ep.18 一斉休校
第十八話 一斉休校
朝のニュースは、テロップを重ねながら同じ言葉を繰り返した。
文部科学省は、本日付で全国の小・中・高等学校を一斉休校とする方針を発表——
児童生徒の安全確保のため。詳細は調査中。本件に関する質問は——
理由は、それしか言わない。
「安全確保」。何から、とは言わない。
教室はざわめきで満ちた。
「マジで全国?」
「小学生まで? やりすぎじゃね」
「安全確保って、何の?」
「いやもう超能力だろ」
「バカ言うなよ。っていうか、そんなのニュースで言うわけ——」
笑いがいくつか、途中で止まる。
誰もはっきりとは言わないまま、ふざけが空振りする。
ホームルームの終わり、担任が「冷静に」と言ったが、その言葉が一番落ち着いていなかった。
⸻
昼休み。
窓際の、二人分だけ空いた場所。いつものパンの袋の音。
「明日から休校」と僕。
「……全国で、ね」篠宮さんはパンの袋をたたみながら言う。「そんなこと、聞いたことない」
「さすがに大げさじゃね?」背後から翔が顔を出す。「怪獣でも出るのかよ」
「出たじゃない」篠宮さんが淡々と返す。「先週、駅前に」
「……あれは人だ。でかかったけど」翔は耳の後ろをかいた。「つかさ、全国的ってのがピンと来ないんだよ。県内で変なの増えてるのはわかるけど、何で小中高全部なんだよ」
僕は言葉を探す。胸の奥で、針が微かに擦れた気がした。
(年代だ。たぶん、俺たちの年代に何かが——)
「でさ」翔が急に顔を近づけた。「俺も超能力ゲットした!」
「は?」
「マジで。笑うなよ? この前、さすがにイラッとしてさ、家のブロック塀を軽く小突いたら——ヒビ入った」
「……筋トレの成果じゃないの」
「そんな都合のいい成果あるかよ。俺、いったい何年腕立てしてると思ってんだ」
「どうせ数えてない」
「数えてたらモテてる。——いや、とにかく見せるって。今日、放課後」
「場所は」篠宮さん。
「校舎裏はまずい。川沿いの遊歩道、あそこの古いコンクリ壁な。誰もいない時間帯に、一回だけ」
「合図はいつも通り」僕は言う。「目を合わせて——一回、うなずく」
「了解」篠宮さん。
「了解」翔は親指を立てる。「相川、動画撮んのはナシな」
「撮らない。見届けるだけ」
翔は胸を張って去っていった。
残った空気に、少しだけ笑いが残る。けれど、それもすぐ薄くなった。
「……怖い?」僕は小さく聞く。
篠宮さんは考えるように視線を落として、短く首を振った。
「怖いは後でいい。今は事実を集める。翔くんが言うなら、見てから」
「うん」
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放課後までの間に、SNSが爆発した。
タイムラインには、短い動画が連なっていく。
《浮いた。これ加工じゃないから》
《手が光るの、マジで。#フィルタなし》
《廊下で友達が透けた。怖すぎ》
《俺も能力あった。嘘だと思うなら会いに来い》
「CGだろ」「やらせ」「照明トリック」「見間違い」のリプがつく。
しかし、同じような動画が一つじゃない。十とか百とか、数が増える。
タグはトレンドの上位に刺さったまま落ちない。
大人たちの「やめなさい」「悪ふざけしない」という投稿が、かえって本物の匂いを濃くしていく。
僕はスマホを伏せた。胸の針が、また小さく擦れる。
(前触れは、もう町じゅうに散らばってる)
⸻
夕方。
川沿いの遊歩道は風が冷たい。草の匂いが少し湿っている。
釣り人の影は遠くに一人。通り過ぎる自転車のベルが一度。
僕と篠宮さんは、約束の古いコンクリ壁の前に立った。
少し遅れて、翔が走ってくる。息は上がっていない。
「お待たせ。——いくぞ」
「うん」
「一回だけ。ほんの少しだけ」篠宮さんが念を押す。
「わかってる」
翔は壁から半歩離れ、拳を握ってほどく。
手を下ろして、肩の力を抜く。
こちらを見た。
僕たちは、目を合わせて——一回、うなずく。
翔の拳が、静かに前へ出た。
ドンでもバンでもない、鈍いくぐもった音。
指の第二関節がコンクリに触れた瞬間、蜘蛛の巣みたいな細かいヒビがぱっと走って、広がって、止まった。
拳を引く。
翔は痛そうに指を振って、それから笑った。
「……な?」
言葉より先に、僕と篠宮さんの喉が鳴った。
「本当に」篠宮さんが低く言う。
「本当にだ」僕の声も低くなる。
「いけるだろ、俺。ヒーロー枠」
翔は冗談に乗せた。だけど、笑顔の端が一瞬だけ引きつる。
僕はそれを見逃さない。
篠宮さんも、見逃さない。
「終わり」篠宮さんが言った。「今日はこれで。無茶はしない」
「しないしない。これ以上やったら俺の拳が先に壊れるわ」
「それでいい」
三人で壁から離れる。
風が、さっき割れ目の入った面を撫でて、白い粉が少しだけ落ちた。
「帰るか」
「うん。——翔、また明日」
「また明日」
僕たちは遊歩道を三方向に散った。
夕暮れの光が細く、街の色を薄くしていく。
⸻
翔の足音が、橋の袂でゆっくりになった。
ポケットに突っ込んだ手のひらに、汗がにじんでいる。
(——笑ってなきゃ、やってらんねえ)
家の壁のヒビ。
今日の壁のヒビ。
ヒーロー枠なんて言ったけど、拳の奥に残る鈍痛が、笑いを軽くしてくれない。
「……でも、言わなきゃもっと怖いだろ」
自分に言い聞かせて顔を上げる。
そこに、黒いワゴンが一台、音もなく止まっていた。
道を塞がない斜めの角度。
スモークの奥が、鏡みたいに外を映す。
(配達? いや——)
後ろから、すっと人の影が重なった。
腕が背中に回って、口元に布。
甘くも苦くもない、何の匂いもしない布。
反射で肘を引こうとする前に、肩を二点で止められる。
動きが静かすぎて、音が生まれない。
「対象一名、目視」
「周囲クリア」
低い声が淡々と交わされる。
耳元で、誰かが数字を読み上げた。
翔の視界が、薄い灰色の膜の向こうに滲む。
(——相川、篠宮)
呼ぼうとした名前は、喉の奥でほどけた。
腕が軽く持ち上がり、身体が浮く。
黒い扉が、静かに開く。
中は暗い。
足が床に触れる前に、扉は音を立てず閉じた。
ワゴンは、普通の車の速度で角を曲がる。
誰も振り返らない。
風だけが、川面をそよと撫でた。




