22『森に踏み込む・1・逆鱗』
千早 零式勧請戦闘姫 2040
22『森に踏み込む・1・逆鱗』
宅地として造成されて半世紀、時おりの調査以外、ほとんど人の手が入ったことがない森は不気味だ。
区画ごとに造成された宅地はそれぞれ30坪ほどで、均等に並んだ風景は昭和の時代にあってこそ夢と希望の苗床だった。
しかし、それから半世紀以上も風雪に晒され、幾度かの地震や嵐によって、区画は歪み、あるいは崩れ果て。その上には蔦や草木が繁茂して、あたかも勇者によって倒されたまま放置されたドラゴンの皮膚のように醜悪だ。
「オンアビラウンケンソワカ」
お守りの独鈷を構え、曾祖父以来伝えられてきた真言を唱える。
辺境伯の曽祖父は満洲各地で交易や資源開発の為に駆けまわっていた男で、各地で難儀や怪異に出会う度に唱えていたのがこの真言。
特に山伏や真言密教の徒ではないのだが、大人たちが役小角以来の真言だと言い伝え、怪我や病気の時に唱えてくれた、いわばお呪い。
家の宗旨に合わせれば「南無阿弥陀仏」なのだが、どうも念仏は陰気で、これから難儀に立ち向かうという気分にはならず、このお呪いを唱えることにしている。
手に構えた独鈷は、曾祖父が臨時招集を受けた時、今生の思い出に訪れた大興安嶺山脈の一峰で助けた老人からもらったものだ。
老人は「もう御山に登ることもあるまい。あんたは、これから応召の様子。これを持っていきなさい」と言って譲ってくれたのが、この二寸余りの独鈷なのだ。
以来、祖父、父、そして辺境伯へと受け継がれた家宝と言うべき独鈷である。実際に曽祖父は「これのお蔭で、仕事でも軍隊でも危機を乗り越えられた」と子や孫に語り辺境伯に至っている。
「さて、あの奥が土器片を見つけたところだが……」
半年ぶりのそこは、身の丈ほどに草が茂ってろくに地面も見えない。
「さて、かかるか!」
気合いを入れた。
市長がやってきて――もう後がない――的なことを言わなければ、あえて踏み入ろうとは思わないところだ。
シュィーーーン シュィーーーン
電動草刈り機で半分ほどの草を刈り倒す。
ザク ザク
シャベルで掘ると、あっさり土器片が見えてくる。
「少し見れば分かりそうなものなのに……」
昭和のバブルのころ、開発を急ぐあまり、質の悪い業者は土器片程度の遺物が出ても無視してきた。濃尾平野は豊かな土地で、平野全域が遺跡と言っていいほどで、その密度と分布は奈良盆地と変わらないだろう。
さすがに古墳や人骨が出てくれば届け出るだろうが、土器片や矢じり程度は保存されることもない。それが、このバブルの森の造成地跡なのだ。
「……弥生後期……須恵器との境目あたりか……」
出てくるものは資料館の倉庫に百箱以上も未整理のまま溜まっている土器片と同じだが、出土する数が夥しければ教育委員会も予備調査ぐらいはしてくれるかもしれない。
「さて、もう少し奥に進んでみるか」
汗を拭くと、鉈を振るって前に進む。
10分ほど鉈を振るっていると、急に一区画ほどの開けたところに出て来た。
「おお……」
そこは、草もまばらで、一見誰かが先にやってきたようにも見えるが――人が切り開いたものではない――と辺境伯の経験は結論付けた。
よく見ると、そこだけが独立した区画で、区割りもコンクリートのそれではなく城の基礎のように石垣で組まれている。
「もともとあった、地蔵かなにかの祠あとか……」
辺境伯はハンス(ハンドスマホ)をGPSモードにして森全体の3Dマップを立ち上げた。
「……何度か来てるところだが……雨か何かで露出したものか?」
マップを確認済みの調査図と重ねてみる。
「ここは、以前には無かったものだなぁ……」
調査済みのそれには、ただの茂みとしか表示されていない。
「取りあえず、現状を上書きしておこう……」
ハンスをカメラにしてサーチして、辺境伯は気が付いた。
そこだけ区画の向きが真逆なのだ。
「まるで、竜の逆鱗だなぁ……」
辺境伯が異変に気付いたころ、千早は真逆の東側から森に踏み込んだところだった……。
☆・主な登場人物
八乙女千早 浦安八幡神社の侍女
八乙女挿 千早の姉
八乙女介麻呂 千早の祖父
神産巣日神 カミムスビノカミ
天宇受賣命 ウズメ 千早に宿る神々のまとめ役
来栖貞治 千早の幼なじみ 九尾教会牧師の息子
天野明里 日本で最年少の九尾市市長
天野太郎 明里の兄
田中 農協の営業マン
先生たち 宮本(図書館司書)
千早を取り巻く人たち 武内(民俗資料館館長)
神々たち スクナヒコナ タヂカラオ
妖たち 道三(金波)
敵の妖 小鬼