苛烈 2
家が近所で幼馴染。こういう関係は学校では実に便利だ。お互いどちらかが休めば片方がプリントなり連絡事項なり明日の時間割なりを渡しにいける。望がそういう時に役に立つかどうかは微妙な扱いだが、そういう時は兄か弟が違うクラスにいるのだから、そちらに頼めば良い。似通ってはいないが三つ子である私たちは三クラスのそれぞれに振り分けられていて、望とも確実に誰かが一緒のクラスになっていた。
今年からはそこに豪が追加された。望は役に立たない。仕事をすっぽかしたりしたこともあるし、何より学年中で噂になってしまっている騒ぎのせいで、クラスの人間全て――そう。担任まで含めて――が望をプリント渡しの役割にすることを避けた結果、私がそれを押し付けられる羽目になった。
「そんなに学校行くのが嫌か。ガキか」
と、私は朝っぱらから電話口で非難したが、その向こうから聞こえる、
「けほっ。バカ、そこまでガキじゃねぇよ。俺だってな、げほっ。休みたい訳じゃねぇし、ごほっごほっ。熱まであるんだから、さ、げふっ。……わかんだろ? 頼むわ」
という声には確かな苦しさを感じ取る事ができた。
舌打ち一つ。部活を終えて望の家の隣、豪の家のインターホンを押して、さっさと終わらせてしまおう。そう思った時に、
「椿お姉ちゃんこんばんは」
と声をかけられる。黄色の髪の毛をポニーテールにして、緑色の大怪獣、ガーゴンの形そのままにデザインされたリュックサックを背負った背の小さな女の子、真由実だった。
彼女の父親である猛さんがドイツ人とのクォーターである関係からか、その娘である真由実にもその形質が遺伝したようだ――つまり、望の妹だ。望の見た目からは信じ難いが――。
「豪兄さんに連絡の紙を渡すんですか?」
その問いに私は無言で頷いた。笑顔を向けるでも無く、視線くらいしか合わせない私のこういう態度が周囲には生意気に見えたり、もしくは望とそっくりに見えたりしてあまり良い印象は受けていない。
だが、兄の所為で慣れっこになってしまっている部分もあるのだろう。真由実は私のそういう素振りについて何も言わず、自分の気持ちを述べ続けた。
「豪兄さんに渡すんなら、お兄ちゃんが行けば良いんです。一人だけ何食わぬ顔で帰って来てまた走りに出かけたんですよ。自分勝手過ぎです」
その顔を見ると、十中八九、望と言い争いを繰り広げてしまったのだろう。そしてその伝わらなさに本気で憤慨している顔――真由実は望とは真逆で非常に分かり易い――をしていた。
「…………」
私が小声で呟いた声は、憤慨した真由実に伝わっているだろうか。そう思って真由実を見るが、
「昨日も、ちゃんと謝ったらどうなのって言ったら、何を? ですよ? 信じられない! あんなに殴り合っておいて! 二日連続でですよ? 男の子って理解できない! いや、年上だから男の人、ですか? どっちでも良いですけど。そもそもナンセンスなんですよ。原因は誰も教えてくれないからわかんないんですけど。でもどうしてそうやって暴力に訴えて……」
伝わっていないのは確実だったし、止まりそうにもなかった。だから、
「先に暴力に訴えたのは豪だ」
という事実だけを伝えた。
「……え?」
一気に冷静さを取り戻したように見えたのだが、
「じゃあ何で豪兄さんはお兄ちゃんに謝ってないんですか? いや、もう謝ってるんですか? お兄ちゃんそこも全然答えないし、皆もう終わった事だから〜とか言って全然教えてくれないし、というかそもそもの原因とか何だったんですか。試合に関係していることくらいは想像付くけど、やっぱりお兄ちゃん何かしたんじゃないんですか……」
また止まらなくなる。子どもだからしょうがないと言えばしょうがないが、溜め息が出る。
「……あ」
溜め息を吐いた私を見て自分が喋り過ぎていた事を悟った真由実はここでようやく黙った。
「……怒ってます?」
と律儀に確認までしてくる。私はこれくらいのことで怒る程短気ではない。部屋でテストの勉強中、とかいう状況なら話は別だけど。
「何も考えていないし感じてない」
そう端的に答える私の顔を、真由実はじっと見つめ続ける。本当に怒ってないですか? そう尋ねたそうな顔をして。
「何も私の顔から読み取れないんだから本当に何も考えてないし感じてない」
「本当……ですか?」
「強いて言うなら」
「言うなら……?」
「いや、何でも無い」
私はそう言いながら自宅の門扉を指差して、
「真由実は早く帰りなさい。そうしないと、そこで隠れて人の話を盗み聞こうとしているオヤジに攫われちゃう」
話を一方的に打ち切る。
「何その犯罪者超怖い」
門扉に隠れていた車椅子がひょこっと現れる。
「またもー。おじちゃんは女の子の話をコソコソ聞いちゃダメって何回言ったらわかるのかなー?」
真由実が父親のところにぱたぱたと走っていく。それを良い機と捉えて私はさっさと豪の家のインターホンを鳴らして豪の母親にプリントと連絡事項の簡単な説明を済ませてしまう。望でなく私であることをそれとなく聞かれたが、そこに何ら意味なんかないということを説明するのは、退屈だった。
家に帰って夕食を摂ろうとした時に弟、勇邁が道場から帰って来た。
「いつも通りだな。それじゃ、いただきます、と」
父が両手を合わせ言うのと、
「まだ手ぇ洗ってねぇだろうが。ちっとは待とうって気にならねぇのかよ!」
という勇邁のツッコミ。まさしくいつも通りというか、繰り返し過ぎて何も感じないやり取り。その食事中だった。
「なぁ。望のことなんだけど、さ」
勇邁が口を開いた。
望は何も感じちゃいない。予想でしかないけど、多分当たっている。あの時小声で呟いた事。それがわかる私としては、気が重い時間の訪れに鼻で笑うような溜め息が漏れるばかりだった。 〈続〉