第一章 幼年期編:出産
<Side:アルト>
数ヶ月が経った。
季節は冬を迎え、
一年の終わりに差し掛かっていた頃、
テレーゼが産気づいた。
しかし、アクシデントが起こった。
それは雪。
アルトは前世ではあまり雪の積もらない地域で暮らしていたため、
あまり馴染みがなかったが、
この村は冬になると結構雪が積もるらしい。
だが、今年はそれ以上に…例年以上の量の雪が積もっていた。
そして、問題はここからだ。
この村には医者も産婆も住んでおらず、
近くの町の者に依頼する形をとっていたのだが、
その大雪の影響で、医者も産婆も屋敷に来れなくなってしまった。
「(こうなるんだったら…魔術で雲を散らしといたら良かったかなあ…)」
アルトはステラから学んだ魔術の知識で…天候を変えることは出来る。
だが、降り積もった雪を全て消すなんて芸当は出来ない。
いや、正確には出来るかもしれないが…
雪以外のもの…下手をすれば村そのものも消してしまいかねない。
アルトはステラの教えに従い、
天候の操作を不用意に行うのは避けていたが…
今回に限ってはこうなる前にやっておけば良かったか。と、
若干後悔しつつも…後悔先にたたず。
今更、あれこれ思っても仕方はなかった。
(実際のところ、アルトは外出を禁止されていることもあり、
屋敷周辺だけならともかく…近くの町の周辺の天気までは変えようもなかったのだが。)
さらに、年の瀬ということもあり…
一部の使用人を除き、ほとんどは郷里に帰ってしまっている。
屋敷にいたのは執事長のギルバート、メイドのニナ、料理長のフレディの三人と
テレーゼ、バルト、アルトの合わせて六人だけだった。
その中では唯一、
出産に立ち会った経験のあるニナが陣頭に立ち、指揮を執った。
「フレディさんはお湯を沸かして来てください。
執事長は清潔な布と治癒薬の用意をお願いします。」
…
男性陣に指示を出して、テキパキと動き回るニナ。
それとは対照的におろおろと落ち着きなく右往左往しているバルト。
「…旦那様。一旦、外にでも出て落ち着いて来てください。」
「す、すまない。」
いつもは割と冷静なのだが、
それが見る影もないほどに落ち着きをなくしていて…
とうとうニナに追い出された。
「(珍しいな…父さんがあんなに狼狽えるなんて。)」
そうこうしていると…
ギルバートが箱を抱え、戻ってきた。
だが、その表情は険しかった。
「執事長、治癒薬の在庫はどれくらいありましたか?」
「数本しか…こうなるのであれば、事前にもっと用意しておくべきだったか…」
治癒薬…それはいわゆる回復薬的な薬品だ。
だが、その数は全く足りていないらしく…二人の表情はみるみる険しくなっていった。
「…困りましたね。
治癒術士も今は呼べませんし、屋敷で治癒術を扱えるのは奥方様だけ。
治癒薬もこの数では…」
アルトは途中までわかっていなかったが、
この世界の出産時には治癒魔術を活用するらしい。
だが、治癒魔術が必要なら…もう一人ここに使える者がいる。
「治癒魔術なら僕が使いますよ。」
「…アル様が使われるのは水魔術では?」
ニナが若干訝し気に聞き返す。
どうやらニナたちはアルトの魔術の進捗は知らないらしく…
以前、実際に使っていたのを見た水魔術しか使えないものと思われていた。
(ギルバートだけは脱走未遂の件なんかで例外的に結界魔術は使えるのを知っていたが。)
「水魔術も使いますけど…
治癒魔術はこの間、母様に教えてもらったんですよ。」
アルトは水魔術や治癒魔術以外の魔術も使えるが…そこは今はいい。
大事なのは…治癒魔術を扱えるかどうかである。
「なんと…それは僥倖ですね。
ではアル様…私が声を掛けた時に治癒魔術をお願いします。」
ニナは驚きつつもそう言い、
アルトは出産の補助に立ち会うことになった。
しかし、たとえ治癒魔術があっても、
出産というのは母子ともに危険なもので…油断は出来ない。
「(頑張れ…母さん…そして、まだ見ぬ弟か妹よ…
お兄ちゃんも頑張るぜ…)」
…
出産は長時間にわたっていた。
もう数時間…緊迫したこの状況が続いており、
ある種の膠着状態に陥っていた。
長引けば長引くほど…母子どちらにも負担がかかる。
初めのうちは気丈に振る舞っていたテレーゼも…
明らかに疲弊し、衰弱していた。
その場にいた者たちの表情は次第に険しくなっていた。
「(お願いします…神様…仏様…
母さんを…弟か妹かわからないけど…とにかく助けて!…)」
アルトは普段は無神教…というか別に神を信じてはいない。
神と呼ばれるものが実在する?(した?)この世界ではひどく異端なのだが…
それでも、自身の眼で見たものしか信じていなかった。
だが、そんなアルトでも神に祈るほど…
状況は切迫していた。
もしや、もう駄目なのではないか…
誰も口にはしないが、そんな空気が流れ始めていた時…
「ううううううっ!…あああっ!」
テレーゼが一際、苦しみ始めた。
「!…頭が出ました!」
ニナからそんな声が上がる。
テレーゼの腰回りには布がかけられており、
アルトの位置からは見えなかったものの…
赤ん坊の頭が出始めていた。
「頑張れッ!…あと少し…もう少しだッ!」
バルトがテレーゼの手を握る。
一度は追い出されたが…
青い顔をしつつも、
今はテレーゼの側に寄り添っていた。
「…ッ!…産まれたっ!
