第三章 少年期・家庭教師編:激震
<Side:アルト>
領主邸にはカンカンと木剣の打ち合う音が響いていた。
打ち合っていたのはアルトとグレア。
二人への剣術指導が始まったあの日以降、
二人はナナシがいない日でも(最近はむしろ、いない日の方が多い)、
雨の日も風の日も、ほぼ毎日のようにこうして剣を合わせていた。
「…!
ちょ、タンマタンマ!痛い!痛いってば!」
「ふん。勝負に待ったはないのよ!」
腕を組んで鼻を鳴らし、
もはや見慣れつつあるポーズでグレアは
座り込んだアルトを見下ろしていた。
グレアは負けず嫌いで、
模擬戦だというのにまったく手加減はしてくれない。
おかげでアルトの勝率は二割を下回っていた。
以前の一本も取れない状況から考えれば、
かなりの大躍進ではあるのだが、
未だにダブルスコアなんてレベルじゃないくらいの
黒星をつけられている状況だった。
アルトが成長しているように、
グレアも成長しているのだ。
「…ふん!
別にいいですよーだ。
その分、この後のお勉強の時間は厳しくするんで
覚悟しておいてくださいー。」
「な!?それはズルいのよ!?
それこそ待ったなのよ!」
アルトは待ったをガン無視のグレアにへそをまげて、
禁止カードをきる。
何事も継続が大事だとはよく言うが、
家庭教師の仕事のない休日ですら
ほぼ毎日こうして剣を振っていて、
もはやこの屋敷に何をしにきたのかわからなくなりつつあったものの、
もちろん、家庭教師の仕事もきっちり行っていた。
「へーん。待ったはありませーん!
ベロベロベー…」
アルトはグレアの周りを腹の立つ顔をしながら、
グルグル回る。
おちょくられたグレアはプルプルと肩を震わせ…
「…ふん!」
「ぼ、暴力…反対…」
アルトの鳩尾を的確に拳で打ち抜いた。
アルトがグレアをおちょくり、殴られる。
この光景もなんだか見慣れつつある光景だった。
家庭教師の仕事と剣術稽古。
合間合間で他のこともしていたが、
アルトの領主邸での暮らしはその二つが大部分を占めていた。
そんな感じで日々を過ごし…およそ一年の月日が流れた。
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ある朝。
アルトはドンドン!ドンドン!という激しい物音で目を覚ました。
「んあ!?」
かなり大きな物音に驚いたアルトはベッドから転げ落ちた。
「(いてえ…)」
リオス村の屋敷を出る時に持たされた時計のような魔導具を確認するが、
時間はまだ早朝。
未だ眠たい目をこすりながら、
アルトは未だ叩かれ続ける扉を開いた。
「…はぁい…どなたですかぁ…」
そこにいたのは伯爵家の執事で、
グレアと初めて会った時に警告をくれていたあの執事だった。
この執事ともこの一年で何度も顔を合わせてはいるのだが…
その表情はこれまでに見たことないほど切迫していた。
「アルト殿!
朝早くに申しわけありません!
着替えたらすぐに応接間に来てください!」
言い終わるや否や
その執事はどこかへ駆けて行った。
「…え?
いったいなんなんだ?」
執事は用件だけ伝えて足早に去ってしまったので、
残されたアルトはポカンとした表情で呆気に取られていた。
…
アルトはとりあえず着替え、執事の言う通りに応接間へと向かう。
道中、伯爵家の使用人たちと何人かすれ違ったが、
さっきの執事と同じようにどこかみんな慌ただしそうだった。
「(こんな早朝からこんなに慌ただしいなんて…)」
アルトは普段から起きるのは早い。(ただし寝るのも早いが。)
故に早朝の静かな光景には見覚えがあるのだが…
この時間にこんなに慌ただしいのは初めて見た。
原因はわからないが、
どう考えてもなにかがある…もしくはあったのだ。
そうこう考えているうちに応接間にたどり着き、
アルトは応接間に入った。
応接間にはゲオルギスとリザ…あと数人の使用人が集まっていた。
「すいません。遅くなりました。」
「いや、まだ集まりきっていないし、遅くはないさ。
むしろこんな時間にすまないな。」
「いえ、この時間くらいにはだいたい起きているので
全然大丈夫ですよ。」
「そうか…。」
ゲオルギスは口調はいつも通りなのだが、
その表情はかなり険しい。
いや、ゲオルギスだけではない。
その側にいるリザや周り使用人たちの表情もかなり険しいものになっており…
応接間の空気は非常に重苦しいものになっていた。
「(ますます変だぞ…)」
なにが原因なのかはわからないが、
ここに集められたのはおそらくその何かに関する話をするためなのだろう。
何のために集められたのかそれとなく聞いてみたが、
「その話は全員集まってからだ。」とはぐらかされてしまい、
この状況ではただ待つしかなかった。
…
しばらくした頃、
ゲオルギスは口を開いた。
「全員集まったか…始めるぞ。」
「え?グレアの姿が見えませんが…」
この場にはアルト、ゲオルギス、リザ、
その他には主だった使用人が集まっている。
だが、グレアはこの場にはいなかった。
アルトは自分が呼ばれているのに、
グレアが呼ばれていないのは妙だと思い、尋ねる。
「あの子に…この話を聞かせるのは酷だ…」
苦々しい表情でゲオルギスは言った。
「(グレアに聞かせるのが酷…?…!?…まさか…)」
アルトはあるひとつの最悪の推論に行き当たる。
「(これが当たっていてほしくはない…
いや、当たっていてはいけない!)」
アルトの表情の変化に
ゲオルギスが何かを察したのか驚愕の表情を浮かべる。
「まさか…今の一言だけで…?」
そのゲオルギスの表情は何よりも
その推論が間違っていないことを如実に示していた。
「もし…もし仮に…
この推論が間違っていないのであれば…
グレアには…この話をするべき…
いや、しなくちゃいけない!」
「わかっている!
