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誰も諦めてなんかない 1

 青緑色のアーチの下は、大きな川が流れている。百年前に氾濫して宮ノ訪は大きな被害を受けたらしい。だが、もう百年も前の話だ。ここで産まれ育った人達もその氾濫を目の当たりにはしていないし、去年の春に引っ越して来た俺にとっては、本当に昔話に過ぎなかった。

 その川を渡りきってから横断歩道の無い道路を渡り、土手沿いを歩いていけば寺朧尾(じるみ)のゆめタウンだ。

 その土手沿いの場所が結構広い。アスファルトもきちんと舗装されていて、そしてその側には芝生の道と遊具が置かれているのだ。

 この公園の名前は千年公園と言って、でもだからと言って千年前から公園だったという訳なのか全くわからない。真琥さんも知らなかった。クラスの連中も知らなかったし、社会の先生も知らなかった。

 詰まる所、『千年前からそうだったのかわからない公園』を略して千年公園。とふざけて言ったら、小学校の時にそれ流行るんだよね。と女子に言われて笑われた。俺としては何だか思わぬ形で恥をかいたような気分になってしまった。

 そんなことを思い出しながら準備運動(アップ)をしていると、でかい図体を捻りつつわざと右手を俺の肩辺りにぶつけてくる勇邁(ゆうま)の笑顔と目が合う。向こうは笑っているが、丁度つっぱりのようなものを毎度毎度食らうような形になっている俺としては結構シャレにならない。

「おい、痛ぇよ」

「何だよ何だよ。こんくらい痛くも痒くもねーだろ?」

「体格差と俺が病み上がりだってことを少しは考えろ」

「おめぇもでかいんだから大丈夫!」

「どこが大丈夫なんだよ充分痛ぇってんだからもうちっと離れろや」

「んだよー。連れねー奴だなー」

 勇邁が一歩だけ右側にずれて芝生に座る。そのままストレッチを続けているその顔を見ていると、やっぱり笑っている。親子なんだろう。俺にちょっかいを出すその時も、俺をここに誘う時の顔も、そして風邪が治ってすぐの俺を日向さんに会わせた時の顔も、その姿には父親の真琥さんの姿がどこかダブって見えるようだ。

 追う背中があるっていうことは、こういうことなんだろうか。俺はというと、いつの間に女を作って俺と母さんを追い出したような背中の持ち主を追いかけたくはないから、正直に言うと良いな、と、羨ましいかも、と思う。

「けどあの背中は追っかけるの難しいし、色々と苦労も多いわね」

 と日向さんは笑って言った。日向さんはまず俺の話を聞く所から始めた。その時の俺も思ったし、今も、多分時間が経っていくにつれ、あの時の俺の気持ちや行動っていうのは訳のわからないものになっていくだろうし、恥ずかしいものになっていくんだろう。あぁ、これが黒歴史って奴か。嫌な言葉を教えてくれたもんだよなぁ。真琥さん。

 あの日何があったのか。そんなに難しいことじゃない。九州大会団体戦準々決勝。勝った方が全国へ駒を進めるという場面で、一番シングルスだった俺が負けたのが事の始まりだった。

 四単一複。つまり四つのシングルスと一つのダブルスで先に三勝した方が勝ちになる団体戦の初戦である一番シングルスはチームの空気を左右する一戦になる。そして戦力的な問題もあった。

 向こうの学校はほぼ全員が個人戦でも九州大会まで進んでいて、しかもダブルスが圧倒的に強い。今までの試合で一セットたりとも落としていない状態でここまで勝ち進んできたペアだった。

 片やこちらは俺と望、そして卓球部唯一の上級生、八口先輩の三人しか九州大会まで個人戦で残っている選手はいなかった。

 そんな状況で俺が負けた。しかも、セットカウント0―3という零封で。そしておまけに、その隣の二番シングルスでは相手の主将を3―0で逆に完封した望を目の当たりにする羽目にもなった。

 最初は何が起こったのかとか、どうしてこんな風になったのかとか、色んなことが頭の中でごっちゃになって、訳がわからない。そう思った。そしてそう思いながら、どうしよう、と思う気持ちがどうしようもなくて、俺は試合が終わってからしばらくチームの応援にも参加出来なかった。

