第三章 少年期・家庭教師編:三撃で惨劇
<Side:アルト>
リオス村にあるパトライアス家の屋敷から馬車に揺られること…およそ二日。
陽も沈み始めた頃…ようやくゲルナンド領の領都であるゲルダの街にたどり着いた。
「(うぷ…気持ち悪…)」
初めのうちは平気だったアルトだが、
馬車というものにはやはり慣れず…
揺れは酷いわ…お尻は痛いわで最悪の気分だった。
道が舗装されていないからか…
馬車事態の作りが悪いのか…
原因がなんなのかはわからないが、
なんだとしても…もう正直乗りたくはなかった。
「大丈夫か?」
心配した様子でゲオルギスがアルトに声をかける。
「…ええ…大丈夫です…う…」
平静を装おうとしたが…アルトは未だに青い顔をしていた。
「…本当に大丈夫なのか?
まあ…とりあえず屋敷の中に入ろうか。」
ゲオルギスに連れられる形でアルトは
ゲルナンド領…領主邸に入ったのであった。
…
「そろそろ…落ち着いたか?」
「ええ…。」
グロッキーだったアルトは領主邸の応接間にて休んでいた。
そのおかげで…かなり回復した。
「今日はもう遅いし、
実際の仕事は明日以降からにはなるが…改めて仕事の内容を確認しようか。」
「…はい。」
出発前や馬車の中でも何度か話はしたが、
一応確認しておく。
「アルトの仕事は…家庭教師。
相手はちょーっと癖のある子だけど、きっとアルトなら大丈夫だと思う。
その子に一週間に五回。
読み書きと算術。それに加え、魔術に関する基礎知識…
こっちは読み書きと算術とは違って、実際に使えるようにというわけではなく、
あくまで基本的な事柄の知識だけ教えてもらえればいい。
依頼期間は二年間。基本となる給料が月に大銀貨五枚。
それに加え、二年間勤めあげた暁には学園の学費相当の金額…
金貨十枚が褒賞として支給されることになっているよ。
つまり…十歳の年に学園に通えるようにっていう想定だね。」
大銀貨五枚…つまりは日本円換算でおよそ五万円。
そう聞いたら安く感じるが、
一般的な家庭の年収が金貨十枚のところを
二年間で全て合わせると、金貨二十四枚分。
住み込みの仕事で家賃や食費もこみこみでこの給料。
たいした経験もない子供の給料としては、破格のものだ。
「(ホント…父さんの人脈どうなってんだ?)」
領主である伯爵と知り合いの時点でもうよくわからないが、それはまあいい。
「(教えること自体は…フィリア相手にもやっていたし、大丈夫なはずだ。
ちょっと心配だが…頑張ろう。)」
アルトはそう決心した。
…
翌朝。
早速、アルトは依頼の教える対象と初めての顔合わせをすることになった。
「では、アルト殿。…お気を付けを。」
その相手がいる部屋まで案内してくれた執事が
部屋の扉を開けながら言った。
「(…気を付けるって何を?
まさか猛獣がいるわけでもあるまいし。)」
アルトが執事の言動を訝しみつつ入った
部屋の中にはゲオルギスと同じ…真っ赤な髪をした少女がいた。
「(たしか姪って言ってたっけ?)」
伯爵の姪…ということはお嬢様だ。
目の前のこの子に雇われているわけではないが、
この子の家庭教師になるのだ。
しっかりと挨拶はせねばなるまい。
「初めましてお嬢様。今日から家庭教師になりました、アルト…」
パシン。
なにかが破裂するような音がし、頬が鈍く痛む。
さきほどまで背を向けていた少女はアルトの方に向き直り、
腕を組んで鼻を鳴らした。
「…フン。
礼儀がなってないのよ。」
ツリ目がちでどこか気の強そうな猫のような雰囲気を感じる赤毛の少女。
状況から察するに…目の前のこの少女に、アルトは頬を張られたのだろう。
「(いや…たしかにこの世界の礼儀作法とかは知らないけどさ…)」
アルトはこの世界の礼儀作法に関してほとんど知らない。
しかし、それでも出来る限りの礼節を尽くしていたつもりだった。
だが、それは目の前のお嬢様にとっては気に入らないものだったらしい。
「(それにしても…ファーストコンタクトでノータイムビンタって…
教えはどうなってんだ。教えは。)」
いきなりぶたれた理由を考えれば考えるほど…アルトは無性に腹が立ってきていた。
「(フィリアにも言ったことがあるが、
