第三章 少年期・家庭教師編:飛空艇からの脱出
<Side:アルト>
「船が…空を…飛んでるのか…!?」
その船の名は飛空艇。
それはその名の通り、空を駆る船。
無論、アルトは前世でも飛行機や気球など…
空を飛ぶ乗り物自体を見たことはある。
だが…驚いているのはそこではない。
「こういうのは普通、終盤に手に入るもんだろ!?」
なにが普通なのか、なんの終盤なのかはわからないが、
アルトの叫びが…すっかり日が沈み切った空に木霊した。
「いきなり叫んでなによ…
って…ここ…飛空艇の中だったのね…
てかなに?アンタ、飛空艇見たことなかったの?」
「そうそう…。すげー…俺もこういうの欲しいな…。」
興奮しているのかアルトはあまり話を聞いていない。
空を飛ぶ船というのはやはりロマンがある。
そんな場合ではないのはわかっていたが、
アルトはちょっと…いやかなりわくわくしてしまっていた。
「アンタ、馬鹿じゃないの?
飛空艇なんて個人で持っているのは、
よっぽどの大貴族か王族くらいだし、それぐらい高いのよ?
そんなものただの子供が買えるわけないじゃない。」
どうやらグレアによると、この船は飛空艇というらしく、
民衆にはそこまで一般的ではないものの…
豪商や貴族に使われるこの世界の輸送・移動手段の一つであるらしい。
「とにかく…ここからは出れないし、中に戻り…」
グレアはアルトの袖を引っ張り、
中に戻ろうとする。
だが、アルトは動こうとせず、
首を横に振る。
「…生憎ですが、そんな時間はなさそうですよ?」
「いたぞ!奴らだ!」
人攫いたちがアルトたちの後を追いかけて来ていた。
アルトには彼らが近づいてくる足音が聞こえていたのだ。
「ど、どうしよう…あ、アンタ…さっきのやつで…なんとかしなさいよ…」
グレアはそんなふうに言うが、なんだか様子がおかしい。
アルトの陰に隠れ…声も震えている。
あんなに暴力的なお嬢様が…随分としおらしくなっていた。
「(完全にトラウマになっているじゃないか…
ぶっちゃけ、魔術使えばどうにかなるだろうけど…
グレアの言う通りにするのも癪だしなぁ…
ま、こうするしかねえか。)」
色々考えた末に、アルトは一つの選択肢に行きついた。
「どっちみち中に戻っても、
他にも彼らの仲間がいるかもしれませんし、
折角外に出れたんです。
だから…いいんです。これで。」
「…えっ?…きゃあああ…!?」
アルトはグレアを抱え…飛び降りた。
「な!?馬鹿な!?
こんなところから飛び降りたら、
まず助からねえぞ!?」
誘拐犯たちの驚愕の声と少女の悲鳴が
夜の大空に木霊していた。
…
「きゃあああ…っ…」
さっきまで叫び散らかしていた
グレアは電池が切れたかのように急に静かになる。
どうやら気を失ったようだった。
「(ま、耳元で叫ばれると流石にやかましかったし、
気絶でもしといてくれた方が…
って、ん?なんか生暖か…)」
アルトはグレアを抱えていた方の手にほんのり温かみを感じたが…
グレアの名誉のために黙っておくことにした。
「(…てか、呑気に考え事してる場合でもないな。
凄まじい風圧…いや、空気抵抗か?
まあなんでもいいが、
このままじゃ俺も意識を失いかねないしな…
とりあえず…)」
さすがに二人そろって気絶した状態で自由落下なんてのは、
シャレにもならない。
そのままじゃ、地面にまっしぐら…いや、まっ死ぐらだ。
アルトは自分たちの周りに風魔術で球状の膜を作る。
「(さて…ここからどうするかね…)」
アルトは様々な魔術を自作したりもしていたが、
今、使える魔術には空を飛べるような魔術は存在しない。
空を飛んでみたいとは思っていたが、
安全面を考慮し、後回しにしていたのが裏目に出たというわけだ。
「(ま、ある意味今は空を飛んでんのか…落ちてるとも言うが。)」
薄々感じてはいたが、あの飛空艇とやらはかなりの高さを飛行していたらしい。
もし仮に飛行機が飛行する高度一万メートルぐらいを飛行していたとするなら
地面までは…およそ三分。
だが、それよりも短い可能性も長い可能性もある。
物理法則が前世とは異なっている可能性もあるし、
飛んでいた高度の仮定も間違っているかもしれない。
しかし、一刻も早く着陸する準備をしなくてはならない
状況だというのだけは確実だった。
しばらくして…雲を抜けた。
「(あれこれ考えている間にもうそんな時間か…!?