わかってはいるが…」
アルトの剣幕にゲオルギスは言いよどむ。
「アルト、やめなさい。
私たちもなにも考えていないわけではないのよ。」
リザがアルトを制止する。
しかし、アルトはなおも言い募る。
「リザさん…言いたいこともわかります。
ですが…時間を置けば置くほど…彼女をより傷つけることになる!」
「それはわかっているわ。
でも、あの子は危うい。
あの子の心をこれ以上、傷つけるわけにはいかないの。
だったら…このまま、一生何も知らないままの方が幸せなのよ…」
「グレアの幸せを決めるのはグレア自身です!
そんなのは幸せなんかじゃ…」
ない。
アルトがそう言おうとした時…
「あ、アルト!
ここにいた…ってあれ?
なんでみんなここに集まっているの?」
グレアが応接間に現れた。
「グ、グレア!?
どうしてここに…誰か呼んだのか!?」
ゲオルギスは驚きを隠せない様子で周りを見回す。
だが、その場にいた誰もがグレアの登場に驚いた様子を見せていた。
「どうしたんです…?…叔父様…?
ただ、アルトを探してただけなのですけれど…」
グレアはなにをそんなに驚いているのかと
事も無げに言う。
グレアは普段、起きるのはもっと遅い。
だが、今日はたまたま早くに目が覚めたらしく、
目が覚めてすぐにアルトの部屋を訪れたらしい。
しかし、鍵は開いていたのに部屋にはおらず、
アルトを探しているうちにここ…応接間にたどり着いたようだった。
「…これも…運命なのか…」
ポツリとゲオルギスは零した。
「ゲオルギス!?…貴方、まさか!?」
その呟きに側にいたリザが反応する。
「リザ。俺は…俺たちは…
やはり、この話をしなくてはならない。
グレアのためといって…
ただ真実を話すことから逃げる言い訳にしようとしていたんだ。」
「…!…そう…そうかもしれないわね…
貴方が決めたのなら…私は止めないわ…」
リザはそう言って、引き下がった。
そして、ゲオルギスはグレアとアルトに向き直る。
「グレア、アルト。
二人ともとりあえず座れ、大事な話をする。」
グレアはよくわかっていなそうな表情だったが、
ゲオルギスの…周囲の真剣な雰囲気を察したのか
すんなりと席に着く。
その隣にアルトは並んで座った。
「グレア。なにがあっても…僕は側にいる。」
「え?なに…いきなり、どうしたのよ?」
いきなりのアルトの言葉にグレアは頬を赤くする。
「いや…なんでもない。」
「いつものことだけど、アルトは変ね…
ふふっ…でも、ありがとう。」
アルトの言葉は残酷な事実を聞くことになる
グレアを憂えてのものだったが…
その言葉を聞いたグレアは嬉しそうにしていた。
「で…叔父様。
その大事な話とは…?」
グレアはゲオルギスに尋ねる。
「…単刀直入に言おう。
ゴルディアス侯爵家の後継者争いが終結した。」
「それは本当ですか!?
ようやく…お父様とお母様に会えるんですね…」
グレアがこの屋敷に留まっていたのは後継者争いに巻き込まれるのを防ぐためだ。
後継者争いの終結はグレアにとって、
父と母にようやく会えることを指しており…
グレアの表情は喜色に満ちていた。
だが…続くゲオルギスの言葉でその表情は一変する。
「…長兄グレン・ゴルディアスとその妻ライア・ゴルディアスは死亡した。」
「(やはり…そうなのか…)」
ゲオルギスの口からもたらされたその情報は…
アルトの行きついた最悪の推論。
それとほぼ同じ内容であった。
「ゴルディアス侯爵家は争いを勝ち抜いた長女ジーナが継承することになった。」
ゲオルギスは表情を殺し、
淡々と事実を述べる。
「…嘘…よね…
そんなわけない…あるはずない…
きっとこれは夢…もしくは質の悪い冗談…」
グレアは突然告げられたあまりにも酷な情報を受け入れられず…
うわごとのように呟く。
「放っていた密偵からの確かな筋の情報で…裏も取っている。
全て事実だ。
嘘でも…夢でも…冗談でもない。」
ゲオルギスは努めて冷静に…機械的にそう言った。
「い、いやぁぁぁっっっ!」
「グレア!」
グレアは半狂乱になりながら、
応接間を飛び出し…
アルトは慌ててその後を追いかけた。
…
応接間を飛び出したグレアを追いかけて、
アルトがたどり着いたのは訓練用の道具が置いてある倉庫。
「(倉庫…?
