嵐の後の静けさ 2
「何で知ってるんでしょうかね」
豪は真琥に対して率直に質問をぶつける。
「いやな、実はああ見えて案外椿はおしゃべりなんだ。ぺらぺらぺらぺらと、それはもう、お父さん聞いてよ! ってなぁ感じで……」
真琥は饒舌な感じで語りだしたがその途中で、
「冗談は口とそのブッサイクな顔だけにしてくれる?」
という椿の言葉に遮られてしまった。
「つーちゃんサイテー」
やれやれと言わんばかりの真琥の態度を無視する椿は、緑色の夏服から、濃い赤色のウインドブレーカーに変わっていた。
真琥という人はこういう時にいとも簡単に、わかりやすくはぐらかす人だ。そういうことは、付き合い始めて一年しか経っていない豪にでもよくわかる。
「いやねぇ、お前らが保護者であるこの僕にちゃんと話をしないからこういう風に僕は影でこそこそと事情を知ってる人にあたって話聞いたりそれをまとめたりとか、色々やってやらんといかんのだぞ? わかってるのかな? 君たちは」
呆れ顔をしながら事情を知ったいきさつを説明する真琥に対して椿も呆れ顔で、
「あぁわかっているさ。そして私たちはそうしてくれと一言も頼んでない」
呟く様にして、真琥に言った。
「でもお前も無関係じゃない。そしてお前は僕の娘だ」
この言葉だけは先ほどまでのおちゃらけた雰囲気が抜けた、強い言葉になっていた。
「そういうのをさ」
椿はそれだけをまた呟くように言ってから、その後真琥の顔を睨んで続ける。
「自己満足。って言うんでしょ。それとも過保護? どっちにしたってバカがやること」
椿は卓球場を出て、玄関のある方向へと向かって行った。どこへ行くつもりだ? という真琥の問いに対して、走ってくるだけ! と、椿は最後までつっかかって行くような口調で出て行こうとしていた。
「そうか。行ってらっしゃい。気をつけろよ。……それと、晩飯までには帰ってこい。具体的にはあと一時間だ」
真琥が最後に発した言葉に、椿は返事をしないまま玄関を閉めた。
「…………」
真琥がしばらく黙り込んで両の目を閉じているのを、豪は黙って見ていたが、それだけ見ていても仕方が無い。そう思った豪は多球練習を始めた。真琥さんは晩飯の準備に取りかかったのだろう。ガスコンロの火が点いた音や肉じゃがの、自分の家のそれとどこか違う匂いが、所謂他人である自分が一つの家に厄介になっている、という感覚を加速させるようだった。
これで良いのか。ざわつきを覚える。胸の中で、脳みその中で焦げ付く感覚に、一瞬だけ肉じゃがが焦げてるんじゃないか、とかそんなことが気になりだし、そして、すぐにそんな訳がないと気がついては、バカバカしくなる。
「……で、お前いつ帰るの? まさか晩飯うちで食ってく気か? 準備してないぞ。流石にそこまでは」
呆、としていた豪はいきなりの真琥の言葉に慌ててしまった。いつも気配無く現れる人だ。
「え? あ、あぁ。そっか。もう、そんな時間っすよね。そうでした。ありがとうございました。……あ、マシン片してねぇや」
「あぁ、それは良い。どうせ椿が食後の運動、とか何とか言って触るだろう。もしかしたら、望もな」
真琥はそう言って卓球台の足にかかっていた豪のタオルを手に取り豪に渡す。望の名前を出したのは、わざとだろう。
「今日はいつもより疲れた」
豪はそのタオルを受け取るのと同時に、つい口に出してしまっていた。一体何に疲れているのかすぐにはわからなくて、それでも考えるのは嫌だった。疲れているから考える必要があるのか、それともどうしたってその行く先に望がいることを悟っているから考えない様にしているのか。自分でもわからないで今までを過ごして来てしまった。
「そしたら、すみません。今日はありがとうございました。帰ります」
その考えを打ち切りたくて、そう言葉にした。
「ん。感謝されるようなことは何もしとらんが、帰ってゆっくりしな。来たい時にはいつでも来い」
真琥は玄関まで豪のことを、最後は笑顔で見送った。ありがたいと思う反面、もういっその事、当事者である自分に問うてくれた方が自分にとっても楽な気がしてしまった。なのに、それでもいざ実際に聞かれた時のことを考えたら、やっぱり気が重い。そんな矛盾した気持ちを抱えたままで門を開けると、
