とある外野の目線 2
「なぁ。望のことなんだけど、さ」
面白いくらいに固まる空気と、チッ! という舌打ち。そして余計なことを言いやがって。そんな勝の目線が刺さる。
「お前がかたる話題じゃない」
親父よりも先に椿が切り返してくる。まるで、お前は参加するなと親父に言われただろう、と優しく、しかし首筋にナイフかドスか何か、物騒なものを押し付けるような雰囲気で椿は俺に言う。親父は俺にだけ「お前がそうして強引に入っていくべき問題でもない」と言った。そのことは親父と俺しか知らないことだ。でも、椿は知っていたのかもしれないと思った。知っていて、一々出しゃばらないように、していたのかもしれない。昔からそうだった。この女は、小さい頃から俺に対しても勝に対しても、――そして望に対してもそうだった――距離感を保った優しさと、首筋にちらつくドスのようないかつさ、危険さを、同居させている。
「…………」
親父は口を開かない。黙ったまま、俺達三人の話し合いが続くのを待っているだけだ。表情はむしろ柔らかく、緊張感を俺達に与えないようにと頑張っている様子を感じた。そして、それが俺にとっては余計に緊張する原因になっていた。
「勇邁。お前、どういうつもりなんだよ」
勝が口を開く。よく、親父が言う。
勝の口調について、きつもんちょう、という言葉をよくよく、親父が使う。詰問調、という漢字は真由実に、その意味は椿に教えてもらったが、漢字はともかく意味についてはよく理解できなかった。とにかく、勝のこういう感じが、詰問調、ということなんだな、程度のことを俺は思いながら、
「…………」
黙っていた。
「これは望と豪の問題だろ。卓球で繋がりのある椿ならともかく、どうしてお前が出しゃばる必要があるんだ!」
勝の言葉はよくわかった。親父によく似て、言葉が難しい勝の言葉は、全然理解できないことも多いけれど、とりあえずここまでは理解できた。
「そもそも、卓球っていう繋がりがいるか?」
俺は単純に疑問に思っていることだけを伝えた。横目で見た親父は、呑気にコーンスープを飲んでいる。美味しくできた。とでも言わんばかりのわかりやすいにやけ顏が、意味不明だと思った。
「はぁ? あの二人は卓球が原因で喧嘩してんだろ。そもそも、望はもう気にしていない様子になっているのに、いきなりこうしてしゃしゃり出て余計に混乱させておかしくなっちまったら、勇邁、お前責任、取れんのかよ」
長い言葉、俺のバカさを責めたて、まくしたてる勝の言葉が、脳みそを滑ってくように感じた。まぁつまり、理解できなかった。責任っていうの。俺よくわからねぇや。
「難しいことはわかんねぇよ」
正直に言うと、勝の言葉は決まっている。
「じゃあもうこれ以上この話題でお前は話すな。動くな。それが一番だろ」
単純で、明快っていうもの。理解できる。わかる。そして、
「お前は学校で聞くげな話が嫌にならねぇか?」
納得がいかない。
「あんなのすぐ消える。七十五日だ。あっという間。そんなもんだろ。お前が気にするようなことじゃない」
勝も俺を説得するのをやめない。勝もきっと、俺の言うこと、やろうとすることに納得していない。
「なぁ。学校の連中もだけどさ」
俺は一度ここで言葉を切って、親父を見ていた。言うべきかどうか、まだ迷っていた。正直。
「お、上手く揚がってら」
親父は一人、手が止まってしまっている子ども三人を放置して自分で揚げた唐揚げの出来に感動していた。その様子を見て、決めた。
「小六から一年一緒にいて、卓球してるはずの豪は知らねぇんだよ。そうだろ?」
親父のその余裕面を、壊したいと思った。俺達の間に流れている到底美味しい唐揚げなんて揚がりっこない、ちんたら、ヌルヌルして気持ちの悪い温度をした油のような空気を、親父にもぶちまけてやりたいと思った。親父の箸に持ち上げられた鶏肉は、香ばしい匂いと共に白い湯気をもうもうと上げ、親父の上達した料理の腕前を祝福しているみたいだった。
「……お前、さ」
髪を掻き、うんざりした顔で勝は呟いた。
「もう、さ、お前バカだわ。……わかってたけど。わかって、いたけどさ」