こんなところでなにを…)」
アルトはほぼ毎日のようにグレアとここに来ていたものの…
応接間を飛び出したグレアが何のためにここに来たのかはわからないでいた。
「グレ…!?」
アルトはグレアがその手に持っているものに気が付き…
右手を咄嗟に無理矢理差し込んだ。
「ッ…!?…馬鹿野郎!
グレアお前…今、何をしようとしていたんだッ!?」
グレアが手にしていたのは…真剣。
普段、二人は木剣でしか訓練しておらず、
使うことはなかったものの…
この倉庫には訓練用の真剣が何本か置いてあった。
「だって…もう…生きてたって…しょうがないじゃない…」
グレアは…真剣を自らの首筋にあて…
その命を自ら絶とうとしていた。
「そんなこと…ッ…」
アルトはグレアを宥めようと言葉を紡ごうとするが、
振り向いたグレアの…その表情に言葉を失った。
グレアは…絶望していた。
諦めきった顔をしていた。
まるでいつかの誰かのように。
「お父様も…お母様も…みんな…死んじゃった…」
悲痛な笑みを無理に浮かべながら、
グレアは呟く。
「グレア…無理に笑わなくたっていいんだ。
君の両親のことは残念だった。
だけど僕は…」
あまりにも悲痛な笑みにアルトは言葉をなんとか紡ごうとする。
だが、グレアは首を横に振る。
「ううん…もういいの…」
「え…?
…いや、良くないだろ…」
そう思いつつも、思い直してくれたのかと、
アルトの剣を掴む力は無意識のうちに緩んでいた。
「だって…」
「?」
「天国に行けば…また会えるんだから!」
「ッ!?
馬鹿!グレア!止めろ!」
そう言い放ったグレアはアルトの一瞬の脱力を見逃さず、
握っていた剣に力を込める。
グレアは…両親の後を追おうとしていた。
「アルト!その手を離して!」
グレアの剣を握る手にこもる力が増していく。
「グレア!君こそ止めるんだ!
剣を離せ!」
アルトは叫ぶ。
だが、グレアにはアルトの言葉も…想いも…
何も届かない。
さきほどまで、グレアとアルトの力は拮抗していたが…
増していく力にその刃は首筋へとゆっくり近づいていく。
「(…こうなったらッ!
グレアを魔術で気絶させ…)」
アルトが最終手段に出ようとしたその時…
いきなり、グレアの握る剣から力が抜けた。
「…!…ゲオルギスさん…助かりました…」
そこにいたのはゲオルギス。
背後から忍び寄った彼がグレアの意識を刈り取ったのであった。
「いや、遅くなってすまない…見失ってしまい、追いつくのが遅れた…」
ゲオルギスはグレアとアルトが応接間を飛び出してから、
迅速に使用人たちに指示を出し、
二人の後を追いかけてきていたものの…
その姿を完全に見失っていた。
それ故…(といってもアルトの到着から数十秒遅れた程度だが…)
この場にたどり着くのが遅れたのだ。
「いえ、本当に助かりました…
話させたくせに…
僕には…止めることが出来なかったので…」
元々、ゲオルギスはグレアに話すことを渋っていた。
それを話させたのは他でもないアルトだ。
グレアならきっと大丈夫。
信じていたと言えば…聞こえはいいが、
その話を聞いたグレアがどうなるか…
どんな行動に走るか…
想定が全く足りていなかったのだ。
「いや…どうせいつかはあの子も知ることになったんだ…
アルトの判断は…間違っちゃいない。
それより…その手、大丈夫か?」
「手?…あ…」
アルトの右手は血で真っ赤に染まり…
刃が深く食い込んだせいで骨まで見えていた。
咄嗟のことでそれどころではなかったが、
アルトが右手を差し込んで掴んだのは剣の刃の部分だ。
そんなところを掴めばそりゃそうなる。
「随分な無茶をする…
剣の切れ味がもっと鋭ければ、
手が切り落とされていたぞ…」
この場所に置いてある剣は訓練用ということで
敢えて切れ味が落としてあった。
そうでなければ、ゲオルギスの言うように
アルトの利き手は切り落とされていたことだろう。
「僕のことはいいんです…
それより…グレアは…大丈夫…なんでしょうか…?」
アルトは自身に治癒魔術をかけながら…ゲオルギスに問いかける。
「…わからない。
それは…グレア次第だ…」
両親の訃報を聞かされたグレアは衝動的に自らの命を絶とうとする凶行に走った。
再び目が覚めた時、グレアがどんな行動をとるのか。
この時のアルトたちは…当然、知る由もなかった。




