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第8話 熱病に倒れた資源奉行と、四姉妹の献身

第8話、第2幕完結話です!

激務と過労により、突如として高熱に倒れた湊。

彼を失う恐怖に直面した島津四姉妹の、必死の献身と本音が溢れ出します……!

深い暗闇の底で、橘湊は灼熱の業火に焼かれていた。

 骨の髄まで軋むような激しい悪寒と、四十度を超える高熱。肺胞は熱気を吸い込むたびに引き攣れ、意識は濁流に呑まれたように混濁していた。

(……南方の熱病か。マラリアか、あるいはデング熱の類いか……)

 抗生物質も近代的な解熱剤もない戦国時代。この時代の風土病は、大名から農民に至るまで数多の命を奪ってきた絶対的な死神だった。

 だが、灼熱の闇の中で、湊の耳朶に届き続けていたのは――途切れることのない、少女たちの泣き声と祈りだった。

「湊兄ぃ……死んじゃ嫌だよぉ……! アタシ、もう我儘言わないから……また頭を撫でてよぉ……!」

「湊殿……我の手を握ってくれ……! 敵なら何万であろうと我の大太刀で叩き斬ってやるのに……なぜ我は、病魔の一匹すら斬れぬのじゃ……!」

「湊様……逝かないで……私の頭脳も、この命も、すべて貴方に捧げますから……!」

 冷たい布が額に当てられ、乾ききった唇に、かすかに苦く温かい液体が注ぎ込まれる。

 誰かが、自分の唇に自らの唇を重ね、直接、薬湯を流し込んでいる感覚があった。

「……ん……っ」

 喉が動き、苦い液体が胃へと落ちていく。

 その瞬間、全身の血管に微かな清涼感が広がり、張り詰めていた神経の痙攣が、奇跡のように緩んでいった。


 目を開けた時、最初に視界に入ったのは――白木の梁と、障子越しに差し込む柔らかな朝の光だった。

「……ここは……」

「湊殿……!? ああっ、湊殿っ!」

 枕元で突っ伏していた黒髪の美少女が、弾かれたように顔を上げた。

 長女の島津義久だった。艶やかだった黒髪は乱れ、涼やかだった瞳の周りは赤く腫れ上がっている。何日も眠らずに看病を続けていたことは、その憔悴した顔を見れば一目瞭然だった。

「義久……様……?」

「よ、よかった……! 息を吹き返してくださった……! 神仏よ、毘沙門天よ、ありがとうございます……!」

 義久は涙を堰を切ったように溢れさせ、湊の胸元へとすがりついて号泣した。大名の威厳など完全にかなぐり捨てた、ただの恋する少女の姿だった。

「湊兄ぃーーーっ!」

 障子が勢いよく開き、家久が飛び込んできた。

 湊の布団の上に飛び乗り、首に抱きついて泣きじゃくる。

「うわああん! もう三日も目を覚まさなかったんだよ!? 熱で身体が火の玉みたいになって、息も止まりそうだったんだからぁ!」

「湊殿おおおおっ!」

 続いて駆け込んできた義弘が、大太刀を床に放り出し、湊の右手を両手で力任せに握りしめて額に押し当てた。

「馬鹿者が! 死んだら承知せぬと申したであろう! 我を置いて逝ったら、黄泉の国まで追いかけて叩き起こしてやるところじゃったぞ!」

 琥珀色の瞳から、大粒の涙がぼろぼろと湊の腕にこぼれ落ちる。

 そして、部屋の隅で静かに薬研を挽いていた歳久が、震える手で南蛮眼鏡を外した。

「……本当に、熱が下がりましたね。脈拍も、呼吸も安定しています……」

 歳久の白銀の髪は汗で額に張り付き、その手元には湊の作業着のポケットから抜き出された【資源調査ノート】が置かれていた。

「歳久、お前が薬を作ってくれたのか?」

「……ええ。貴方のノートに書き遺されていた【衛生管理と生薬抽出の理】を、必死で読み解きました」

 歳久は少し恥ずかしそうに視線を伏せ、擦り切れたノートの頁を愛おしそうに指先でなぞった。

「貴方がかつて言っていたでしょう? 水中の病原菌は百度の熱で煮沸すれば死滅すること。そして、マラリアや熱病の猛毒には、苦味成分であるアルカロイドが寄生虫の細胞分裂を止めること……。私は山からキハダの樹皮(オウバク)を集めさせ、有効成分ベルベリンを熱湯で抽出しました。さらに、発汗と血流を促す葛根、肝臓の解毒を助ける甘草を独自の比率で調合し、高濃度の電解質ブドウ糖液と共に煎じ上げたのです」

