とある外野の目線 1
寺朧尾のゆめタウンから自宅までは良いランニングコースになる。ここを走り込んでいると、自分と変わらないくらいの若い年代からお年寄りまで、たくさんの人を見かけることができる。
そのランニングコースの中、綺麗に舗装されたアスファルトをできる限り避けた芝生の道を瀧中勇邁は走っていた。
百八十を超える身長と、百キロを超す体重。ウエイトを考えた時にアスファルトは負担が大きいとかかりつけの医者や父親、更には真由実にまで言われたことを、勇邁は律儀に守っていた。
勇邁からしてみても、ある程度の柔らかさと不安定さを持つ場所の方が、足腰を鍛えられて良いと思えたのだ。
芝生を抜けて、足を隣町、自分の家がある宮ノ訪へと向ける。信号も横断歩道もない道路を渡るためにタイミングを窺う。その間も、足は止めずにステップを踏み続ける。ウインドブレーカーの中で、汗が出ているのがわかる。
宮ノ訪橋には青緑色のアーチが掛かっている。数年毎に塗り替えられる色も、今はぼやけたような色合いになっていて、そろそろまた塗り替えの時期になるだろうか、と勇邁に思わせる。それを見上げながら、緩やかな上り坂を、膝のクッションを意識しながら走り続ける。その息は乱れることなく一定のリズムを保ち続ける。
橋の終わりがそのまま宮ノ訪への入り口となっている。突き当たりには大きな布が張り出されていて、
『おめでとう全国中体連相撲大会出場!
宮ノ訪中学校一年 瀧中 勇邁君』
と大きな文字で自らの名前が飾られている。正直なところ、勇邁はここを通る度に気恥ずかしさを感じてしまい、即座に隣の看板へと視線を移してしまう。
『祝! 全国中体連卓球大会出場!
宮ノ訪中学校一年卓球部 百合神 望君
永守 豪君
瀧中 椿さん』
宮ノ訪中に相撲部はなく、勇邁は幼い頃からの実績等により認められ、特例として個人戦のみの参加が認められている。たった一人の相撲部員としての参加。相撲部とも書かれることはなく、クラスや別学年の人間達からは、相撲、という響きだけで失笑を買うことも珍しくない。
相撲なんて今時流行らない。それは勇邁本人からしても当たり前過ぎることだと思えていた。
相撲で全国に行くこともはっきり言ってその意味をあまり大きく感じたりはしない。同学年、というより同年代と言う方が正しいが、似たような年齢の奴らとやり合ったって仕方ねぇ。勇邁はこの看板について周りに褒められる度にそう思ってしまう。その横の奴らはそうじゃないことを知っている。
競技が違う以上、それはどうしようもないことだと頭ではわかっているし、それほど、バカじゃないとも思う。それでも、勇邁の中でこの三人の力というものに対して、素直な憧れ、というのか、よくはわからない感情があった。
大人たちに交じり、そしてそいつらを吹っ飛ばす。そういうことができるこの三人に、勇邁は心から思っていた。すげぇよ。こいつら。
だからこそ、……些細なことで何をやっているんだと、勇邁は望や豪に対して残念な気持ちを抱かずにはいられなかった。
よく父親が話をしていた。「げな話で人を判断するな」と。
学校では噂話を耳にする。噂話だ。興味などなかった。それでも、よく耳にする。
つまらない話だと一蹴しても、それは否応なく耳に入り、勝手に頭に入ってくる。
「すごいよねぇ。望君も豪君も全国出場やろう?」
「けどあんましよくない話も聞くよねー」
「何? 何々?」
「それがね、私も人から聞いた話だから、よくわからないんだけど、永守君はね、なんか相手の人に団体でやられまくって、それですんごく落ち込んでいるらしいんよね」
「そうね?」
「そうそう。んでね、その人とはまた個人戦で当たったらしいっちゃけど」
「うん」
「そこでは手加減されて勝ったげなよ」
「マジでね?」
「いや、聞いた話なんだけどね。けど、ほら、最近あの二人、仲悪くなっているじゃない?」
「あーね」
「やっぱそういうの、とか? 団体でも足引っ張ったっていうのとか色々あって険悪とげな」
「うわー」
どこにいても、こんな調子なのだ。話が広まるのは早い。中体連の試合は大概の試合が同じ日程で行われる。相撲の試合をしていたから勇邁は望や豪の試合を見ていない。他の連中もそうなのだろうが、噂の広がるのは本当にあっという間だった。
