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エンジェルズゲートの恋Ⅱ

作者: しずく
掲載日:2025/12/13

 私は今日もディズニーランドのワンダーマジカルレストランのキッチンで8時間勤務だ。ディナー時が終わって片付けに入り、私はそろそろ上がれる。ここに勤め始めて1年が過ぎた。

 洗い終わってカウンターの上に並べられた食器を片付けようとしていた時のこと。

「通ります」

「えっ?」

 通路側のすぐ耳元から男の声がした。誰?と思って振り返ると、忙しなく動き回る白い厨房着たちの後ろ姿があった。

 そんなことがあった仕事終わりに、私はキッチンを出て更衣室へ向かっていた。1月の夜の外気温はとても寒い。私は貸し出し用のコートをしっかりと羽織った。

 踏切が鳴っている。前を歩いていた同じキッチンの学生たちが小走りで踏切を渡った。私はゆっくり歩いて、下りてくる遮断機の前で立ち止まった。

 すると後ろから、澄んだ音色の口笛が聞こえたのだ。私はとっさに振り返ると、同じキッチンで1年前から顔見知りの男の人が後ろを歩いていた。

 名前は瀧本さん。雰囲気が異国風情で印象的だったため、キッチンの誰とも話したことはないのに彼の名前だけは最初から覚えていた。さっきの耳元の声は彼だったと直感で分かった。

 私は、彼がこちらに近づいてくる前に踏切が開くことを願った。私たち以外に人気はない。夜空には、怪しげな満月が浮かんでいた。

 私は満月を眺めているふりをして、彼の様子を見守った。口笛の音は止んだが、彼は遮断機の前まで歩みを止めない。どうしよう、と思った瞬間、踏切が開いた。    

 私はすぐに早足で踏切を渡り、更衣室への一本道を小走りになった。更衣室でさっと着替えて今日の衣装を回収に回しに行く途中、何と瀧本さんが私と同じように脱いだ衣装を片手に持って後ろを歩いているのだ。

 彼の私服姿を初めて見た。ニット帽から靴先まで全身黒装束で、マスクを外した素顔はハーフのような趣だ。

「お疲れ様です」

 私は勇気を出して声をかけ、小走りでその場を立ち去った。

 電車とバスを乗り継いで帰宅したのは午前0時前。

「ただいま」

 答える人はない。夫はもう寝ているだろう。

 明日の出勤は昼からか、朝からか……カレンダーを確認し、シャワーを浴びた。

 その夜は眠りにつくまで、瀧本さんのことが頭から離れなかった。

 瀧本さんの意志をハッキリと感じたのは、次の勤務の終わりだった。彼は私の後ろからついてきて、振り返ると目を逸らした。しかし、彼が喜んでいることが強く感じられた。

 後日私は勇気を出して、仕事中に彼に声をかけてみた。1月末のことだった。

「私は次の水曜と金曜が休みなんです。瀧本さんは?」

 彼は鋭い眼光をこちらに向けたが、口は開かない。

 それでも何とか約束を取り付けて、休みの水曜日に、葛西臨海公園まで2人で遊びに行ったのだ。水族園に行って、観覧車に乗るというデートコースだ。

 水族園では静かだった2人も、観覧車に乗ると向かい合って饒舌になる。

「この『花とダイヤの観覧車』は、日本一大きいんだって」

「そうなんですか。瀧本さんはおいくつですか?ご結婚されていますか?」

「まもなく33歳になる。独身だよ」

 瀧本さんの横顔は彫刻のようだ。こんな人が独身なのか、と私は溜め息を吐く。

 瀧本さんとLINE交換をして別れた私は、いつも通り家に帰った。

 私が遊び歩くことに夫は慣れていて、誰とどこに行ったかを聞かれないのが常だった。

「今日はありがとうございました(*^^*)」

 LINEを送ると、既読は5秒でついた。何て返って来るのかと想像する、その数十秒の間が楽しい。

 しかし1分待っても2分待っても返信はなかった。30分ほど経って、「お疲れ様です」というキャラクターのスタンプが1個返ってきた。

 これが彼の流儀なのかもしれない。瀧本さんのことがもっと知りたかった。

 次の休日は、ディズニーランドの別のロケーションで勤務している友達とパレードを観に行く約束をしていた。

 瀧本さんと今度のデートができるのは、2月に入ってからだ。今度はどこに行こうか。

 瀧本さんは、私の家から自転車で10分ほどのマンションの2階に住んでいた。1階にドラッグストアが入っていて、そこでお菓子と飲み物を買って遊びに行った。

 彼の誕生日を祝う名目で、コタツでお菓子パーティーをしながら、部屋のテレビで借りてきたDVDを観た。DVDのタイトルは、『ゴースト~ニューヨークの幻~』。

 私はこの映画が大好きで、彼にリクエストしたのだった。

 私が見たことがあるのはテレビ放送された際どいシーンが編集されたもので、今回のDVDではそのようなシーンがカットされていなかった。

「結構生々しいね」

 彼は顔をしかめてこちらを見た。その笑顔とも泣き顔ともつかない表情が、私は好きだった。

 彼はお菓子をつまみながら、コーヒーを私に勧めた。私は最近便秘がちだったため、彼の家のトイレを借りることになったが、瀧本さんのおかげで体調不良は改善した。

 そんな私に転機が訪れる。いきなり隣の隣のレストランに異動になったのだ。

「こんな時期に異動ですか?」

「人手が足りてなくてな。行ってもらえるか」

「私じゃないとダメなんですか?」

 ごねてみたが、私は有無を言わさず異動になった。2月中旬のことだった。

 新しいキッチンに馴染めるかどうかなんてどうでもいい。私は瀧本さんと離れたくなかったのだ。

「異動になりました」

 ワンダーマジカルレストランに勤務する最終日に彼は出勤していなかったため、LINEで一言近況を伝えた。そのメッセージに既読はついたものの、何時間待っても返信は返って来なかった。

 それ以降、LINEに既読はつかなくなった。ディズニーランドでは違うロケーションの勤務地に立ち入ることは許されておらず、勤務時間も変わったため、瀧本さんに会うことはもうないだろう。家に行く勇気はなかった。

 あれは何だったのだろう、と私は思う。1月末の満月の夜、瀧本さんが現れて、ほんの数週間で別れになった。

 彼のLINEを見てみると、プロフィール画像が変わっていた。背景画像はディズニーランドの写真になっているが、顔写真が自分の横顔から植物の写真になっていた。

 私はその写真をよく眺めた。多肉植物のようだ。私の家の最寄りバス停近くの花壇にも咲いていた。

 彼は一体何者だったのだろうか。もっと聞きたいことがあったのに。もっと知りたいことがあったのに。

 私はベッドの上で膝を抱えて、瀧本さんに最後のLINEを送った。

「好きです」

 既読がつかないのを確認してから、そっと彼のLINEを削除した。


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