ぶっつけ本番にはなるが…しゃあないわな…)」
当たり前ではあるが、紐なしのバンジー…
もとい、パラシュートなしのスカイダイビングなどする機会があってたまるかという話だ。
「(丁度よさそうな…場所は…あそこだ!)」
あたりは森林だらけであったが、
唯一、湖が近くにあった。
アルトは風魔術で落下地点を調整していく。
いくら水面とはいえ、
あの高さからの落下だと水は鉄以上の硬さになる。
そのままでは確実にお陀仏なので、着地用の魔術を用意する。
だが、この魔術のタイミングを誤っても大変なことになる。
そのため、タイミングを計り…
落下の衝撃を殺すためにアルトは風魔術を地面へ向けて放った。
そして…湖の水が宙に舞う。
「あ…やべ…」
大量の水にアルトとグレアは飲み込まれた。
…
湖に浮いているのは半透明な立体。
「…ふう…危なかった。」
アルトは水に飲み込まれる寸前、
慌てて結界を作り二人の身体を包み込んだ。
それにより、二人はなんとか溺れずに済んでいた。
「(かなり揺らされて気持ち悪かったが、
俺もグレアも溺れずに済んで良かった。
さすがに三回も溺れたくはないしね。)」
アルトは別に泳げないわけでも、
水に苦手意識があるわけでもなかったが、
もうすでに前世と今世でそれぞれ一度ずつ溺れているので、
そう何度も溺れてたまるかという感じだった。
「てか、初めからこうしとけばよかったか?」
一瞬、そう思いはしたものの、
結界が落下の衝撃には耐えられないかもしれないし、
結界の中からは…というか、遮蔽物があると魔術を使えない。
それじゃ着地の衝撃も殺せないので、
まあ、間違ってはいなかったのだ。
と、アルトはそう思うことにした。
「(結構…いや、かなり無茶したけど、
あのお嬢様は…良かった。大丈夫そうだな。)」
アルト自身はところどころ身体に痛みこそあったものの、
それでもあのかなりの高さから落ちたにしては
二人とも軽微な傷だった。
念のため、治癒魔術こそかけはしたものの、
無事と言っていいだろう。
…まあ、グレアはある意味無事ではなかったが。
「(ま、どっちにしろ…濡れるから証拠隠滅だな)」
結界の中にいても、何も進まないので、
アルトは結界を解き、水面につかる。
子供とはいえ、さすがに人一人を担いでは上手く泳げないし、
そもそもアルトは泳ぎ自体そこまで得意ではない。
「(うーん…どうすっかな…あ。)」
色々考えた末に
アルトは風魔術を噴射し、
それを推進力にして、陸に上がることにした。
「…うおおおお!?」
勢いが付き過ぎて危うく木に激突しかけたが、
咄嗟に逆向きに噴射することで停止した。
「ふう…危なかった…
でも、このままじゃ風邪ひくな…」
なんとか陸に上がったアルトたちであったが、
色々あって服がビショビショだ。
なので、まずは服を乾かすことにした。
アルトが服を脱いで、自分の服を乾かしていると…
「う…うう…」
グレアが目を覚ました。
「…ここ…は…?」
グレアはきょろきょろとあたりを見回し…
アルトと目が合った。
「お、起きましたか?
じゃあ、とりあえず…脱いでくださ…ぶげ!」
「きゃああ!?この変態!!」
アルトはグレアに思い切りぶん殴られた。
…
「…ア、アンタが悪いのよ…?
半分、裸だし…
いくらなんでも言葉が足りてなさすぎなのよ…」
微妙に申し訳なさそうにしながら、
アルトが着ていた外套を羽織ったグレアが言う。
一方、アルトは頬を腫らしながら、
グレアの服を魔術で乾かしていた。
「ほへははひはひ…
(それはたしかに…)」
目が覚めたばかりの時に、
目の前に半裸のやつがいて、
開口一番でそんなことを言えば、そりゃ驚く。
「はんは…はへひふはひは…
(なんか…喋りづらいな…)」
顔が腫れて喋りづらくなっていたアルトは自分に治癒魔術をかける。
「さっきのは僕が悪かったですね。すみません。
それと…どこか痛んだりはしませんか?」
「え?…ええ、大丈夫…って思い出した!?…
アンタよくもやってくれたわね!