「ねぇ。そうなんでしょ? 勇邁君も知ってるんでしょ? 幼馴染なんだから!」
噂の真偽をこんな風に問うてくる者も多く、本当にウンザリしていた。その度にこう答える。
「知らん。俺はげな話は好かん!」
図体のでかさも手伝ってか、大概の相手はこれだけで引き下がる。それ以上話を続けるのなら、一睨み利かせれば良い。中学相撲の全国大会出場者に、そうそう喧嘩を売る馬鹿はいない。
「おぉこわ」
「けど、火のない所になんとやら、ってやつでしょー」
そういう風に軽々しく言葉を放つ奴らに対して、勇邁はイラつきや嫌悪の感情を持っていた。イラつく。両の手を組んではパキポキと音を立ててその場から離れる。
人伝で知るしかなかった話だ。望と豪がつかみ合いの喧嘩をしたことを親父から聞いた。そしてそのすぐ後に見た望と豪の顔面には互いに殴り合ったであろう形の痣があった。
「詳しいことは僕からは話さんぞ。本人達からも聞く必要はない。まぁ、あの二人、特に望なんか絶対話す訳がないし、お前がそうして強引に入っていくべき問題でもないだろ。くだらんからな」
自分に対してだけ、父はあっさりと流すように話しかけてきて、そしてすぐに終わらせた。どこがどうくだらんのかは、これっぽっちもわからなかった。本人が話したくない、というのなら強引に割って入っていくのも違う。そう思う。
自分としても我関せず、でいたかった。だが、学校でこうして日々過ごしているとどうしても噂が耳を突く。ばかばかしい。げな話なんて、ガチでばかばかしいじゃないか。
「はぁーあ」
溜め息一つ、ついてみる。どうしようもない。何も起こらないし、変わりゃしない。
二人とはクラスが違う勇邁は、普段のこと、例えば授業中とか、部活動の時間の様子だとか、そういうことはわからない。挙句体調まで勝手に崩しやがった豪には、そう簡単には事情を聞き出すこともできないだろう。望は論外だ。あいつは、……自分のことしかわからないし、そして、自分のことだっていうのに、興味のないことについては何も意識が向きやしない。
「親父はくだらない、って言うけどなぁ……」
くだらない、と思えるまでに自分は事情も知らないし、親父程年だの経験だのがいってる訳でもない。自分に何ができるか、とか何も具体的に考えることもできないまま、勇邁は幼い頃から通い続けている相撲道場で四股を踏み続けていた。
相撲は、実に単純だ。簡単だ。強いか、弱いかだけで良い。それは他のスポーツとかでも一緒かもしれないが、土俵の外に相手を出すか、倒せば良いだけ。何も考えなくて良い。単純だ。
「これは……、中学で留年もあり得るかも、知れませんねぇ……」
担任が四月の家庭訪問で苦笑しながら発した言葉に、勇邁は本気で焦った。いやいや! 俺親父から中学には留年はないって聞いてるんすけど! と必死に慌てふためいていると、親父も担任も大爆笑していた。
よくよく話を聞けば親父から事前に頼まれて担任が芝居を打っていたのだということを知り、勇邁は父親や担任につかみ掛からんとする勢いで立ち上がったのだが、逆に父から容易く叩き伏せられてしまった。あれから三ヶ月は経っているが、成績は案の定上向きになることはない。
とにかく自分は頭が悪い。馬鹿だ、ウマシカだ。と諦めきっているのだが、相撲はわかりやすい。力で全てを決められる。
強くなれば強くなる程、自分も、親方をはじめとする周囲も、喜んだし、そして嬉しかった。
そこもきっと、あいつらと同じだと思う。いや、どうなんだろうな。望の考えていることは確かに読めない。理解できない。だから、
「ねぇねぇ! 百合神君って永守君とケンカした時にナイフまで使ったげなね?」
とかいう訳のわからないげな話が飛び出してしまったりもする訳だ。
もはやネタでしかねぇな、と自分の三つ子の兄である勝が鼻で笑いながら言っていた。
もう一人、姉の椿が望や豪と同じクラスにいるが、こっちは本当に何も言わなかった。少し聞いただけで、露骨に睨まれ、舌打ちまでされた。弟なのだから立場的に当然といえばそれまでだが、身長差も三十センチ弱、体重に至っては二倍以上にもなる大男に対してすごい意地というか、性根をしているよな、と思わずにはいられなかった。
それでも、切り出した。