産まれましたよっ!…奥様っ!旦那様っ!」
産まれた赤子は…女の子。
ニナが適切に処置を行うと…その子は元気な産声を上げた。
「アルト様…まずはこの子に念のため…治癒魔術を…
それが落ち着いたら…奥方様にも…ってアルト様?」
無事に赤ん坊が産まれ…喜色一杯のムードに包まれていた。
しかし、アルト一人だけは…未だに表情を険しくしていた。
「あ、はい。治癒魔術ですね。」
一旦、生まれた赤子にアルトは治癒魔術を掛ける。
「む、無詠唱ですか!?」
ニナが驚いたような反応をするが、それどころではない。
「(…妙だ…)」
アルトは妊娠や出産について…
それほど正確な知識があったわけではない。
だが、違和感があった。
「(へその緒…ってあんな感じだったか?)」
布で隠されていてアルトの位置からはしっかりとは見えない。
しかし、普通はへその緒というのは一本しかないはずだ。
「(なんか絡まって…!?…)」
その時、アルトは気づいた。
「ニナさん!
まだ、終わってません!」
そのことに気づいたアルトは叫ぶ。
「…?
ええ…あとは奥様にも治癒魔術を…」
「そうじゃない!
母さんのおなかにはもう一人…いるんだよ赤ちゃんが!」
「「「「!!??」」」」
赤子は二人。
つまり…双子だった。
「(マジか!?…
なんで今まで誰も気づかなかった!?)」
この世界の医療技術のレベルはそれに気づけないほど低いのか…
もしくは気づいていたが、誰かが意図的に隠したのか…
そこはアルトにはわからない。
「ニナさん!」
「は、はい!」
動揺はしつつも、ニナはテレーゼの方に向き直った。
…
しばらくして、もう一人の赤子も産まれた。
こちらも女の子だった。
だが…
「産声が…上がりません…」
産声が上がらない…それは息をしていないということだ。
「(…ッ!…治癒魔術を!)」
アルトは即座に治癒魔術を掛けようとするが…
それを阻む者がいた。
「…アル。
治癒魔術は掛けるな…この子は…死産とする…」
震える声でそう言いながら…
立ちふさがったのはバルト。
赤子の父親であるはずの人物だった。
「ふざけんじゃねえっ!
今なら間に合うかもしれねえんだ!
…この子の命を勝手に決めんなっ!」
普段は物腰柔らかく…子供に似つかわしくない丁寧な振る舞いをしていたアルトの
突然の荒々しい物言いにバルトは面食らったような顔をする。
そんなバルトには取り合わず…
アルトはすぐに治癒魔術に取り掛かる。
真っ先にアルトがかけたのは…上級治癒魔術。
アルトが習得している治癒魔術の中で
個人に掛ける治癒魔術の中では最高のものだった。
だが、それでもまだ…産声は上がらない。
「(まずい…)」
アルトは魔力を込め…限界まで出力を高めた魔法陣を構築していく。
本来であれば使わない…使うつもりのない未検証の魔術だったが、
そんなことは今のアルトの頭の中から消し飛んでいた。
「(ぜってえ死なせねえ…
死なせてたまるか…)」
そうして…その魔術は放たれた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<Side:テレーゼ>
テレーゼは痛みと出血で朦朧とする意識の中、後悔していた。
お腹にいる赤子のことを…いや、赤子たちのことを…
誰にも話さなかったことを。
お腹にいるのは双子だった。
この世界では…双子というのは忌み子…
不吉の象徴とされている。
それが発覚した時…
かかりつけの医者には無理にでも堕ろすように勧められた。
だが、テレーゼには…
産まれてこようとしている我が子の…
精一杯、生きようとする我が子の…
命を奪うことなど出来はしなかった。
医者に口止めした上で…
家族にも口を閉ざし、テレーゼは一人で抱え込んだ。
なにが起こっても自分が守り抜けばいい。
たとえ…世界のすべてを敵に回しても…
それほどの覚悟をしていた。
だが…
想定外のことがたくさん起きた。
予定よりも早産になったこと。
本来は年が明けてから産まれる予定だった。
例年以上の大雪が降ったこと。
毎年…雪は降るが、これほどまでになったのは初めてだった。
雪や年の瀬であることの影響で医者や産婆が屋敷に来れなかったこと。
せめて医者が屋敷に来れてさえいれば、もう少し違ったかもしれない。
出産の負担が想定よりも大きかったこと。
双子というのがここまで負担になるとは思わなかった。
「ま…だ…わた…しは…」
こんなところで死ぬわけにはいかない。
子供たちを…守らなくては…
そう思いつつも…意思と反し、身体から力は抜けていく。
「…!!…!!」
誰かの怒声が響いている。
だが…それも段々と…遠くなっていく。
「ごめ…ん…な…さ…」
薄れ行く意識の中、テレーゼが目にしたのは…
溢れんばかりの眩い光だった。