こういうのはやられっぱなしだから相手が付けあがる…)」
パシン。
「…お返しです。」
そう言いながら、アルトは少女の頬を張り返した。
どこかの銀行員みたいに倍返しとまでは言わないが、やられたらやり返す。
基本的にアルトは平和主義ではあるが、無抵抗主義ではない。
「(俺は相手が女だろうが、男だろうが、関係なく顔面に右ストレートぶち込めるぜ。
これが真の男女平等って…)」
そんなことを考えていた時…目の前の赤髪の少女の肩がブレた。
「ぐえ…」
少女の拳はアルトの顎を的確に打ち抜き、
さらに追撃となるボディブローが入る。
「…いい度胸してるじゃない!…ボコボコにしてあげるわ!」
たった三撃…いや、ほぼ二撃目でアルトはダウンし、
わりともうすでにボコボコだったのだが、
そこからは一方的な蹂躙だった。
ダウンしたアルトに流れるようにマウントを取り、
足でロックをかけ、
さらなる追撃を容赦なく入れる少女。
「誰の!…顔を!…ぶったか!…
思い!…知らせて!…やる!…」
その蹂躙はアルトが意識を失い、反応がなくなるまで続いた。
…
アルトは割り当てられた部屋で意識を取り戻した。
さっきまで朝だと思っていたのだが、
もうすっかり日は沈んでいた。
「…っ…いてえ…」
誰がしてくれたのかはわからないが、傷の手当てはしてくれていた。
治癒魔術をかけながら、未だに痛む傷をさする。
「(やり返したのが悪かったかなぁ…)」
ちょっとした出来心でやり返してしまったら地獄を見る羽目になった。
こんなにボコボコにされたのはディエスの時以来。
あれからバルトに体術を教わっていたし、
背丈もそれなりに伸びているので、
アルトも多少は強くなっていたつもりだったのだが、
戦闘態勢に入っていない隙だらけの状態で顎への初撃をもろに食らったのがマズかった。
おかげでまったく力を出せずに、碌にガードも出来ない状態でボコボコにされてしまった。
「(多分…ディエスより強いな…)」
最近は丸くなった村にいる腐れ縁の悪友にこれを聞かれたら、
キレられるだろうことは間違いないが、
今はそんなことはどうでもいい。
あの少女…グレアはかなり暴力的な問題児であった。
「(てか…どこがちょっと変わってるだよ…)」
ゲオルギスは「ちょっと変わってる」なんて言い方をしたが、
あれがちょっとなら、ほとんどのものがちょっとになる。
「(ちょっとがちょっとでちょっと=ちょっとだぞ!)」
殴られ過ぎてちょっと頭がおかしくなったかもしれない。
わりと前からおかしいかもしれないけれど。
思い返してみれば、どおりであの執事の様子もおかしかったわけだ。
「お気をつけて。」なんて言うなんて猛獣でもいるのかよ…と思ったが、
たしかにあれはある意味猛獣だ。
「(ありゃ…ものを教えるってレベルじゃねえぞ…)」
アルトは昨日とは違う意味で…先行きが不安になってきていた。
…
アルトが領主邸に来て一週間が経った。
「…アイツ…マジでいい加減にしろよ…」
家庭教師の仕事をしようとはしたのだが、
グレアは話を聞かないわ、顔を合わせるたびに殴りかかってくるわで
全く仕事にならない状況が続いていた。
「物を教えるっていうレベルじゃねえし…
だいたい、ゲオルギスさんもゲオルギスさんだよ…」
アルトはどうにもならない状況だし、
ゲオルギスにどうにかしてもらおうと思って訪ねたのだが、
「授業を受けさせるのも仕事のうちだ…まあ、頑張れ!」とか言って呑気に笑っていた。
「(もう嫌になってきた…)」
この数日でグレアの悪評は嫌というほど耳にした。
伯爵家の使用人たち曰く、
街でトラブルになった子供をボコボコにしたということは何度もあったらしい。
そして、さらに問題なのが、
なにが気に食わないのかはわからないが、
歴代の家庭教師をことごとくボコボコにし、追い出しているらしいのだ。
これまでに追い出された家庭教師は十を優に超えるらしく、
前任のある家庭教師は着任初日にボコボコにされただったり、
初日を軽くいなして制した者も寝込みや入浴中などの無防備な瞬間を襲われボコボコにされたらしい。
まだたったの一週間。
だが…アルトは本気で帰りたくなっていた。
しかし、辞めるわけにもいかない。
