39『霊岩渓谷の化物・1』
千早 零式勧請戦闘姫 2040
39『霊岩渓谷の化物・1』
それまでのハイキングコースを国道に例えるなら、ここはグランドキャニオンの探検コース。
グランドキャニオンなど行ったことのない千早だが、英語の授業でモニターに映された3D映像を思い出した。軽装備で足を踏み入れた観光客が身動きが取れなくなって救助隊を呼んだら、助けてはもらえたが、後から目の飛び出るほどの救助費用を請求されたというオマケの話が印象的な教材だった。その時の探検コースよりもよりも険しく感じる岩場だ。
「……ねえ、もうウズメさんとか出てきてもいいんじゃないの」
小さく呟いてみる。
――ええぇ……いきなりわたしが出てきたら敵が怯えて出てこないかもしれないでしょぉ――
「その呟き方、なんかニュートラル。戦闘モードになってないんですけどぉ」
――いきなり戦闘モードって、敵も警戒しちゃうでしょぉ、あれは、やっぱりここ一番て時。それに入れ替わったら、千早の意識も眠っちゃって、あんまり記憶に残らないしぃ。もうちょっと千早でがんばってぇ――
「もぉ……」
腹が立ったが、それ以上は言わない千早。しかし、納得したわけではない。
スニーカーでは足もとが頼りなく、ウズメと話していると足をグネったり滑ったりしそうなのだ。
進んでいるのは、もう道とは呼べないしろものだ。大小の岩々が武骨に重なり、数メートル進むにも進んだ距離と変わらぬ高低差があって少しも気が抜けない。
「道三たち、1/12サイズでいったのかなあ、それとも人のサイズ……いずれにしろ、ここで戦うのは骨が折れるだろうなあ……」
ワチャワチャと神社に住み着いた道三とその軍勢たちが、ちょっと健気に感じる千早だ。
「よし、正体を見極めて、サッサとブチノメシてしまおう」
岩場の上り下りを十数回繰り返すと、教室の広さほどの平坦なところに出て来た。
「ええと……」
足元はゴツゴツしていて気は抜けないが、そこの端っこには小さな東屋があって、ちょっと拍子抜け。
「まあ、純粋な山奥ってわけでもないし、こういうものもあるか」
ハンスの地図で確認すると、このコースの残りは総延長で3キロちょっと。平地の感覚でしか距離感が持てない千早だが、気楽に行けるハイキングコースの横道。こういう休憩場所もアリだと納得。
「たしかに景色としては面白いわねえ……」
ペットボトルのお茶を飲みながら感心する。
岐阜県は昔の分国名で云うと美濃と飛騨にあたる。美濃は関東平野を除くと本州で最大の平野。地味も豊かで、斎藤道三や織田信長の昔から――美濃を制する者は天下を制する――と言われてきた。岐阜県とひとくくりにされたのは明治以降で、21世紀の半ばでも、美濃と木曽は違う文化圏。勢い旧美濃の岐阜県人は山とは縁が薄く、九尾からは比較的近場の霊岩の景色には感動する。
岩場に思いがけぬ東屋は、そろそろ南中しようかという太陽からも庇ってくれ、山から吹き下りてくる風も心地いい。
ここらあたりまでなら人と来てもいいかなあ……貞治とか、お姉ちゃんとか……そういや、お姉ちゃん大阪でうまくやれてるのかなあ……風の音、渓流の水音、鳥の鳴く声も優しく、緊張が解れて眠気を催す千早。
――眠るな!――
ウズメの声が聞こえるのと同時であった!
東屋の四隅の柱が獣の爪のように内側に閉じ、屋根が落ちてくる!
シュワッ!
前世紀の変身ヒーローのような声を上げて東屋を飛び出る千早!
数十メートルを一騎に跳んで振り返りつつ大岩に着地すると、今の今まで東屋と思っていたものは、首が黒ウサギ、体は黒蜘蛛の化物に変じていた!
☆・主な登場人物
八乙女千早 浦安八幡神社の侍女
八乙女挿 千早の姉
八乙女介麻呂 千早の祖父
八乙女和彦 千早の父
神産巣日神 カミムスビノカミ
天宇受賣命 ウズメ 千早に宿る神々のまとめ役
来栖貞治 千早の幼なじみ 九尾教会牧師の息子
天野明里 日本で最年少の九尾市市長
天野太郎 明里の兄
田中 農協の営業マン 部下に米田瑞穂
先生たち 宮本(図書館司書)
千早を取り巻く人たち 武内(民俗資料館館長)
神々たち スクナヒコナ タヂカラオ 巴さん
妖たち 道三と家来(利光、十兵衛)
敵の妖 小鬼 黒ウサギ(ゴリウサギ)