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嵐の後の静けさ 1

 卓球は雨でもできるから良いなと、野球部の連中が言っていた。室内練習がダルくてダルくて死にそうだとも。

 そういう奴等にはわからないだろうが、実際は卓球だって雨降りの日にはテンションが下がる。わさわさ、パツパツと打つ雨音と湿気に気持ちをやられてしまう。

 永杜豪(ながもりごう)がいるのは、宮ノ(みやのわ)中の体育館ではなく、友人の家の中に作られた卓球場だ。

「子ども達よ! こんなに凄い環境を与えられる僕に感謝すると良いよ!」

 と、友人の父親がハッハと笑いながら語るのが、ありがたいとは思いつつも正直うざったい。

「いやそれ自分で言うことじゃないし」

 というツッコミが即座に入る。さっきの調子に乗った発言をした人の義理の妹で、百合神(ゆりがみ)望の母親。

 豪はいつも通りの軽口の応酬を聞いていて、兄妹の愛情というか、信頼みたいなものを感じていた。

 この二人は血が繋がっていないのだから、きっと自分と望の間にだって、家族とかとは違うけれど、友達として、仲間として、信頼関係を築くことができるはずだと思っていた。

 自分と望は友達なんだっていう解釈で、間違いはないと信じていた。

 こんな母親を持っているのだから、きっと大丈夫だと信じきっていた。

 例え他人に対して一切笑わないような人間でも。

 例えクラスで誰一人として話しかけてこないような、そんな腫れ物みたいな奴だったとしても。

 きっと俺とは分かり合える日がくる。かれこれ一年以上の間思い続けて来たのに。

 一人、オレンジのセルロイド球を左手で一つだけ掴んでは(たなごころ)に乗せて、放つ。雨が天井を打っていて、その音が否応無しに鼓膜を穿って行くのが伝わってくる。三球に一球は狙い通りにサーブが打てない。回転が甘かったり、コースが甘かったり、高さが甘かったりする。

 これじゃ打ってくださいと叫ぶようなものだ。あいつなら打ってくる間違いなく打ってくる! 気持ちだけが、強く心を責め立てる。 

 そして二十球目に空振った。単純な方が意外と難しい。単純な下回転を掛けるために地面と平行にしたラケットが球に触れることはなく、床のフローリングに落ちた球は豪の膝下四、五センチくらいまで跳ね上がって来て、そして勢いを失いまた落ちて行った。鼓膜をわさわさ刺激する天井の音が煩わしく思えて、豪はいつの間にか台の向こう側にいる車椅子の男に気付くことができなかった。

「部活サボっておいてやることがまた卓球っていうのがなんつーか悲しい性分よなぁ」

 虫取り網に似た、ボール拾い用の網を手にいくつかの球をその中に収めながら瀧中(よしなか)真琥(まこ)が呟いていた。

 この人が望の母親である百合神日向(ひなた)を幼少時に養子として引き取った人の息子、つまり日向から見て義理の兄だ。

「俺、これ以外にやることもないんで」

 短い言葉だけで終わりにして、また豪はサーブ練習に戻る。一人だけでできる練習は限られているが、これは本当に大事な練習なのだ。また改めてカットサーブを放つ、今度は綺麗に切れて、相手コートで弾む二バウンド目から自分側に戻ってくる。また左手に球を掴んだその時に、

「お前もせっかく部活サボってんだしさぁ。女の一人くらい連れ込んでよろしくしてたって良いんじゃねぇの?」

 という呑気な真琥の声を聞いて豪は手を止める。

「それじゃ俺が実際にここで女子の一人も連れ込んでよろしくやってたらどうするんですか?」

 それだけ言ってから、またカットサーブを放った。今度もうまく切れて、二バウンド目から球は自分側に帰って来て、ネットに触れた。

「そりゃもちろん」

 真琥は網の中から球を一つ取って投げてくる。豪がそれを受け取ったのを確認してから、

「まずお前に鉄拳の一つもかましてから、その子と一緒にお前の家まで引っ張りそこでお説教さね」

 やっぱりそうだろうなと豪は思って、鼻で笑う。

「自分から言っておいて全然認める気なんてないんじゃないですか」

 左の掌から放たれるオレンジのピン球は高さ十六センチまで上がる。ルールで定められた最低限の高さ。豪は練習内容をロートスに切り替えて速攻の為のロングサーブを放つ。力の入り過ぎでオーバーしてしまったそれを、真琥は器用に網で掴む。

「僕にバレなきゃ良いんじゃないかな」

 真琥の声は、どこまでも呑気だ。

「実際、日向と(たける)は色々やってくれたからな」

 半分笑い、そして半分呆れた様に真琥は望の両親の名前を引き合いに出した。

 日向は瀧中家に引き取られてすぐに、家が隣同士で同い年だった猛と仲良くなり、幼馴染として一緒に過ごして来たという。

 そんな二人は今でも二人きりで頻繁に出かけていくような夫婦になり、豪もよくそんな二人の年甲斐の無い――とは流石に本人達には言えないが――話を聞く。

「じゃあ望の両親は真琥さんにバレないでデートしてたりとかよくしてたんですか?」

 と試しに聞いてみた。

「いんやぁ。色々と策を弄しては二人で出かけようとしてくれたけどね。殆ど僕と、あと(あずさ)にバレて説教をくらうことの方が多かった」

 昔を懐かしむ様にして真琥は微笑み、言った。三人の子供の命と引き換えに逝ってしまった妻、梓の名前を出す時に、どうしても堪えきれず一呼吸置いてしまう癖もいつも通りで、名前を出す前の一呼吸で、豪は常に梓という名前が出るタイミングを正確に測ることができた。これは恐らく他の人間達も、きっと同じだろうとも思った。

 ……望も?