仕事を紹介してくれたバルトのメンツもあるし、
逃げるみたいでなんか嫌だった。
とは言いつつも、
この状況の解決策は見つからない。
「はあ…」
アルトの口から零れるのは溜息ばかりだった。
…
解決のカギは相手のことをよく知ることにあると考えたアルトは、
それから数日…グレアの様子の観察に徹していた。
グレアは野生の猛獣のように勘が鋭く、
近づき過ぎると気づかれて殴りかかってくるので、
少し離れたところから観察していた。
「(…べ、別にストーカーなんかじゃないぞ!?)」
この数日で行動パターンはある程度把握したつもりだったが、
今日はこれまでと違い、屋敷の外へ行くようだ。
「(困った…。俺、まだこの街のこと全然知らねえんだよな…。)」
この街…ゲルナンド領の領都でゲルダという街らしいが、
この領主邸に来る時にちらっと見ただけで街の作りだとかは詳しく知らない。
「(まあ…ついていくしかないか。)」
…
初めての街中。
アルトは目に映るもの全てが新鮮に感じていた。
「(にしても広いな…ここ…)」
少なくとも故郷の…リオス村の何倍も広い。
しかも人々で溢れ…賑わっている。
ただ、村が田舎だっただけかもしれないが…
すごく都心部に来たような感覚になる。
(まあ、領都ではあるのである意味都心ではあるのだが。)
「(やべ…見失っちまう…)」
街を眺めていると、グレアを危うく見失いかけていた。
アルトは慌てて後を追いかけた。
…
領主邸は街の中心部にある。
外側に行けば行くほど、
物価は安くなるが、そのぶん治安は悪くなっていく。
街の最外部には一種のスラムのようなものが形成されていた。
「(おいおい…あのお嬢様どこに行くんだ…?)」
この街のことはまだよくわかっていないが、
とてもじゃないが、貴族の縁者が足を運ぶような場所には見えない。
「(…あれ!?どこ行った!?)」
曲がり角で一瞬目が離れた瞬間のうちに
見失っ…
「アンタ!どこまでついてくんのよ!?」
振り返ると…グレアが腕を組み、睨んでいた。
どうやらアルトをおびき出すためにこの裏路地に入ったようだった。
尾行なんて慣れていないのもあるかもしれないが、
尾行はバレていたらしい。
「ヤベ…」
数日前の記憶がよぎり…身体が強張る。
その間にも…グレアの肩がブレ…
アルトはボコボコにされた。
…
以前と違い急所をガードすることは出来たものの…
ダメージはかなりあった。
「くそ…」
「ふん!」
グレアは腕を組みながら、どこかに去っていく…
はずが、
途中で何者かに暗がりに引きずり込まれた。
「!?…ちょっと…な…ウグ…」
何かを殴るような音が聞こえ…
さっきまで無駄に大きかった声が…聞こえなくなった。
アルトは慌てて自身に治癒魔術をかけながら、
グレアが引きずり込まれた暗がりへと駆ける。
そこにいたのは二人の薄汚れた男。
そこにグレアの姿は見えず、
男のうちの一人は丁度子供一人くらいは入りそうな麻袋を抱えていた。
「(浮浪者か何かかと思ったが…
それにしては随分と…手口が手慣れ過ぎてる…
人攫いか何かか…?)」
あの暴力系お嬢様ならありえなくもないが、
たぶんグレアの知り合いというわけではないだろう。
「おい、見られたぜ…」
「このガキはさっきこのガキに殴られてたやつだろ?
知り合いか何かか?」
「(知り合いじゃないです。
僕は一方的に殴られただけのただの被害者です。
だから僕は助けてください。)」
内心ではそう思いつつも…
そんな冗談を言ってる場合ではない。
「(…あまり人に向けて魔術を使うのは好ましくはないんだけど…
緊急事態だししゃあないか…)」
アルトは魔術を構築しようとする。
しかし…
「…う…ん…?」
後ろから何かに強く殴られたような感覚があり、
身体はそのまま前方に倒れこんでいく。
「…三…人目…かよ…」
背後にはもう一人…男が立っていた。
意識外からの一撃に…アルトの意識はそのまま…闇に沈み込んだ。
「こいつどうする?」
「さあ?こいつは依頼にないけど、
裏に流して金に換えてもいいんじゃねえか?」
「そうするか。」
意識を失ったアルトの前で…
男たちはそんな会話を交わしていた。




