カフェップル(美紀eye)
「いいな、美紀の匂い」
「やだ、タッくんたらやめてよー」
なにこれ……
私は人もそこそこ入っているカフェの中、この会話を繰り広げている本人でありながら、どこか他人事のような、現実感のない気分になっていた。
店の中が暑くて私が制服の上着を脱いだところ、隣に座っているタッくんに奪い取られ、匂いをかがれているのだ。
「いやいや、匂いをかがれているのだ、じゃないわよ!」
「急になんだよ」
「な、なんで制服の匂いをかがれなきゃいけないのって言ってるの!」
自分の考えがまとまらなくて、思っていることと口に出していることが一緒くたになってしまっていることへのごまかしと、ただただ私の匂いをかがれているっていう恥ずかしさのダブルパンチで、私はカフェにはそぐわないと自覚するほどの大きな声を出してしまう。
「もうちょっと静かにしようぜ。作戦がバレたらどうするんだよ」
「ヘンタイが冷静になだめようとするんじゃないわよ」
「急にヘンタイ呼ばわりかよ」
「今の行為にヘンタイ要素以外の何があるって言うのよ」
「愛かな」
「殴るわよ」
冗談でなく本当に殴ってやろうかしら。
そういえば、今日こういうことをしなきゃいけなくなったそもそもの原因の話をした時も、最初殴ってやろうかって思ったっけ。
そう、今「作戦」という言葉があったけど、まさしくこれは一つの作戦なのだ。
「今日、カフェで俺とイチャついてくれ」
「……何か悪いものでも食べた?」
いきなり学校の教室の中でこんなことを言われたものだから、こう返してしまうのも仕方ないでしょ?
「そんなに変なこと言ってるか?」
「私が殴って正気に戻さなきゃって思うくらいには」
それに、変なことを言っているという自覚すらないあたりとか。
「まあ待て、話を聞いてくれ。とりあえずその振り上げた腕を下ろしてくれ」
「そう? 変な発言をして殴られたいっていうドMなこと考えてると思ったから早速行動に移してあげようと思ったんだけど」
「美紀ってそんなにバイオレンスだったか?」
「誰のせいよ」
「まあまあ、コントみたいなやりとりはここまでにしてだ」
あげくの果てに勝手に仕切り出すところが腹立つ。
なんで私、こんな奴に告白されてOKしちゃったんだろう。今考えると、ちょっとだけ後悔してしまう。まあ、ホントにちょっとだけだけど。こういうやりとりができるのはこいつしかいないし……
「何も考えずにそんなこと言ったんじゃないぞ。ちゃんと理由はある」
「それを先に言わないと、ただのセクハラなのわかってる?」
そんな憎まれ口っぽいことを言ってみたものの。私の心の中では別の考えが渦巻いている。
なんか、嫌じゃないっていうか。
付き合いはじめてから半年。なのに、あんまり仲が進展しない私たち。タッくんも考えがあるんだろうけど、あまりにもふれ合いが足りないというか。
だから、タッくんの方からこんな積極的なことを言ってくるのは珍しいことなのだ。もしかしたら、あまりのギャップに私も戸惑ってしまっているのかも。
だけど、さすがに突然すぎてドキドキする前に一歩引いてしまう。
「じゃあ殴られる前に理由話すわ。要するにな、愛のキューピットになるわけよ」
「省略しすぎて全然伝わらない」
話が断片的すぎるので、愛のキューピットなんて似合わないセリフにツッコむ気すら起きない。わざとやってるんじゃないかしら。
知ってか知らずか、タッくんはようやく断片的な情報をまとめてくる。
「俺の女友達が、好きな奴に一歩近づきたいと思ってるんだと。だから俺たちが立ち上がるわけよ、目の前でイチャついてやって、刺激する作戦」
というわけで、その作戦を実行してみてるわけ。
決してやりたいからやってるってわけじゃない。これは作戦、作戦。言い訳っぽくて自分でも気持ち悪いけど。
でも、やってみたらやってみたで嬉しかったりしてしまう。だってタッくんが甘えてくるなんて、今までほとんどなかったから。あの時渦巻いた考えは確かなものだったらしい。
やり方はいかがなものかと思うけど……って、なんだかんだで流されてるのかな、私。
「というかいい加減そんなに匂いかがないでよ! 恥ずかしいから!」
とはいえ、そんなにずっと服に顔をうずめられていると、恥ずかしい以外の違う心配もしてしまう。ちゃんと体も綺麗にしてるし、お気に入りのシャンプーも使ってるし、嫌なにおいにはなってないだろうから大丈夫だと思うけど。
なんか私、心配するところおかしくなってない?