 俺が負ければチームも負ける。それを誰も口にはしなかったが、それは俺が一番わかっていることで、とにかく怖かった。

 俺達は八口さんも含めて来年があるといえばある立場ではある。しかし、今年の大会は当然今しかなくて、そしてそれを俺が終わらせてしまうのだけは嫌だった。それもあんな舐められたような戦いで。零封という結果も御免だった。いや、個人のことは置いておくとしても、こんなに順調に勝ち進む事ができたんだ。来年もまたこんな風に進むとは限らないんだ。こんなに、『おしい』状況で、みすみす全国出場を逃して良い訳が無い。無いのに負けた。どんな顔して応援すりゃ良いんだ。所謂戦犯として顔を下げて挨拶をするんだろうか。望は相手チームのナンバーワン相手に結果を出したというのに。ごちゃごちゃとした、そして試合中には感じなかった恐怖に、俺は二階席の片隅でタオルを被って震えていた。

 俺にとって本当に予想外だったのは、その後四番シングルスで平河が勝利を収めてくれたことで、それが八口さんの逆転勝利にも結びつき、俺達は全国への切符を手に入れたし、そのまま九州大会優勝までできた。

 俺が負けた事はまだ良い。それは単純に俺が弱いってだけだから。俺が一番嫌だった事、それは。

「お前が負けた事なんて俺にとってはどうでも良い」

 と冷静に、なのだろうがその時の俺としては冷酷に吐き捨てられた望の言葉だった。

 本当に、今となってはどうしてそれだけであいつの胸ぐらを掴み、殴るまで頭に血を上らせてしまったのかわからない。けど、俺はそれくらい自分の結果にこだわっていたというか、賭けていた。

 俺が勝つ事でチームは勝ちに一歩近づいて、望やダブルスの能塚(のつか)兄弟、平河、そして八口さんがまたそれぞれに勝っていく。皆で一つの勝ちに繋げていく。それは今まで俺があんまり体験したことがないことで。だから、中学に入って九州大会という舞台にまで行き着いて、それが続けられることが大きな喜びだった。なのに。なのに、俺の結果は、どうでもいいものだと、望は言ったのだ。何か、今まで積み重ねて来た俺の中の喜びが、一瞬のうちに崩れ落ちてしまうような感覚だった。

 気付いたら、望を殴っていた。そのまま覆い被さるようにして、殴り続けようとしていた。そして腹に一発蹴りを入れられて、逆に殴られた。覚えているのはそれまでで、その後どんな殴り合いを展開していったのか、全然覚えていない。とにかく、反省文とホテルの人への謝罪。巻き込まれた形になった望も当然だが一緒にそれをやる事になり、本当に苛立っていた。露骨な舌打ちをして、また先生を怒らせていた。その側では、多分勇邁という喧嘩止めの名人がいない中で、どうにかしようと先生を呼んだんだろう。能塚兄弟が、双子らしく揃ってぽろぽろ涙を流していた。

 そんな話だ。日向さんと一緒にあの時を振り返りながら、俺は自分の行動を振り返って話をした。そして、日向さんは俺に謝った。圧倒的に悪いのは俺なのに、日向さんは望のことを俺に謝った。

 そして望の一面を聞いた。

 人の仕草を見ても気持ちが理解出来ないこと。興味を持っていることにしか熱意を向けられず、それ以外のものを切り捨ててしまうこと。そしてそれを否定されることをとにかく嫌うこと。

 人を傷つけても、傷つけたことにすら気付かないこと。

 望は人の気持ちに興味がない。そのことに少しは気付いていた。小六の春休みに、望に寺朧尾で初めて会った時に俺は久しぶり。と声をかけた時、あいつはその意味を理解していないようだったから、俺は面食らって一週間前の大会の決勝戦について熱っぽく語る羽目になって、確か、その時にも日向さんは俺に謝った。

 なるほど。あの時俺は望を物覚えの悪い奴、と思ったけど、違った。

 絶望的なまでに、他人に興味がなかったのだ。そっか。一年付き合って何となくだけど、感じていたけれど。そういうことだったんだと、納得して、そして困惑だって、した。急に椿の言葉が蘇る。あいつは変わらない。どうせ。

 あの諦めには理由があった。そういうことなのか。そうだったのか。俺は日向さんに問いかけて、

「劇的に、という訳にはいかないわね」

 とだけ、日向さんは笑った。何故笑ったのかは俺にはわからなくて、また困惑した。その帰り際に、日向さんから一つ願い事をされた。この事を知っても、何も変わらず望と付き合って欲しい。それだけだった。

「別にどうということはないっすよ。あいつが障害持ってよーがそうでなかろうが、俺は友達ですから」

 口でそう言ってその瞬間、自分で自分に嘘をついているような気分になった。本当に変わらずにいられるだろうか。不安だった。俺は、本当に変わらずに望と向き合えるんだろうか。その日は不安だった。

