21『バブルの森の辺境伯』
千早 零式勧請戦闘姫 2040
21『バブルの森の辺境伯』
むさくるしい男神タヂカラオに変身し、やっとのことで大岩を押しのけて千早も学習した。
尾畠のバブルの森、空腹で調べそこなった残り半分に踏み込まなければらちが明かない。
今までの変異の大元があるような気がするのだ。これまでは、出くわした妖を正面から受け止めて戦ってきたが、今度はそうはいかないだろう。おそらく、何倍何十倍もの妖が息つく暇もないほどに現れて返り討ちにあってしまう。軽々しくは動けない。
そのころ、資料館の武内館長も別の立場から同じことを思っていた。
バブルの森は前世紀のバブル崩壊で開発が中断され、九尾の街にとっては鬼門の忌み地に成り果てている。資料館が立ち退けば人の気配が途絶えてしまい、要らざるものがはびこり跋扈するように思えてしまう。
「やれやれ、もう少し資料を補強しておこうか……」
館長は作業着に着替えると、曾祖父の代から受け継がれているお守りを確かめて森に向かった。
バブルの森の辺境伯か……上手いことを言う。
森との境目の橋に立ち、双方を見比べて独りごつ。
東欧の城に模して造られた資料館は、あたかも辺境の森の蛮族から王国を護るために建てられた城のように見える。
市は採算の取れない資料館を駅前再開発に合わせて駅前の総合ビルに移転させる方針なのだ。『辺境伯領廃止!』と同人誌同然になり果てた新聞が書き立て、その号だけは売り上げが倍になった。
先日は市長自らがやってきた。
露骨に移転しろと口説くようなことはしなかったが、行政的には大きなアリバイになる。あとは市議会の公聴会に呼ばれ、通り一遍の事情を聴かれた後、夏の市議会で決定されて、おそらくは次の年度末で閉館。そして取り壊しになる。
その後は、財界の肝いりで世界的なロボット企業が進出してくるという。
これは忌み地として放棄されるよりも問題がある。
二十年前に電気自動車で成功した企業は、その後、世界初の民生用ロボットの開発に成功して、その製造拠点をバブルの森に持ってこようとしているのだ。
けして人には言わない館長だが、物には魂が宿ると考えている。
かつて学校に勤めていたころから子どもたちにも「物を大切にしなさい」と教えていた。
昔から人に使われて古びた物は付喪神になると言われてきたが。それとは微妙に違う。
辺境伯はこう思う。
器として成長した物には魂が宿ると考えるのだ。学天則を引き取って受付ロボットにしたのも、その心情の表れであると言える。
まして世界最高水準のロボット工場、そこで作られるロボットに、バブルの森に纏ろう悪霊が憑りついては一大事と心を砕いているのだ。
人に言うことは無いが、辺境伯はそう考える。
この点は千早に似ているが、彼は宗教家の出自ではない。明治以来の家系に因があるのだが、ここでは触れない。
21世紀も中葉の今日「霊的に障りがある」とは言えない。
そこで、空き時間を利用しては森に入り、散在している縄文・弥生時代からの遺物を調査するのだ。考古学的、歴史学的に貴重であると実証されれば、議会はロボット工場の誘致も資料館の移転も思い直してくれるだろう。
内に聖なる神を宿す戦闘姫と孤高の辺境伯は、それぞれ別の口から運命の森に入ろうとしていた。
☆・主な登場人物
八乙女千早 浦安八幡神社の侍女
八乙女挿 千早の姉
八乙女介麻呂 千早の祖父
神産巣日神 カミムスビノカミ
天宇受賣命 ウズメ 千早に宿る神々のまとめ役
来栖貞治 千早の幼なじみ 九尾教会牧師の息子
天野明里 日本で最年少の九尾市市長
天野太郎 明里の兄
田中 農協の営業マン
先生たち 宮本(図書館司書)
千早を取り巻く人たち 武内(民俗資料館館長)
神々たち スクナヒコナ タヂカラオ
妖たち 道三(金波)
敵の妖 小鬼