Imaginary Butterfly
学校の屋上。燦燦と照る太陽。
九月十七日。十二時に丁度なったころ。
青空の下の見慣れた人影に向かって、口を開いた。
「……先輩。」
先輩が、上に伸ばした手をひらひらと振り、自分の方に招く。導かれるように足を動かし、コンクリートでできた床に座ろうとした。
太陽に照らされ、じっとりと熱を持つ床は、飛び退きたくなるような、それでいてこのままこの熱に炙られていたいと思えるような、不思議な感覚を肌に与えることを知っている。汗をかくことを危惧してブレザーを脱ぎ、屋上のフェンスにかけた。先輩はの出で立ちは厚着のままだ。厚着というよりは、きちんと制服を着ているだけかもしれないけれど。でも、半袖にすらしていないのを知っている。
学生という身分に定期的に給与される休憩という時間に、思い切り肩の力を抜いた。体が自重で落ちそうになるのを、慌てて支える。
からりと笑った彼は、珍しく自分に倣って上着を脱いだ。その下にあるのは、やはりというべきか長袖のシャツ。ブレザーを自分のそれの隣にかけ、改めて腰を落とす。
「昼飯、もう食ったか?」
「ええ。あぁ……なんだかお腹が空いてしまったので、早々に。」
先輩の問いかけに、言葉を選びつつ答える。言い訳っぽいことを言ってしまうのはいつもの癖だ。
昼休みの屋上、ここに来て先輩と話すことは、最近の日課になっている。特に約束かなんかをしているワケでは無いのだが、退屈凌ぎには丁度いい。先輩は此処に居てくれるし、自分は此処に来る。
そういうワケで、ほぼ毎日顔を突き合わせてはいるが、先輩との会話は尽きることが無い。――いや、尽きさせることが出来ない、と言った方がふさわしいかもしれない。ふと先輩の手元を見れば、その手の平からは、色とりどりの蝶が飛んでいた。何の紛いも無い、虹色の蝶。
この不可思議な状況の理由を簡単に言ってしまうのであれば、先輩は恐らく魔法使いの一種だ。自分の想像できるものを、想像したそのまま、出現させることが出来る。そういう魔法使い。現代には多種多様な魔法使いが居るものだから、先輩もそうだと形容しても、何らおかしくは無いだろう。とは、いえ。
「それ、何ですか。」
「蝶だよ、蝶。見りゃわかんだろ。」
「そんなカラフルな蝶が居てたまりますか。」
飛んでいる蝶の中には、まるで小学生が考えたかのような金色に輝くそれや、変にリアルな配色で、居そうな雰囲気だけを醸し出した、確実に存在しない星柄の羽を持つ奴。いつ見たかは覚えていないが、確かにいるかもな、と思わせる。物語や、多分幼稚園に入って間もない頃に画用紙の上に書き散らした想像の産物とかで。そんな、居ないことがわかっているのにどこか見たことがあるような気さえする蝶たちが、縦横無尽に飛び回っていた。
全て、先輩が生み出したもの。作り上げた、というよりも、生み出した、の方が適切だろう。
「なんでまた。」
以前も、鳥だとか、空に浮かぶ別世界だとか、所謂RPGに出てくるモンスターだとか、そういうモノだった。今日は、蝶か。
「蝶に……憧れててさあ。」
ぼやくように、独り言のように先輩は呟く。憧れ。こうして話を始めてから、幾度となく先輩が零した言葉。先輩は何度もその言葉を口にする。聴き飽きるほどに。無数の蝶は、先輩の周りに踊るように飛び回っていて、神秘的にも見える。けどそれは、先輩だから、ってやつじゃない。先輩の周りを飛んでいなくったって、虹色の蝶が飛び回っていれば、それこそ神秘的だ。此処に誰も居なくても、誰かの目を惹く。
先輩の憧れはいつだって……そういうものだ。自分が居る、居ないは関係ない。
「そこにあるだけで綺麗だとか、ほら、蝶は……虫が嫌いな奴にも、唯一好きって言ってもらえたりとか。」
そこに居るだけで愛されたい。女々しいかもしれないけど、という接尾語を付けて、先輩はそう何度も何度も、魔法を見つめながら呟いている。
囲まれる自分の特別は求めない。誰かを囲んでも、周りに見てもらいたい。我儘で傲慢、不遜な願い。自ら口に出すことはしないが、その望みの横暴さに呆れたような笑いがこぼれる。