 そしてその直後に勇邁に走り込みに誘われて今日に至る。

 そこには椿もいて、望もいた。全員勇邁が誘ったのだろうか。余計な事をしてくれる、と最初に思い責めたが、どうやらそれは俺の考え過ぎだったようだ。

「そもそも俺が誘ったら逆に椿は来ねーし望は俺がどうのこうのじゃねーし」

 一緒に走り出しペースを合わせて会話する。

 望と椿は少し遅れて――というかそもそも一緒にする約束もしていないのだから遅れてくるというのも不自然だけど――来て、アップを始めていた。

「椿ってドライっていうかさ、怖いっていうか」

「厳しい」

 勇邁のたった一言が余りに的確な気がして、

「あ、そうそれ」

 と思わず言って吹き出した。

「俺がこの前負けた時なんてさ、あいつ一々俺の上の席に座ってからグッサグッサ刺さるようなこと言うだけ言って消えやがったからね。俺本当に泣きそうだった」

 そう言うと、あぁわかる。わかるわそれ。という勇邁の相槌が帰ってくる。

「望のこともさ」

 一呼吸。別段構えたりした訳じゃない。呼吸の関係で、ここで切れてしまっただけで、また言い直す。

「望のこともさ、あいつは変わらないって。まるで一生このままだって言わんばかりの言い切り方だったね」

 ふぅん。勇邁の返事は短くて、まるで思うより興味がないんだろうかと俺は思った。

 それとも、今のタイミングでこの話題はまずかったのだろうか。頭の中ではそういう勇邁の態度を見ての思考がぐるぐると回っている。……きっと望ができないのは、こういうことなんじゃないか、と考えながら。

「それ、嘘だぜ」

 勇邁から追加の返事が返って来たのは芝生を一周半くらいした所で、一瞬俺は勇邁が何を言っているのかがわからなかった。

「あ、まぁこれは俺が思っているだけなんだけどな」

 俺の顔が一瞬きょとんとなってしまったからだろうか。勇邁は頭を掻きながら言う。

「あいつさ、泣かねーじゃん?」

 俺は黙って頷く。小六から一年の付き合いしかないけれど、俺は椿が泣いたところを一度も見た事がない。弟でも、それを見る事はなかったんだろう。

「けどさ、あいつ望のことが絡んだ時だけ泣くんだぜ」

 その言葉を聞いて俺は思わずはぁ? と声を上げて勇邁を見てしまった。そして、前見ろ前、あぶねーだろうが。と注意される。

「確かー。そうだそうだ。去年だからお前いたんだけど、あれだったよな。お前家の用事で来れなかった大会あったろ?」

 勇邁の言葉に去年の記憶を呼び起こす。そういえばあったな、とすぐに思い出す事ができた。そもそもダブルス大会ということでペアを作らない限り出場もできないもので、シングルスプレーヤーである俺にとってはそれ程大事だとも思えなかったし、望も椿と組む事でミックスダブルス部門に出場出来るのだからそれで良いやってなった覚えがある。

「あれでさ。お前も知ってるだろうけど俺や勝も応援に行ったんだよ。何もなかったし。んで、一応ベスト4までは行ったんだけどさ、全国まで行くくらいの高校生ペアに当たっちまって負けちまったんだよ。何か難しいこと全然わかんねーけど、アレだろ? 二十対二十とかって珍しいんだよな?」

 その問いかけに単純に俺は頷いた。当時小六だった二人は全国区高校生ペア相手にデュースどころかそんな点数になるまでデッドヒートしてたのかよ。そんな驚きも含まれていた訳だが。

「最後だけ何か覚えててさ。望の打った球がネット掠ってオーバーしちまって。そしたら相手の二人が抱き合って喜んでやんの。ガキ相手に大人気ねぇなって思って軽くボコしてやりたくなった。相撲じゃありえねえ」

 アスファルトに出て行って本格的に走り始めて、今度は勇邁が熱っぽく言ったが、お前が言うと冗談でも何でもなくシャレになっていないだろうと、心の中だけで留めた。

「悪い、少し脱線した。最後ミスったの望だった訳だけどさ。何故か椿がトイレから出てこなくなっちまってさ。何でだよって、なるじゃん。あいつ目を赤くして言うんだよ。私がもっと頑張れば、アレくらいの相手、望ならどうとでもできた。望の力なら、アレくらいの相手は大した事ないってさ。泣きはらした赤い目して言ってんの。当の本人はあー終わった。くらいの態度だってんのにさ。勝と一緒になーんか、何ていうの? がっかり、じゃねーけどさ。複雑な気分にもなるわな」

 軽い溜め息と共に勇邁は言ってから、

「んでさ。豪」

 俺に話しかけて来た。何だよ、と返すと、


「あれ以来さ、望の事興味なくなった?」


次回、ついに最終回です!

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