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未来を知る僕と、感情を探す君  作者: ヤナギハラマイ
11/24

ep.11 火のあと

ごく普通の高校生活を送っていた相川蓮。

しかし「未来を垣間見るような違和感」に悩まされ始めたとき、隣に現れたのは親友・小田切翔の軽やかな笑い声と、転校生・篠宮彩花の静かな視線だった。


平穏と非日常の境界線が揺らぐ教室で、三人の言葉が交差する。

それは友情か、恋か、それとも――もっと暗いものか。


誰を信じ、誰を疑うのか。

ほんの小さな選択が、未来を決定的に変えていく。


朝のニュース、電車、昇降口


 通学路のコンビニのガラスに、赤い帯が走っていた。

 テロップは淡々としているのに、文字だけがやけに硬い。


《東陵高校で発火騒ぎの男子生徒、未明に死亡 火傷によるショック・合併症か 原因は不明》


 店先の人だかりは小さい。それでも、視線は同じ一点に吸い寄せられていた。

 「亡くなったんだって」「原因わからないんだと」——断片が朝の湿った空気に浮き、すぐ沈む。


 電車に乗る。車内の広告はいつも通りだが、会話だけが薄い。


「東陵だろ? ここから二駅の」

「ニュースの書き方、逃げてね?」

「いや、逃げるでしょ。どうせ詳しく言えないんだよ」


 隣の席の女子がスマホを伏せたまま小声で言う。「自殺じゃないって」。

 その一語が、車輪の刻むリズムと一緒に腹の底に落ちる。


 昇降口。マットのゴムの匂いが濃い。靴音が、いつもより吸い込まれない。下駄箱で靴を履き替えるあいだ、誰も急がないのに動きが速い。廊下で軽くぶつかった男子が「悪い」と言い、相手が「大丈夫」と返す。やり取りは平穏なのに、背中の筋肉は緊張している気配だ。


教室の温度


 扉を開けると、教室の空気は低かった。ひとつの教室の中に「静か」がいくつもあり、互いに触れていない。


「……亡くなったってニュース、マジ?」

「病院でって。合併症とか」

「ライターだったらそんなことならないし」

「でも“危険物なし”でしょ?」

「じゃあ何で?」

「——まさか、って言うとバカっぽいけど」

「ないでしょ。ただ、説明できないだけで」


 笑い声はない。

 代わりに、教室の後方で二人だけ少しテンションの高い声が混じった。


「やべぇな、超能力とかだったら熱すぎ」

「動画ねぇの? 見てぇんだけど」

「お前、不謹慎だって」

「だよな……いや、でも、もし本当にそうなら歴史的瞬間じゃね?」

「歴史的って言うなよ」


 浮いた笑いが一度だけ起き、すぐ沈む。沈んだあと、そこに空洞が残った。席の配置は昨日と同じなのに、机の距離が少し遠い。


 チョークが黒板を引く音が、やけに白く響いた。

 鉛筆が紙に当たる音が、砂を擦るみたいにざらついた。

 誰も“超能力”という単語を口にしない。さっきの二人でさえ、それ以降は言葉を濁している。「ありえないけど、もしかしたら」の手前で、舌が止まっている。


 翔が僕の机に寄る。いつもの調子で肩を小突くみたいに来て、指先を机に置いた。


「……相川」

「うん」

「これ、もうネタじゃねぇな」

「うん」

「昨日までは“ライターだろ”で笑えたけど、死んだってなると、何言っても手前味噌になる」

「手前味噌ではないだろ」

「言葉、間違えた。……軽い言葉は、全部足りないって意味」


 翔はそこで口を閉じ、指先で机の角を一回だけ押した。音は出なかった。


 窓際、篠宮さんはノートを開いたまま、ペン先を紙に触れさせて止めている。視線は動かない。呼吸だけが、整っている。僕はその呼吸を見て、少しだけ呼吸のリズムを合わせた。


一限と二限の間、昼前の廊下


 休み時間。廊下の掲示板には何も増えていない。何も増えていないことが、逆に情報みたいに見える。


「先生、何か知ってるのかな」

「知ってても言わないでしょ」

「“原因不明”って言葉、怖すぎない?」

「だよな。『見つかってない』と『存在しない』は違うのに」

「お前、急に哲学」


 その脇を通り過ぎる二人が、わざとらしく明るい声を作る。


「やっぱ出るのかな、うちにも。火のやつ」

「来たら動画撮るわ。炎上で炎上」

「——お前、それ、ほんとやめとけよ」

「冗談だって」


 “冗談だって”。

 冗談という言葉の殻は軽いのに、中身はもう軽くない。


 教室に戻ると、窓の向こうの空が白く光っていた。目を細めると、視界の周りがわずかに滲む。眠気じゃない。目を閉じると、滲みは逆に濃くなる。

 胸の奥で、鼓動が一拍だけ強く、その次は薄く鳴った。電車のレールを乗り換え損ねたみたいに、リズムが半歩ずれる。理由はない。説明もない。——終わっていない感じだけが、形にならずに残った。


