第一章 幼年期編:嬉しい報せ
<Side:アルト>
「はあ…」
アルトは昼間から庭で黄昏ていた。
原因は言うまでもなく、外出禁止の件だ。
結局、この一ヶ月…脱走は一度も成功しなかった。
もっとも、外出は禁止されているが、
庭に出ることまでは禁止されていない。
庭は屋敷の敷地内だ。
天気もいいので日向ぼっこでも…と思い、
庭で転がっていたのであった。
「(魔法陣がグルグル…グルグル…グールグル…)」
アルトは呆けた顔でどこかで聞いたことのあるリズムを刻みながら、
魔法陣をグルグルと回している。
無論、これは別に遊んでいるわけではない。
外出禁止の影響で折角開発した魔術も実践ができない。
それによって編み出した練習方法だ。
手元で陣を描き、魔術を射出せずに留めた状態で
出力を上げたり下げたりなどの魔法陣を書き換える操作を繰り返す。
アルトはこれまで魔術を学んできた中で
魔術において重要なのは構築速度・制御力・知識・魔力量。
この四つだという結論に至っていた。
一見、遊んでいるようにも見える
この練習法はそのうちの知識以外の三つを高められる
一石二鳥ならぬ一石三鳥のうってつけな練習法だった。
「ふわ…」
アルトは欠伸が出そうになるのをどうにか押し殺す。
だが、春眠暁を覚えずなどと言われるように
心地よい暖かさで日向ぼっこをしていると、
自然と瞼が落ちてきてしまう。
「ん?」
夢の世界に誘われかけていたアルトだったが、
何か違和感を感じ、眼を開く。
「うわああ!?」
すぐそばにギルバートが立っていた。
今の今まで気配も何も感じなかったのに、
ギルバートはいきなり現れた。
そのことに驚き、アルトは飛び上がった。
「い、いつの間に!?」
いきなり現れたギルバートにアルトは尋ねる。
「さあ?いつからでしょうね?
それより…アルト様、テレーゼ様が戻られ、
お話があるとのことなので、お迎えに上がりました。
共に広間の方へ参りましょう。」
ギルバートは適当にはぐらかしつつ、
アルトに用件を伝える。
どうやらテレーゼが何か用があるらしい。
「ギルバートってもしかして忍者?
ニンニンなの?ニンニンなのか!?」
「何をおっしゃっているのかはわかりませんが、私はあくまで執事ですよ。」
広間へと向かいつつ、ギルバートとアルトはそんな会話をしていた。
…
アルトがギルバートと共に広間にたどり着くと、
バルトとテレーゼ…そして、一部の使用人が広間に集まっていた。
「悪いわね…みんな集まってもらって。」
テレーゼが話を切り出す。
だが、珍しくテレーゼにしては歯切れが悪く、
広間にいる全員が訝しげな顔をしている。
「ええと…その…どうやら…出来たみたいなの…
アルに…弟か妹が…」
その言葉が意味するところはつまり…
テレーゼが妊娠したということだ。
「え!?ええ!?」
アルトは驚いた。
だが、それよりも喜びがこみ上げていた。
前世では一人っ子であったアルトには、
兄弟・姉妹に憧れがあったのだ。
「母様!おめでとうございます!
男の子ですか?女の子ですか?」
テレーゼに駆け寄ったアルトは興奮気味に尋ねた。
「それはまだちょっとわからないわね。
分かったらまた教えてあげるわ。」
テレーゼは今はまだ妊娠初期で
見た目的にも大きく変化はない。
わかるのはもうしばらく先になるであろう。
そんなやり取りをしていると、
バルトがテレーゼに近づき、抱きしめた。
「(きゃああ!?情熱的ぃ!)」
アルトは顔を手で覆い、指の隙間からチラチラと覗く。
とんだ出歯亀である。
「テレーゼ…ありがとう。」
「え?ありがとう?」
バルトの言葉に若干困惑しつつも、
テレーゼは頬を染めていた。
アルトからはバルトの背中しか見えなったが、
バルトの肩は震えていた。
「(あの父さんが…いや、今日くらいは泣いたっていいか。)」
嬉し涙はいくら流しても構わないだろう。
そう思いつつ、
アルトはまだ見ぬ兄弟・姉妹に思いを馳せていた。
「(男の子かな?…女の子かな?)」
色々考えてみたが、
元気に生まれてくれればなんでもいいや。という結論に至った。
早くもアルトはお兄ちゃん気分に浸っていたのであった。
…
テレーゼの妊娠が発覚して以降、
テレーゼは外出をすることが少なくなり、屋敷で過ごす時間が増えていた。
そして、対照的にバルトは家を空けることが多くなっていた。
「(忙しそうだけど、父さんは何しているんだろう…)」
『格闘王』なんて呼ばれているらしいが、
実際のところ、何をしているのかはわからない。
この家は比較的裕福に見えるが、
未だに資金源は謎に包まれている。
「(前世でも親の仕事を知ったのは小学生ぐらいの時だし、
知らないのも無理はないんだろうけど…)」
実際問題、親の仕事について詳しく知る機会なんて
本人が話さない限りそうそうない。
もしかしたら、格闘王を名乗っている系無職
だったりするかもしれないが…
機会があれば、いつか聞いてみよう。
そう決めたアルトだった。
その時、コンコン。とノックの音が響いた。
アルトの部屋を誰かが訪ねてきたのだ。
扉を開けると、テレーゼが立っていた。
「母様。どうかしました?」
「いや、大したことではないんだけど、
しばらくは屋敷でゆっくりする時間が出来たから
魔術を教えてあげようと思ってね。」
どうやらそういうことらしい。
だが…
