
「サイボーグ…か。私も若さが…いや、力があれば、お嬢様の問題や、あの鬼瓦様を止めることも…可能に」
セバスチャンは悩む。いや、悩むなんてことがあろうか。もしこれが越宮家のためになることなのだとしたら、彼に迷うことなど一つもありはしないのだ。
『政府推奨のサイボーグ化! ご興味のある方は、すぐに下記電話へ! 無料資料をすぐにお送り致します!』
セバスチャンは無意識のうちに、メモ紙をとって電話番号をメモする。
『最近格安でのサイボーグ化手術の粗悪な類似品が増えております。何卒ご注意ください。サイボーグ化は、政府公認の安心安全、“浦河サイエンスラボ”で!』