そんな先輩の物言いなど知らぬように、先輩が生み出したそいつらは、先輩の手の内から遠く去っていこうとする。先輩は追い掛けようとはしない。やがて、蝶の方が先輩の周囲に舞い戻る。まるで帰巣本能、のようだと思った。巣というものは、往々にして特別なモノではない。基本的に、誰が作ったとて変わらぬモノだ。
「自分は――先輩は、特別な人だと思いますけど。」
「そうかねぇ。」
納得していないような、諦めたような声音が空気を震わす。
特別か特別でないか、そう二分するのなら、間違いなく先輩は特別であると断言できる。魔法使いが一般的など、虹色の蝶よりもずっと有り得ない。
「そういうんじゃ、ないんだよなぁ。」
蝶の一つを摘まんで、もごもごとそう呟く。
摘ままれた桃一色で染められた異様な蝶は、手から逃れようと、短い昆虫の象徴をばたつかせる。
「授業怠いなぁ。」
ぽい、なんて効果音が付きそうな振りでその桃色の命を投げ捨てる。描いた歪な放物線を、先輩がゆっくりと目で追う。
先輩は、無から有を生み出せる魔法使いだ、と自分を称したことがある。元から或るものをどうこうすることは出来ない、と。何もない所から生み出すことしかできないのだ、と。だからこそ、先輩から憧憬は尽きない。けどそれは、羨望にもならない。羨むことが出来るのは、その足元に及べるからであって。何もなければ、スタートラインにすら立てない。
だからこそ、やっぱり先輩は――特殊、なのだ。
「……なー、お前も良いよなあ。」
ゆるり、と先輩の瞳が隣に向けられる。真っ直ぐで濁ったその眼差しには、欲は見えない。果ての無い憧れの景色。それを展望しているだけ。
そうしている時間が、沈黙で数分流れる。空に霞のように引っ掛けただけの薄雲は、時間の経過を明示するように、その様相を変えていく。太陽の光をよく通す膜は、影もつくらない。それほど暑くなくなってきたはずの外気温が、じっとりと先輩の肌に汗の粒を浮きだたせる。
「魔法で、日傘かなんか出したらいいんじゃないですか。」
「あー、確かに?」
冷静な言葉に刺されたように笑う先輩が、一つ手を打ち鳴らす。
頭上に現れた傘は、黒字の布があしらわれた、"イカニモ"、って様相の傘。
「こういうの、何かカッコいいよな。」
先輩は黒に憧れがちだ。男ならそうかもしれない、という偏見は、ランドセルのカラーリングを最初に決めた人も考えた事だろう。だから日本の小学生は、それ以外に子供の頃は憧れを呈していたような気もする。青、あとは……虹色?
まったく日を除けれていない、ただそこにあるだけのそれを見上げながら、先輩は深く溜め息を吐く。
面倒臭い、なんて言いたげな視線は、あと数分程度で鳴るチャイムの音を危惧して、のことだろう。
「それでも行かないと駄目ですよ、先輩。」
「あぁ~……お前は厳しいね。」
どれだけの冷たい言葉でも、先輩は傷付いたりしない。そりゃ限度ってものはあるし、人にはギリギリを強いるべきではないから、極限まで貶めるようなことはしないけれど。
でも、傷付かない理由はもっと別にある。先輩が、よく知っているから。それ以上言えないことを。言わないことを。その通りに、もう、それ以上は言わない。
ぐい、と先輩が立ち上がる。
「はー。行くかあ。」
ふと、先輩が足を止める。周りにいた生徒が、こちらに目を向けていた。
その視線は興味が二割、残りは多分、奇異……って、やつ。
当然と言えば、当然だろう。
「……あの人、また独り言言ってるね。」
「うん。……大丈夫かなあ?」
「普通に喋ってりゃいいヒトなんだけど。まっ、いいや。いこいこ。」
仲のよさそうな女子生徒がこそこそと話している。
『先輩』には、その声は届かなかったようで、不思議そうな表情で、歩みを進める。
屋上の扉の前で、さっきまで居たその場所に目を向ける。自分の周りの蝶はいつの間にか、元からいなかったように消滅していたし、
「……あ。先輩、ブレザー忘れてってる。」
――そこには、一着のブレザーしかなかった。
お読みいただきありがとうございます。
昨今では色々な人を魔法使いと形容しますよね。私も中学生くらいの頃に言われたことがあります。
話のモチーフはイマジナリーフレンドです。どっちがイマジナリーフレンドなんでしょう。