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みじかい小説

『みじかい小説』050 / 届かぬ言葉 ~1000文字にも満たないみじかいみじかい物語~

掲載日:2026/01/07


一筋の光が、浩二の顔を明るく照らした。

それは寝室のカーテンが少しだけ開けられた結果であるのだが、当の浩二は渋面を作ったきり目を開かないので、そばに立つ娘に気づかない。


「お父さん、もうお昼だよ」

枕元で女の声がする。

最近めっぽう耳が遠くなった浩二は、その声の主が妻であるのか娘であるのか判別がつかない。

「お父さん」

と、もう一度声がして、うっすらと目を見開くと、そこには娘の恵子の顔があった。

「なんだ、恵子か。今、何時だ」

と言ったつもりだったが、娘には伝わらなかったらしく、「え?何て言った?もう一回言って」と言われてしまった。

それで今度は、少々ムキになって、「今、何時だ」と声を大きめにして言ってみる。

すると恵子は「そんなフガフガ言われても分からないわよ」と言う。


こんなやりとりが増えたのは、浩二が77歳になる夏を過ぎたころからだった。

「お父さん、もう少ししっかりしゃべって」

「あなた、なんて言ってるか分からないわ」

一緒に暮らす妻と娘から、相次いでこのような苦情が寄せられだしたのだ。

浩二としては、十分にしゃべっているつもりである。

しかし、それが伝わらない。

段々と伝わらない回数が増えていき、今では昼間の本当に調子のいい時しか、会話が成り立たなくなってしまった。

そんな浩二を見て、妻と娘は困り顔で目くばせをしている。

ときどき、浩二にも聞こえる距離で、「お父さん、困ったわねぇ」などと言っているのが聞こえる。

そんなとき浩二は、ぽつんと、ひとり取り残されたように感じる。


しゃべれないだけで、聞こえるのだ。

もっとデリカシーを持った態度で接してほしい。

そう伝えたくとも伝わらない。

もどかしい日々が過ぎてゆく。


最近は、そばに人がいても、声をかけられても、どうせ自分の言葉は伝わらないのだからと、しゃべることがめっきり少なくなった。

こうして、穏やかに死んでゆくのか、と思う。


けれど、

「お父さん」

声がするので顔を上げてみると、妻と娘の顔がそこにはある。

孤独死の叫ばれる昨今の実情を考えると、それでも俺は幸せなのかなと思う。

「みんな、いつまでも健康でいような」

浩二がそう言葉に出すと、珍しく妻と娘が顔を見合わせぱっと笑顔になった。

「そうだね」

「本当にねぇ」

そう言って肩を叩いてくれる相手がいるのだ。

俺は十分幸せなのだろう。

浩二はそう思い、妻と娘に笑顔で返すのだった。


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