「お気持ちはありがたいのですが…魔術の訓練となると、
外に行かなくてはならないですし、
身重の母様には迷惑をかけれないですよ…」
アルトの魔術は正直行き詰っていた。
魔術の制御力向上トレーニング(魔法陣グルグルのやつ)は続けているし、
NC魔法陣を活用した魔術開発も続けていたものの、
いつもの平野での実践検証が出来ない以上、あまり進展しないのだ。
しかし、テレーゼは笑って言った。
「違う違う。なんか勘違いしてる気がするけど、
七大属性の魔術じゃないわよ。そもそも、私は使えないしね。
教えるのは治癒魔術と結界魔術…だから、外に出る必要はないわよ。」
…
治癒魔術と結界魔術。
それはアルトがこの世界に来て初めて触れた最初の魔術だ。
(アルト自身は知らないものの、
階段から落ちてきたアルトを受け止めたのはテレーゼの結界魔術だ。)
以前、アルトはテレーゼに魔術を教えてもらえるように頼んだことがあったが、
テレーゼは多忙さゆえに教えることが出来なかった。
だが、今回の妊娠の件で望外に時間が生まれた。
丁度いい機会だ。と思い、教えようと決めたらしい。
「ちょっと遅くはなったけど、教えるって言ったし約束は守るわよ。
私、約束を破るのも破られるのも嫌いなのよ。」
テレーゼはそんなふうに言うが…
一方のアルトはというと…ポカンとした顔をしていた。
「(あ、あれ?そんな約束したっけ?)」
アルトはその約束をすっかり忘れていた。
いや、アルト的には魔術講師を依頼してくれていたのと
魔導教典を用意してくれていたのでその約束は果たされたものだと思っていたのだ。
だが、よく考えれば、
ステラから教わったのは七大属性の魔術だけ。
魔術を教えてもらった興奮などで、
すっかり頭から抜け落ちてしまっていたが、
治癒魔術と結界魔術は教わっていなかった。
「(でも…教えてくれるというのなら、ありがたい。)」
七大属性の魔術以外の魔術にも興味がある。
全力で生き抜くと決めた以上、
少々業突く張りかもしれないが、
色々なことに挑戦したい…いや、するのだ。
「母様!よろしくお願いします!」
「なによ改まって…まあ一応、よろしく?
今日はもう遅いし、実際に教えるのは明日からだけど…
私はステラさんほど甘くはないから…覚悟しておいてね。」
最後の一言で少々先行きが不安にはなったが、
アルトはテレーゼから治癒魔術と結界魔術を学ぶこととなった。
…
翌日。
「…何ですか?…これ…」
「何って…見たらわかるでしょ?」
分からないから聞いているのだが…とアルトは思ったが、
それは口には出さない。
テレーゼから手渡されたのは二つの羊皮紙の束。
だが、それはどう見ても…ゴm…じゃない。
書き損じの束のようにしか見えなかった。
「左手に持っているのが治癒魔術、右手に持っているのが結界魔術。
それぞれの教科書代わりよ。
魔導書があればよかったんだけど…そのへんは教会の連中が…ぶつぶつ…」
最後の方は良く聞き取れなかったが、
治癒魔術と結界魔術に関しては、
七大属性の魔術における魔導教典のような教科書代わりとなる書物はないらしく、
この羊皮紙の束が教科書代わりらしい。
しかし…
「(よ、読めねえ…)」
何か書いてあるのと魔法陣っぽいものはわかる。
だが、それだけだ。
違う言語で書いてあるのか書いてある内容までは一切わからなかった。
「ええと?…なんて書いてあるんです…?」
「もう…魔導教典が読めるんだから、それも読めるでしょ?
同じ『天神語』よ?
アルトは読み書きはもう出来るじゃない。」
『天神語』…それが今扱っている言語の名前だ。
天神…と聞くと、九州の方の地名を思い出すが、そこは関係ない。
この世界を作った神が天神とされており、
天神語というのはそこから名前が付けられた言語で、
主に人族の扱う言語である。
てっきり、別の言語だと思ったが、
アルトの既知の言語だったらしい。
「(ラーメン食いたくなってきた…)」
アルトは思考が脇道に逸れていた。
転生して、三年。
化学が発達していない割には文明レベルはそこそこ高いので、
異世界ものラノベでよく見る不満はそこまで湧いてこない。
だが、食に関しては別だ。
この世界の食べ物も嫌いではないが、全体的に大味なのだ。
調味料が不足しているのかどれも同じような味付けしかなく、
はっきり言うと前世の方が食のレベルは高い。
アルトは前世では週に何度もラーメンを食べるほどのラーメン好きだった。
どうしても恋しくなってしまうのは仕方のないことだろう。
「そ、そんなに読みづらいかしら?…
手書きだから、ちょっと汚いかもしれないけど…」
ちょっとどころではない。とアルトは思った。
まるでゴm…のようだと某空飛ぶお城に出てくる軍人のように
言いたくなる程度には汚い。
どうやらアルトの思考が脱線しているのを、
読みづらそうにしていると思ったのかテレーゼは心配そうに見つめる。
「というか…手書きなんですか…コレ?
誰が書いたんです?」
「誰って私しかいないじゃない。他に誰がいるのよ?」
どうやら、魔術を教えてくれるように頼んだあの日から、
忙しい合間を縫ってコツコツと、
テレーゼがわざわざ手書きで用意してくれていたらしい。
「(…ゴミなんて思ってごめんなさい!!
ありがとうございます!!)」
失礼な感想は捨て置き、
アルトは素直に感謝した。