悪役令嬢、学園に転入する1
午前7時50分。静花は千絃の屋敷のチャイムを鳴らした。が、誰も出てこない。仕方なくドアを引いてみると鍵はかかっていなかった。
「お、お邪魔しまーす……」
恐る恐る中に入ると、まず驚いたのはぴかぴかに磨かれた床だった。先日訪ねたときにはあんなに埃っぽくて、蜘蛛の巣があちこちにかかっているような屋敷だったのに、今は塵一つ無い。頭上のシャンデリアもガラスが綺麗に磨かれ、眩しいくらいだ。どうもコーデリアが住むと決まると、彼女は千絃に命じて徹底的に掃除させたらしい。
「あら、早いわね」
静花の声を聞き付けて、この家の主、千絃が上階から降りてきた。
「おはようございます、千絃さん。コーデリアを迎えに来たんです、けど……」
そこまで言って静花は目を丸くした。
「何よ?」
「何ですか、その格好」
「あのクソガキ、召使いなんだからちゃんとした服を着ろってうるさくて、仕方なく昔この屋敷に使用人がいたときのお仕着せを出してきたのよ」
なんと千絃は黒いドレスに白いエプロン、おまけに白いフリルのヘアドレス……いわゆるメイド服というやつを身にまとっていた。それだけならともかく、昨日も見た黒いローブを上から羽織っている。おそらく本人のポリシーなのだろう。そのちぐはぐな服装に、目の周りの隈と滅多に外に出ないがゆえの肌の青白さが加わって、なかなかに不気味だ。この場に一法がいたら「魔女とメイドのキメラかよ」くらいのことは言ったかもしれない。
あまりにツッコミどころが多すぎて、静花は早々に話題を変えることにした。
「はぁ。ところでクソガキって千絃さんも私達と同年代なのでは?」
「え?私は大学2年生よ」
「ってことは20歳超えてるんですか!?」
「そうだけど」
静花は仰天した。確かに親戚というだけあって千絃は一法と似て童顔だ。それ以上に他人のことはお構いなしに自分の欲望だけで突っ走っている様子を見ているので、まさかそんなに年上だとは思っていなかった。
「大学とか行ってるんですか」
「んー、たまに」
千絃の「先週は1回か2回くらいは行ったような気がする……」くらいの本人すらよく覚えていない、かなり適当な回答。高校2年生になり大学受験もうっすら見えてくる不安な時期の静花としては当惑してしまう。
「大学生って高校生から退化した生き物なんですか?」
「あんたもたまに性格の良いこと言うわね」
千絃が口元をひくつかせたその時、
「チヅル!チヅル!」
と2階からコーデリアの声がした。
それを聞いて千絃は「チィッ」と大きな舌打ちをして、階段を上る。途中、後からついてくる静花を振り返った。
「ちょうど良かったわ。あんたもあのガキの説得手伝ってよ」
「説得?」
静花は首を傾げる。
「そ。制服なんか着ないってわめいてんの」
ゲームの世界から現実に飛び出してきた悪役令嬢コーデリア・ウンディーネ。彼女はこの度、晴れて静花と同じ岩光学園に転入することになった。
理由はもちろん、静花の傍に張り付いて日多木君と彼女の仲を取り持つためである。
戸籍も無いし、ついこの間まで家も無かった彼女が入学できるのは、理事長一族である一法の権力の賜物だ。しかも一法曰く「ちょうど一人、家族の転勤で退学して人数が足りていなかったから」ということで、同じクラスだ。
だがここで問題が一つ浮上した。近代ヨーロッパ風世界観のゲームから出てきた彼女が、現代日本の風俗を受け付けなかったことである。
「何ですか、このコルセットは」
「コルセットじゃない。ブラジャーよ」
2階には家主である千絃が使っている主寝室の他に寝室が二つあり、その内一つがコーデリアのものになっていた。
その部屋に静花が入ったとき、驚くことにコーデリアはまだ下着姿だった。始業まであと30分を切っているのだが。
さて、コーデリアが言うコルセットとは19世紀欧米で一般的だった女性の下着である。胸元から腰までを覆い、胴を鯨の骨などでぐいぐい締め上げるというものだ。
「お腹が剥き出しですわ」
「上からキャミソールも着るんだから別に良いでしょ」
千絃が綿のキャミソールを投げて寄越す。胸元だけを覆うブラジャーとぺらぺらのキャミソールでは、コルセットのがっちり感に慣れ親しんだコーデリアには防御力に欠けているように思われるのだろう。
「破廉恥ですわ」
無いよりはマシと、キャミソールに頭を突っ込みながら彼女はぼやいた。
コーデリアの登校準備はまだ終わらない。
「髪を上げないのですか」
制服を全て着終えたコーデリアが不満そうな顔で化粧台の前に座る。彼女の腰まである長い黒髪は今は下ろされたままだ。
「もうそんな時間無いでしょ」
コーデリアが脱ぎ散らした寝間着を拾って畳んでいた千絃がぴしゃりと言う。言外に「とっとと学校に行け」と言っている。
だがコーデリアは食い下がった。
「難しいことをやれとは言いません。後ろにシニョンをつくって、耳元の髪を巻くだけで良いのです」
「お団子つくって、カーラーまで使えって?自分のですらやったこと無いわよ」
千絃がキレる。確かに彼女は「そんな毎朝凝った髪型をつくるなら、その時間を魔術の研究に充てるわよ」と言うタイプである。
静花は黙っていたが、彼女は彼女で「シニョンってお団子のことだったのかー!」と衝撃を受けていた。
「大体、岩光はそんな厳しい学校じゃないからそのままで良いわよ。わざわざまとめることないわ」
この言葉はコーデリアに衝撃を与えたようだった。
「髪を垂らしたままですって!?そんなの破廉恥ですわ」
彼女の反応はまあもっともなことで、世界的に見てもつい最近まで成人女性は髪を結い上げてきちんとまとめるのが一般的だった。日本だって戦後しばらくはそんな感じだ。髪をきちんとしない人達というのは、売春婦だとかそういう風に見られるわけで。コーデリアとしてはこのまま外出するのは断固拒否の構えだった。
千絃が言うことを聞かないので、コーデリアの憤慨は収まらない。いよいよ制服までやり玉に挙げ始めた。
「それに何なんですか、このドレスの裾は。短すぎますわ」
スカートの裾を引っ張って、なるべく足を隠そうとする。
岩光学園指定の制服はカッターシャツにグレーのジャケットとプリーツスカートという、シンプルながらもすっきりしたシルエットで、高級感あるものだ。スカートの裾はちょうど膝のところまであり、極端なミニスカというわけでもない。
「私のお下がりよ。その時から一度も折ったり切ったりもしてないわ。学校指定なんだから、変えようがないわよ」
「こんな長さの服って……水着じゃないですか」
コーデリアはついに絶望の表情を浮かべた。
彼女にとってこの裾の長さのドレスとはつまり水着である。遙か昔、水着というものが開発された頃は現代の普通の服とほとんど変わらない見た目だった。現代と肌面積が違いすぎる。
「海水浴場へ行くわけでもないのに毎日水着ですって!?破廉恥ですわ~~~~~~――――――――――――――――――――――――――――――――――――――っっ!!」
静花はコーデリアにビキニとか見せたら失神するのではないかと心配した。