 何故だかそれだけは当てはまらないような気がした。

「本当に真琥さんが二人の計画を狂わせてたんですか?」

 自分が望のことを気にしていることを悟られたくなくて、豪は妙に顔をにやつかせて、問うた。

「そりゃもちろん。……悪い嘘だ。梓がいなけりゃ三割も止められなかったろうな」

 真琥が笑うのに合わせて、豪も笑う。そりゃそうだろうなぁ。だって、単純だもん。真琥さんは。そう思った。そのにやつきを見た真琥は顔を赤くして、

「うるせぇ! 何笑ってんだコラ。せっせと練習せーや!」

 と、球を上から投げつけながら怒ってくる。それが照れ隠しによるものなのは口調や態度からすぐわかった――そもそも、本気の真琥さんの怒りはこんなもんじゃない――。

 ピン球は上投げでは軌道が安定しない。途中からふらふらと失速した球は、全く見当違いの方向へと飛んで行ってしまった。

「あーあ。後で拾っといてくださいよ」

 豪は左手側に置かれたボール台から球を一つ取って、またロングサーブの練習に戻ることにした。

 しばらくは二人とも無言だった。豪は自分の出せるサーブ全てを一通り確認し、練習しきることができて、そろそろ球出しマシンを用意して多球練習へと入ろうと、マシンのある方向へと足を向けた。その時だった。

「水分補給は重要だぞ」

 後ろから声をかけられて、自分の水筒が放られた。急に声をかけられた格好になった豪は、それほど勢いもついていなかったはずのその水筒を上手く捕まえられず取りこぼしてしまった。蓋の閉まっているペットボトルから中身はこぼれないが、凍っていたのが溶けるのと同時に外側に発生する水滴がペットボトルを包んでいたハンカチを通り越して床を濡らした。そこを踏まなければ影響はないだろうと思い、豪は卓球台にかけられた雑巾を一つ手に取って、手早くその水分を拭き取った。

「今のが取れないって、卓球で前陣速攻やってる奴の動きじゃねえや」

 真琥の声に豪は舌打ちして振り返った。真琥の顔から読み取れる感じは、いつもの軽口、という感覚でしかなかった。

 残ったのは、自分が思い切り舌打ちをしてしまった事実だけ。居心地が、悪くなる。

「すみません」

 出たのは、その言葉だけだった。

「いや別に。だってそうだろうなと思ったから」

 真琥のこの言葉を聞いて、あぁ結局してやられたのだ、と豪は悟った。

「お前まだ気にしてんだろ」

「…………」

 真琥の問いかけに対しては、何も答えられなかった。沈黙を続けても、天からの音がもう耳を穿たない。いつの間に雨は止んだのか。沈黙もまた耳に痛い。嫌気がさしそうだった。

「ただいま。やっぱりここにいたんだ。豪」

 その声を放ったのは、真琥の子供の一人、椿だった。

 椿、という花には劣るが、赤みのついた髪の毛をポニーテールにまとめている。椿も豪や望と同じく卓球部に所属している訳なのだから、今ここに椿がいるということは豪がサボった部活はもう終わっている、ということなのだろう。

「……望は?」

 豪は望の様子を聞いていた。一言声を発しただけの豪に対して椿は、横目で見ているだけの真琥にも伝わる程の嫌気をその目に纏わせて返事を返してきた。

「知りたいなら自分で見に行ったら?」

 それが嫌だから聞いたんだろうに。真琥が分かり易く肩をすくめる。

「ここには来ない。ランニングに行った」

 椿は自分の鞄を部屋に置いて、着替えるのだろう。その言葉だけを残して卓球場から消えて行ってしまった。

「椿はいつも通り手厳しいこって」

 真琥は少しだけにやけたようにして視線を豪に移す。もう全て知っているのだろうから、何かを誤魔化したりしたところで無駄なのだろう。

「というか、俺としては真琥さんが俺のサボりについて何も言わないのとか、すっげぇ不思議なんですけどね」

「そりゃあ知ってるからね」

 どうということはない。真琥の返事から読み取れるその感情。豪はそれに救いのようなものも確かに感じてはいた。

 真面目に練習をしていたとしても、そもそも学校の部活に参加しない時点でそれはもう真面目ではないのだ。自分でもわかっている。望と顔を合わせるのがたまらなく嫌だった。クラスでも、満足に顔を合わせたりするどころか、話題に出すことすらも内心嫌気が差してしまっていた。

 そういうことを自分でも疾しく思っているところだというのに、それをまた上からガミガミと言われてしまうことだけは避けたいと思っていた。

 室内で筋トレでもするかと思いながら帰っていると真っ先に見つかり卓球場まで通された。何かしら自分と望との間について知っているなら知っているで、小言なり説教なりがあるかとも思ってビクビクもしていたのだが、本当に、全く、これっぽっちもそれに当たるような発言は真琥の口から発せられないまま、今まで自分は集中してトレーニングができた。ありがたいことだと思っている。

 もしかすると、そういうことについても椿は俺に対して怒っているのかもしれない。そう感じはしたものの、態度だけはいつも通りだ。さっき真琥さんが言った通り、いつも通りなのだ。本当にそこに対して椿が怒っているのか、いや、そもそも、椿は俺に対して――それと、きっと望に対しても――怒っているのかどうか、全く読めなかった。

季刊誌として生まれ変わった『Li-Tweet』4月号も是非よろしくお願い致します!!

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