「見せつけるにはこのくらいやらなきゃだめだろ」
「うう……」
もう顔が熱くて仕方ない。ここまで強引にされると言い返せなくなってしまうなんて、自分でも今まで気づいてなかった。
「顔、赤いな」
「恥ずかしいんだから当然でしょ」
絶対からかわれてる。いつもは私がツッコミ役みたいなポジションだったので、形勢逆転されていることがすごく悔しい。
だけど言葉に出すとますます調子に乗るだろうから、余計なことは言わない。
「どれどれ」
何も言わなくても調子に乗ってきた。タッくんは体をひねって私の正面に顔を持ってきて、おでこに手を当ててきた。
「ちかっ!近いから!」
逃げようにも、タッくんの片手は私の耳の横でソファの背もたれについているし、もう片手は私のおでこにあるし、どう動きようもない。
かといってされるがままにいれるほど平常心を保てるわけもなく。でもせいぜい足をじたばたさせるしかない。
「あまり暴れるとスカートめくれるぞ」
タッくんの言葉にはっとして、スカートの真ん中を押さえる。
「ずっと思ってたけど、美紀ってスタイルいいよな」
「本格的にセクハラしてきたわね!このヘンタイ!」
真ん中を押さえたせいで足のラインがはっきりとスカートごしに浮かび上がっていることに、その発言で気づいた。
「褒めてるんだぞ、これ」
「私も褒めてあげるわ、その図々しさ」
これで褒めてるつもりなんだから、もう何とも言えない。
「じゃあ図々しいついでに」
私の皮肉は通じていなかったのか、ついに私の肩を引き寄せて、私とタッくんの距離がこれまで以上に近くなる。
「いい匂いだな」
「何回も言わなくていいから!」
「汗くさかったら悪いな」
「そ、そんなことない……」
タッくんの匂いに包まれながら、私はつきあい始めてからのことを頭の中で駆けめぐらせる。
私はずっと、タッくんといる時間に緊張していて、もしかしたら……今まで、こういう機会があっても私が行動に移させていなかったのかなと。
仲が進展しない、タッくんが全然アプローチしてくれないとばかり考えていたけど。
実はその原因を作っていたのは私だったのかなと思った。
「ごめんね……」
「なんだよ急に、何がだよ」
「ううん、なんでもない」
こんなムチャクチャなシチュエーションのさなかに気づくのも悔しいけど。たまには、素直になるのもいいかもね。私はタッくんの肩に頭を乗せる。触れ合うこの場所から直接、タッくんに素直になったこの気持ちが届くようにって。
目を開けると視線の先には、けしかけたペアの男女。
うまくいったらしく、アイコンタクトをこちらに送ってきていた。
お互い様だなあ、って思ったけれど。
「ねえ、タッくん」
「どうした?」
「なんか……向こうの女の子からも良かったねみたいな反応されてない?」
向こうの子とは初対面だけど、どうもこっちにも視線を向けているような気がする。
「さあ? きのせいじゃねーの?」
わざとらしい棒読みがよけいに腹立つ。
私はお返しとばかりによりタッくんにすりよっていた。