「私が走り終えるくらいにはのんびりしていたんだな」
丁度住宅地の外周を走り、帰って来た椿と鉢合わせた。
悪いかよ。豪が聞くと、あぁ、悪い。椿の声は素早く、鋭く豪に跳ね返ってきて、それに豪はたじろいでしまった。
「そんなにのんびりしてられるんだな、って意味だ。誰がそういうことを言うかっていえば、……言わなくともわかるよな」
椿はまるで畳み掛けるようにして豪に言葉をぶつけてくる。
「うるせぇな! じゃあどうすりゃ良いのかお前口出せんのかよ! ……どうすれば良かったのか言ってみろよ」
後半やや冷静さを取り戻しながらも、豪は怒りを初めて露にした。けども、椿はまるでそれを意に介さない様子で、
「どうしてそれを私に聞く。何で私がそれに答えないといけない。お前のパートナーは望で、チームメイトは男子卓球部だろ」
「そのあいつのせいで、望のせいで今の卓球部の雰囲気は乱れてんじゃねえのか。俺が悪いのか? なぁ。お前も見てただろ。あれは俺が悪いのかよ。俺が悪いって、お前言いたいのかよ」
一息に椿にぶつける言葉。自分よりずっと華奢な女子の体でしかない椿に、学年でもずっと体の大きい豪がこうした態度をぶつけるのは異常なことだと、頭の片隅で豪は理解できていた。それでも、それでもまるで椿の態度はその通りでしかないと言っているように思えた。悪いのはお前なのに、逃げてるんだと指摘しているように思えた。事実、
「正解。お前が悪いんだよ。もう気付いても良い頃だと思っていたけどな。けど気付かないんなら別に良い。実際、お前は負けたんだ。それ以外に何か結論がいるか?」
椿の言葉はこうだ。自分の顔を見上げ睨む目線の持ち主を、自分よりもずっと非力な女子を、衝動的に殴りつけてしまいそうになる。ヒリヒリとする腕と、そして気持ちをどうにか抑え込んで、
「何に気付く頃だって? あぁ、確かに俺は負けたさ。でも、だから何だってんだよ! あいつが変わるっていう手は無いのかよ」
自分の中では冷静に、できる限り冷静に言葉を選び、問うている。と豪は思った。
その一方で豪は、あぁ、俺もあーなりてぇなあとも思った。自分の思う通りに事を進められる力があるってのは、さぞかし気分も良いんだろう。イライラだけが募るようだった。夏服に、汗が滲む。ジメジメした湿気が、むき出しの腕を伝って降りて行く。
椿の言葉。睨むその目を逸らして放たれる言葉はいつにも増して冷淡だったように豪には感じられた。
「さぁ。望がああなのは今に始まったことじゃないし。けど、そろそろ知るべきかもね。私はそう思う。望は変わらない。どうせ」
そこにあるのは諦めでしかない。望という人間に対する諦め。手が届かない。気持ちはそこに一生届かない。そんな気持ちだけが汲み取れた途端に、豪の足は止まり、椿の走る足は早くなる。
結局はそういうことなのか? 置いて行け、ということなのか? 望というお荷物を置いて行けば、悩まずにいられるのか? ……強く、なれるのか。置いていかれた豪に、最早答えを教えられる人間はいない、と感じられた。夏だというのに、寒気がする。どうして。……何故?
家に入ってから、豪は声をあげることができなくなっていた。ただいまの一声も、のどからか細く出て、震えるようだった。
……泣いているんだろうか。自分の体なのに、それすらもわからなかった。親に、そんな様子を見せるのがたまらなく恥ずかしくて、そのまますぐに部屋に籠もってしまった。答えは出ないまま、わからないまま来てしまった。
椿の声が何度も、何度も聞こえる。
知っているのだろうか。椿は俺にそろそろ知るべきだと言った。一体、何を俺は知るべきなのだろうか。嫌な想像ばかりが働く。
望は変わらない。
強いまま、変わらないのだ。
まさか、俺は望より弱いのだと悟れという意味なんだろうか。諦めろというのだろうか。布団にこもる体に、嫌な汗が伝い続けて、寒気がしてくる。なのに、体は妙に震え続けるみたいになって、動いてくれない。そして、聞こえ続ける。
椿の言葉が、いつの間にまた降り出したのか、耳に張り付く雨の音と綯い交ぜになって自分の胸に纏わり付いて、拭い去れなくなってしまったことに気付いた豪は一人、寝苦しい湿気にも似た諦めの気持ちに絡めとられるような不安に包まれていた。