昼休み、机の上の温度差


 パンを齧りながら耳だけで会話の温度を測る。


「友達のいとこが東陵なんだって」

「出たよ“友達のいとこ”」

「いやマジで。危険物はなかったって」

「じゃあどうやって燃えるんだよ」

「さあ。静電気? 摩擦熱?」

「教室で?」

「だから“原因不明”なんだろ」


 別の机では、盛り上がり派の一人が眉を上げて言う。


「なぁ、もしホントにさ——」

「やめろって」

「いや、わかってるって。不謹慎なのは。……でも、なんか、世界がちょっとだけ動いた気はしね?」

「動いてほしくなかったって話」


 テーブルの上で牛乳パックが潰れる音がして、誰かが「ごめん」と言う。すぐに「いいよ」が重なる。

 言葉のやり取りは全部優しいのに、優しさの下に張ってある膜が、薄い。


 翔がこっちを振り向く。眉が少し寄っている。


「相川、顔、白いぞ」

「……そう見えるだけだと思う」

「体育サボる?」

「サボらない」

「そっか。じゃあ、ペース落とせ。お前、何でもいつも通りにやろうとして死ぬタイプだし」

「勝手に殺すな」


 そこでやっと、翔が少し笑った。笑いが出るまでに、三拍くらいかかった。


午後、教室の音


 三限、四限、五限。針が動く。

 黒板の文字がいつもより太く見える。先生の声が、少し遠い。プリントを配る紙の音が、普段よりよく聞こえる。

 篠宮さんはノートに「今日」の日付だけを書き、構図を決めるみたいにページの余白を分けた。その仕草に救われる。いつもの動作の中にある慎重さは、たぶん彼女の防寒具みたいなものだ。


 六限が終わる。椅子の脚が床を擦る音がいっせいに鳴り、すぐ止まる。帰り支度は早いが、廊下に出る足は速くない。


放課後の帰り道——違和感と気づき


 昇降口を出る。空は白く濁って、影が淡い。風は冷たくないのに、音が遠くまで届く種類の風だ。

 僕と篠宮さんは、取り決めなく並ぶ。歩幅は自然に揃うはずが、今日はうまくいかない。半歩、速い。半歩、遅い。自分の足が自分のものではないみたいだ。


「……東陵の子、亡くなったね」

「うん」

「“自殺ではない”って」

「うん」

「——“原因不明”」


 会話は四つで止まった。その四つの言葉の外側に、言えないものが残る。

 信号が青に変わる。足が地面から剥がれにくい。腰の奥が重い。胸の奥の鼓動が、信号の点滅とずれる。ずれが気になる。気になるから、さらにずれる。


 交差点の手前で、僕は無意識に歩幅を乱した。半歩、外へ。

 篠宮さんが、立ち止まる。僕を見る。彼女は、真正面から見るときと横から見るときで目の使い方が違う。今は、真正面。


「……相川くん」

「なに」

「顔色、さっきから変わってる」

「大丈夫」

「違和感、あるでしょ」


 ごまかしの言葉が喉まで上がってきて、そこで止まった。

 “違和感”という語が、あまりにも正確すぎたからだ。

 悲しいとも、怖いとも、怒っているとも違う。終わっていない感じ。届いていない感じ。目の前の世界と、体の内部の時間が、少しずれている感じ。


「……ある」

「どんな」

「上手く言えない。心臓の音が、街と合わない。歩き方を忘れたみたいになる。あと、……終わってないって感じがする」

「“終わってない”」

「ニュースは終わったって言ったのに、終わってない感じ」


 篠宮さんは視線を落とし、信号の色を一度だけ確認して、僕に戻した。


「わかった。しっかり覚えておく」

「覚える?」

「うん。今日の“終わってない”を、覚える。……“合図”に関係ないときでも」


 信号が黄色になり、赤に変わる。通り過ぎた風が、少し遅れて頬に触れた。

 人の流れが切れた。空気がいったん透明になる。


「相川くん」

「うん」

「いったん離れよう、は、今日も有効」

「うん」

「使わなかったけど、“使わなくてよかった”ってことを、使ったのと同じくらい、覚えておく」

「……うん」


 少し歩いてから、彼女が言葉を足した。


「それと」

「うん」

「クラスで“盛り上がってた”二人、いたでしょ。……嫌いじゃない」

「え?」

「怖さをごまかす方法が、たまたま“盛り上がる”なんだと思う。——嫌いじゃないけど、近づけない。その距離感も、覚える」


 僕は頷いた。彼女の言い方は、いつも正確だ。正確だけど、冷たくない。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 分かれ道の手前、植え込みの葉が風に押されて、一枚だけ裏返った。表の緑より、裏の白が長く見えて、すぐ戻った。


「また明日」

「また明日」


 彼女は背中を向けた。振り返らない。振り返らないほうが、今日の“終わってない”を正しく持ち帰れる気がした。

 僕はその背中が角で消えるまで立って、それから歩き出す。足取りはさっきより揃っている。街の音と、胸の音はまだ少しずれているけれど、ずれを自分で見ることができたぶん、怖さは薄い。


夜、ノート


 机に座って、ノートを開く。今日の日付。その下に、行を詰めて短く書く。


東陵高校の生徒が亡くなった。自殺ではない。原因は不明。

クラスは静か。否定と半信半疑と、少しの盛り上がり。

僕は“終わっていない”感じがした。

篠宮さんは、それに気づいた。「覚えておく」と言った。


 文字は小さく、間隔は狭く。余白を広げると、そこに火が入りそうな気がして、今日は詰めた。

 窓の外で、救急車の音が遠くを横切る。音は遠いのに、鼓動は近い。

 “終わっていない”は、まだ名前じゃない。名前にした瞬間、逃げ道がなくなる。だから、今日はまだ名前にしない。


 明日、廊下に出る前に深呼吸を一つ。

 歩き出すとき、半歩だけ乱す。何も起きなければ、それを覚える。

 もし何かが起きそうなら——いったん離れよう。

 その順番で。

 その精度で。

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