死ぬかと思ったじゃない!?」
グレアはアルトの襟首を掴み、激しく揺らす。
たしかに、アルト自身も死ぬかとは思ったのだが、
助かったので結果オーライだろう。
「まあ、緊急事態だったので
そこは許してくださいよ。」
グレアは複雑そうな表情をしていたが、
ふと何かを思い出したかのような顔をする。
「…そういえば、アンタ名前なんて言うのよ?」
グレアはアルトに名前を尋ねた。
どうやら、今の今まで知らなかったらしい。
「(あれ?前に自己紹介…ってそうか。
グレアに殴られて途中で終わったんだっけ?)」
アルト自身は自己紹介を済ませた気でいたが、
よく考えれば、名乗ろうとした時点でグレアにぶたれて、
ちゃんと自己紹介は出来ていなかったのだ。
「僕はアルト。アルト・パトライアスです。」
名前を聞いてきたグレアは
さっきまで掴んでいた襟首を離して、なにかもじもじしている。
「(あ、もしかして…トイ…)」
「…アルト。
…おかげで助かったわ…
それと…ごめんなさい。
貴方にはひどいことしたのに…
それでも…助けてくれてありがとう。」
まるで稲妻にでも打たれたかのようにアルトに衝撃が走る。
「(あの暴力系お嬢様が…
槍でも降るんじゃないか?)」
若干失礼だが、
まさかこのお嬢様からそんな言葉が出てくるなんて思いもしなかった。
「いいえ、まだこれからです。
ゲルダの街に戻るまでは安心できません。」
「…そうだったわね。
ちょっと形が変わっているような気もするけれど、
ここは…グリアの湖かしら?」
「(!?)」
アルトに再び衝撃が走る。
湖の名前はグレアに似ているが…問題はそこではない。
「ここがどこだかわかるんですか!?」
「…?…ええ…。
たしか…ゲルダの街から、
馬車で一日ほど行ったところにある湖だったはずよ?…」
アルトには土地勘がほぼない。
落下中にもあたりを確認はしていたが、
見覚えのない景色ばかりだった。
現在地もわからず…
ゲルダの街に戻るのはかなり時間がかかるだろうと思ったが、
グレアが知っているのなら話は別だ。
「助かります!お嬢様!
僕にはなにぶん土地勘が…」
「グレア。」
「え?」
「私のことはグレアでいい。」
「え、でも…」
「いいから。」
「では…グレアさんと。」
「さんもいらないわ。」
「…グ、グレア?」
「うん。」
返事をしたグレアはなぜか嬉しそうにしている。
「(一応、貴族のお嬢様だし、
呼び捨てもなぁ…)」
そうは思いつつも、
敬称を付けたり、お嬢様と呼ぶと本人がなぜか渋い顔をする。
色々と気になるところもあるが、
本人がいいならまあ…いいか。
そういう結論に至り、お互いを呼び捨てで呼び合うことになった。
「ええと…グレア。
これからのことなのですが…」
アルトがこれからどうするか決めようとグレアに声をかけたその時…
くぅぅ…。とグレアのお腹が鳴った。
「…な、なんでもないわ!」
グレアは顔を真っ赤にし、慌ててなかったことにしようとする。
「(お腹空いたのか…?
よく考えればもうこんな時間だしな…)」
攫われた時点ではまだ昼間だったはずなのだが、
今はもう完全に陽が沈んでしまっている。
それなりの時間は経っているし、お腹を空かせていても無理はない。
「お腹空いたんですね…何か食べましょうか。」
「お、お腹なんて空いてないわよ!」
さっき思い切り、お腹を鳴らしていたわりに
グレアは強がる。
「(とは言ってみたものの…
食べられそうなものなんて…)」
そう思いつつも、アルトはあたりを見渡し、
それに気づいた。
ピチピチ。
「(さ、魚…?)」
なぜか地面で魚が跳ねていた。
しかも、跳ねていたのは一匹ではなく、
ところどころで何匹も跳ねていた。
「(なんで魚が地面を跳ねて…
ってあ!)」
本来は水棲であるはずの魚がなぜ陸に…?と、
不思議に思いつつも。
途中であることに気づいた。
「(もしかして、湖にいたのか?