きっと勝がこうしてうんざりすることは俺の中では予想通りで、予想通り過ぎて、俺もうんざりした。けど、俺はやるべきことがあると思った。だから、続ける。
「アスペルガー。望のことを今まで誰も言ってこなかった。そうだろ?」
アスペルガー障害。発達障害。脳みその障害。望が生まれつき持って生まれて、今の今でも引きずっているモノ。
それが何かを、十三年幼馴染をしている俺も知らない。ただ、幼馴染をしていて気付く、これが望か、そういうのが望っていう奴なんだって思う瞬間が積み重なって、俺は望を知ってきた。
その十三年間がない豪は、少なくともそれを知っていれば。知ってさえいれば、どうにかなる部分が、ちっとはあるんじゃないか、とか。
そういうことを、考えていたりもしたんだ。
「…………」
溜め息というか、長い息しか吐かない勝だったが、ここで口を開いたのは、椿だった。ついに望のことで、ここまでのことを話そうという俺の気持ちを知ったことで、黙ったままではいられなくなったのだろう。
「勝が反対しているのは、……わかるよな」
「あぁ。わかる」
簡単な確認の後、
「私も反対。けど、……話をすること自体には反対しない」
少しだけぬるくなってしまったな、という顔をしながらみそ汁を飲む椿を見ながら、俺も眉間に皺が寄る。
「どういう意味だよ。俺にわかるように言ってくれよ」
「望について話をするのはあんたの仕事じゃないってこと。もっと話すのにふさわしい人がいるってこと」
親父が上手く揚がったと語った唐揚げを箸でどけて、その下の付け合わせのキャベツの千切り――椿の皿はその付け合わせの量が半端なかった。メインむしろそっちだろ。という程だった――を口に含む直前に、椿は俺に言った。
後は自分で考えろ、とでも言わんばかりの態度で椿は食事に集中し始めた。
そして俺は、誰がそのふさわしい人なのかがわからないまま、口を開けないでいた。
「ごちそうさまでした!」
ぱちん、と手を合わせる音をわざとらしく立てて親父は自分の食後の皿を洗い場へと運んでいく。結局、敵わなかった。という思いもあり、俺は顔をしかめたままで、
「……いただきます」
と言うだけだった。
「タイミングが最悪なんだよ。このバカが」
勝も自分の箸を持ち、手を合わせる。男二人仲良く頃合いを逃しちまったなぁ、としみじみ思う。親父が無駄に感動していた湯気の立つ程の唐揚げは、ヌルヌルして気持ちの悪い温度をした油のような感触がした。
「猛さんと日向さんだよ」
唐突に勝が口を開く。は? と俺は自分でも意味がわからないような声を上げた。
「は? じゃねぇよバカ。もし豪に望のアスペを伝えるんなら、親である日向さん達からってのが当たり前の形だろうが」
あぁ。と、ここでようやく俺も納得できた。
「話、するか?」
「……する」
「あっそ」
勝も、椿も、俺がする、と決断したら、後はあっそ、で引き下がる。そして、結局二人ともが俺の後ろをついてくる。
「お前みたいなバカが一人で行動して暴走するとか想像するだけで恐ろしい」
とか何とか二人は口を揃えて言う。
「勇邁、キャベツ食えよ」
どっかりと自分のキャベツをほぼ全て乗せてくる勝を睨むと、
「俺、今日は肉が食いたい気分なんだわ」
そう言いながら勝は俺の視線や声等一切気にしないまま、椿の食べなかった唐揚げをつまみ、自分の皿に乗せた。
次の日の朝、親父を捕まえてあのヌルヌルした油の空気を止めなかったこととか、俺にだけ釘を刺しておいて結局何も口を利かなかったことの理由を聞いた。すると、
「さぁ? 僕はお前一人だけで割り込んでいくのが嫌で釘を刺しただけだからね。こういう形ならば、日向や猛を巻き込んでくってんなら、僕は何も言わねえよ」
車椅子に乗った親父は俺の肩を叩きながら笑って答えた。
真由実だったり、椿や勝に対してなら、嫌がるだろうが頭を撫でたり叩いたりするもんなんだろうな、と俺は思った。
いつの間に親父にとって俺の肩は頭よりも丁度良い高さになっちまったんだろうか。
大人は、……いいや違う。親父は、卑怯だ。
敵わないな、という親父への敗北感ばかりを感じて俺は、溜め息を吐き、頭を掻いていた。 (続)