 その緻密な薬学理論に、湊は目を見張った。

「それを、全部お前が一人で……?」

「一人ではありません。義久姉上は当主の激務の合間にずっと貴方の手を握り、義弘姉さんは夜通し冷たい井戸水を汲み続け、家久は山の中を駆け回って新鮮な薬草を摘んできてくれました。四姉妹全員の、祈りと執念の結晶です……」

「口へ……?」

 湊が呟くと、歳久の白い頬が一瞬で耳元まで真っ赤に染まった。

「き、意識を失った貴方が薬を飲み下せない以上、口移しで流し込むしか手がなかったのです! へ、変な意味ではありませんからね!」

「あーっ! 歳久姉さん、抜け駆けしたこと白状したーっ! アタシも口移ししたかったのにー!」

「家久、何を破廉恥なことを……! 当主の余ですら、手をお握りするだけで我慢しておったのに……!」

「なぬっ!? 歳久、我の湊殿の唇を奪ったのか!? 許せん、我も口づけするぞ!」

「ちょ、義弘姉さん、やめてください! 病人です!」

 泣いていたはずの四姉妹が、一瞬にして湊を取り囲む大乱闘へと突入する。

 義久は湊の左腕を抱きしめ、義弘は右腕を引っ張り、家久は腹の上に乗っかり、歳久は顔を真っ赤にして湊の額に手を当てている。

 四者四様の、命懸けの重すぎる愛情。

 全身に伝わる少女たちの温もりと柔らかな感触に、湊の胸は熱い感情で満たされていた。

(この少女たちが、俺を救ってくれたんだ……この過酷な戦国で、俺の居場所をくれたんだ)

「……ありがとう、みんな。お前たちのおかげで、命拾いしたよ。俺を信じて、ここまで支えてくれて本当にありがとう」

 湊が心からの笑みを浮かべ、四姉妹を一人ずつ見つめると、四人は感極まったように顔を赤らめ、静かに湊の温もりに寄り添った。

 義久は湊の肩に額を預けて小さく吐息を漏らし、義弘は太い腕で優しく湊の腰を抱き、家久は満足げに胸元へ顔を埋め、歳久は外した眼鏡を握りしめたまま、その知的な双眸を潤ませて湊を見つめ返した。

 血の繋がらぬ異郷の男に注がれる、絶対にして純粋な無条件の愛。この四人の命と未来を守り抜くためなら、どんな天下人であろうと叩き潰してみせる――湊の心に、静かで鋼のような決意が宿った。

 部屋を包む、温かく優しい沈黙。

 だが――その奇跡の安らぎを粉々に打ち砕く凶報が、突如として城内に轟いた。

「緊急大急報! 関白・豊臣秀吉より【惣無事令違反】の断罪状が届きました!」

 息を切らした重臣・新納忠元が、書状を手に広間へ駆け込んできた。

「秀吉は島津の九州統一を私戦と断じ、十万を超える四国・中国・東国の諸大名軍勢を動員! さらに自ら本隊十万を率い、総勢二十万の大軍で九州征伐へと発向いたしました!」

 二十万。

 大友の五万、龍造寺の二万五千を遥かに凌駕する、文字通り日ノ本全土の兵力と富を総動員した桁外れの怪物。

 先鋒には四国の覇者・長宗我部元親、十河存保、そして秀吉の腹心・仙石秀久。

 後続には毛利、宇喜多、小早川の大軍勢。そして本隊十万を率いるのは、知勇兼備の豊臣秀長と、天下無双の軍師・黒田官兵衛。

 島津の全動員力でも二万足らず。十倍の兵力差を持つ巨大な津波が、湊と四姉妹が命懸けで守り抜いてきた薩摩の大地を、根こそぎ呑み込もうと牙を剥いていた。

【土木衛生・薬学ミニ解説:戦国期の風土病(マラリア・ツツガムシ病)と衛生管理】

高温多湿な低湿地や森林での軍事行動では、ハマダラカが媒介するマラリア(瘧・おこり)やツツガムシ病が頻発し、多くの武将や兵士の命を奪いました。蚊帳の設置、野営地周辺の排水溝整備、薬草(青蒿やキニーネ類似生薬)の煎じ汁による解熱など、衛生工学の導入が生死を分けました。


次回より最終幕突入!『第9話 関白二十万の影、四姉妹が誓う迎撃』は明日18:00更新です!

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