それを俺が魔術で吹っ飛ばしたのか。)」
そう。
さっき、アルトが着水時に使用した魔術や
陸に戻るときに使用した魔術の影響で、
湖に生息していたと思しき魚たちは打ち上げられていたのだ。
「(丁度いいし…これを…って、見た目グロいな。)」
魔術で吹っ飛ばされた影響でぐちゃぐちゃになっていたものもいたが、
それを抜きにしても、
正直、平時ならあまり食べたくはないビジュアルをしていた。
だが、四の五の言ってられないので、毒がないことを祈りつつ…食べることにした。
細菌やウイルスがこの世界にもあるかはわからないが、
水魔術でしっかりと汚れを落とし、炎魔術で念入りに加熱した上で…だ。
「(調味料が欲しくはあるが…
グロテスクな見た目とは裏腹に…
脂がのっていて、意外と悪くはない…かな?)」
食に飽いているであろう貴族の縁者のグレアも
パクパク食べていたし、
見た目はともかくとして、味は良かったようだった。
…
「もう陽も沈み切っているので、
とりあえず今日はここで夜を明かしましょう。
魔物もいるかもしれないですし、
夜間の無理な行軍は危険ですからね。」
食事を終え、一息ついた時にアルトはそう提案する。
だが、グレアは目を丸くする。
「ええと、なにかご不満でも?」
「あ、いや…さっきまでの非常識さを思えば、
随分とまともなことを言うから驚いて…」
「…」
必要に駆られたが故の行動ではあったが、
確かによく考えれば、飛空艇の壁をぶち抜いて脱出したり、
飛空艇からパラシュートなしのフリーフォールをするのは
かなりの非常識で…アルトは何も言えなくなった。
「ゴホン…
では、片方が見張りをし、交代で睡眠を取ります。
まずはおじょ…グレアからどうぞ。」
気を取り直し、アルトはそう切り出した。
お嬢様って言いかけると、グレアに睨まれたので、
慌てて言い直したが。
「…私からでいいの?」
「ええ。どっちみち後で休ませてもらいますから。」
そう言いつつ、アルトは二人の周りに結界を張った。
しばらくして…グレアは寝息を立て始めた。
よっぽど疲れていたのだろう。
誘拐されること自体、とんでもないストレスのはずだ。
無理もない。
「(俺も誘拐はされたけど、まあ俺とはストレスの感じ方は違うだろう。)」
アルトはあくまでグレアのおまけだったし、
魔術を使える心理的な余裕もあった。
対して、グレアは縛られ…殴られ…蹴られ…
酷く怖い思いをしたに違いない。
「(ちょっと意地悪し過ぎたかな…
子供相手に何をムキになっているんだって話だよな…)」
あまりの横柄さに嫌気がさし、
アルトは牢屋からの脱出時にちょっと意地悪を言ったが、
それがグレアにとってどれほど絶望的だったかは計り知れない。
若干申し訳なくなっていたその時…
「…お母さん…お父さん…会いたいよ…」
「…」
グレアは未だに寝息を立てながら…涙を流していた。
「(寝言か…)」
たしかに疑問に思ったことはある。
グレアにも両親はいるはずだ。
だが、なぜ叔父であるゲオルギスの家で暮らしているのか…
事情は分からないが、
グレアは家族と離れ離れで暮らしていたのだ。
「そりゃ…寂しいよな…」
アルトは自分の意思で家族と離れ離れで暮らしている。
だが…それでもかなり寂しさはある。
グレアが家族と離れ離れの理由はわからないものの…
当然寂しいはずだ。
「(もうちょっと…優しくしてあげようかな…)」
そんなことを考えつつも、
アルトには一つの懸念が残っていた。
グレアの話によれば…飛空艇というのは貴族や豪商に使われるものだ。
だが…あの人攫いたちはそのどちらにも見えなかった。
にもかかわらず…攫った子供の輸送に飛空艇なんてものを使い、犯行もやけに手慣れていた。
もしかすると…大きな力を持つ誰かが裏にいるかもしれない。
「杞憂だといいが…」
アルトの呟きは…夜の闇に消えていった。




